2022年07月01日
地下のまる穴
地下のまる穴とは、記憶喪失をした人がメモをたよりに内容を語っていくというものである。
【内容】
これは17年前の高校3年の冬の出来事です。
あまりに多くの記憶が失われている中で、この17年間、わずかに残った記憶を頼りに残し続けたメモを読みながら書いたので、細かい部分や会話などは勝手に捕捉や修正をしていますが、できるだけ誇張はせずに書いていきます。
私の住んでいた故郷はすごく田舎でした。
思い出す限り、たんぼや山に囲まれた地域で、遊ぶ場所といえば、原つきバイクを1時間ほど飛ばして市街に出て、カラオケくらいしかなかったように思います。
そんな片田舎の地域に1991年突如、某新興宗教施設が建設されたのです。
建設予定企画の段階で地元住民の猛反発が起こり、私の親もたびたび反対集会に出席していたような気がします。
視聴や県知事に嘆願書を提出したり、地元メディアに訴えかけようとしたらしいのですが、宗教団体側は「ある条件」を提示し、建設が強行されたようです。
条件については地元でも様々な憶測や噂が飛び交いましたが、おそらく過疎化が進む市に多額の寄付金を寄付する事で、自治体が住民の声を見て見ぬふりをした、という説が濃厚でした。
宗教施設は私たちが住んでいる地域の端に建てられましたが、その敷地面積は、東京ドームに換算すると2〜3個分程度の広さだったと思います。過疎化が進む片田舎の土地は安かったのでしょう。
高校2年の秋頃に施設が完成し、親や学校の担任からは「あそこには近づくな」「あそこの信者には関わるな」と言われていました。
私たちはクラスの同級生8人くらいで見に行ったのですが、周りがすべて高い壁で囲われ、正面には巨大な門があり、門の両端の上の部分に、恐ろしい顔をした般若みたいなのが彫られていました。
それを見た同級生たちは、「やばい!悪魔教じゃ悪魔教じゃ」と楽しそうに騒いでいましたが、そういう経緯から、学校ではあの宗教を、『悪魔教』や『般若団体』などと、わけのわからないアダ名で呼ぶようになりました。
たまにヒマな時などは、同級生ら数人で好奇心と興味と暇潰しに、施設周辺を自転車でグルグルしていましたが、不思議な事に、信者や関係者を見た事は一度もありませんでした。
あまりに人の気配がなく、特に問題も起きなかったので、しだいに皆の関心も薄れていきました。
高校3年になり、宗教施設の事は話題にもならなくなったのですが、ある日、同級生のAが「あそこに肝だめしに行かんか」と言いはじめました。
Aが言うには
「親から聞いたけど、悪魔教の建物に可愛い女が出入りしとるらしい。毎日店に買い物に来とるらしいで」
Aの実家は、地域内で唯一そこそこ大きいスーパーを経営していました。Aの両親は、毎日2万円〜3万円ぶんも買い物をしていく『悪魔教』に、すっかり感謝しているようでした。
Aは「俺の親は、あそこの信者はおとなしくて良い人ばっかりって言いよったよ。怖くないし、行ってみようや。」
私やその他の同級生も、遊ぶ場所がなく毎日退屈していましたので、「じゃあ行くか!」という事になり、肝だめしが決定しました。
メンバーは、私とAとBとCとD(同じクラスの5人)と、後輩のEとFの、全員男の7人になりました。
7人もいれば怖くないでしょう。皆も軽い気持ちで行く雰囲気でした。
待ち合わせは施設にほど近い、廃郵便局の前になりました。
私が到着すると、ABCとEは来ていたのですが、DとFが30分近く待っても来なかったので、5人で行く事になりました。
施設の近くに自転車を停車させ、徒歩で施設の紋へ。
「うわ〜夜中はやっぱ怖いわ」や、「懐中電灯もう一つ持ってくりゃよかったね」などと話していました。
巨大な門の前まで来ると、門からかなり離れた敷地内の建物の一ヶ所に電気がついていました。
「うわぁ信者まだ起きとんじゃね」「悪魔呼んだりしとんかね(笑)」
などと軽口をたたいていましたが、Cが
「これ、中に入れんじゃん」
と言いました。
するとAが
「俺が知っとるよ。横を曲がったとこに小さな門があってそっから入れる」
と言いました。
「A、なんで早く言わんのや」とか言いながら、壁づたいに歩き、突き当りを横に曲がり、少し歩くと壁に小さな扉がありました。Aが手で押すと、向こう側に開きました。
人ひとりようやく通れる扉を、5人で順番に通って中に侵入しました。
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