12月のはじめ、
公開から遅れて、吉祥寺バウスシアターにて、
「桐島、部活やめるってよ」を見ました。
見たら原作を読みたくなり、
今日詠み終えたので、わすれないうちに。
映画は私の好きな映画でもある、
ガス・ヴァン・サントの「エレファント」のような
カメラスタイルでスタートしていて、
サスペンスというか、何かが起こる、という気持ちで
ひたすらにドキドキしました。
けれど、見終えてみて、
何かが起こったのか?と言われれば
特に何も起こっていない。
例えば、芸能やら映画やらに興味のないお母さんに、
どんな映画だったの?
と言われたら、困ってしまうような映画でした。
それだけに、
見終えた後、誰かと話したくなる。
自分以外のひとは、どんな視点を持って
映画を見ていたのか、とっても気になる映画でした。
コミュニケーションを生む映画はとてもすきです。
原作から映画になることもコミュニケーションであって、
原作をどのようにスタッフが広げていくのかが楽しい。
今回は原作を後に見たけれど、
原作を見終わったら、監督の視点から見た、宏樹たちの世界が描かれていることを再発見できて、
とても幸福な気持ちになりました。
もうこれだけで、
映画っていいね!小説もいいね!
って閉めたくなるものですが、
せっかくなので、もう少し感想を。
原作は映画よりもずっと淡々としていて、
すごく冷ややかで、
かとおもうとなんだか妙にドラマチックな要素があったりして
なかなか宏樹たちの世界には入ることができませんでした。
これが高校生の世界なのかな、と思う事はあったけれど、
原作者が大学生だと知ると、
もう少し描けた部分があったのではないかなと思ってしまうこともありました。
わたしぐらいの、高校時代はこうだったのよ!と美化していてもおかしくない世代の人が
描いたような、ちょっとだけフィクションな高校生たちのように思いました。
そこは育ってきた環境の違いかなあ。
私は高校時代、
ほとんど学校にはいませんでした。
朝遅刻して学校に行って、
眠っていたり、しいて言えば映画に出てくる橋本愛ちゃんのように
「高校生」という形の上辺だけをそれとなくなぞって過ごし、
授業が終わるとささっとバイトに行く。
学校にいた友達との想い出も、
彼氏や男の子たちとの遊んだ記憶も、
ほとんど残っていなくて、
私の高校時代は、その外側にあったのです。
バイト先の先輩たちと背伸びして話すことだったり、
大学生の彼氏とドライブして聞く曲だったり、
初めて出かけるクラブやライブだったり。
ほとんどが外の想い出ばかりで。
なので、こんな高校時代を送っている人はいいなあと
変な客観的な視点を向けてみてしまっていたのかも。
原作を読んでからの映画の感想としては、
「桐島、部活やめるってよ」のタイトルインパク知をふんだんにいかした
お話であったことがすごいなあと思いました。
原作では、桐島はただの一部の一部に過ぎず、
下手したらみんなにとっては非常にどうでも良い存在だったと思うけれど、
映画では独特の桐島像が守られていて、だからこそ、見ているひとも桐島像を描けて、
それがたとえ大げさでも楽しめた。
吉田監督の見た、小説世界がこんな風に広がって行くのかーと。
こんな風に、自分の小説の人物を生かしたり、育ててくれる人がいるっていいなあと
・・・これは別の感想かもしれないですが、
そんな風に思った映画でした。