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2017年10月21日

【怖】ドラミちゃん








15/09/28
独身で一人暮らししてた頃、たまに行くスナックがあった。

50代後半のママさんが一人でやってらして、お腹が空くと鍋焼きうどん出してくれるような暖かな昭和の香りがするお店。

当時、私は旅行業に勤めてたのでママさんがお盆にお墓参りにいく旅行の手配とかもしてた。

お盆明けにお店に寄ったら、宿泊したホテルで異音がしたけど何かいたのかな〜って言ってたので、ご先祖様が喜んで出てきたんじゃね?なんて笑ってたの。








で、10月の終わりごろにいつもの友達とはしごして、深夜に近い時間にその店に行ったんだ。

その日は先客にカップルが一組だけで過疎ってるなと思いながら飲んでた。

私はL字型のカウンターの左端の角近くに座ってて右横に友達、少し空けてその隣がカップルって配置。

ママさんはカウンターの中ね。

しばらくしてカップルの男性がカラオケで歌い始めた時、左斜め前におばちゃんが座ってるのに気付いた。

年配の方なんだけど、ニコニコしながら手拍子足拍子、全身でリズム取りながら盛り上がってる。

色白でぽっちゃり体型、小柄なのでカウンターの高い椅子に座ってると、もうドラミちゃんがジタバタしてるようにしか見えなくて、すごく可愛かった。

目があったので笑って会釈したら満面の笑顔で何度も会釈してくれた。歌が終わってからも、ずっとママさんを見てニコニコ。

しばらくして店の裏口のドアが開いて閉じる音がしておばちゃんはいなくなってた。大きな音がしたので

「今の何!?何でドアが勝手に!?」

ってみんなが騒ぎだしたので(ママさんいつも裏口は施錠してる)

「さっきまでここに座ってたお客さんが帰ったんじゃない?」って言ったらさらに騒然となった。どうやら誰もドラミちゃんを見てなかったようで...

最初は信じてもらえなかったんだけど、おばちゃんの服装や体型、人相や年のころなどをことこまかに説明したら、(ドラミちゃんとは言えなかったが)ママさんが泣きそうになって

「可愛がってくれた叔母さんにそっくり、今年やっとお墓参りに行けたんだよ」って。

きっとママさんが心配で、お店の様子を見に来たんだねって、みんなでほっこりした。

終わりです。
見て下さっててありがとう。







posted by T.O.P..Class at 23:05| 怖い話

たまに母が別の時空から来た人かも知れないと思う









11/05/12
たまに母が別の時空から来た(入れ替わった?)人かも知れないと思う。

マンガ読んでたりすると、まだ掲載されていないはずの展開や結末を知ってるんだよ。その時は別の作品と混同してんのかなーと思うんだけど、的中率が異様。








何で知ってるのか聞くと「以前うちで読んだ」と言われる。母は私も読んだはずと思ってるらしく、よくネタバレされる。



586:本当にあった怖い名無し[sage]投稿日:2011/05/12(木)20:08:07.12ID:0DY+d62nO
私の考えすぎとか、単に母の勘がやたらいいだけかも知れないけどね。

母は他にもたまに変わった言動をするから、もしかしたらと思う。







タグ:不思議
posted by T.O.P..Class at 22:58| 怖い話

2017年10月20日

【怖】急に黒電話が鳴りだした









10/04/09
ずっと入院していた義母が他界したので義弟夫婦と夫の四人で義実家の整理に行った。

隣の家まで歩いて10分というど田舎。電気も水道も止めてもらっていたので、色々手続きが面倒だった。

私と義妹で家の片付け、夫と義弟がご近所さんへのあいさつ回り。

昔庄屋だった義実家は、戦前は何人も奉公人が住み込んでいただけあり部屋数も多く、とにかく広い。








「うちでは管理しきれないわ」

「うちも無理だわ、遠いし」

「処分するしかないわね」

「でも主人達にとっては生家だし、なんて言うかしら」

「そうね〜」

などと言いながら、とにかく家中の雨戸と窓を開けていると電話がなった。昔ながらの黒電話だ。出てみると聞き覚えのない声で

「お戻りだったのですね。お待ちしておりました。これからうかがいます」

と言われた。どなた様でしょう?と聞いたのですが相手は答えず電話を切ってしまった。

夜には帰るつもりだったので、義妹とあわてていると夫達が帰ってきた。電話の事を話して、心当たりをたずねると義弟が笑って言った。

「義姉さん。まじめな顔で何言ってるの?その電話はどこにも繋がってないよ」

10年前に子機付きの新しい電話機に換えた時に線も引き直したんだよ、ほら、と黒電話のコードをたぐり寄せた。電話線は途中で切れていた。

凍り付く義妹と私の前で、その黒電話が鳴り出した。今度は四人とも凍り付く。

「来るって言ったのか?」

と夫が言った。義妹が泣き出し、四人で戸締まりもそこそこに車に飛び乗った。それ以来、義実家には帰っていない。処分は業者に頼んだ。







タグ:黒電話

2017年10月17日

江戸時代、切り捨て御免と言って成敗出来なければその武士は切腹って本当?








江戸時代、武士には色々と特権があった。

その特権の一つが、切り捨て御免と呼ばれるもの。

しかし、この切り捨て御免にも、実はリスクがあるのだ。


切り捨て御免というのは、何も映画の中の話ではなく、実際に武士に認められていた正当な権利であった。

しかし。

なんでもかんでも切り捨て御免と言って町人や商人を切り捨てて良いという訳ではない、当たり前だが。

切り捨てるそれ相応の理由と、実際に実行するには、その明確な理由を役所に届けなければならなかったのだ。

そして、切り捨て御免には、最大のリスクがあった。

それが、失敗したときのリスク。

上で書いたように、切り捨ては武士にのみ許された特権であった。

つまり、その特権を行使するには、武士という体裁を守った上でのこと。

その特権を行使しようとしたけど、「しくじりました、テヘッ☆」では済まない話なのだ。

そして、実際に、切り捨て御免と言った相手に逃げられ、切腹に追い込まれた武士もいるらしい。

こんな話を聞いたら、時代劇を見る目も変わりそうだ。








タグ:江戸時代

暗殺された伊藤博文は極度の女好き








やりすぎ都市伝説で品川庄司の品川が語った都市伝説「教科書には載らない伊藤博文の裏の顔」

日本の初代総理大臣にして、安重根に暗殺されたとされている伊藤博文(別の説もアリ)

そんな歴史的な人物に、ある都市伝説が語られている。


意外と知られていないが、伊藤博文は元々、長州藩の出身であった。

そして、その頃の活躍がきっかけで、初代総理大臣に任命された。

そんな伊藤博文。

なんと、今では当たり前となっている、小学生が背負う”ランドセル”という文化を創り出したのだそう。

当時の天皇陛下が小学生に上がる時、小学校でこれを使ってくださいと言って渡したのが始まりだと言われている。

しかし、そんな都市伝説よりも、遥かに興味深い都市伝説がある。

それが、伊藤博文の女好き。

しかも、ちょっとやそっとと言ったレベルではなく、極端であったというのだ。

そして、そのエピソードが凄い。

伊藤博文は、女遊びの中でも、特に芸者が好きであったと言われているのだが、芸者を呼ぶ際は1流の芸者は呼ばなかったのだそう。

それには理由があり、1流の芸者だと、裏で糸を引いている人間がいて、政府の要人である伊藤博文には常に危険が付きまとっている。

なので、息のかかっていない、2流の芸者を選んでいたというわけだ。

そして、伊藤博文は、女遊びにお金をつぎ込んでいたと言われ、終いには、自分の家が、借金の抵当に入れられたというのだ。

ここまで来ると、ただのダメ人間にも思えてくるが、それぐらい豪快な人間でないと、激動の時代を生き残れないということなのだろう。

更に、この都市伝説には続きがある。

借金で家を抵当に入れられた伊藤博文。

しかし、一国の総理大臣が、家なき子では、笑い話にもならない。

そこで、伊藤博文に、家が用意された。

それが、現在の首相官邸だというのだ。

しかし、女好きというのは、何も伊藤博文だけではなかったのだそう。

当時の政治家は、押しなべて女好きだったというのだ。

その理由が、これまた豪快だ。

上述したように、当時は激闘の時代。

そんな時代において政治家という生き物は、いつ殺されてもおかしくなかったというのだ。

なので、その日を精一杯生きる。

だから、豪快に飲み、豪快に遊び、豪快に生きたというのだ。

しかし、今の時代の人間にはなかなか理解しにくい価値観である。

こんな風に、時代が違えば、理解しにくい価値観というのは多い。

例えば、江戸時代の武士には「切り捨て御免」という権利があった。

これは、武士に与えられたれっきとした権利であったのだ。

しかし、権利と義務はセットなのが世の常であり、切り捨て御免に失敗すると、恐ろしい罰が待っているのだ。





タグ:伊藤博文

水戸黄門が旅に出たというのは真っ赤な嘘だった








やりすぎコージー都市伝説、よゐこ濱口が語った都市伝説「水戸黄門が旅をした本当の理由」

水戸黄門と言えば、未だに人気のある歴史的人物である。

未だに続いている水戸黄門のテレビ番組が何よりの証拠だろう。

しかし、この水戸黄門様には、実は一風変わった都市伝説が存在するのだ。


水戸黄門様と言えば、その家来である、助さん角さんを連れ諸国漫遊、要は、全国行脚をしたというのが通説だ。

しかしこの話、実は全くのデマなのだ。

水戸黄門様というのは通り名であり、実際の名を、徳川光圀と言うが、彼が、江戸を出て、旅をした、という記録などは一切ないのだ。

記録がないからといって、嘘と決めつけるのは、、、と思うかもしれないが、証拠がなければ、その事実もないもとして取り扱うのが、歴史の基本的なスタンスである。

では、なぜこんな話が語り継がれるようになったのか。

それには、ある理由があるのだ。

それが、二人の武将の女性問題。

いつの時代も男は女性に翻弄される寂しい生き物なのだ(笑)

その武将というのが、佐竹義宣(さたけよしのぶ)という武将と、天下を治めた、徳川家康の二人。

当時、佐竹義宣は、超がつくほどの女好きで知られていた。

その噂は凄まじく、当時治めていた、水戸の地に関東中から美女を集め、更にその中から、自分好みの美女を選び、側室にするというトレンディぶり。

そんなこともあり、水戸は当時、男の花園であった。

それに対して、ある意味、羨望の眼差しで見ていたのが、徳川家康だ。

彼もまた、超がつくほどの女好きで知られていた。

そんな彼は、どうしても、水戸の地を手に入れたかった。

そして、時を同じくして起こったのが、天下分け目の戦い、関ヶ原の合戦だ。

その結果は、家康の勝利。

その時、問題になったのが、佐竹の立ち位置だ。

彼は、西軍に付くわけでもなく、東軍に付くわけでもなく、どっちつかずの微妙な立ち位置であった。

それに目をつ付け、家康は、佐竹を東北の地に、ある種の島流しにしてしまう。

こうして、家康の念願であった、花園、水戸を手に入れたのだ。

しかし、水戸について家康は驚愕した。

水戸に美人が一人もいなかったのだ。

なんと、佐竹が全ての美女を連れて行ってしまっていたのだ。

それに激怒した家康は、佐竹に対し、水戸に若い女性を働き手としてよこすように命じたのだ。

そこはプライドがあったのだろう、美女を返せ!とは言わなかった家康は、佐竹よりは多少大人なのかもしれない。

しかし、東北に島流しにあった佐竹にも多少のいらだちがあったのだろう、ブサイクな女性ばかりを送ったのだ(笑)

そこで、家康は水戸に美女を集めるのを断念。

これは余談だが、佐竹が島流しにあった地というのが、今の秋田県である。

秋田美人という言葉があるのは、佐竹のおかげなのかもしれない。

そして、後に、水戸の地を治めたのが、徳川光圀。

しかし、光圀は嘆くわけである。

水戸の地には全然美人がいないではないか、と(笑)

そこで、美女探しの旅に行きたいと周りに愚痴をこぼしていた光圀だったが、それを聞いた周りの人間は、さすがに、一介の当主が、美女を探しに旅に出たいというのは、あまりにも節操がない、ということで、情報を改変し、世直しの旅に出る、という美談にした。

これが、水戸黄門様が、世直しの旅、諸国漫遊の旅に出た、と言われるようになった所以なのだとか。

ちなみに、過去に天下を治めた人間というのは、女好きが非常に多い。

例えば、日本の初代内閣総理大臣である、伊藤博文。

彼も、相当な女好きで、その女好きが行き過ぎた結果、ある出来事を起こしたと言われているのだ。

その出来事は、後の総理大臣の在り方にも影響を与えたほど。






タグ:水戸黄門

2017年10月11日

クリスマス休戦とは?? 第一次世界大戦の戦場で敵兵とサッカーをしていた!?








戦争と言えば、人が人ではなくなり、同じ人間同士が殺し合いを行う、悲惨な行為である。

「始めた時点で勝者はいない」とも言われる戦争だが、過去に多くの死者を出した第一次世界大戦において、都市伝説とも思えるような、出来事があった。

それがクリスマス休戦と呼ばれるもの。


第一次世界大戦と言えば、戦争史において一つの転換期であったと言われている。

その理由の一つが、科学技術の発展による、近代化された戦法だ。

そのため、それまでの戦争とは大きく変わり、短期間による死傷者数が爆発的に増えた戦争でもあった。

約5年間続いた戦争だったが、連合国側(主にイギリスやフランス、アメリカ)と中央同盟国(主にドイツやオーストリア)、双方合して、1000万人近い戦死者(行方不明者を合わせると1800万人近い数に上る)を出した。

そんな歴史に残る悲劇的な戦争において、人と人の繋がりが生んだ奇跡的な出来事が起きた。

それが、クリスマス休戦だ。

このクリスマス休戦というのは、公式の記録に残ってはおらず、当時を知る人間が語り継いだことが始まりで、広く知られるようになったと言われている。

その内容は、人間の”闇”の部分がありありと出る戦場において、奇跡とも言える内容だ。





第一次世界大戦当時、双方それぞれの主要国であった、イギリスとドイツ。

その主要国同士が対峙していた戦場の一つ、西部戦線。

そこでは、鉄条網を隔てて、近距離での打ち合いが続いていた。

そして、奇跡が起きた日とされている、1914年12月25日。

変わらず、鉄条網を隔て戦闘状態にあった両軍であったが、その日の夜、ドイツ軍の最前線から「きよしこの夜」の歌が流れて来たのだ。

戦時中、普通こんなことはあり得ない。

なぜなら、相手側に自分たちの居場所を教えることになるからだ。

しかし、この時は違った。

イギリス側が、その歌声に反応し、一時休戦をしたのだ。

そして、戦闘状態にも関わらず、両軍入り乱れて、談笑や物品のやり取り、更には、宴やサッカーまで行われていた。

戦地にはクリスマスツリーも立てられ、よもや戦場とは思えないような状況。

なぜこんなことが起こったのか。

実は、これには裏話がある。

それが、当時のローマ法王による呼びかけだ。

第一次世界大戦の真っただ中、血で血を洗うその現状に当時のローマ法王は、一時的なクリスマス休戦を提案したのだ。

そして、それをドイツ側が了承。

ドイツ側が主導し、戦場では異例のクリスマス休戦となったというわけだ。

とは言っても、狂気の場である戦場において、最初に歌を大声で歌いだしたドイツ兵は気が気ではなかったはずだ。

どんな気持ちで、「きよしこの夜」を口ずさんだのだろうか。

こうして、クリスマス休戦という奇跡は生まれた。

…が、更に続きがある。

今では美談として語り継がれているクリスマス休戦だが、実は、これが最初で最後となってしまった。

その最大の理由が、イギリス軍側の上層部が、相手との好意的な接触を禁じたからだ。

むしろ、この出来事の反動で、その後のクリスマスにおいては、むしろ攻撃が激化したという噂すらある。

ちなみに、良く勘違いする人がいるが、第一次世界大戦において、日本は連合国側であり、ドイツとは敵国の関係にあった。

ドイツと三国同盟を結んでいたのは、第二次世界大戦においてである。

その第二次世界大戦下において、日本にもクリスマス休戦に負けない奇跡とも言える出来事があった。

それが、ある戦場からの守備隊奪還作戦だ。

日本にとって悲劇的な戦争であった第二次世界大戦では、多くの守備隊が、玉砕という形で戦死している。

そして、同じように玉砕必至と言われていたとある島の守備隊。

島の周りをアメリカ軍の艦隊が包囲し、いつ島に上陸して来てもおかしくない状況。

そんな中において、奇跡の作戦と呼ばれた奪還作戦があったのだ。








タグ:戦争

汚染されたクリスマス








今や日本でも当たり前のイベントとして定着したクリスマス。

しかし、本来の意味でのクリスマスを知っている人は意外と少ない。

そんなクリスマスにまつわる都市伝説を紹介。






クリスマスはイエスの誕生日ではない?!

日本において広く知られる説として有名なのが、クリスマス=イエスの誕生した日というもの。

しかし、実際にはイエスの誕生した日ではない。

そもそも、イエスが誕生した日というのは、様々な通説があり、世界的に特定の日が決められているわけではないのだ。

では、なぜクリスマス=イエス誕生の日という嘘が広まったのか。

それは、クリスマスの本来の意味に由来する。

既にご存知の通り、クリスマスはキリスト教の行事であり、その本来の意味は、イエス・キリスト(=ミサ)の降誕を祝う日である。

しかし、あくまでも降誕を祝う日であって、決して、降誕した日=誕生した日ではないのだ。

恐らく、この降誕を祝うという日の意味を、12月25日=イエス・キリストの誕生した日、と多くの人が解釈してしまったのが原因で、クリスマス=イエス誕生の日という噂が広まったと言われている。


汚されたクリスマス

上で、本来のクリスマスの位置づけを紹介したが、それとは別に、こんな疑問を持ったことはないだろうか?

なぜ、キリスト教徒が少数派の日本で、こんなにもクリスマスが一般に広く認知されているのだろうか?

ましてや、元々、イエスの降誕を祝う日である。

そのクリスマスがなぜ、日本で一大イベントとして広まったのか?と。

それにはこんな都市伝説的がある。

元々、日本では行事として認識されていなかったクリスマス。

しかし、1927年に国民の休日に関する法律が改正され、その際、12月25日が休日となった。

ただし、この12月25日の休日はクリスマスだから休日になったわけではなく、あくまでも大正天皇祭という名目での休日だった。

それに加え、当時の日本は、積極的に西欧文化を取り入れ始めていた。

それが相まって、日本で、12月25日=クリスマスという認識が広く普及したと言われている。

更にこのクリスマスが広く普及した原因として語られているのが…企業による仕掛けである。

企業というのは、一般の消費者にお金を使ってもらうことに心血を注いでいる。

如何に消費者の財布のひもを緩めるかを考えているのだ。

そこで、このクリスマスという世界的に有名な行事に目を付けた。

クリスマスの日には、特別なメニューを用意したり、年に一度の催し物を開催したりなどして、消費者に積極的にお金を使ってもらおうと考えたのだ。

そして、今では、当たり前のようにクリスマスが認知され、親はこぞって子供たちにクリスマスプレゼントと称し、おもちゃなどを買い与えるようになったのだ。

しかし。

この商業的な意味でのクリスマスが過熱した結果、今では、クリスマスが始まる1週間前、1か月前から、イルミネーションが施されたりと、もはや本来の意味でのクリスマスなどどこ吹く風、ただのイベントになってしまっている。

そしてこれは、日本だけの話ではなく、世界的にも似たような現象が起きている。

その現状を表す、こんなエピソードがある。

キリスト教の最高司祭であるローマ教皇。

そのローマ教皇が2005年に異例とも言えるこんな声明を出した。


現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なこと。……
……降誕祭の精神は、「精神の集中」と「落ち着き」と「喜び」であり、この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではない。



イエス様も、天国で涙を流しているのではないだろうか。


モノを売らないフリーマーケット【ココナラ】






タグ:クリスマス

ピカチュウの性別がついに判明!?








ポケモンの中でもダントツで知名度がある「ピカチュウ」

アニメの中ではサトシと常に行動を共にし、その愛らしい見た目で人気も高い。

しかし、一方でほとんどの人はピカチュウの性別を知らない。

それもそのはず、これまでは「中性」という立場を取っていたために、性別がはっきりしなかったのだ。

だが今回、なんとそのピカチュウの性別が判明したという。


これまでのピカチュウは中性的な立場、つまりどちらとも言えないような立ち位置をキープしていた。







オスでもなければメスでもないといった感じで物語は進行していた。

とはいえ声優が女性なので、どちらかと言えば「メス」であるというイメージが強かった。

しかし、あるシーンをきっかけに事態は急変することに。

そのシーンというのが「ダイヤモンド&パール編の142話」と「ベストウィッシュ編の7話」である。

その2つのシーンで、女性タイプのポケモンの誘惑攻撃に、ピカチュウがメロメロになってしまったのだ。

もしピカチュウがメスであれば、女性の誘惑になどメロメロになるはずがない。

そういった理由から、この放送をきっかけに「ピカチュウ=オス」という設定が定着してしまったのだ。

ちなみに、ポケモンの生みの親の人曰く、

「ポケモンは元々性別という概念はなかったが、視聴者層である男の子に合わせた結果、次第に男性化してしまった」とのこと。

つまり、視聴者の多くが男子であったために、ピカチュウをオスにせざるおえなかったというわけである。

あれだけの愛らしい見た目にも関わらず、ピカチュウはオスだったのだ。

残念と言えば残念だが、どうでも良いと言えばどうでも良い(笑)

個人的には、永遠に「中性的」な立場で居続けて欲しかったというのが本音。

まぁ、オスにしろメスにしろ、ピカチュウが可愛いことには変わりないが。

これに関係しているかは微妙だが、一昔前はポケモンと人間が「結婚できた」ということはご存知だろうか?

性別うんぬんという話よりも、よっぽどこっちの方が驚きだろうが、実際に書物に記されていたので、限りなく真実に近いと思われる。




タグ:ポケモン

ディズニーランド園内には裏の顔を持つ恐ろしいミッキーがいる!?









ディズニーランドには数々の都市伝説が存在する。

その多くは良い話なのだが、中には怖い都市伝説もある。

今回話す内容も、まさに怖い方だ。


ディズニーのキャラと言えば「ミッキーマウス」

ネズミをモチーフにした愛らしい見た目で、子供からの人気も高い。

しかし、噂によるとディズニーランド園内には「裏のミッキー」がいるという。

その風貌はとても恐ろしく、同じミッキーだとは到底思えないのだとか。

牙をむき出しにし今にも襲いかかってきそうな雰囲気マンマンだという。

ある子供が「ミッキーがいる!」とはしゃいでいたら、次の瞬間には泣き出し、そこには裏のミッキーがいたという噂もある。

しかし、こういった黒い噂はあまり公には公表されない。

というのも、ディズニーランドは夢の国であり、そういった類の話はタブーとされているのだ。

もし仮に、ディズニーのスタッフに裏のミッキーの話をすると、どこかへ連れされていってしまうという噂もある。

ディズニーからすれば悪いイメージはできるだけ避けたいのだろう。

ちなみに、この裏のミッキーは「ミッキーのネガティブな部分」が現れた、もう1つの顔のミッキーと呼ばれている。

どんな人間にもあるように、ミッキーにも「裏表」があるのだ。

私たちが普段見せられているのは、あくまで表のミッキーで、もしかしたらそれは幻想なのかもしれない。

ディズニーの都市伝説の中には、今回紹介したような恐ろしいものも少なくない。

例えば「ディズニーランド未解決事件多発説」なんかもそう。

世界で最も安全と言われる日本で、未解決事件が多発するというのは、なんとも奇妙な話である。

しかし実は、ディズニーランドには治外法権説があるのだ。

ディズニーはイメージをとにかく大事にするというのは有名な話である。

そんなディズニーランドで「事件」などあってはならないのだ。





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タグ:ディズニー
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