アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2020年04月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
ヨリちゃんさんの画像
ヨリちゃん
プロフィール

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年04月25日

17世紀の人々は「ペスト」と云う大災厄をどう乗り越えたのか〈新型コロナとの共通点〉


 

 17世紀の人々は「ペスト」と云う大災厄をどう乗り越えたのか

 〈新型コロナとの共通点〉


                〜婦人公論.jp 4/24(金) 12:00配信〜


         042516.jpg

         『ペスト』著 ダニエル・デフォー(中公文庫)より

 新型コロナウィルスによる感染が拡大する中で、17世紀に蔓延した「ペスト」に関する書籍が注目を集めている。その中の一冊、ダニエル・デフォーの小説『ペスト』には、現在の日本の状況とも、重なりが有る様で・・・

 常に病原菌との攻防を続けて来た人類

  新型コロナウィルスの感染者が増え続けて居る。私達が抱えて居るのは最早感染リスクだけでは無い。「仕事や生活はこの先どう為る?」「離れて暮らす家族や友人と次は何時会えるのか?」「感染症に依る孤独な最期をどうすれば避けられるのか?」と云った複雑な問題に直面して居る。

 突然、何時終息するのか判らない疫病に全世界が巻き込まれたのは災難だが、歴史を簸も解けば似た様な状況は幾らでも有った。1918〜20年に流行したスペイン風邪・1980年にWHOから根絶宣言が出される迄の天然痘・今も度々各地で問題化して居るコレラ・チフス・赤痢・結核・梅毒・・・等、人類は常に病原菌との攻防を続けて居る。
 しかし、感染症に翻弄された先人達は、少しでも後世の人々の参考に為る様にと、その壮絶な体験を様々な形で記録に残した。中でも、17世紀のジャーナリストであり『ロビンソン・クルーソー』の作者としても著名な作家・ダニエル・デフォーの『ペスト』には、1665年ロンドンでペストが広まり始め、感染のピークを越える迄の一部始終が、驚く程リアルに描かれて居る。

 殊の始まりは1664年の晩秋。ロンドンで突然、2人の男が疫病で死んだ。人々は上を下への大騒ぎと為ったが、その後数週間に渉って疫病死が報告され無かった為、平穏を取り戻す(実際には疫病死は増えて居たが、他の病気に依る死に紛れ込んで居た)その後、疫病死が在ったのと同じ界隈で死者が増え続け、人々は不安を募らせたものの、少し死亡者が減るとロンドンは未だ健全だと多寡を括った。
 そうこうして居る内に、翌年5月の終わりには、手の着けられ無い程疫病が市中に蔓延し、夥しい数の人が亡く為り出した。深刻な事態を直視せざるを得なくなった人々は、色々な噂が飛び交う中で、何とか疫病から逃れ様とするが・・・

           042515.jpg

 悪疫と云う巨大な不条理の前で

 感染拡大初期に、動揺を抑えながら成り行きを見守って居る人々の様子は、少し前の私達と重なる。死者数の増減に一喜一憂し、出来る事なら大事に至ら無いで欲しいと願って居たのだろう。
 『ペスト』は主人公のH.F.氏が、悪疫に見舞われたロンドンの様子を仔細に観察して記録する形式を執った小説である。デフォーは『死亡週報』等実在の記録を綿密に検討し、体験者から状況を委細に渉って聞いたと云う。その為、作中に描かれた内容は可能な限りの現実の資料に基づいて居ると考えられて居る。1973年に作家の大江健三郎氏はデフォーの『ペスト』に付いて次の様に記した。

 「デフォーの日誌が記録するのは、悪疫と云う巨大な不条理の前に立たされる事に依って、人間として赤裸に一人ソコに実在して居る事実に直面せざるを得なかった人々の日常である。悪疫に閉ざされた大都市の人間達は大いなる監禁状態に在るが、その中では恐しい程に自由だった」(「悪疫年」より)

  当時の「自由」とは、例えば、教会の前で神を愚弄するとか、死を予感して居乍ら神の摂理と恩寵を信じ続ける、と云った事を指す。信仰が生活の中心に在った中世ヨーロッパの人々と現代の日本に暮らす人々では、科学的な知識や社会背景、心の拠り処は大きく異なるだろう。
 しかし、史実に基づく貴重な資料として読み継がれて来たこの本から、私達が今直面して居るのと好く似た困難に、数百年前の人々がどう向き合ったのかを知る事が出来る。

 デマに翻弄される市民達

 現代と重ね合わせて見ると興味深く思われる場面を、幾つか挙げてみよう。感染の危機を身近に感じたH.F.氏が一番初めに考えたのは「ロンドンに残留すべきか、逃げ出すべきか」「店を閉め無いで商売を続けて行くにはどうしたら好いか」「どう遣って無事に切り抜け生き通せるか」と云う悩みだった。ドレも今、日本中から漏れ聞こえて来る嘆き節ととても好く似て居る。
 パニックに陥るとデマを信じてしまうのは、トイレットペーパーを買いに走った現代人だけでは無い。17世紀のロンドンでは、貴族等余裕の有る人々がアッと云う間に郊外へ逃げ出す様子を見て、疎開出来無かった貧しい人々は疑心暗鬼に為った。

 そして疫病が流行る前、数ヶ月に渉ってロンドン上空に現れた彗星を思い出し、それが恐るべき異変の前兆だったと受け止め、恐怖に囚われた。その結果、予言・占い・巷間の俗説を信じた。政府当局は取り締まりを始めたが、人々の不安は解消されず、イカさま医者や香具師(やし)怪し気な薬を売って居る老婆の後を追っ掛け廻し、薬を山の様に買い込んで居たと云う。
 封鎖に関しては、中世の方がズッと思い切ったものだった様だ。疫病の蔓延を防ぐ為感染者専用の病院へ移された病人も居たが、特に感染が急速に拡大した時期に感染拡大への抑止効果が在ったのは「家屋閉鎖」・・・発症して無い家人諸共患者の家を閉鎖する強引なもので、当時でも「残酷で非道な処置」と反感を買った。

 こうした措置に付いてH.F.氏は「疫病の発生した数箇所の通りで、早速その感染家屋を厳重に監視し、患者が死んだと判るや否や、直ちにその死体を慎重に埋葬した処、その通りでは疫病はピタリと止んでしまったのである」「一旦猖獗(しょうけつ)を極めてしまうと、その終息の仕方も早い事が判った。早手廻しに家屋閉鎖と云った手段を執った事が、疫病を阻止するのに与って大きな力が在ったらしいのである」と、記録して居る。

 エンターテインメントも禁止に・・・

 外出自粛を徹底し、ウィルスとの接触を阻止した人も居た。

 「病気の蔓延を見越した者の中には、家中の者全部の食糧を充分に貯えて、家の中に引っ込んでしまい、マルで生きて居るのか死んで居るのか判ら無い位、全然世の中から姿を晦まして、疫病がスッカリ収まった頃、ヒョッコリと元気な姿を現した人間も多かった」

 結果としては「この方法が、色々な事情で避難する事も出来ず、田舎に適当な疎開先も持た無いと云った人々に取っては、一番有効かつ確実な手段であった事は疑う余地が無い」と高く評価している。
 これはマルで、長引く外出自粛で私達のストレスが溜まって来た時にStay at homeの意義を再認識させて呉れる助言の様にも思える。他にも、芝居や歌舞音曲・剣術試合等の「雑踏を招くような催物」はいっさい禁止、宴会禁止、酒楼の取り締まりといった決まりごとがあった。人々の心を和ませる筈のエンターテインメントや歓楽街を避け無ければ為ら無いと云う悲しみは、数百年前の人達とも解り合えるものの様だ。

 医師や看護者達の献身に対する感謝の気持ち等、本書には他にも興味深いエピソードが数え切れ無い程描かれて居る。新型コロナウィルスとの戦いが終息するには、未だ暫く時間が掛かりそうだ。先人達の経験を手掛かりにして、今を生き抜く手立てをジックリ考えてみては如何だろうか。


           中公文庫 編集部  以上
















コロナ危機で露呈 日本政治は「家族」への想像力が貧し過ぎる




 コロナ危機で露呈 

 日本政治は「家族」への想像力が貧し過ぎる


            〜現代ビジネス 森山 至貴 4/24(金) 7:01配信〜


             042513.jpg


 家族はコロナ対策の「ハブ」

 この処、ジョギングする人だけで無く、手を繋いで歩く男女のカップルも街中に増えたと感じる事は無いだろうか。若年層だけで無く、中高年の男女カップルも手を繋いで仲睦まじく歩道を歩いて居る。新型コロナウィルスの流行が収束の気配を見せ無い現在、繁華街に出掛ける事が出来無いのだから近所を散歩でも、と云う人が多いのは十分に理解出来る。
 人と人の物理的な接触に現在の私達が可成り注意を払って居るからコソ、手を繋ぐと云う行為が何時も以上に目に着くと云う事も有るだろう。

 「三密」を避けるとか、他人と距離を空けてジョギングするとか、人と人が物理的に遠ざかる様私達の多くは結構な努力をして居る。そう遣って努力をして居る私達の中には、他人が自分と同じ様に努力をして居ないのを見ると遂非難したく為ってしまう人も居るかも知れない。
 しかし、手を繋ぐ男女のカップルを目撃して「私はこんなにシンドイ思いで努力をして居るのに、他人と密着する等怪しからん」と憤ったりするだろうか。恐らく殆どの人はし無い。多くの場合は「アノ二人は夫婦」と即座に判断し、目撃した事すら忘れてしまうだろう。本当は二人の関係性等判りはしないのだが、だからと云って手を繋ぐことを問題視したりはしない。大人と子供が密着して歩いて居てもそうだ。「他人の子に感染させたらどうするのだ、怪しからん」ナンて思わ無い。「親子連れなんだな」以上である。

 回り諄いのでマトメてしまおう。そもそも「家族」が密着するのは好く有る事だし、問題無い。様々な活動を控える様要請される現在に於いても「家族」での活動は例外であって、且つ後ろ指をさされ無い「普通」のことなのだ。
 勿論「家族」での活動に対してこうした態度を取るのは、人々が自分達に都合好くものを考えて居るからでは無い。国や専門家もそれに「お墨付き」を与えて居る。厚生労働省HP上の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」にも「家族以外の多人数での会食を避けること」と、家族を例外とする記述があるし、公衆衛生の専門家が「家族で散歩するのは好い」と述べて居る。

 但し、好く考えれば、同居して居る家族は元々濃厚接触して居るから互いに感染させても仕方無い、と云う事には為ら無い。職場等で感染者と濃厚接触した人が家で経過観察する場合も、同居の家族とは室内でも物理的距離を保つ様保健所から指導される。
 遠方に離れて暮らして居る家族為らば尚の事、移動を伴う物理的接触は避ける様求められる。里帰り出産も、実家を離れて大学進学した途端オンライン授業に切り替わって心細く為った大学生の帰省も、自粛を余儀無くされて居るではないか。逆に、ルームシェアして居る同居人と連れ立って散歩する事は公衆衛生学上問題無い(し、勿論自粛を要請されては居ない)筈だが、行政文書にも専門家のアドバイスにも当然その様な居住形態への言及は無い。

 ここから見えて来るのは、新型コロナウィルスへの対策に於いて「家族」は科学的にも政策的にも重要な要素の一つで有る事、そして、文脈に応じて異なる定義を与えられる事に依って様々な「ずれ」を含みながら使われて居ると云う事だ。雑駁に言ってしまえば、家族は曖昧な形のママ新型コロナウィルスを巡る政治の要(かなめ)ハブ(結節点)に為って居るのである。
 本稿では、新型コロナウィルス対策に於いて家族と云う関係性にどの様な役割が負わされ期待されて居るかを、幾つかの関連する言葉や事例に着目して考えてみたい。更に、そこで想定され利用される曖昧な家族像は「平時」に於いて政治が家族を様々な仕方で宛てにする事態と地続きで有る点に付いても考えてみたい。

 「マスク配布」から見えること

 家族は新型コロナウィルスを巡る政治の要である。その事を最も好く示すのが、関連して用いられる「世帯」と云う言葉である。ここで問題。「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」(4月7日閣議決定)の決定に依り、どの様な世帯にマスクが2枚ずつ配布される事に為ったか、知って居るだろうか? 
 「どの様なも何も全世帯だろ」と思った読者の皆さん、申し訳無い。これはそもそも問題が悪いのだ。私も指摘されて気付いたのだが、国の方針に依れば、マスクは「世帯」に配られるのでは無い。一つの「住所」に付き2枚配られるのだ。厚生労働省の行政文書の何処を見ても、書いて有るのは「全戸配布」と云う表現ばかりである。

 だから、2世帯以上が一つの住所に住んで居る場合でも、マスクは2枚しか届か無い。配布枚数決定と送付のコストを考えての判断では有ろうが、必要な人にマスクが届か無い事態が頻発する事は間違い無いだろう。そもそも人々が必要として居るのはマスクなのか、と云う疑問もあるが。
 しかし此処で考えたいのは別の問題だ。この政策、本当に「住所」だけに関係して居て「世帯」や「家族」の有り方は関係無い、と言えるものなのだろうか。実は、配布されたマスクの裏面にはQRコードを使って「好く有る質問と回答」のHPに誘導する文面があり「2世帯同居の方など」もソコに誘導される。しかし実際にHPを見てみると、書いて有るのは「家族の人数が多く、2枚で足り無い場合」の「不足する世帯への対応」に付いてだ。「戸(住所)」の話が「世帯」や「家族」へと横滑りして居るのがお判りだろうか。

 「1世帯2枚に為って居ないではないか」と云う意見を交わせる様厳密さを期しながらも「住所」を用いた政策は、緩やかに「世帯」や「家族」に軟着陸させられ、人々の暮らしとの接点を形成する。矢張り家族は此処でも政治の要に為って居るのだ。だからコソ、この政策が想定して居ない家族を生きる人に取っては、マスクを配ると云う取るに足り無い・・・ものでしか無いだろう、矢張り・・・政策ですら傷をもたらすものに為る。
 例えば同居している同性カップルで有る。散々「そんなものは正しい家族の有り方では無い」と非難され、同性婚すら認められ無いにも関わらず、かと云って配られるマスクは4枚では無く2枚で「こんな時だけ1世帯扱いかよ」と憤れば「嫌、一つの住所に2枚配って居るだけですから」と梯子を外される。
 脇を見れば「家族の人数が多い」「2世帯同居」の家族等への対応は予告され、自分達も2世帯だが、2人暮らしなら人数が少な過ぎて対象とは為ら無いだろうと嘆息する。

 家賃負担を減らす為にルームシェアしている学生やフリーター・非正規労働者の中にも同じ落胆や失望を抱える人が居るだろう。想定されて居る家族の形から零れる者に取っては、そう云ったひとつひとつの経験は、新型コロナウィルスそのものに対する恐怖や不安と同じ様に精神に堪えるのである。
 この様に、今回の新型コロナウィルス対策は、政治がどの様な家族・世帯を典型的なものとして想定して居るのか、その裏面として、そこから零れ落ちる人達への想像力を如何に欠いて居るかを明らかにするものでもある。
 
 「10万円給付」政策のヤバさ

 象徴的なもうひとつの事例が、1人当たり10万円が給付される特別定額給付金(仮称)制度だ。4月21日現在発表されて居る概要に依ると、1人当たり定額の給付で有るにも関わらずこの制度に於いては「世帯」が極めて重要な役割を果たして居る。何故なら、この制度の「受給権者」は世帯主だからだ。
 「世帯主がマトメて受け取ると、仮に世帯主がDV夫(妻でも構わない)だった場合、自分で使い込むと云う新たな経済的DVが発生してしまうから」と云う懸念が真っ先に思い浮かぶが、それだけでは無い。ソモソモ、世帯主以外の人間、多くの場合は妻や子供が、自分に給付される金額を自分で請求する権利すら無い(か、少なくとも想定されて居ない)のだ。

 世帯主は圧倒的に男性が多い現在「妻や子供の所有物は夫の所有物」と云わんばかりの、イエ制度も真っ青の制度が運用されようとして居る事自体驚愕であるが、現政権がこれ迄どの様に家族を捉えて来たかと云う点から考えれば、残念ながらその極めて保守的な家族観の延長線上に有るからコソ、この様な形の制度に為ったことは明らかであろう。
 とは云え、政権の家族観が今困って居る人を十分に支える事より優先されて好い筈が無い。制度が滑り出す際には、より平等で有効なものへと練り上げられて居る事を強く願わずには居られない。

 こうした給付の方法を見て居ると、現在の政治に取って、家族とは、当然の様にお互いを助け合う様な存在で有るとイメージされて居るのかも知れない。しかし、実態がその通りであるとは勿論限ら無い。先程DVの可能性に付いて取り挙げたが、実はこれは可能性では無く現実の問題である。
 外出自粛の影響でDV被害の相談が増加して居り、対策として内閣府がDV相談+(プラス)と云う窓口を4月20日に立ち上げた。「共に一つの住居に暮らす」事は、常に安全を意味するとは限ら無い。

 家族が負わされて居るもの

 又、家族関係が良好なものであったとしても、新型コロナウィルスへの対抗の拠点として盤石で有るとは決して言え無い。何故なら、平時に於いて家族が負わされて来た負担の過重さが、今回の危機を契機にしても具体的な問題を引き起こして居るからだ。
 アナウンサーの赤江珠緒さんが、夫のPCR検査に際して「親が共倒れに為った場合の子供の面倒は誰が見るのか」「未だ解決策も思い付いて居ません」とお書きに為った手紙が記憶に新しい人も多いだろう。その後、赤江さんご自身も検査結果が陽性で有る事が判明し、夫の入院中に自宅隔離しつつ検査結果陰性のお子さんを一人でケアして居ると云う事が明らかに為った。
 元々私は赤江さん出演のラジオ番組の熱心なリスナーだが、それを割り引いたとしても矢張り、この話を聞くと、本当に胸が潰れる様な思いがする。

 日本は子育てへのサポートが貧しいとは頻繁に指摘される事だが、そうした平常時に於ける家族を巡る歪みが、こうした形で既に噴出して居るのである。平時から人的・物的なリソースが潤沢で有れば避けられたであろうリスクの有るケア労働を、家族が抱え無ければ為ら無いこの状況は、何としてでも改善させ無ければ為ら無い。

 家族に何が課され、負わされるのか

 新型コロナウィルスを巡る政治の要、ハブとしての家族に付いて、幾つかの事例を取り上げながら考えて来た。ウィルス対策は、医学や疫学の領分でもあるが、人々の行動やライフスタイルの変容や制限に掛かわざるを得ない点に於いて、極めて政治的なものでもある。そして、その政治の要に、私達に取って極めて馴染み深い現象としての家族が存在する。

 従って、私達は、曖昧さがあり重荷を負わされて居て、歪や歪みが有ると云う事を知った上で、家族と云う制度を何とか乗り熟しながら新型ウィルス対策を成功させ無ければ為ら無い地点に今立って居る。しかし忘れては為ら無いのは、この曖昧さ・重荷・歪は、新型コロナウィルスに依って引き起こされたものでは無いと云う事だ。それは、新型コロナウィルス以前の私達の「普通」の日常に、既に潜んで居たものに過ぎない。
 だから私達は、新型コロナウィルス対策の名の下に、家族に何が課され負わされるのかを注意深く見詰め、時に正し、そして忘れずに居なければ為ら無い。家族と云う一つの政治的制度が、収束後の私達の生を苦しく、ミスボラシクするものに為ってしまうか否かは、他の誰でも無い今の私達の、家族を巡る一つ一つの政治的決断に懸かって居るのだ。


           042514.jpg

 森山 至貴 早稲田大学准教授 早稲田大学文学学術院准教授 1982年神奈川県生まれ 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(相関社会科学コース)博士課程単位取得退学 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻助教を経て 現在、早稲田大学文学学術院准教授 専門は、社会学 クィア・スタディーズ 著書に『「ゲイコミュニティ」の社会学』『LGBTを読みとくークィア・スタディーズ入門』

                  以上



















2020年04月24日

何故日本でPCR検査数が増え無いのか 日本社会ならではの 課題と解決策を考える【あたらしい意識高い系を始め様】


 

 【新しい意識高い系を始め様】

 何故 日本でPCR検査数が増え無いのか 

 日本社会ならではの 課題と解決策を考える



            〜FINDERS 倉本圭造 4/24(金) 21:25配信〜


           042511.jpg

何故 PCR検査を増やす増やさ無いでモメて居るのか?

 私は経営コンサルタントなのですが、普段の仕事の中で製造業とかで「日本らしさ」的なものが、世界的に見てもチャンと優秀性として発揮されて居て、無内容な「日本スゴイ!」的な話じゃ無く「本当にスゴイ」分野と普段触れる事があります。
 そう云う分野の経営者の人とかは皆揃って一様に、日本に於いて新型コロナ対策が問題に為り始めた2月下旬や3月上旬の頃、伝え聞く日本の対策の在り方に付いて「誰なのか判ら無いが日本の対策のリーダーには物凄い優秀な人が居るっポイ」と言って居ました。私も同感で、当時世間で「日本は何も対策して無いのに何故か上手く行って居る様だ」ミタイな事が言われて居るのが謎で「嫌々メッチャ的を射たスゴイ対策が絶賛進行中じゃないですか!」と思って居ました。

 好く、ITのセキュリティ対策チームが優秀なら優秀な程、使い手からは「マルで何もして居ない」様に感じられる・・・と云う話が有りますが、限られた資源・限られた期間の中で、今有るリソースを最大限活用して成果を出した日本の対策は超凄かったと今でも思って居ます。
 後々3月中旬位に為って、どうやら専門家会議ってのが有るらしいとか、西浦博氏・北海道大学大学院教授・通称「8割おじさん」や尾身茂氏・地域医療機能推進機構理事長・・・そして押谷仁氏・東北大学大学院教授と云った「顔」が認知される様に為って、彼等が出す資料等に付いて「日本政府から出される資料からコンなに感銘を受けたのは初めてだ」ミタイな話をチラホラとネットで見ました。

 しかし一方で、3月中旬の三連休以降段々と暗雲が立ち込めて来て、最終的に全国的な緊急事態宣言に迄追い込まれ、その後も混沌として未来が見通せ無い状況に陥ってしまって居ます。私が普段の仕事の経験から感じる事は、この「3月中旬迄の成功」と「それ以降の失敗」は表裏一体で、単純に「失敗」部分だけを見て「バカだねえ」と云うだけでは改善出来ない無課題が有ると云う事です。
 今後も新型コロナ対策は長期戦が続きますし、私達日本人はこの問題に立ち向かう時に、どう云う事を気を付けるべきなのか?に付いて考える記事を書きます。その議論の中で、巷を騒がせているPCR検査数を増やす増やさ無い・・・と云う様な「課題」を日本の中で上手く処理するにはどう云う考え方が必要なのか?と云う話もします。

 同時にコレは「古い社会」を敵視せずその隠れた深い合理性に着目しつつ、時代に合わせて変えるべき処を変えて行く「新しい意識高い系」を始め様・・・と云う連載の第二回でもあります。

 目次は以下の通りです。

(1)3月上旬迄の日本の健闘とそれ以降の苦戦は表裏一体
(2)ローカルな事情にチャンと適合した戦略で有る程、見た目は他の国と違って居て当然
(3)PCR検査数を増やす・増やさ無い・・・と云う課題に付いて考えてみる
(4)日本に於いて「組織の縦割り」を超えた連携が必要な時には「新しい意識高い系」のモードで対処するべき
(5)これからの展望
(6)新しい意識高い系を始め様

 (1)3月上旬迄の日本の健闘と、それ以降の苦戦は表裏一体

 3月上旬迄の対策に於いて「誰か知ら無いが物凄い優秀な人が遣ってる感じがする」と「現場系」の経営者達が口を揃えて言って居たのは、大体以下の様な決断を可成り初期から一貫した見通しを以て策定し実行して居た処にあります。

 A) 中国に於ける武漢とそれ以外の地域の致死率の差に着目し「医療機関への負荷を低減し医療崩壊を避ける事」を最重視して戦略を作る
 B) 急にはキャパシティを増やせ無いPCR検査では無く、国民皆保険でコンビニ診療的に医者に懸かる事が定着して居る全国の医療機関探知網として使い、他国に比べて異様に多く配備されて居るCTを活用して症状者を探し出し、そこからの芋づる式に接触者を追って感染者を発見して行く作戦の全体設計
 C) 一瞬の内に制御不能なレベルに蔓延してしまった欧米では出来無かった視点として、ダイヤモンド・プリンセス号や初期の武漢からの帰国者からの感染を丁寧に追って「三密」と云った「感染させ易い状況の定性的な把握」や、感染させ捲くる人とそうで無い人の差が激しい事からの「クラスター対策」方針によって「出来るだけ経済を止め無い」形での封じ込めを模索する姿勢

           042502.jpg

 ・・・これ等の何処がスゴイかと云うと「今持ってるリソース」を徹底的に活用し「最大の効果を得る」為にどうするか?と云う視点が貫かれて居る事です。本当に効果が高い施策だけを社会・経済への影響を最小限にしながら行う事で、マルで「何も遣ってない」かの様に見える程鮮やかな仕事だった。
 結果的に、欧米諸国とは桁が違う死者数の少なさに、少なくとも第一波の時点ではシノギ切れたと云えるでしょう。例えると、今日のお昼ご飯を作ら無きゃって為った時に、炊飯器が例え無くても土鍋が有るからそれを使おう!レシピに書いて有る材料と違うけど冷蔵庫に有るモノを炒めてオカズにしよう!・・・ミタイな感じですね。

 逆に言うとこの長所の裏返しの短所は今持ってるリソースで足り無く為った時どうするか?と云う時、特に今の組織構造を超える様な広域の連携が必要な事が超絶苦手な処です。只、これは長所の裏返しの短所なので、その「短所」だけを捉えてバカだネエ・・・って言ってても解決しないんですよね。
 長所と短所を全体として捉えた上で、議論を交通整理する必要がある。ソコで必要なのが、私が「新しい意識高い系」と呼んで居る行動指針なんですよ。

 (2)ローカルな事情にチャンと適合した戦略で有る程、見た目は他の国と違って居て当然

 世界の国々は、夫々国情も持って居る医療リソースの種類も全然違うので全世界共通に同じ手法で遣らなくちゃ・・・と為ると、自分達が持って居る武器の種類と合わ無く為ってしまうんですね。サッキの例で言えば「炊飯器が無いとご飯が炊けません」的な話では、今まさに襲い掛かって来て居る課題にチャンと最大の効果を発揮する対策は出来ません。
 だから本当に現場レベルで優秀で有る程、その対策はオリジナルで、他とは違ったものに為って来る可能性が高い。これは「誰が言ってるかで無く何を言ってるかを見るべき」的な話で、チャンと物事自体を深く知って「為る程、見掛けは随分違うけどスジは通ってますね」と云う判断が出来る人なら好いんですが、世の中余りそう云う感じでは無いですよね?

  「〇〇ナンて言ってるのは日本だけだぞ!」ミタイな感じで日本の当局が言って居る内容自体を自分のアタマで読み解くのでは無く「ニューヨーク・タイムズにはこう載って居たぞ!」的な権威主義でしか判断出来無い人が世の中には多いのでチャンと現場レベルで適合したオリジナルの戦略を持って居る程孤立無援に為ってしまうんですよ。
 ローカルな事情にチャンと適合したオリジナルな対策をして居る担当部署が孤立無援に為って行く時、日本では特有の意固地さ・・・の様な振る舞いに為ってしまう事が良くあります。それが、事情が判ら無い世間一般から見ると非常に排他的で自分の考えだけに固執して居る様に見えてしまい、余計に相互コミュニケーションが困難に為り、担当部署は更に自分達が今持って居るリソースの範囲内だけで全てを解決しようとして混迷してしまう事に為る。

 その範囲で成功すれば好いけれども、その範囲を超える様な大問題に為ると・・・3月中旬以降、感染爆発した欧米諸国から大量の帰国者が市中に放たれ、対策班の接触者追跡能力が足り無く為って来て・・・後は皆さんご存知の通りです。そんな時私達はどうすれば良かったのでしょうか?

 (3)PCR検査数を増やす・増やさ無い・・・と云う課題に付いて考えてみる

 例えばPCR検査を増やす・増やさ無い・・・と云う様な課題に付いて考えてみます。この問題が何故紛糾して居るかと云うと「PCR検査を増やすべき」と云う意見を言う人の中に、
 「チャンと日本の対策班の考え方が判った上で改善点を指摘して居る声」
 「日本の現状は全然判って無いけど、他国が遣ってるんだからヤレとか、検査し無いと判る訳無いじゃんとか云った単純な視点で批判して居る人」
 がゴチャゴチャに混じってしまって居るからなんですね。

  日本の対策の考え方に付いての好く有る誤解として
  PCR検査数が少ないから全体像が判って居る筈が無い
  無症状者・軽症者を検査して居ないから、そう云うヤツが市中でウロウロして感染して居るのを止められる筈が無い
 と云うものがあります。しかし、日本ではまず
  何処かで感染者が出たら全国の病院網とソコに配備されたCTで探知出来る筈
  そこで見付けた患者から芋づる式に逆算して接触者に検査して行く・・・と云う方針で、その「芋づる式」に追って行く過程では症状が有ろうと無かろうと検査をして居る訳です。

 例えば韓国はメッチャ検査をしてると云うイメージが有るけれども、それでも結局国民全体の1%程度しか検査して居ません。それ位現状は何処の国でもPCR検査と云うのは貴重な資源なので、或る程度対象者を厳選して使う様にしないと無駄撃ちに為ってしまうんですね。その厳選の遣り方が日本は自分達が今持って居る武器の種類に合わせたオリジナルな手法を取って居て、そうする事で少無くとも3月上旬迄は、無症状な人も含めて多くの感染者を捕捉して隔離する事が出来て居た。

 この「接触者追跡」に使うPCR検査能力を別の処で浪費して仕舞たく無い為に、一時期は医師が必要と認めてもナカナカ検査して貰え無いと云った問題が発生して居り、一般の人から見ると「余程の重傷者以外は一切検査をして居ないのではないか」と云う誤解が広がって居るんですね。
 しかし、専門家会議の人達は最初から「検査能力を増やせるものなら増やして欲しい。特に医者が必要と認めたのに検査出来無い事例が出て来て居るのは良く無い。しかし戦略的に重要な接触者追跡に使う資源が、安心の為の検査で使い潰されるのは避けたい」と云う様な趣旨の発言を繰り返して居ました。

 自宅待機中に亡く為った事例等が出て来た事で、何処迄が「安心の為の検査」で、何処からが「医療者が必要と認める検査」なのかの線引きを遣り直す流れに為りそうですが、少なくとも後者に関してはスムーズに検査迄行ける体制にしようと云う合意は、既に出来つつ有ると言えるでしょう。詰り此処迄の話をスライドにまとめると・・・

         042501.jpg

 好く、検査を増やすと医療崩壊するとかし無いとか議論されて居ますが、正しくはチャンと配慮した上で遣れば医療崩壊させずにPCR検査を増やす事は出来る ナンですよね。スライドでは多少単純化して話していますが「PCR検査資源の優先順位が崩壊する」以外にも色んな「医療崩壊」に繋がる可能性は有る訳です。
 
         042504.jpg

 実際は総人口の足った1%強

 その当たりをチャンと配慮した上で動かせるかどうかが重要なんです。しかし、これだけ色んな誤解が世間に溢れ、デマや陰謀論が花盛りの状態で、この「チャンと配慮をした上で遣れば」を実現出来るでしょうか?
 「兎に角検査を増やしさえすれば好いんだ!」と云う熱狂が暴走して、或る程度上手く行って居た戦略が全部台無しに為ってしまう可能性だって有ります。日本の医療現場が言って居る事はPCR検査を拡大するなでは無く「貴重なPCR検査キャパシティを無駄撃ちし無いで呉れ!」と云う事。日本は総理大臣にすら強い権限は殆ど無いコンセンサス重視国家なので、イザ「今有る組織の縦割り」を離れた処での広域の協力関係を必要とする方針を立ててしまうと、色んな人のヨコヤリで果てし無く混乱して、大事な作戦の一貫性が崩壊してしまい勝ちなんですよね。

 そう云う状況では、今マサに前線で戦っている部署に居る人は警戒心を持って当然ですよね?出来るだけ自分達が確実にコントロール出来る範囲だけで何とかしよう・・・と思って仕舞っても可笑しく無い。だから、日本に於いて「広域的な連携」が必要な時には、以下にお話しする様な「新しい意識高い系」のモードで「議論の交通整理」を確り遣る必要があるんですよ。









 (4)日本に於いて「組織の縦割り」を超えた連携が必要な時には「新しい意識高い系」のモードで対処するべき

       042505.jpg

 「新しい意識高い系」に付いては、こないだ私のインタビュー記事が公開されたんですが、ソコでした話が非常にイメージし易いので以下のスライドで紹介すると・・・

       042506.jpg
       042506.jpg
       042507.jpg
       042503.jpg

 「新しい意識高い系」とは?(その2)

 私のクライアントのマニア向け小売店で、スタンプカードをアプリにするって話が在ったんですが、今時スタンプカード?って思う人は使わ無きゃ好いだけな一方で、スタンプカード集めてる(通販の時はシール同封してるんでそれを綺麗に貼ってる)人って凄い大事な顧客なんで、そう云う人がアプリ化で離れてしまうんじゃないかって云うのは正当な懸念ですよね。
 そう云う時に「未だにスタンプカードとか昭和かよ!」とか言っててもダメで、チャンと溜まってるスタンプとアプリのポイントの交換比率を考えるとか、それを発表する時にハートフルに顧客との関係が深まる様なメッセージを考えるとか、そう云う事を遣れば誰も反対しないしスルスルと進む訳ですよね。

 詰り、日本に於いてチャンと現場と理屈が適切な形で協業して行くには 「医療現場の人がPCR検査の安易な拡大に慎重になる理由」迄深堀りして、その解決策の方向性のコンセンサスを作って行く処迄「現場以外」が遣ら無いといけない訳です。

           042508.jpg

 「現場が反対する理由」が判れば、只それを解き解して行けば好い。例えば・・・

  保健所のキャパが問題なら、保健所とは別の検査センターを用意すれば好いですね?
  医療機関に集まる事自体が感染拡大のリスクなら、ドライブスルー方式や訪問型の移動検診ならどうでしょう?
  検体を集める事は効率化出来ても「検査」自体はどうしてもキャパが限られると云うのなら、その事をチャンと世の中に伝えて協力を要請するメッセージを発するべきでは?
  安心自体が目的なら、PCR検査よりも、ソモソモ電話相談の時にチャンと心理的な安心を与える様なフォローをして「無意味に放り出された」と感じさせ無い配慮を作り込む事が大事なのでは?(この部分可成り重要だと思って居ます)
  保健所の人が今遣って居る作業の内、こう云う部分は外注したり専門家で無くてもサポート出来る筈では???

 この様に、議論をチャンと交通整理する処迄外野が遣れば「医療現場の最前線で戦って居る人」をサポート出来る。現場の人も安心して検査拡大に同意出来る。それが「新しい意識高い系」の考え方なんですね。特に、今時々ネットで話題に為る感染者の体験談の、

 「症状が出たかも知れない時に電話しても全然繋がらない」
 「アッチコッチタライ廻しにされて物凄く不安に為った」

 とか、そう云うレベルの不安を医療関係者は結構軽視し勝ちなんですが(明らかに彼等の責任範囲では無いとは云え)その辺りの細部でチャンと「不安自体をケア」する事が出来れば、この幸薄い論争も随分落ち着いて来るのではないかと思います。

 皆「前工程」のPCR検査の話ばかりして居るけれども、大事なのは「後工程」の接触者追跡をモッと徹底出来る様にする事では???

 3月位からズッと思って居るんですが、韓国が出て来ると冷静さを失うのは、日本の右翼さんだけじゃ無くて左の人も相当ヤバいです。このPCR検査の話も、冷静に問題自体を解き解して行けば好いのに、矢鱈感情的に相手を全否定して遣る!ミタイなムーブメントが両側から荒れ狂って居る為に対処が出来無く為ってしまって居ます。
 で、韓国以上に検査して居るドイツがそれ程成功して無い処を見ると、東アジア諸国で成功して居る国はこの「接触者追跡」をメチャクチャ徹底的に遣ってる処が鍵なのではないでしょうか。上記のスライドで、韓国が遣ってる接触者追跡能力と日本の対策班の比較をして居ますが・・・ハッキリ言って話に為ら無い程の差がある。

 韓国と日本の比較(その2)

         042509.jpg
         042510.jpg

 今後日本のPCR検査はドンドン増やして行く流れには為って居るものの「CTが過剰配備されて居る日本の医療網をレーダーに使う」戦略が有る分、PCR検査の数は少なくとも一般に思われて居る程の差に為って無いと云うのは、多くの専門家が言って居る事です。(例の岩田健太郎医師も言って居る)しかしこの「接触者追跡」能力はもう天地程違う。韓国が「プライバシーってナンですか」位の感じでバシバシ強権的に追跡して居るのに対して、日本では保健所が「若い人は電話しても出て貰えなくて・・・」ミタイなレベル(笑)で直ぐ「感染経路不明」に為ってしまう。

 そう云う「プライバシーに関する法律問題」で可成りビハインドが有る上に、それに使える人員もITツールも全然違います。中国が非常に強権的な住民監視システムを持って居るのは有名でしたけど、今回の韓国と台湾の事例は「え?それOKなの?」って結構私は衝撃を受けました。特に韓国の、携帯のGPS情報やクレジットカード決済情報、更には監視カメラ情報迄駆使して感染者を監視してるのは・・・
 今日本が考えるべきことは「何処迄」なら許容出来るのか?と云う事です。恐らく、中華文明圏(及び韓国)で見られるレベルの監視体制は、プライバシー大好き日本人は受け入れ難いのではないかと思います。彼等とは「お上」的なものに関する感覚が全然違うんだな・・・と思ったりしました。

 最近一番アタマ可笑しいんじゃないか?と思うのは、日本政府がマイナンバーカードを導入しようとした時には「国が個人を管理しようとして居る!」と反対して於いて、同じ人が台湾のマスク配給制を聞いたら「コレは凄い!矢張り日本政府は無能だ!」と騒ぐ・・・ミタイな話です。もう、誰かの所為にするのは辞めにしよう(ぺこぱ風)

 (6)新しい意識高い系を始め様

 最後に、こう云うのって「アベ」が考えて遣るべき事で、俺達はそれに文句を着けるのが仕事なんじゃないの?って思う人も居るかも知れない。マア確かに、日本に超絶賢いリーダーが居て、こう云う議論の交通整理を全部遣って、バシーン!と流麗なプレゼンテーションを遣って全国民の意識統一をして呉れたら言う事は無い訳ですけど!!!
 でもね、ジャア過去に居たリベラル派のリーダーならそう云う人が居たかって云うと、そうでも無い訳じゃないですか。有史以来日本のリーダーには余りそう云う人は居なかったレベルの事を求めて「日本はダメだ・・・」って言っててもしょうが無いですよね。出来無い事を求めるのも辞めにしよう(再びぺこぱ風)

 そう云うリーダーを皆で引きずり下ろして、現場レベルの優秀さを実現して居る「短所と長所が表裏一体」の日本って云う国が有るんだから、無いもの強請りしてても仕方が無い。私は個人相手に「文通」しながらコーチング的に人生相談をするミタイな仕事も遣って居て、その中にはアベ嫌いのフェミニストミタイな女性も居るんですが、その人は最近「永田町のアホ共に怒りが溜まり過ぎて何処かで焼き討ちとかのテロ行為をしたい位の気分」とか言ってました。(笑)
 その怒りは判らんでも無いですが、だからコソ後一歩、連載第1回で書いた様に、果てし無く美化された欧米の幻想を持って来てローカルな存在を叩き捲くるだけで無く、チャンと「ローカルな事情を普遍的な論理で掬い上げる」事が出来る様に為りましょう。

 過去1カ月か一寸、PCR検査問題に付いて紛糾して居る中での色んな「日本政府批判派」の人達(メディアや論客さん)には、チャンとこの記事で書いた様な事情が判った上で主張して居る人も多かった様に記憶して居ます。後一歩の意識付けで、全然違う世界が見えて来る筈!「新しい意識高い系」って云うのは、日本人の悪癖である「足して二で割る妥協策」ではありません。
 後一歩・後一歩、チャンと「ローカルの事情」を汲み上げる能力を手に入れれば、日本は縦横無尽に「真面な論理」が通る風通しの好い国に為れますよ。 日本の中の知識人のコミュニティが、今回の危機に於いてこう云う「新しい意識高い系」の配慮迄実現出来る様に為れば、その時日本は初めて「自民党的なもの」以外で国を統治する事が可能に為る。

 ・・・そう云う未来がもう目の前迄来てる!(三度ぺこぱ風)今、韓国の事例や台湾の事例を持って来て考えるべき事は、日本で取り入れられる事はどの部分なのか?出来無いとしたらそれは何故なのか?何処を変えれば好いのか?と云う論点をチャンと詰めて行く事です。恐らく、日本は韓国レベルの(増してや中国レベルの)国民監視は出来ません。アレルギーが強過ぎる・・・そうは云ってもマイナンバーカードのもう少し強化した運用位は遣って欲しいと思って居るのですが。
 ジャアそう云う「武器」が無い分、人員レベルでの接触者追跡能力は、韓国の何倍とか云うレベルで用意しないと「ダンスwithコロナ」の時代に戻れ無い筈では?或いは、日本人も受け入れ可能なレベルのIT的な接触者追跡ツールはどう云うものでしょうか?

 連載の次回ではその当たりの「経済再開」に当たって何を考えるべきなのか、その時に「武漢で行き成り爆発した中国、カルト宗教で行き成り爆発した韓国、早めに水際で封じ込めた台湾、知らない内に行き成り爆発した欧米」には出来て居ない「感染者数が少無い内にその動態をキッチリ調べる事が出来た」日本の対策班の知見をどう活かして行けば好いのか?と云う話をします。

 連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォロー頂ければと思います。この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず「みんなで豊かに為る」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行って行くにはどう云う事を考える必要があるのか?と云う視点から書いた「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読み頂ければと思います。Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます。

 「経営コンサルタント」的な視点と「思想家」的な大きな捉え返しを往復する事で、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超える新しい視点を提示する本と為って居ます。この記事への感想など、聞かせて頂ければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけて頂ければと。


          042512.jpg

 倉本圭造  経営コンサルタント・経済思想家 1978年神戸市生まれ 兵庫県立神戸高校・京都大学経済学部卒業後 マッキンゼー入社 国内大企業や日本政府・国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面する事で、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感 その探求を単身スタートさせる 先ずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場 時にはカルト宗教団体やホストクラブに迄潜入して働くフィールドワークを実行後 船井総研を経て独立 企業単位のコンサルティングプロジェクトの傍ら「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成やニートの社会再参加・元小学校教員が始めた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況と為る等 幅広い「個人の奥底からの変革」を支援 アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中
           
          倉本圭造 経営コンサルタント・経済思想家    以上



















安倍首相のコロナ対応に疑問符 世論が「一番、怒って居る事」 10万円は評価 指導力には辛口の理由




 安倍首相のコロナ対応に疑問符 世論が「一番、怒って居る事」 

 10万円は評価 指導力には辛口の理由


            〜withnews 4/24(金) 7:00配信〜

 〜国内での感染者数が1万人を超えた新型コロナウイルス。安倍晋三首相は緊急事態宣言の対象を全国に拡大する等、感染拡大を抑えようとして居ます。朝日新聞の世論調査からは、政府対応を厳しく見る有権者の意識が浮かびました。首相の指導力にも疑問符を着けて居る様です。
 「一律10万円」は評価する一方「布マスク」は不評に。有権者が一番「怒って居る」のは何か。調査結果から考えます〜
 朝日新聞記者・磯部佳孝

 政府対応「評価しない」増える

 朝日新聞の世論調査では、新型コロナの感染が広がった2月以降、政府対応に付いて聞いて居ます。3月調査で「評価する」と「評価しない」が共に41%で割れて居ましたが、4月調査では「評価しない」53%が「評価する」33%を大きく上回りました。4月調査で評価が下がった背景には、何が有るのでしょうか。

 「一律10万円」は評価「布マスク」は不評

 3月調査から4月調査の間、安倍首相は4月7日に緊急事態宣言を出し、同16日には対象区域を全国に広げました。全ての世帯に布製マスクを2枚ずつ配る事や、全ての国民に1人一律10万円を給付する事を決める等、対応策を次々と打ち出した時期でした。4月調査では、一連の対応策に付いて評価を聞きました。
「緊急事態宣言の全国拡大」と「一律10万円給付」に付いては評価が比較的高かった一方で、最初に緊急事態宣言を出したタイミングや「布マスク」に対する世論の評価は厳しめです。首相の政策判断の評価は割れました。      

 【安倍首相は、今月(4月)7日に東京や大阪など7つの都府県へ限定して、緊急事態宣言を出しました。あなたは、この7日に出したタイミングについてどう思いますか。(2020年4月調査)】
  早過ぎた(1%)
  適切だ(18%)
  遅過ぎた(77%)
 *その他・答えないは省略

【安倍首相は、(4月)16日に緊急事態宣言の対象区域を全国に拡大しました。あなたは対象区域を全国に拡大したことを評価しますか。評価しませんか。(同)】
  評価する(88%)
  評価しない(9%)
 *その他・答えないは省略

 問われる安倍首相の指導力

 個別の政策の評価とは別に、新型コロナ対応全体の評価が暗転した背景には、首相の指導力に対する厳しい見方がありそうです。4月調査で「安倍首相は感染拡大の防止に向けて、指導力を発揮して居ると思いますか」と聞いた処「発揮して居ない」57%が「発揮して居る」33%を大きく上回りました。「発揮して居ない」と答えた人の78%が新型コロナ対応全体を評価して居ませんでした。

 現金給付を巡っては「減収し、生活に困る世帯に30万円」から「全国民に一律10万円」への方針転換の過程で混乱も有りました。感染拡大防止の成果が未だ見え無い中で、陣頭に立つ首相の指導力への疑問符が、新型コロナ対応全体の評価の低さに繋がって居る様です。

 「生活不安」高まる

 4月調査の内閣支持率は41%(不支持率41%)で、3月調査の41%(不支持率38%)から横ばいでした。4月調査は60代以上の高齢層で支持離れが起きた一方、30代以下の若年層で支持率が上がった為、全体の支持率は変わりませんでした。若年層は「一律10万円」を初めとした一連の新型コロナ対応に付いて、中高年層に比べると「評価する」が高めでした。
 今後の内閣支持率を占う上で重要に為りそうなのが「生活不安」への対応です。4月調査で「新型コロナウイルスの感染拡大で、貴方は生活が苦しく為る不安を感じますか」と尋ねた処「感じる」58%「感じない」40%でした。
 3月調査では「感じる」46%「感じない」52%だったので「生活不安」の高まりが判ります。4月調査で内閣支持率が比較的高かった若年層を含む全ての世代で4月調査の「生活不安」を感じる割合は、3月調査より大きく為りました。

 4月調査を職業別でみると「製造・サービス従事者層」の68%「自営業者層」の67%が生活不安を「感じる」と答えて居ます。「事務・技術職層」で「感じる」は49%でしたので、休業要請による収入の減少など、影響を直に受けている層程、生活不安を感じて居る事が伺えます。
「製造・サービス従事者層」と「自営業者層」では、新型コロナの政府対応を「評価しない」が60%前後に上りました。この「生活不安」を解消する対策を打てるのか。イヨイヨ、首相の指導力が問われて居ます。


                   以上









 新型コロナで世界のリーダーの支持率上昇中 

 何故 安倍政権だけ下がったのか?


            〜文春オンライン 吉田 徹 4/23(木) 17:00配信〜

 〜世界を覆うコロナ・ショックの中で、政治指導者の一挙手一投足に改めて注目が集まって居る。1950〜60年代の英首相マクミランは、記者に「最も恐いものは?」と問われて「予期せぬ出来事だよ、君、予期せぬ出来事だ」と答えたと云う。パンデミックは指導者に取っての思わぬ試金石と為って居る。評価を高めた政治家・低めた政治家の命運を分けたものは何なのだろうか〜


           042411.jpg

                 吉田 徹氏

 「ポピュリスト」の人気が再燃して居る?

 コロナ・ショックを受けて、これ迄ポピュリスト政治家として名指しされて来た政治家の支持率が上昇して居るのが目を引く。

       042410.jpg

      自らも新型コロナ・ウイルスに感染したボリス・ジョンソン首相 コピーライトマークAFLO

 昨年の総選挙で勝利してイギリスのEU離脱を決定的にしたボリス・ジョンソン内閣の支持率は、2019年12月時点で34%・不支持率が46%だったのが、3月末に為って支持率52%・不支持率26%と逆転・・・記録的な上昇を見せた(YouGov調査)この数字は首相がコロナ・ウイルスに感染した事への同情も有る事も考慮しなければ為ら無いが、一政権が此処迄の高い支持率を得るのは異例の事だ。
 支持理由に付いても、これ迄首相を「無能」と判断して居た有権者は少数派に転じ、2020年に入って「有能」とする割合が増えて居る。イギリスは、依然として感染者封じ込めに手古摺って居るにも関わらずである。

 大西洋を挟んだもう1人のポピュリスト政治家、米トランプ大統領はどうだろうか。此処でもトランプ大統領を評価する有権者は49%・支持しないのが45%と支持率が上回る(米Gallup調査)
 経済情勢の急激な悪化から、11月の大統領選は安泰とは云え無い。しかしトランプ大統領への支持率が概ね40%前後で推移して来て居り、これ迄不支持率の方が高かった事を考えると、追い風が吹いて居る事は間違い無い。

 危機時に与党を信頼し勝ちな有権者達

 政治情勢を示す英語に「旗下集合効果・rally round the flag effect」と云うものがある。コレは、危機時に在って、現政権の指導者を支持する態度が有権者の間に広がる現象を指す。国難に在っては党派を超えて政権を支える事が有権者の責務で有ると云う意識に加え、政策に多少の不満が在っても危機管理対策では野党よりも与党に信頼が寄せられる。野党に賭けるリスクよりも、現職を応援してリスクを減らし安全を取る事が合理的だからだ。

 例えば、2000年に僅差で民主党候補アル・ゴアに競り勝ったジョージ・W・ブッシュ大統領は、決して人気の有る大統領では無く、在任期間の平均支持率は49%に過ぎ無かった。しかし、2001年の9.11同時多発テロを受けた直後には86%と云う、米憲政史上で最高の支持率を記録して居る。
 2015年にパリで130人余りの犠牲者を出した同時多発テロでも、任期中の平均支持率が約20%の史上最低記録保持者だった時のフランソワ・オランド大統領の支持率は直後に最高の支持率・35%を記録して居る。

 だから、支持率上昇の恩恵に浴して居るのはポピュリスト政治家だけでは無い。ドイツのメルケル首相・フランスのマクロン大統領・イタリアのコンテ首相等、夫々の絶対的な人気の度合いは異為れども、コロナ・ショックを受けて支持率の上昇を見て居る。
 ちなみに、メルケル首相のドイツを初め、台湾・ニュージーランド等、コロナ・ウイルス封じ込めに一定程度成功して居ると評価されて居る国のリーダーは女性で有る事が多い事も特徴的だ。

 有権者は政策で評価しない

 少し前に政治学者の間で話題に為った『現実主義者の為の民主主義』と云う本がある(エイカン=バルテルズ著、2016年〔未邦訳〕)この研究は、過去のアメリカの有権者行動を解析して、如何に有権者は時の政権の政策や業績を考慮しないで投票して居るのかを実証したものだ。

 自然災害やインフルエンザの感染など、政権とは関係無い出来事がその責任とされたり、直近の経済情勢だけが考慮されたりする一方、歴史的な転換と為る様な時の政権の政策が評価され無い事が多いと云う。例えば、1916年にニュージャージー州でサメによる襲撃事件が有権者の不安を煽った結果、その選挙区での与党候補に不利に為ったと云う印象的なエピソードを著者は紹介して居る。
 勿論、これは有権者が愚かだと云う訳では無い。全ての有権者が複雑な現象の原因と結果を政策と結びつけて理解出来る訳では無く、認知上のバイアス・・・好ましいと思う事に引き付けて解釈する事や党派性が投票の基準に為る為だ。
 こう考えると、コロナ・ウイルス対策の様に、専門家の間でも場合によっては意見が分かれる政策は、有権者が冷静に判断出来るものでは無い。ソコで政治に求められるのは、単に安心感を提供出来るかどうかなのである。

 安倍政権の支持率低下 日本は何故例外?
 
 そう考えると、日本の特殊さが際立つ。と云うのも、コロナ・パニックを受けて安倍政権の支持率は低下傾向に有るからだ。3月中は持ち応えて居たものの、直近の4月10〜13日の世論調査では支持率は前月から5ポイント下がって40%、2月以来と為る不支持率・43%との逆転現象を経験して居る。(共同通信調査)
 トランプを含めて各国指導者の支持率が上がる中、何故我が、国の総理の支持率だけが下がって居るのか。確かに政府の対策に不満は寄せられては居るが、死者数を見ても他国程酷い状況では無い。外出禁止措置についても、他国の様に罰則が有る訳では無く、市民生活を過度に逼迫させるものでは無い。

 日本と云う例外を作って居るのは、ソコにもう一つのポピュリズムが潜んで居るからとの仮説が成り立つ。安倍政権とは対照的に、支持率を上昇させて居るのが小池東京都知事だ。東京オリンピック・パラリンピック延期を受けて支持率が下降して居た都知事の起死回生のチャンスを提供したのが、今回のコロナ・パニックだった。支持率は2019年12月をボトムに上昇し、今では80%近い支持率を保って居る。(産経新聞FNN合同調査)

 都知事は、3月25日に「ロックダウン」や「オーバーシュート」と云った強い言葉を使いながら、国に先んじて一早く外出自粛要請を都民に行い、その後、中央政府が緊急事態宣言を出す下地を作った。4月7日に緊急事態宣言が出された後には、より幅広い業種の自粛要請を政府に対して求め、事業者当たり50〜100万円の協力金を約束、国が当初模索して居た世帯への最大30万円の「給付金」よりも安心感の有る約束を打ち出している。
 医療保健や教育行政等の規制や運営の現場は、日本では地方自治体に任されて居る。特措法に基づく非常事態宣言も出す主体は政府だが、指定や要請の責任主体と為るのは各自治体だ。この為、身近な行政機関は、日本では強い政治不信の対象と為って居る中央政府よりも住民への安心を供与出来る、より大きな存在なのだ。

 何故、日本の首長にポピュリストが多いのか

 ポピュリズムに話を戻せば、冒頭のジョンソン首相やトランプ大統領・ブラジルのボウソナロ大統領等、諸外国では国政レベルでのポピュリズム政治家が目立つのに対して、日本のポピュリストは地方の首長で有る事が多い。
 例外は小泉純一郎元首相だが、彼を除けば、田中康夫元長野県知事・石原慎太郎元都知事・橋下徹前大阪府知事・市長、河村たかし名古屋市長等、これ迄ポピュリスト政治家とされて来たのは全て地方政治のプレーヤーだ。

 日本で何故地方レベルのポピュリストが多いのかには理由がある。一つは日本の地方政治が「二元代表制」と呼ばれる、民意を代表する首長と議会と云う2つの回路を持つ制度に依って運営される為だ。定数1の選挙区を持つのは大都市のみであり、それも東京都の場合は千代田区と中央区のみだ(島部・市部除く)
 その他の市町村の選挙区の定数は概ね2から6が定数と議会が比例代表制を執るのに対し、首長選挙は大きな単一の選挙区(即ち小選挙区)で選ばれる多数代表制の下で行われる。
 こうした非対称性が有る場合、議員候補者は特定業界や組織に応援されて「狭く堅い民意」を代表する傾向が有るのに対し、首長は大票田の集まる都市部の無党派層から為る「広く薄い民意」を代表し無ければ為ら無い。従って、首長に取っては既得権益や議会を批判して選挙戦を戦うのが合理的に為る。

 ポピュリズムの定義は多様で、一般的には政治・経済エリートに対して庶民と呼ばれる者達の民意を代表する政治スタイルとされるが、日本の首長はポピュリスト政治を培養し易い土壌にあるのだ。更に二元代表制の下では、日本の首長はアメリカの州知事と同じ様に、大統領的な政治を行う事が可能に為る。
 議会解散権や条例への拒否権・独自に条例を制定する事も可能だ。更に2017年の地方自治法改正に依って、福祉サービスや飲食店営業許可の事務も担う要にも成り、大きな権限を手にする様に為った。

 コロナ・パニックの様な危機時に於いては、歯切れ好く、毅然とした態度を示す首長の存在感が必然的に浮上する事に為る。そして、ポピュリズム政治が、エリートに対する庶民の声を代表するものだとすれば、日本の首長は、法的権限に欠き財政赤字に苦しんで弱い政策しか打ち出せ無い政権与党を仮想敵とする事で、住民の支持を集められる。
 詰り、北海道の鈴木知事・大阪の吉村知事等が休校措置等を含む緊急事態宣言を独自に出し、危機事態の「競り上げ」を行って居るのには政治的な理由も有る。政権支持率低下と反比例するかの様に、彼等の支持率も又小池知事と共に上がり、政府は背中を押される様にして4月16日に全国規模での非常事態宣言に踏み切らざるを得無かった。他国と違って、政権の支持率が何故下がって居るのか、そして首長達の支持率が何故上がって居るかの一つの説明に為るだろう。

 トランプ大統領の様に支持率が上昇して居る例でも、例えばコロナ対策の陣頭指揮に立つニューヨーク州のクオモ知事も実に87%と支持と不支持率を逆転させて居る。(シエナ大学調査)

 毅然とした態度と無責任さは紙一重
 
 最も、以上はポピュリスト政治家がコロナ・ウイルス対策で最も有効な対策を打てて居ると言って居る訳では無い。トランプ大統領もジョンソン首相も、当初は経済への悪影響を懸念して、集団免疫の獲得に依ってウイルス封じ込めを目論み、見事に失敗した事を想起すべきだ。
 休業要請をする日本の知事にしても、財源に欠く東京都以外は国の財政に依存し無ければ為ら無い。毅然とした態度は無責任さと紙一重に為り得る。

 世界には、ハンガリーのオルバン首相やイスラエルのネタニエフ首相の様に、コロナ・パニックを奇貨として議会の機能迄を一部停止し、それ迄の強権を更に強め様として居る指導者も居る。ポピュリズム政治に依って人々の不安感は払拭出来るかも知れないが、それで以てワクチンが開発されたり、目前に迫る大不況が解決されたりする訳では無い。言い換えれば、現在のポピュリズム政治を作り上げて居るのは、私達の漠然とした不安感なのだ。
 有権者は合理的では無いかも知れないが、歴史を見ると、危機時に輝いた指導者が有権者からお払い箱に為る時もある。ナチスドイツとの闘いでイギリスを勝利に導いたチャーチル首相は、1950年代に二度目の首相の座を降りる事に為ったし、フランスを解放したドゴール将軍は、1960年代に自身が提案した国民投票を否決されて引退した。


 平時に戻った時、有権者にどの様に判断されるのか・・・政治指導者の真価はその時にコソ試されるべきなのだ。

               042412.jpg

 吉田 徹 政治学者 プロフィール 1975年生まれ 東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)北海道大学法学研究科教授 北海道地方自治研究所理事 シノドス国際社会動向研究所理事 フランス国立社会科学高等研究所日仏財団リサーチ・アソシエイト 
 著書に『ポピュリズムを考える』(NHK出版)『感情の政治学』(講談社選書メチエ)『「野党」論』(ちくま新書)共編著に『民意のはかり方』(法律文化社)『現代政治のリーダーシップ』(岩波書店)など
               
                   以上









 【管理人のひとこと】

 吉田 徹氏の言葉の中で、大いに納得される事がある。・・・旗下集合効果・rally round the flag effectと云うもので、危機時に在っては、現政権の指導者を支持する態度が有権者の間に広がる現象を指す。国難に在っては党派を超えて政権を支える事が有権者の責務で有ると云う意識に加え、政策に多少の不満が在っても危機管理対策では野党よりも与党に信頼が寄せられる。野党に賭けるリスクよりも現職を応援してリスクを減らし安全を取る事が合理的だからだ・・・
 確かに危機的な状況を迎えると多くの国民は、現政権に対して早期の対策とその復旧を求め、徒な政権批判を慎む様に為るだろう・・・悪夢の民主党政権時の3・11やそれに伴う福島原発事故に際しては、批判は有れ
ど、不眠不休の政権の仕事振りには知る人は評価した。一部の批判が大きく膨らむ迄には至ら無かったのも歴史が証明するだろう。
 民主党政権が瓦解したのは、偏に小沢一郎氏との内紛に近いドロドロした内輪もめと鳩山氏の外交の不手際・野田氏の不可解な財政規律の正常化への消費増税とが重なった複合的要因だろう。何処かの衆院選の補選で自民党の新人が勝利したとのニュースが、これも、頼りない現政権を庇おうとする民意なのか、余りにも低い投票率故なのか・・・






















新型コロナ対策であぶり出された「日本型危機」




 新型コロナ対策であぶり出された 「日本型危機」

         〜ニューズウィーク日本版 冷泉彰彦 4/24(金) 17:14配信〜


         042408.jpg

 〜表面的には、日本はコロナ対策に「成功して居る」様に見えるし、欧米各国と比較すれば日本の新型コロナの被害は今の処小さい・・・が、その前提として元々疲弊して居た日本の医療も経済共が危機を目前に控えて居た・・・その上にコロナが襲って来た訳だ〜

 私が住んで居るのは、アメリカのニュージャージー州で、ニューヨーク州に次いで新型コロナウイルスの感染数も死者数も深刻な地域です。その数は本稿の時点で最新の4月23日(木)発表では、直近の24時間で307人、当初からの死者の累計は州内だけで5,368人と云う厳しい状況です。ホボ完全なロックダウンも、現時点で6週間に達しています。
 そのニュージャージーから見て居ると、日本のコロナ危機は非常に特殊に見えます。特に人口比の死亡率からは、表面的には「日本は成功して居る」様に見えるし、そうで有る為らば「日本式の対策」をもっと他の国にも紹介したい、そんな想いに駆られたこともあります。

 ですが、冷静に考えてみると「日本式」が通用するのは日本だけだと云う事に気付きます。どうして日本では「日本式の対策」と為って居るのかと云うと、それは危機が「日本にだけ起きている特殊な現象」詰り、「日本型危機」に根ざして居るからです。では、その「日本型危機」とは何かと云うと、以下の3つに要約できます。

 医療も経済もコロナ以前に疲弊し切って居た

 1)先ず、コロナ死亡率が日本では先進国中で際立って低いにも関わらず危機感が有る理由を考えてみます。例えば、人口比(10万人当たり)の死亡率は、ニュージャージー州59.64、全米14.24に対して、日本は0.22と為って居ます。
 此処数週間の議論に上る様に為った「グレーゾーン遺体」や「在宅死」と云った事例が有るにしても、日本が先進国の中で極端に低いのは事実だと思います。それにも関わらず危機感が有るのは何故かと云うと、医療や経済の崩壊に至る「限界値」が非常に低いからだと思います。

 それは日本の医療や経済のレベルが低いと云う事ではありません。日本経済は現在でもGDP総額で世界3位です。又医療水準の先進性や、全国に至る医療のネットワークの整備等は完全に先進国水準です。ですが、日本の場合は経済も医療も全く余裕が無いのだと思います。
 コロナ以前の段階で、例えば救急医療の現場では既に人手不足に依る疲弊が指摘されて居ました。一方で、高齢化の進行により医療コストの増大が問題と為り、地域の中核病院を合併させてコストを削減する取り組み等が検討されて居たのです。

 経済も同じです。バブル崩壊を端緒として金融危機を起こした1990年代に始まって、およそ30年に渉る経済の低迷・具体的には生産性の低迷と、最先端部門の国外流出による経済の質の低下が改善出来て居ません。そんな中で、教育水準の高い国家が観光を主要産業にすると云う悲劇的な国策迄動員されて居た訳です。
 医療も経済もコロナ以前に疲弊し切って居ました。詰り、コロナと云う異次元の危機を受け止める余裕と云うのは、日本の場合は極めて限られて居たと考えられます。日本の危機感が中国や欧米と質的に異為るのはこの為だと思います。

 時間稼ぎには成功したものの

 2)その様な危機感が有ったとして、だからコソ「準備」期間の「時間を稼ぐ」為に感染拡大を「遅らせる」事を国策として来た訳です。又「時間稼ぎ」と云う事では、クラスター戦略にしても、ソモソモ衛生観念の普及した社会と云う事でも、一定の効果が在った筈です。
 それにも関わらず「準備」は追い付いて居ません。例えばPCR検査の件数を増やす問題に関しては、2月時点で方針は決まって居たにも関わらず実現は出来て居ません。ソコには、陽性イコール入院と云う厳格な対応を維持して居る為に検査が増やせ無いとか、検体採取の安全性確保・陽性者の診察体制等様々な受け皿の問題が有った訳です。

 その流れからすれば、守旧派を批判して改革を迫ると云う種類の議論が考えられます。ですが、ソモソモ医療行政と云うのは、厳格な制度や前例をベースに慎重に運用されて来た訳で、それを急に変えてしまうと「返って命が守れ無い」と云う恐怖も現場には有るのだと思います。
 一方で、危機が仮に或る水準を越えてしまった場合には、今度は変え無いと命が守れ無いフェーズに為ります。その場合に備えて、叩くのでは無く変化を支える議論が出来無いか、現状はソコを誠実に遣り切る局面なのかも知れません。

 権力に対する世論の不信

 3)その一方で、この様な「日本型危機」が進行して居るとして、どうして対人接触率抑制の政策が十分に発動出来無いのかと云う問題があります。特に強制力の行使がどうして躊躇されるのかと云うのは、例えば「10人強の婚約式が在ると云う情報だけで警察が来て解散命令を出す」と云うニュージャージーから見て居ると、確かに全く違う世界に思えます。
 此処にも日本型の危機が在ります。江戸時代以来の「お上と庶民」が対立する相互不信が今でもカルチャーとして残って居る事が先ず指摘出来ます。

 強制と補償は表裏一体と云う理屈もソコから来て居ると思います。一方で、補償を大規模にすると、バブル崩壊以降の経済被害・・・そして震災や豪雨被害とのバランスと云う問題も有るでしょう。そんな中で、行政に於いても権力の行使やコミュニケーションに神経を使う、それがこの国の「国のかたち」或いは「国柄」として有るのだと思います。
 そう考えると、世論は権力ゲームの匂いのする政治家や組織防衛の匂いのする官僚の言葉は信じ無いし、強制される事は忌避すると云う事実を、政治は前提として動くしか無いと云う事に為ります。

 首相より都知事が前面に出て来るとか、リスクコミュニケーションは専門家に頼ると云う事では、アメリカにも似た構図が在りますが、日本の方が更に困難な事情を抱えた中で、行政手腕が厳しく問われてしまっているのだと思います。
 この様に、日本に有るのは抜き差し為ら無い事情から来る「日本式危機」です。既に疲弊して居た医療の現場を・或いは脆弱な国内経済を、どう遣ったら崩壊させずにコロナ危機を乗り越える事が出来るのか、政治と世論の相互信頼はどう遣ったら可能に為るのか、今回の連休と云うのは改めて実現可能なオプションを並べつつ検討し直すタイミングなのだと思います。


            042409.jpg

 冷泉彰彦 在米作家 東京都生まれ 東京大学文学部卒業 コロンビア大学大学院卒業(修士・日本語教授法)福武書店(現、ベネッセ・コーポレーション) ベルリッツ・インターナショナル社 米国ニュージャージー州立ラトガース大学講師を経て、現在はプリンストン日本語学校高等部主任 1993年より米国在住
 メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を毎週土曜日号として寄稿(2001年9月より、現在は隔週刊)「Newsweek日本版公式ブログ」寄稿中 NHK-BS『cool japan』に「ご意見番」として出演中 『上から目線の時代』『関係の空気 場の空気』(講談社現代新書)『チェンジはどこへ消えたか オーラをなくしたオバマの試練』『アメリカは本当に貧困大国なのか?』(阪急コミュニケーションズ)など著書多数


                   以上


















「安倍政権は『日本を滅ぼす』かも知れない・・・」エコノミストが警鐘!




 「安倍政権は『日本を滅ぼす』かもしれない・・・」

 エコノミストが警鐘!


            〜現代ビジネス 中原 圭介 4/24(金) 7:31配信〜


              042406.jpg

     〜国民目線でリーダーシップを発揮出来る 新しいトップの誕生が求められて居る〜

 「コロナ後」のV字回復は期待出来無い?

 新型コロナウイルスで大失速して居る日本経済が、やがてV字回復するとの予想がマーケットでは多いのですが、果たしてそうでしょうか。例えば米国の金融機関等では、新型コロナ後の米国経済はV字回復すると見て居る向きが多い様です。
 ゴールドマン・サックスは、米国の4〜6月期の経済成長率をマイナス34%と予想して居ますが、政府やFRBの資金支援により倒産ラッシュが回避出来ると云う前提で、7〜9月期はプラス19%と急回復が見込まれるとして居ます。しかし、例え新型コロナの感染拡大が夏頃迄に一回は収束したとしても、米国経済は容易に新型コロナ前の状態には戻ら無いと考えて居ます。

 と云うのも、ウィルスによる感染症が流行する場合、第1波が収束した後に為って、当然の様に第2波や第3波と相次いで次の波が遣って来るからです。中国の鳥インフルエンザでは、感染者数が最も増えたのは第5波の時でした。
 米国の3月の雇用統計では、非農業部門の就業者数が前月比で70.1万人も減少し、失業率は4.4%と前月から0.9ポイントも悪化しました。毎週集計される新規失業保険の申請件数に依れば、2008年のリーマン・ショック期に発生した失業者数870万人を、足った1〜2か月で上回るペースで増え続けて居ます。4月以降の雇用統計が著しく悪化するのは確実であり、4〜6月の失業率は10%を超えると云う見方が大勢です。

 こう云った非常事態時に最も求められて居るのは、政府が資金繰りの悪化した企業や生活苦に陥った家計に対して、迅速に金銭的な支援をすると云う事です。政府がこの大事な作業にダラダラと時間を掛ける様な事があれば、時間を追う毎に倒産や失業が増えて云って、一時的の筈だった経済への悪影響が長期的な悪影響へと変わってしまう事が危惧されます。

 アメリカが「必死」に為って居るワケ

 それを強く意識して居るのが米国です。米国の議会では、3月中に第1弾と第2弾の緊急補正予算・第3弾と為る2兆ドルの経済対策を相次いで可決しました。特に第3弾はGDPの1割に相当し、中小企業に対し6月末迄給与支払いの肩代わりをする他、大人1人に付き1200ドル・約13万円、子供1人に付き500ドル・約5.5万円が既に給付されて居ます。
 その上、第4弾と為る追加の経済対策を検討して居ると云いますから、米国は経済への長期的なダメージを抑えるのに必死に為って居ると云えます。但し米国の新規感染者数が第1波のピークを打ったかどうか、未だ判ら無いのが現状です。

 米国の新型コロナの新規感染者数(4月16日時点)は3日間平均で見ても・5日間平均で見ても、ピークの水準で一進一退の動きを継続して居ます。この様に米国は新型コロナの第1波収束の見通しが立って居ない中で、経済活動を4月中にも再開しようとして居ます。
 トランプ大統領は、外出制限を緩和する為に新たな指針を公表しましたが、11月の大統領選を前に経済を出来るだけ早期に回復させたい焦りが有るからでしょう。しかし、外出制限の緩和が早過ぎると、新型コロナの第1波が再び拡大するリスクが高まってしまい兼ねません。

 安倍政権は、対策の体を為して居ない

 翻(ひるがえ)って日本はどうでしょうか。アメリカとは対照的に、日本は対策のスピードが異様に遅いと言わざるを得ません。日本では新型コロナウイルスの新規感染者数が、未だピークを打つ様な状況には有りません。
 新型コロナウイルスの新規感染者数(4月16日時点)は、3日間平均で4月13日から4日連続で、5日間平均で4月14日から3日連続で減少して居るものの、日本はPCR検査を必要以上に抑制して居るので、その数字を真面に受け取る事は出来ません。

 新型コロナに於ける日本政府の対応は、全てが後手に回って居る印象です。中国からの渡航者の全面禁止しかり・海外からの帰国者への隔離の要請しかり・緊急事態宣言の発令とその宣言の全国への対象拡大しかり・企業や家計への補償しかり・・・国民の心配を他所に、その全ての判断が呆れる程に遅いのです。
 「傷口が浅い内に対策を打つ」のは、企業経営に於いても国家運営に於いても違いは有りませんが、傷口が広がってからの慌てて居る政府の対応には非常に残念に思って居ます。

 日本経済への打撃は「乗数的」に拡大して行く

 安倍晋三首相は4月7日に緊急事態宣言を7都府県に出した際の会見以降、国民に他人との接触を8割削減する様訴え続けて居ます。それが出来れば計算上、数週間後に新規感染者数が頭打ちに為ると云う事ですが、実際に都心の平日の人出は全体的に6割も減って居ません。
 4月16日に緊急事態宣言の対象を全国に拡大したからと云って、本当に平日に8割を削減出来るのか、全く未知数です。恐らく、日本全国で5月6日迄自粛を続けたとしても、新規感染者数は頭打ちには為ら無いでしょうし、感染者総数は20,000人を超える可能性が高いでしょう。そう為って来れば、政府は全国に更なる自粛の延長を求める事に為るのでは無いでしょうか。

 欧米の様なスピード感を持った、手厚い支援が企業にも家計にも無い現状、経済への打撃は乗数的に拡大して行く懸念が高まって行きます。
 政府は4月16日に為って要約、家計への支援を「収入が激減した世帯への30万円給付」から「全ての国民への10万円給付」に方針を変更し、補正予算の組み替えをすると表明しましたが、これだけで1か月間のタイムロスに為って居ます。  
 10万円の給付は早くても6月上旬の支給に為る見込みで、生活苦に悩む人々に取ってシンドイ時間が続く事は避けられそうもありません。売上げが減った企業への支援金は、申請書類の作成・提出が求められる為、どんなに早くても7月頃に為るのではないかと見られて居ます。

 安倍首相に、この難局は乗り越えられ無い

 経済への長期的なダメージを抑えるには、スピード感が最も求められて居ます。しかし何故か、政府にはその発想が全く欠けて居ます。安倍首相は「悪夢の様な民主党政権」と野党を罵る事が多いですが、国民の多くは今、安倍内閣をどう思って居るのか、好く考えて対応して貰いたい処です。
 このママの体たらくでは、安倍内閣の支持率は30%前後に急落し、与党内から安倍降ろしが始まるのも時間の問題かも知れません。国家が危機に陥った時コソ、首相を初め政治家の方々の力量が試されます。

 多くの国民が首相の圧倒的な力量不足に落胆して居る中で、国民目線でリーダーシップを発揮出来る新しいトップの誕生が求められて居る様に思われます。


              042407.jpg

 中原 圭介 経済アナリスト 経営コンサルタント 経済アナリスト 経営・金融のコンサルティング会社「アセットベストパートナーズ株式会社」の経営アドバイザー・経済アナリストとして活動 「総合科学研究機構」の特任研究員も兼ねる 企業・金融機関への助言・提案を行う傍ら、執筆・セミナー等で経営教育・経済教育の普及に努めて居る
 経済や経営だけで無く、歴史や哲学、自然科学等 幅広い視点から経済や消費の動向を分析しており その予測の正確さには定評がある「最も予測が当たる経済アナリスト」として評価が高くファンも多い
 主な著書に『AI×人口減少』『これから日本で起こること』(ともに東洋経済新報社)『日本の国難』『お金の神様』(ともに講談社)『ビジネスで使える経済予測入門』『シェール革命後の世界勢力図』(ともにダイヤモンド社)などがある
 東洋経済オンラインで『中原圭介の未来予想図』マネー現代で『経済ニュースの正しい読み方』ヤフーで『経済の視点から日本の将来を考える』を好評連載中


                     以上













 





2020年04月23日

衝撃!ジャーナリスト田原総一朗のメモは取材前に完成している




 衝撃! ジャーナリスト

 田原総一朗のメモは
 取材前に完成している


            〜プレジデントオンライン 4/23(木) 9:15配信〜


       042401.jpg

 ジャーナリスト田原総一朗氏のメモは取材前に完成している。取材には万全の準備をして臨むのが流儀だ。そんな田原氏のメモ術の目的は、アウトプットの最大化にあった。

       042402.jpg

 クロスファイア番組台本●収録前の打ち合わせで書き込んだメモで埋め尽くされた番組台本。「自分が判れば好い」と云うメモはカタカナが多用されて居り、他人には判別不可能な部分もある。

 メモは本番の為の台本造り

 今日持って来たのは『激論!クロスファイア』の台本です。僕は何時も此処にメモを書くので。『クロスファイア』の収録のテーマは大体2週間前にプロデューサーやディレクターと打ち合わせをして決めます。テーマが決まったら、出演者への交渉は私とディレクターで遣る。一般的なキャスターはそこ迄遣りませんが、僕は番組をプロデューサーやディレクターと共同制作して居ると思って居ます。
 本番の週には火曜と木曜に打ち合わせをして、番組をどう云う流れで進めるのかを決めます。その内容を下に台本が出来て収録前夜に届きます。台本にメモ書きするのはそれからですね。最後の打ち合わせから時間が経って状況が変化して居るので、新たな質問を付け足して行きます。

 2020年3月1日の放送は新型コロナウイルスがテーマでした。安倍首相が小中学校の一斉休校を要請したのが、20年2月28日の金曜日です。一斉休校すると、共働きの家庭は親が休ま無いといけません。又、小学校は休みでも、幼稚園や学童保育は休みじゃ無い。
 更に言うと、安倍さんは一斉休校を萩生田文科相や菅官房長官にも相談しなかった。何も聞いて居なかった萩生田さんは安倍さんの処に押し掛けて文句を言った。足った1〜2日でも、この様に新たな展開が次から次に出て来るので、それを台本に書き加える訳です。

 20年3月8日の放送では、自民党の石破さんに話を聞きました。20年3月4日に、安倍さんと枝野さんが党首会談を遣った。その時は未だ立憲民主党は新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正に反対でした。処が20年3月5日に為ったら急に賛成に回った。これは何故なんだと聞きました。
 今台本を見ると、この話は「ヤトーゴーイ」(野党合意)とメモして居ます。カタカナなのは、単純に漢字を書くより速いから。どうせ僕しか見ないから、自分さえ読めれば好いんです。

 準備が出来たら局に入って、プロデューサー達と最後の打ち合わせをします。メモして来た中身を話して、問題が無ければ最新情報を織り込み「嫌、田原さん、元の方が好い」と云うなら最初の台本のママ遣ります。メモをするのは、飽く迄も番組で使う為です。そう云う意味では、備忘録としてのメモでは無く、台本造りに近いですね。
 インタビューや対談の前にも、自分でザックリした台本を作ります。事前に資料を読み込んで「先ずはこれに付いて尋ねよう」「此処を突っ込んで聞いてみたい」と、B5のコピー用紙に書いて行きます。

 先日は、AV女優で作家の紗倉まなさんと対談しました。勿論事前に彼女の小説『春、死なん』を読みました。コピー用紙には、紗倉さんへの質問を初め、対談中に何時でも参照出来る様に、気に為った箇所のページ番号も書いて置きました。ケースバイケースですが、1時間のインタビューや対談だと、大体コピー用紙5〜6枚の分量に為る事が多いですね。

 取材が終わったらメモは捨てる

 インタビュー中はメモを取りません。意図的に取ら無いと云うより、真剣勝負だからそんな余裕が無いんです。『クロスファイア』もそうですね。本番中にメモを取るのは『朝まで生テレビ!』やシンポジウムの様な長丁場の時だけ。何か疑問が浮かんだものの、流れでその瞬間に聞け無い時にメモを書き、後で質問します。
 本番が全く想定して居ない流れに為る事もありますよ。元に戻さ無い方が面白いと思ったら、事前に準備して来たものをバッサリ捨てます。勿体無いとは思いません。台本と違う方向に行った時の方が面白いから、寧ろ有り難い位です。

 本番が終わったら、台本やコピー用紙は捨てます。今回の新型コロナ問題の様に継続的に取り上げるテーマに付いては暫く残しますが、それ以外は処分します。取材した内容は雑誌や書籍で活字にして居るから、メモの状態で残す必要が無い。
 歴代の総理を初め、その時代を象徴する人達にインタビューして居るから、資料として残すべきだと云う意見もあるでしょう。でも、僕のメモは、情報を整理して何処かにストックして置く為のものでは無く、アウトプットの為のメモ。だから使い終われば捨てて構わない。

 鞄代わりの封筒にもメモる

         042403.jpg

 ノートを使わずにコピー用紙を使うのも、捨て易いからです。僕はもう20年以上前から、鞄を持つ事を辞めました。鞄は重いし失くすと大変です。代わりに使って居るのは、コピー用紙が丁度入る大きさの茶封筒。これなら身軽で、使い捨て出来て好い。茶封筒の中も同じ。コピー用紙なら軽いし、失くしても困りません。
 茶封筒の中に、新聞を入れて運ぶ事もあります。僕は新聞を6紙読んで居ます。朝日、毎日、東京、日経、読売、産経です。仕事の合間に時間が在りそうな日は、新聞を3紙位と本を突っ込んで行く。偶にあんパンが入っている事もあるかな(笑)

 新聞で気に為る記事が有れば、切り抜か無いでそのママ一枚引き抜いて持ち運びます。重要な処は、丸で囲って見易くします。使い終わったら捨てますから、ワザワザ切り抜くのは面倒臭い。基本的に怠け者なんです。
 新聞以外だと、テレビの報道番組もニュースソースの1つです。好く見るのは『NEWS23』と『報道ステーション』BSフジやBS日テレもチェックします。NHKは、残念ながら時間が合いません。
 僕はインターネットの時代こそフェイス・トゥ・フェイスで話す事が大事だと思って居ます。だから日中や夜は大体人と会う事に時間を費やす。平均すると、一日4組は会います。それが終わって帰って来ると、NHKのニュースはもう終わって居る事が殆どです。

 人と会って気に為った情報があれば、茶封筒に書いてしまいます。人の連絡先等も、一先ずは茶封筒です。茶封筒は1〜2週間でボロボロに為るから、茶封筒と一緒に捨ててしまうと困る情報は手帳に書き写します。 手帳は、潮出版社の「文化手帖」を使って居ます。文化手帖には、作家や評論家、各種団体、出版社、学会などの連絡先が載ってます。僕は自分で電話を掛けてアポを取るからとても便利です。
 手帳はスケジュールと連絡先の管理が中心です。メモは「来週アノ人に会うから、こんな事を聞こう」と思い付いた時に、忘れ無い様にスケジュールの横に書く位です。

         042405.jpg

 ちなみに僕は財布を持た無い主義。代わりに何でも手帳に挟みます。例えばクレジットカードや家のカードキーも手帳の中。一回何処かに置き忘れた時は、冷や汗をかきました(笑) 普段の持ち物は茶封筒とコピー用紙、手帳、それに携帯電話だけです。フットワーク軽く動く為には、出来るだけ身軽な方が好い。その時目に入ったものにパッと書ければ十分だと思います。


 田原 総一朗(たはら・そういちろう)ジャーナリスト 1934年 滋賀県生まれ 早稲田大学文学部卒業後 岩波映画製作所へ入社 テレビ東京を経て1977年よりフリーのジャーナリストに 著書に『起業家のように考える。』ほか

   ジャーナリスト 田原 総一朗  文村上 敬 撮影 相澤 正    以上














最も人命を奪うのは「感染症」では無く「間違った経済政策」である




  最も人命を奪うのは「感染症」では無く

 「間違った経済政策」である


           〜プレジデントオンライン 4/23(木) 9:16配信〜

 〜不況は人々の命と健康に害をもたらすと言われて来た。だが詳細に調べると、一部の国では寧ろ人々は健康に為って居る。公衆衛生学者のデヴィッド・スタックラー等は「その違いは経済政策だ。不況下に緊縮政策を執る国では多くの命が失われる。株価は元に戻るかも知れないが、失われた命は二度と戻ら無い」と云う〜

          042315.jpg 

 ※本稿は、デヴィッド・スタックラー、サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)の一部を抜粋・再編集したものです。

 リーマン・ショック後の不況で心と体に傷を負った少女

 オリヴィアは黒煙に包まれた恐怖を未だに忘れられ無い。8歳の時のことだった。両親が何時もの様に口論を始め、台所で皿が割れる音がしたので怖く為って二階に上がった。そして枕の下に顔を突っ込み、泣きながら耳を塞いで騒ぎが収まるのを待って居たら、そのママ泣き疲れて眠ってしまった。
 どれ位眠っただろうか。不意に右の頬に裂ける様な痛みを感じて目を覚ました。すると部屋に黒い煙が充満し、シーツから炎が上がって居た。オリヴィアは悲鳴を上げ、部屋から飛び出した。そこへ丁度消防士が駆け上がって来て、オリヴィアを抱き留め毛布を巻き着けて呉れた。

 その火事は父親の放火に依るものだった。酒を呷(あお)った挙句に腹を立て家に火を点けたのだ。アメリカが大不況〔所謂リーマン・ショック後の不況のこと 以下同様〕の直中(ただなか)に在った2009年春の事で、建設作業員だった父親はその少し前に失業して居た。当時アメリカには失業者が何百万人も居て、薬物に手を出したり、酒に溺れたりする例が少なく無かった。
 結局オリヴィアの父親は刑務所に入れられた。オリヴィアは重度の火傷を負い体にも心にも傷を負った。炎と煙に包まれたアノ恐怖を乗り越える為に、それから何年もセラピーを受け無ければ為ら無かった。それでも生き延びただけ増しだったと思うべきかも知れない。もっと運の悪い人も大勢居たのだから。

 「政府に殺される」と叫んで死んだ

 その3年後の2012年4月4日、アメリカから遠く離れたギリシャで77歳のディミトリス・クリストウラスが自殺した。ディミトリスには他に道が無かった。1994年に薬剤師を引退してから年金暮らしで、それ為りに幸せに遣って来たが、新政府に年金を奪われ最早薬代も払え無い程困窮して居た。
 その日の朝、ディミトリスはアテネ中心部のシンタグマ広場に行き、国会議事堂の正面階段を上った。そして銃を頭に突き着け「自殺じゃ無い。政府に殺されるんだ」と叫んで引き金を引いた。
 後日、ディミトリスの鞄に入って居た遺書が公開された。その中でディミトリスは、新政府を第二次世界大戦中にナチスに協力したゲオルギウス・ツォラコグロウ政権に準(なぞら)えて居た。

 〜今の政府はツォラコグロウ政権と同じだ。私は35年間年金を払い続けたし、今迄政府の厄介に為った事も無い。処が政府は、当然受け取れる筈の年金を私から奪い生きる術を奪った。もっと思い切った行動を捕りたい処だが、この歳ではそれも出来無い・・・とは云え誰かがカラシニコフ銃を手にするなら、私も直ぐ後に続きたい処だ。もう自分で命を絶つ以外に方法が無い。そうすれば、ゴミ箱を漁る様な惨めな思いをせずに済む。この国の未来の無い若者達は、何時の日か武器を手にとり、裏切り者達をシンタグマ広場に吊すだろう。1945年にイタリア人がムッソリーニを吊した様に〜
 
 ディミトリスの自殺に付いては、後日「コレは自殺では無く殺人だ」と云う声も上がった。ディミトリスが死んだ場所の近くの木には、コンな抗議文が打ち着けられた。 「もう沢山。次は誰の番?」

 不況と健康の関係性はどの程度深いか? 

 アメリカとギリシャは8,000キロ以上離れている。しかしオリヴィアとディミトリスの運命は、ドチラも世界大恐慌以来最悪と云われる金融・経済危機に依って捻じ曲げられた。
 私達二人は公衆衛生学者として(サンジェイはカリフォルニアのスタンフォード大学でデヴィッドはイギリスのオックスフォード大学で研究をしている)今回の大不況〔リーマン・ショック後の不況を指す〕が多くの人々の命と健康に害をもたらしつつ有るのでは無いかと心配に為った。実際、患者や友人・隣人の話を聞いてみると、失業で健康保険を失い、治療や投薬を受けられ無いと云う人が少なく無かった。

 しかも医療に留まらず、生活全体に被害が及んで居た。キチンとした食事が捕れ無い、強いストレスに晒されて居る、家を失って路頭に迷って居ると云った人が増えて居たのである。こうした状況は心臓疾患やうつ病・自殺・更には感染症の広がりにも影響を与えずには置かない。その影響はどの程度のものだろうか?
 私達はその答えを求め、今回及び過去の大不況に関するデータを世界中から集めた。そして丹念に調べて行くと、聊か矛盾する結果が出て居る事が判った。

 経済危機で健康に為る国と不健康に為る国

 先ず、経済危機が人々の健康にダメージを与える可能性が有る事が確認出来た。これは予想通りの結果である。不況で仕事を失い、或いは家を失い、借金に追われると云った状況に為れば、酒や薬物に溺れる事も有るだろうし、場合に依っては自殺も考えるだろう。そこ迄行か無くても、手軽で安上がりなジャンクフードばかりを食べ、食生活に問題が出る事もある。
 詰り、オリヴィアやディミトリスのケースは例外でも何でも無い。例えば、ギリシャは大不況以前にはヨーロッパで最も自殺率が低い国だったが、2007年以降そのギリシャで自殺が急増し、2012年迄に自殺率が倍に為った。ギリシャに限らず、他のEU諸国でも同じ傾向が見られ、大不況以前は自殺率が20年以上一貫して低下して居たのに、大不況に依って一気に上昇に転じた。

 その一方で、逆の現象も起きて居た。経済危機に依って健康が改善した地域や国が在ったのだ。例えばアイスランドは史上最悪の金融危機に見舞われたが、国民の健康状態は実質上好く為って居た。スウェーデンとカナダも今回の大不況で国民野健康状態が改善したし、ノルウェー人の平均寿命は史上最長を記録した。
 北方の国ばかりでは無い。日本も同様で「失われた10年」嫌「20年」と言われる程不況が長期化して苦しんで居るが、健康統計では世界トップクラスの結果を出して居る。
 こうした明るいデータを見て、安易に「不況は体に好い」と云う結論に飛び付くエコノミストも居る。彼等は不況で収入が減ると飲酒量や喫煙量が減るし、車に乗らずに歩く様に為る等、健康に好い事が増えるからだと説明する。そして多くの国や地域で不況と死亡率の低下に相関関係が見られると説く。中には実(まこと)しやかに、不況が終わったらアメリカでは6万人が死ぬ事に為ると予言する人迄居る。

 不況そのものでは無く「政策」で国民の健康が変わる

 だが、彼等はその逆を示す世界各国のデータを無視して居る。今回の大不況の間に、アメリカの幾つかの郡では40年振りに平均寿命が短く為った。ロンドンでは心臓麻痺が2000件増えた。自殺も増え続けて居るし、アルコール関連の死因に依る死亡例も増加して居る。
 詰り世界中のデータをキチンと見れば、不況でオリヴィアやディミトリスの様な目に遭う人々が大勢居る事は否定のしようが無い。だがその一方で、健康に為る人々が居るのもこれまた確かである。これはどう云う事なのだろうか? 

 その答えは、不況そのものでは無く、不況に際して政府が執る政策にあるのでは無いかと私達は考えた。奇しくも2012年のアメリカ大統領選挙は、刺激策か緊縮策か、公共サービスか個人の収入かと云った普遍的な問いを投げ掛けるものと為った。
 そして富裕層への増税と社会福祉への投資を訴えたバラク・オバマ大統領が再選され、緊縮策は退けられ、ソコからアメリカはユックリと不況を脱した。一方イギリスでは2010年以来緊縮政策が執られて居るが、その結果、2013年1月現在、不況に逆戻りしそうに為って居る。

 不況による惨事は政治的選択に依って引き起こされる

 この10年間、私達は大量のデータや報告書と格闘しながら問い続けて来た。緊縮策か刺激策か?富裕層への減税か増税か?貧困層への公共サービスを切るべきか拡充するべきか?その答えを求めて極寒のシベリアの廃墟と化した町へ、或いはバンコクの赤線地帯へと世界中を飛び回った。
 その結果、ハッキリ判った事がある。経済危機で感染症が発生・拡大した地域が少なく無い中、それを未然に防ぐ事が出来た地域も有るのだが、後者にホボ共通して見られるのは、その社会に強いセーフティネット・強い社会保護制度が有ると云う事だった。
 オリヴィアやディミトリスの様な惨事は不況が必然的に引き起こすものでは無い。それは寧ろ、銀行を救済して国民のセーフティネットを削ると云った政治的選択に依って引き起こされる。逆に言えば、政府の、或いは国民の選択次第で、経済危機による疾病の蔓延を食い止める事も出来る。

 或る種の緊縮政策は確実に人の命を奪う

 又、今回の研究でもう一つ明らかに為ったのは、或る種の緊縮政策が文字通り致命的な結果を招くと云う事である。確かに不況は難しい状況を作り出すので、そこで人が健康を損なう事も或る。だがもっと恐ろしいのは政策で、或る種の緊縮政策は確実に人の命を奪う。
 経済に関する世界最強のアドバイザーであるIMFは、これ迄財政難に陥った国々に対してセーフティネット迄削る様な緊縮政策を強いて来た。だがそのIMFも、最近の報告書でコノ方針を変える姿勢を示して居る。緊縮政策は健康被害を生むばかりか、返って経済を減速させ失業率を上げ、投資家の信頼を下げるものだと要約気付居た様だ。

 ヨーロッパでは、緊縮政策に依って需要が枯渇するのを目の当たりにした事から、民間企業の側からも緊縮策反対を叫ぶ声が上がる様に為って来た。私達二人は、公衆衛生学の見地からセーフティネットの重要性を訴えて居るが、それも又単に健康増進の為では無い。今回の研究で、不況時に於いてもセーフティネットを確り維持する事が、健康維持のみ為らず、人々の職場への復帰を助け苦しい中でも収入を維持する下支えと為り、延いては経済を押し上げる力に為ると判ったからである。

 配慮の足り無い緊縮政策は死者を増やすだけ

 私達現代人は何時の間にか大事な事を忘れてしまって居ないだろうか? 負債も財源も経済成長も重要である。だが「貴方に取って最も大切なものは?」と訊かれて、ポケットから財布を取り出す人は居ないし、自宅の増築だの高級車だのアップルの最新機器だのの話をする人も居ないだろう。この問いの様な調査は繰り返し行われて居るが、何時も結果は同じである・・・誰もが最も大切に思って居るのは自分や家族の健康だ。
 だとすれば、私達の論点を「ボディ・エコノミック」と云う言葉で括っても好いかも知れない。これは私達の造語だが、要するに国の経済を体に見立てて、その健康を管理すると云う考え方である・・・勿論国民一人一人の健康も含めて。何しろ経済政策の選択は私達の健康に、延いては命に、甚大な影響を与えるのだから。

 医薬品の審査はアレだけ厳しいのに、何故経済政策の人体への影響は審査しないのだろうか。同等の厳しい審査が在って然るべきでは無いだろうか。或る経済政策が人体に取って安全で効果的だと判れば、それは即ち、より安全で健康的な社会を作れると云う事である。
 だが現状ではそうした審査が行われて居ない為、安全な経済政策では無く危険な経済政策が横行して居る。配慮の足り無い緊縮政策を断行する事は、危険な薬の臨床試験を堂々と行う様なものであり、そんな事を続ければ只意味も無く死者が増えるばかりである。緊縮政策の代価は人命である。その後で目出度く株価が元に戻ろうとも、失われた命は二度と戻ら無い。


 ⊡ デヴィッド・スタックラー オックスフォード大学教授 公衆衛生学修士、政治社会学博士。王立職業技能検定協会特別会員。イェール大学、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学などで研究を重ね、現在、オックスフォード大学教授、ロンドン大学衛生学熱帯医学大学院(LSHTM)名誉特別研究員。著書にSick Societies: Responding to the Global Challenge of Chronic Diseaseがある。オックスフォード在住。
 ⊡ サンジェイ・バス 医学博士 オックスフォード大学大学院にローズ奨学生として学ぶ。現在、スタンフォード大学予防医学研究所助教、また同大学にて疫学者として従事。サンフランシスコ在住。


 文 オックスフォード大学 教授 デヴィッド・スタックラー 医学博士 サンジェイ・バス

                  以上


















コロナ禍を乗り越える為の「デジタル・ニューディール」への期待




  コロナ禍を乗り越える為の

 「デジタル・ニューディール」への期待


       〜現代ビジネス 宿輪 純一 帝京大学経済学部教授 4/23(木) 11:01配信〜


              042313.jpg

 コロナ禍の先にある世界
 
 我々は、現在「コロナ禍」と云う災いの中に生きて居る。このコロナ禍は我々の経済・社会の仕組みを大きく変える。未だ予断を許さ無い状況であるが、もしコロナが収まって来た時期が来たとしても、このコロナ禍がトラウマと云うか、全ての前提として考えられる様に為る。そのステージアップして向かう先が、まさに「デジタル化」なのである。

 日本では社会として「職人」の様に、人から人への伝達を尊ぶ慣習が有ると感じて居る。それはICT・情報通信技術の進化が著しい現在も見え無い形でベースと為って居る。ICTの進展に於けるデジタル化は、単なるコスト削減では無い。安倍政権の「未来投資戦略」の中でも描かれて居たが、筆者は、短期的には堅確性・経済性・効率性が著しく向上すると考えている。
 中長期的には、データの活用に依って、販売・財務・総務が連動し、商品・のサービスの向上のみ為らず、確率的な経営戦略の高度化が可能に為ると考えて居る。それは日本経済の成長率をアップさせる事が可能になる。

 実際、日本政府の進めて居る政策はその基本方針に沿って進められている。菅官房長官が進めている携帯電話料(通信料)の4割削減、経済産業省が進める「キャッシュレス」金融庁が進める「フィンテック」総務省が進める「マイナンバー」ナドナド、基本的には日本経済のデジタル化を強化しようと云う基本方針に沿っている。

 デジタル経済とは無人経済
 
 「デジタル化」と云うものと云うものはどんなものなのであろうか。それは「アナログ・リアル・フィジカル」から「デジタル・データ・オンライン」化し、経済・社会構造が変革する事である。これは極限の好い方をすれば人を介さ無い「無人経済」と云う事も出来る。
 日本のコロナ対応の経済政策は、以前から何度も寄稿で解説して来たが、治療薬の開発・感染拡大の防止・マクロ的な金融緩和・企業と個人の金融的援助と応急処置及び短期的な政策はホボ網羅されて居る。しかしながら、応急処置為らば早くし無ければ為ら無い。特に企業に対しては、分かり易い固定費用である「賃料」の援助をすべきであると考えている。

 常々申し上げているが、経済学と医学(医療)は似て居ると考えて居る。これ等の対応は応急処置及び短期的な治療で、今後は次のステージを考え無ければ為ら無いと考えて居る。コロナ禍が終わった後、嫌、終わった後を目指し、経済・社会構造は、一段「デジタル化」に向かう。
 それは、一部には「アフター・コロナ」と云われて居るが、筆者は、乗り越えて行く意味も込めて「ビヨンド・コロナ」と名付けて居る。「株価」はホボ半年後の状況を見て居る、と筆者は常々考えて居るが、その株価の動き及び個別の銘柄の動きは、既にその様なデジタル化した経済・社会を織り込み始めて居る。

 デジタル化教育でどう伝えて行くのか

 政府の此処での中長期的な政策は、デジタル化のベースと為るインフラを日本経済全体で作り上げて行く事である。それは、ハードは勿論であるが、ソフト・・・即ち教育もそうで、学校教育は勿論、社会人、定年後の人々へも、デジタル化に付いての教育が必要不可欠である。
 米国を復活させたレーガノミクスの重要な柱の1つは社会的な教育であった。経済・社会一緒に為って、全体のレベルアップさせる事は、基本的政策としてはそれを「包摂」Includingと呼んで始まって居るが。現在、筆者自身も、大学講義を構造改革して 。学生の に、どの様な講義が良いのか試行錯誤している。

 元来、筆者の講義スタイルは、ザックリ云うと、毎回毎回、学生に「日本経済新聞」を読んで貰い、その日の重要だと思う経済・経営・金融の分野の記事を4つ選び、夫々、内容をまとめ、コメントを書いて発表して貰い、ひとつひとつ筆者が理論も含め解説すると云う事を徹底的に行う。
 それは、最新の情報・知識を身に着け就職力を強化出来る。更に、大学生の後半では、自己分析を徹底的に行い、就職したい企業業種を定めその業種の企業の経営改善計画を策定させ、更に就職力を強化出来る。勿論、基本的知識を身に着ける為にも、講義で筆者の教科書を2冊、輪読させ筆者自身が解説する。
 このプロセスは道場の様なもので、毎回の気合いの入った直接指導が学生を磨いて行ける、と云う事があった。これを改革し、デジタル化しようとして居るが、この気合いを伝える事に苦労して居る。

 その様な構造改革は、人の生き方も変革せざるを得無い。デジタルな非接触型の経済・社会では、自己の強みや存在価値と云ったものをどう作って行くかと云う問題に為り、逆に、自分と向かい合う必要がある。「文化」や「芸術」も危機である。それ等は感動と裏腹で、体験型・フィジカルで、アナログ、リアルなものが多いからである。


    宿輪 純一 博士(経済学)・帝京大学経済学部教授    以上



【管理人のひとこと】

 中国・韓国・一部のアジア地域・・・それと他の先進国と日本の違いは、ICT化への乗り遅れも指摘されて居る。確かに、職場のテレワークや学校・大学・塾等でのネット授業も押し並べて進められ無い状況もある。コロナ禍への対策も上記に挙げた国々に比較して効率的で無い様だ。
 これを機に、国を挙げてハード・ソフト面の整備に邁進する課題が浮き出て来た感がする。無論、その教育もそうだが。先ずは日本のコストが高い、この面の規制を撤廃し先ずはフリーにすることから始める・・・根気の要る課題でもある。日本にはNHKと云う半官半民の厄介な巨人が存在する。一つの「抵抗組織」なのだろう・・・情報と資金を集中する巨大な権益を有する組織は、国民から徴収した莫大な資金で多くの放送媒体を独占しネットの世界にも乗り出した。この様な頭の痛いものを抱え過ぎるのもICT化推進への我が国の大きなマイナスでもあるのだろう。


















 



日本は コロナ危機では無く人災だ




 日本は コロナ危機では無く人災だ

            〜ニューズウィーク日本版 4/23(木) 12:06配信〜


        042311.jpg

                 小幡 績氏

        マスクや10万円を配る事自体が 危機感の無さを表して居る

 <日本より遅れてコロナ危機に襲われた欧米では、大きな犠牲を払いながらももう経済再開へのギアチェンジが始まって居る。中国・韓国は既に走り始めた。処が日本は、今頃医療崩壊の危機に直面し、緊急事態宣言を全国に拡大したばかり。何故こんなに対応が遅れたのか>

 欧州は未だ死亡者は増え続けているが、早くも経済活動再開のタイミング、遣り方に議論が進んでいる。死者が4万5千人を超え、未だ毎日2500人以上死んでいる米国ですら、再開の時期、遣り方を巡って論争が起きている。再開を求めてデモが起きて居るほどだ。
 アジアではいち早く活動を再開している。それは予想を上回るスピードで収束の目途を立てられたからで、台湾・韓国は世界中から絶賛される対応で乗り切り、中国でさえも経済活動の回復では世界の先陣を切っている。

 一方の日本は、緊急事態宣言を4月7日に為ってから行うと云う最も遅れた動きをし、更に今更、14日にこれを全国に拡げた。更に、これでは不十分で活動制限をどう強化すべきか、と云う議論さえ4月22日の今、行われている。何故、日本はこれ程対応が遅いのか、遅かったのか。

          042312.jpg

 科学より世論優先

  理由は2つある。1つは専門知識の不足と軽視である。政府の感染防止策・対応策は、世論に突き動かされたもので、その世論も、一部のメディアで煽る専門家に振り回されて、且つそれをSNSで増幅した論理的で無いものであり、科学的なアプローチ・検討を致命的に欠いて居るものであった。
 しかし、それに対応する形で、専門家を集めた会議等を行って置きながら、結局は、世論優先で政治的に対応を決定して来た為に、非常にチグハグで効率の悪いものに為った。しかし、もう1つは、そして此方が決定的に重要なのであるが、日本のコロナ危機は、世界で最も深刻度が低いものであったからだ。

 死者が出て居るからこの様な発言は避けるのが普通だが、その為誰も言え無く為って居るが敢えて言うと、日本のコロナ危機は相対的に深刻で無かったし未だにそうだ。死者は増え続けて居るが、未だに300人弱であり米国の約200分の1だ。
 対応を絶賛されて居るドイツですら死者は5,000人を超えて居る。イタリアは云うに及ばずスペインもフランスも2万人を超え、イギリスは1万8千で今週に2万を越えるのは確実だ。人口は日本の半分でこれだから、人口比で言ったら途轍もない日本との差だ。この結果、日本の人々は真の意味での危機感が無く、只の空騒ぎをして居るのである。
 切実な声は、殆どが中小企業、取り分け飲食店からのものだ。このママでは潰れてしまう・死んでしまうと云うものだ。殆ど全ては経済的な危機なのである。

 中小企業も真の危機感に欠けている

 一方、政府は最大限の対応をして居る。中小企業への資金繰り融資は世界的にも最も経験豊富だ。政府系金融機関がこれ程発達して居る国は先進国では無い。これに加えて、民間金融機関を通じても資金繰り支援を行う事を政府はいち早く打ち出し、5年間返済猶予の無利子無担保と云う世界に類の無い破格の支援策だ。
 日本ではこれが破格だと認識されて居ないのは、日本政府は何時もこの手の資金繰り支援を行って居り、公的金融機関も慣れて居るから、特別感が無く当たり前と思って居るからだ。そして、何時も遣って居るから、動きは迅速だった。
 米国も、今回は史上初の試みをFRB・米国の中央銀行が行い、中小企業に対する金融支援措置が議会を通過したが、その37兆円の融資保証枠が早くも枯渇し追加措置が決定し30兆円超の保証と為る見込みだ。一方、経験豊富な日本は融資資金が枯渇して居ない。(使い勝手が悪いから)
 しかし、これでは駄目だと日本の飲食店の人々が訴えて居るとメディアは報道して居る。理由は、何時迄これが続くか分から無いので借金はしたく無い何とかして呉れと云うものだ。(当たり前だろう)

 政府に現金給付を求めるな

 これは真の危機感が無い事の表れだ。本当に何時迄続くか分から無いのであれば、政府の支援金で売り上げゼロで長期に渉って維持出来るとは思え無いから、一日でも早く廃業し止血するべきである。投資を可成りして居て続ける意思が強いなら、5年返済猶予の無利子無担保の融資を受けて資金繰りを凌ぎ、2月半ばから5月半ば迄の3カ月の売り上げの急減に依る赤字を5年掛けて返済する方策を採るしか無い。
 危機である米国は生き残りを掛けて従業員を解雇した為、1カ月で2,000万人の新規失業者が生まれ37兆円の資金支援措置は、従業員に対する休業手当を払う為の支援であり米国ですら給付では無く融資支援だ。

 日本の飲食店の難しさは賃料の問題で、日本の不動産取引慣行は柔軟性に欠けて居ると云う問題点が有る。政府に訴えるべき点はこの点で、家賃の猶予・減免をオーナーと交渉する為に政府が全力で支援するべきだ(政府は、オーナーに減免した場合の優遇措置を決定した)
 詰り、日本政府の中小企業支援の体制は世界最高水準なのである。オーナーと家賃交渉をトコトンする前に・従業員を解雇する前に政府に現金を要求するのは順番が違う。先ずは経営者として、賃金と家賃に関する政府の支援を全面的に活用し、従業員には休業手当で耐えて貰うか、解雇して失業手当で耐えて貰うか説得し家主と交渉する。
 これが経営者としての現在緊急に遣る事の全てであるし、それでも継続が難しいと判断するなら廃業するべきである。しかし、世論は政府に現金給付を求め、政府が出来無いと云うと、自治体が現金を給付する事とした。東京都は50万、或いは100万円を配る。そんな国は世界中何処にも無い。(殆どの国がしている当たり前の事)

 「紙と鉛筆で」感染経路を追う保健所

 何故日本だけが出来るのか? 危機が他の国程深刻で無いからである。米国で遣ったら、アッと云う間に国家破産である。一方の政府も危機感が無いから、世論対策で消費者を含む全国民に14兆円を配る事にした。もし危機が深刻なら、14兆は消費者に一円も配るべきでは無いし、その余裕は無く全ては失業者・倒産防止の為の資金繰りの金融支援に投入するべきだし、そうしないと持たない。
 医療崩壊は起きている。既に大きな危機だと云う意見が大多数だろう。しかし、ニューヨークの惨状に比べれば危機では無い。未だに、新型コロナ専用とそれ以外の病院の分業を完全に実施せずに行っているのは、それでもギリギリ凌いでいる、凌げると云う認識があるからだ。現場が悲鳴を上げて居るとしても、全体としては今迄の制度の延長で凌げると思って居るから、抜本的な変更・分業の完全実施を行っていない。

 何故、必死で韓国に学ばないのか

 保健所も、紙と鉛筆と電話で感染者の経路を追って居る。これは太平洋戦争当時の戦車に竹やりで向かう以上の戦いで、ロケットに弓で対抗して居る様なものだ。韓国に学び、韓国の遣り方を100%真似するべきだと思うが、そうしないのは、スマホを用いて最先端のテクノロジーを総動員しなくても凌げると思って居るからだ。
 人々も10万円を政府に配らせて勝利だと云うネット世論が盛り上がる位余裕が有るのである。危機為らばカネは全て医療と失業者に集中させ無ければ行けない。しかし、それでもコロナは徐々に収まって行くだろう。そして、日本は韓国と異なり、SARS・MERSから学ば無かった様に、今回のコロナでも根本的な変化が起きず、次の感染症の危機の時も、危機感の無い対応で凌業とするだろう。そして、何時か本当の危機が遣って来て、その時に初めて危機感が生まれ、日本も危機対応をする体制に代わって行くだろう。

 今回のコロナ危機で、政府の対応が諸外国に比べて周回遅れの対応に為ってしまったのは、危機感が国民全体に無かったからであり今ですら無いからであり、それは相対的には欧米程の危機では無かったし今でも無いからである。
 そして、経済的な悲鳴が出ているのは、危機では無いのに中途半端に危機だと煽った、政治家・メディアの人々が多数派であったからである。その為に、余計な対策ばかりに奔走し、マスクや10万円を配ると云う危機感の無い対応をすることなり、知事達も政治活動に熱心で、休業をお願いするのにカネを配ると云う世界的に例を見ない人々に媚びた対応をしたのである。
 余裕が有り過ぎたのだ。本当に危機なら休業は必須だし、カネを貰わ無ければ遣ら無いと云う様な行為は許され無い筈だ。今のパニックはコロナによるもので無く、真の危機感の無い人々が大騒ぎしたことによって起きた人災だ。危機ではないし危機感も無い。これが日本のコロナショックの本質だ。


 小幡 績 Seki Obata 慶應義塾大学大学院准教授 株主総会やメディアでも積極的に発言する行動派経済学者 専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンス 1992年東京大学経済学部首席卒業 大蔵省(現・財務省)入省 1999年退職 2001〜2003年一橋大学経済研究所専任講師 2003年より慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應義塾大学ビジネススクール)准教授 2001年ハーバード大学経済学博士(Ph.D.)著書に『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書)『ネット株の心理学』(MYCOM新書)『株式投資最強のサバイバル理論』(共著、洋泉社)がある

以上



 【管理人のひとこと】

 安部シンパが、余りの批判に耐えられ無く為り、滅茶苦茶な無理筋を吹っかけて来た様な悪筋な・・・所謂フェイクの様だ。中には「韓国に学べ」との真実も混ぜ糊塗して居るが、本筋は余りにもお粗末な政権を擁護し庇い「全て国民の自己責任なのだから政府に金を要求するな」とのアジテーターのようなもの。
 コロナ禍が全て国民の所為なのだろうか・・・考えなくとも判る「国民押し並べてが新型コロナウィルスによる被害者」なのであり、時の政権が国民を守る為にアラユル手段を講ずるのが、世界各国の政権が共通する原則だろう。私利私欲を捨て切れず、何間・友達の利益を優先する安倍政権には手が負えるものでは無い・・・その事をヤッと理解し始めた国民の大きな声が、この人には聞こえ無い様である。
 この様なスタンドプレーに潰す時間が有るのなら、真っ先に真の「国民救済」の為の現実的対処を即座に実行するのが政権の務めの筈である。云い訳・見せ掛け・口だけ・・・の安倍政権には一時も早く国民の前から消えて頂きたい・・・第一次政権を仮病で投げ出した様に、今回も仮病を持ち出してでも好いから、絶対多数を握る与党の議員は、国民の代表として一致し、既に死に体の安倍政権の一掃・打倒を目指すべきだろう。日本のロナ禍は、不手際を続ける安倍晋三政権の「晋三禍」である。







お客様の好みを学習し最適な野菜をご提案、1品単位で農家さんを選べる理想の食材宅配【ココノミ】












×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。