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2022年10月31日

廃屋とカセットテープ 4



「……ママァ、トモエちゃ……から、おこってるよオ……」

テープは止まっている。
タカオは、そう覚えていないが、恐らく悲鳴を上げたという。
逃げる。
ここはだめだ。
振り返ると、子供部屋の隅の本棚の陰に人がいた。
背中を向けてうずくまっているが、ヨウスケだ。
物陰になって気付かなかった。どうやらペンライトも持っていない。

「ヨウスケ、何で返事しなかったんだよ。ここ出よう!」
「痒い……痒い……」

そういってヨウスケはモゾモゾと動いている。
タカオはいらだち、

「早く立てよ」

そういってヨウスケの肩をつかみ、自分のほうへ向かせた。
ヨウスケは自分の顔をかきむしっていた。
顔面の皮膚が破れ、そこらじゅうに血が滲んでいる。
それでもヨウスケはカサカサと顔をかき続ける。

「何やってんだ、やめろよ!」
「痒いんだよ……痒いから……」

トッ……トッ……

その時後ろに気配を感じた。
タカオが振り向くと、質素というよりは粗末なぼろけた服を着た、自分たちと同じ年頃の少女が部屋の中央に立っていた。

「わアアアア!」

今度ははっきりと、タカオは悲鳴を上げた。
少女は顔を伏せており、表情は見えない。しかし、あまりにも異質すぎる。
イヤフォンから、また音が漏れていた。
誰かが何かを喋っている。
タカオは震える声で、

「お前か……? これしゃべってんの、お前か」

少女は答えない。
タカオはイヤフォンを耳に当てた。

「……あた……じゃないよ、そ……子は……トモエ……」

声が今までよりも遠い。

「……お……ってる……らア……二階は駄……だよオ……」

『アアア』

いきなり別の声が割り込んできた。
同じタイミングで、目の前の少女が顔を上げる。
その顔は、真っ赤な掻き傷でズタズタだった。
かさぶたを更にかきむしったようにえぐれと盛り上がりが重なり合い、傷という傷が血にまみれている。
それでも明確に顔面に浮かんでいる怒りの表情に、目が合ったタカオは我を失った。

「うわっ、うわあっ!」

悲鳴を上げ乍らタカオは、ヨウスケを引きずるようにして逃げ出した。
つい駆け込んだ先は、パイプ・ベッドの部屋だった。
いけない、と引き返そうとして、足がすくんで止まった。
ベッドに誰かが座っている。

「……ごめんなさい……」

理由は分からないが、タカオはその誰かに涙声で謝った。
さっきの少女とは違う、どうやらもっと大人らしい誰か。女性のようである。
それが、どうやらこちらも怒っているようなのだ。
目元は暗くて見えないが、顔の向きからタカオと目が合っているのが分かる。
怖い。
タカオは金縛りのようになっていた。

ト…ト…ト…

背後からの足音が迫り、タカオは我に返った。
またもヨウスケを引きずり、ハシゴを目指す。
少女がどの辺にいるのか知りたかったが、振り向く気などとても起きなかった。
しかし、近い。
とても。

ト、ト、ト

「うあああん、うああああっ……」

だらしない声を上げながらタカオは必死でヨウスケの体を引いた。
もう少女が手の届く位置まで来たのではないかと思われた時、ようやくハシゴに着いた。
ヨウスケを先に穴に押し込む。
ハシゴは斜めにかかっていたので、その上を転がるようにして、ヨウスケは垂直よりはやや傾斜をつけて一階の廊下に落下した。
大きな音が立ったが、この際、多少の怪我など気遣っていられない。

「うう、うううーっ」

泣きながら急いでタカオも穴に入る。
焦っていたせいで頭から降りてしまった。
危険だとは思ったが、足を先に下ろす余裕などない。
穴に完全に体が入る直前、

ガリッ!

足首の辺りに痛みが走った。

「ひいっ!」

恐怖で体が跳ね、その衝撃でハシゴが穴の縁から外れた。
そのままハシゴごと落下し、ヨウスケのときよりも大きな音を立てて、タカオの体が廊下に打ち付けられてしまった。
背中を打ってしまい、呼吸が上手く出来ない。

「ヒッ、ヒッ、ヒイッ……」

走らなければ。
追い付かれる。
なのに、体が動かない。
しかし、足音が迫ってくる気配は無かった。
見たくは無かったが、天井の穴を見る。
幸い、ペンライトはヨウスケを引きずる時も握りっぱなしだったので、それで照らした。
暗い入り口の奥には闇が広がるばかりだった。
この家の構造では、家の内外のハシゴさえ外してしまえば誰も下に下りてくることは出来ない。
自分が見たモノはそれに倣うのだろうか。
とにかく、タカオは怪我はしなかったらしいことを確かめて、ぐったりしたヨウスケを引きずって家を出ようとした。
先程投げ捨てた薬の空き箱が足に当たったので、端のほうへ蹴った。
外へ出ると、雨はまだ降り続いている。
タカオは今の家から一番遠い家を見つけ、中には入らずに疵の付いた縁側へヨウスケを寝かせた。
そこまですると、猛烈な疲労と眠気を感じた。
だめだ、今寝たら、あのおっかないのがまた来たらどうする……。
しかしまぶたが落ちるのを止められない。
あの音がしたら逃げるんだ。
トッ……トッ……トッ……
というあの足音。
意識がもやに包まれてきた。
トッ……トッ……トッ……
が聞こえたらいけない。
トッ……トッ……トッ……
いけない……。
トッ……トッ………………
…………………………………………


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