新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2013年08月23日
244. 八代亜紀A ナチュラルローソン・塩トマト・半沢直樹 「はなまるマーケット」
「今朝のおめざ」は
「塩トマト」(1袋 210円) NATURAL LAWSON
トマトを乾燥させてから砂糖とフランス製のロレーヌ岩塩をかけて仕上げているそうです。酸味と甘味が感じられ、柔らかな食感が魅力の一品。
「なぜこれを?」
「あのね、家の横にできたの、ナチュラルローソン…。19歩。1、2、3…19歩。もう最高なの…24時間だし…。八代(やつしろ)の塩トマトは日本一。それを見つけたの」
うーん、八代さんの喋り口調は独特で、歌っているときの貫録は微塵もなく、本当に童女のようです。
「一気に食べないで、少しずつかじるの…少しずつかじってテレビを見るの…これをかじりながら夜ふかしするの」
「コンビニでよく買い物するんですか?」と岡江さん。
「いっぱいする。地元ですから…『ありがとう』って言いに行きました。すごくうれしくて」
ローソン関係者も本望でしょうね、こんなに喜ばれたら。
苦手なメカが少し得意に
メカが苦手でテレビ番組の予約ができなかった八代さん、ついに録画の方法をマスターし、大好きな番組を夜な夜な視聴しています。
「『半沢直樹』録って見てる…ストレス解消」と八代さん。
「『半沢直樹』を見てる八代さんを見たい」と水曜レギュラーのいとうあさこさん。
八代さんがテレビ録画をマスターすることにより、視聴が激減した番組があります。
テレビショッピングです。
夜中にどこのテレビ局でもテレビショッピングの番組を放送していますが、八代さんは、それを熱心に見ていたのです。
出演者が熱心に商品の解説をすると、その熱心さに八代さんは根負けし、「はいはい、わかりました」と電話で注文する、これをほぼ毎晩行っていたそうなのです。ひええ!
「家がドン・キホーテみたいに?」と薬丸さん。
「すごいです」と八代さん。
ああ、衝動買いの人だ、八代さんは。それもかなりの…。ご主人はどう思っているんでしょうか?
ご主人へのアンケート
八代さんが、ご主人「まさとさん」と結婚して20年。もともと八代さんのマネージャーでしたからお付き合いは35、6年にも及びます。
そのご主人へのアンケート
Q「テレビショッピング好きな奥様について」
A「僕の中に3人の貴方がいる。
八代亜紀として…ささやかな喜びの一つならしょうがないか。
妻として…必要なものだけ買いなさい!!
子どもとして…小遣いあげないよ! 」
「(主人は)笑ってますけど…『はあっ!?』って言って…毎日届きますから」と八代さん。
毎日注文すれば毎日届きますよねえ…。
Q「奥様を漢字一文字で表すと?」
A「花 理由 ・たくさんの人に幸せを感じさせる。
・自然の中で生きている。
・めんどうを見ないとしおれる。 」
「めんどうを見てもらわないとどこに行くか分からないし、ほんとに危ないし、知らない人についていって…」と八代さん。
ご主人だと思って腕を取って歩いていて、ふと見たら違う人だった、ということがよくあるそうです。
しっかり確かめない八代さんも八代さんですが、腕を取られてそのまま歩いている男性も男性ですよね…。
ご主人からのメッセージ
「健康でいること、そしてこれからは自分自身に向けての喜び、幸せをもっと作ってください。」
「今すごく幸せなので…仕事もプライベートも。今本当に幸せなので…たくさんの人の前で歌い、家族やスタッフと…今のままでおばあちゃんになれたらいい」と八代さん。
「彼が『社会的なものの心配は全部俺が背負う』って言ってくれてて。『歌と絵だけはしっかりやってくれたら、あとは全部俺が背負うから』…安心してるの」「結婚してよかった」と八代さん。
ご主人は家事もほとんどこなします。
「料理も上手、全部上手」と八代さん。
八代家の冷凍庫にはいつもワタリガニが入っていて、八代さんが「パスタが食べたい」というと、ワタリガニのパスタが出てくるのだとか。大好きなトマトソースで…。
ご主人には、奥様が公的な人物だという認識が濃厚にあって、「八代亜紀に快適な環境を用意し、そして彼女がみんなを歌で楽しませる、その責任が自分にはある」そう考えておられるのだと思います。奥様がこれだけ大物だと、支え甲斐がありますよね。
ニューヨークで八代節
ニューヨークの老舗クラブ「バードランド」で、八代さんはその歌声を披露しました。
500名のホールが2晩ともチケット完売と、大盛況でした。
「スタッフが楽屋に来て『大変です、外人さんばっかり!』」ということが開演前にあったとか。
「なぜニューヨーク?」
八代さんの歌の出発はジャズでした。「10代のころはジャズ、それから流行歌手で演歌歌手」
ジャズは八代さんの原点なのですね。そのジャズのCDを出し、世界75カ国で配信され、アジア圏ではトップ10に入り、そこから「ニューヨークで歌いなさい」ということになったそうです。
「『舟唄』をアカペラでうたったら『鳥肌が立った』」というニューヨーカーもいて、ニューヨーク公演は大成功。
そんなアメリカ公演のライブアルバムが、今日(8.21)リリースということですが、「ええ!今日だったの!?」と驚く八代さん。どこまでも八代さんです。
デビュー当時からトラック運転手の人たちの女神である八代さん。
故郷熊本では「八代亜紀杯」という卓球大会が3年前から始まったということで、八代さんの存在感はますます強まっています。
ご主人との二人三脚がいつまでも続きますように。
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2013年08月22日
243. 村井國夫&音無美紀子 紫藤尚世・しるこ・皿うどん・うつ病との闘い 「はなまるマーケット」
お2人揃って、シックな着物で登場。
「紫藤尚世(しとうひさよ)さん…大好きな着物デザイナーで…20年くらい前から…」
本当に素敵な着物です。こういう着物を着て京都を散策したいと、ふと思うよしろうでした。
「憧れですね…こういうご夫婦は」とどなたかの声。
「いかがですか、ご夫婦でご出演は?」と薬丸さん。
「イヤに決まってるじゃないですか!」と村井さん。(笑)
「朝から恥ずかしがって…」と笑顔の音無さん。
結婚生活37年のご夫婦です。
1976年に31歳と26歳で結婚。「いろいろありました」と村井さん。
「今朝のおめざ」は
「冷やししるこ」(550円) しるこ一平(佐賀県・佐賀市)
厳選された国産の材料にこだわり、きめ細やかな手作りのこしあんと、ふわふわでこしのある白玉の相性が絶妙。創業80年を迎える老舗の夏の味だそうです。
「佐賀のご出身なんですか?」
「生まれは中国なんですが、引き揚げて佐賀で…」と村井さん。
「お母様が大好きで、知り合ったときから行くと一平でいただいたので…」と音無さん。
「お袋の思い出ですよね」
1年に1度は佐賀に帰るという村井さん。
「ここ(しるこ一平)と春駒(食堂)という皿うどん屋さんには絶対行きます。この2つには絶対に行きます」と村井さん。本当にお好きなようです。
春駒の皿うどんは、同じく皿うどんが名物の長崎のものとも違うようです。
ちゃんぽんの麺を油でちょっと焦げ目を付けて、あんをかけているのだとか。
「お野菜がいっぱいで…」と音無さん。
「これは最高です…杉村(春子)先生も大好きで…」と村井さん。
映画「レ・ミゼラブル」のヒットで…
今年になって映画「レ・ミゼラブル」が大ヒットしましたが、以前からミュージカルでも大人気でした。
日本版「レ・ミゼラブル」のジャヴェール役と言えば、村井さん。
40歳のときにオーディションを受けて、再演のときから「13年くらい…100回くらいやってましたね」
映画ではラッセル・クロウでしたが「ラッセル・クロウより、僕のほうがいいです」(笑)いやほんとに。
映画のヒットで村井さんのかつての歌声がYouTubeで視聴されることが増えたそうです。
娘さん(麻友美さん)はお父さんの「レ・ミゼラブル」を見て女優になりたいと思ったそうです。
「ずーっとコゼットの役に憧れてて、女優になりたい、ミュージカルをやりたいって」
麻友美さんはお父さんは絶対反対する、と思っていたそうで、一計を案じました。
「学校の父母会で先生から『お嬢さんは女優さんになりたいと言ってます。どうですか、お母さん、やらしてあげたら?』
麻友美さん、先生からご両親を説得してくれるように頼んでおいたそうです。それで村井さんも認めることとなりました。
「(娘は)舞台の僕が好きだ…家にいる僕は好きじゃない」と村井さん。ジャージ姿でソファに座り込んで動かないのだとか。
6人姉妹
音無さんは6人姉妹の4番目だそうです。
「今度は男、と思って産んだんでしょうね」と村井さん。
普通にしていては埋没してしまう4番目。目立つポジションになれるようにふるまうようになったそうで…。
現在は長女が69歳、六女が56歳。
「よく集まる、けっこう仲がいい…」と村井さん。
姉妹の夢は6人揃って旅行に行くことです。6人となると日程の調整が難しいですよね。
みんな集まると孫の世代を合わせて37、8人になるとか。
「孫の世代の名前が覚えられない」と音無さん。お年玉も大変なので廃止になったそうです。
長女の三田美子さん(あの女優さんと字がちがいますが同名です)がご夫婦のことを評して
「とても仲が良く、美紀子も献身的で円満だと思います。しかし家族が集まったときに、村井さんの古いダジャレに若い家族が戸惑って…」
「それはもうイーデス・ハンソン」「壁に耳あり、クロード・チアリ」と村井さん。確かに古い…。
乳ガン、そしてうつ病
音無さんは38歳のときに乳ガンになり、胸の手術をしました。
「それで人生がガラッと変わり、うつ病になって…」
現在はその時の体験を講演会で語っているそうです。「早期発見、早期治療が大切なので」
「(主人には)助けていただきました。夫婦の絆と言うか…」と音無さん。「うつ病はどうしようもなくて…生きる意欲というか、踏み出す一歩が出なくて…笑うこともできないし、しゃべることもできないし…一歩も家から出ていけないし…苦しかった…」
「『元気を出して』って言っちゃいけないし…ただそばにいるだけで…『死にたい』って言うし。でも何もできない…ただただそばにいるしか…」と村井さん。
「毎晩本当に眠れない日が続く…地獄で…これじゃ死んだほうがましだ…川の字になって寝てたんです…万一を考えて…」と音無さん。
あるとき、村井さんは子どもの顔を見せて「きみねえ、あと5年生きてごらん。まみさんも小学校6年生。弟の面倒を見るようになるんだよ…見たくないの?」と問いかけました。でも音無さんは答えず…。
「あと3年でいいや、3年生きてくれてたらけんたろうも小学校上がるから…見たいでしょ?」
この繰り返しだったそうです。
「1年でいいから生きてよ」「1年なら生きれるかな…還暦を越してしまった」と笑う音無さん。
辛い病を乗り越える原動力になったのはお子さんでした。
「『ママはどうして笑わないの?ママは笑うとかわいいよ…』鏡を見たらひどかったんです」と音無さん。
ここで「今が?」という村井さんのツッコミ。
これに激しく薬丸さんが反応しました。村井さんに詰め寄り
「ここはそういう合いの手を入れるとこじゃないですから!」薬丸さんのヤンチャツッコミです。
でも私(よしろう)は村井さんの気配りを感じました。音無さんの話で緊張感いっぱいの空気を緩和させたかったんだと思います。音無さんの言葉にツッコめるのは村井さんだけですし…。
「それで笑う練習を毎日して…そのうち口紅を付けて、美容院…少しずつよくなってきたんです」
そしてさらに吹っ切るために、まだ幼かった娘さんとお風呂に入ることにしたのです。
「子どもは顔から上しか見ないんです。目だけを見て…うれしくなってぽろぽろ泣いたんです。『ママ、だいじょうぶ、おっぱいは生えてくるから』って…私を慰めてくれて…それで『生きなきゃ』って。気遣ってくれて、5、6歳なのに、大人だなって…」
家族の支えで、音無さんは病を乗り越えたのですね…。
「絶対に治る病気だからあきらめないで、家族の支えが必要、という話を(講演会では)させていただくんです」
夫婦円満の秘訣
夫婦円満の秘訣を問われて「ありがとうとごめんなさい」と答えたお2人。
「ぼくはずっと『ごめんなさい』です」と村井さん。
音無さんは、村井さんが「病気になってくれてありがとう」と言ってくれたことを語りました。
「君が病気になって、生きる意味が分かった。自分が傲慢だったことも分かった。謙虚になれた。人生を2人で乗り越えていこうという気になれた。病気になってくれてありがとう」
そうか…ほんとうに「いろいろなことがあった」んですね。
テレビを見て泣いて、この文章を書きながらまた泣いてしまったよしろうでした。
私ももっと家族を大事にしよう…。
2013年08月21日
242. 中村橋之助 小倉もなかアイス・新歌舞伎座・ダウンタウンヒーローズ・三田寛子 「はなまるマーケット」
5月に奥様の三田寛子さんが出演されて、今回は橋之助さんです。
「今朝のおめざ」は
「小倉もなかアイス」(300円)新橋演舞場内売店(東京都・銀座)
新橋演舞場内の売店でのみ販売されている名物のアイスもなかだそうです。
パリッとしたもなかの食感、、甘すぎないアイスをはさんで、橋之助さんのお好きなお菓子だとか。
「各劇場で名物があって楽しいですよ。皮がパリパリなのは米粉を使っているらしいんです」
「うまいですね」と一口食べて「いかがでございましょうか?」と言う口ぶりが何とも歌舞伎の人らしい艶やかさです。
新しい歌舞伎座
新しく建てられた歌舞伎座は五代目。旧歌舞伎座と比べ、席数が減った分、ゆったりしているようです。
「全然変わりがない…感無量」と橋之助さんが言うのは、舞台から客席を見たときの様子。
それ以外は大きく変わったそうです。
たとえば、前の歌舞伎座には練習場がなかったのですが、今度は立派な稽古場が2つもあります。
そしてとんぼ(空中回転)の練習ができる砂場もあるそうです。
何より変わったのは楽屋。
「楽屋が快適…お風呂が広くて立派…温泉に行かなくてもいいくらい」「ここで生活してもいいと思うくらい…自慢できる楽屋です」
楽屋は30弱ほどあるそうです。
橋之助さんがこんなに歌舞伎座を熱く語るのにはわけがあります。
「若手で『歌舞伎座建て替えプロジェクト』を作り、それに任命されていまして…」
諸先輩方からいろんな意見を受けて、大変だったと思います。
「最初の内覧会のときは声を出して泣きました…うれしくてね…」「こけら落としとして参加できる、こんな名誉なことはない」
あちらこちらに工夫が凝らされた建築物で「100年先まで使える歌舞伎座を作りたいと思い…」と意気込んで建て替えにあたったのです。
3人の子どもたち
3人の息子さんたちは高3、高1、小6。
上のお2人はゴルフ部でゴルフに精を出す、言わば体育会系。
小6の息子さんは絵を描くのが得意な「どちらかと言えば文科系」ということですが、歌舞伎の絵がかなり上手で、「絵が上手いのは歌舞伎には有利」と橋之助さんは喜んでいます。
3人の息子さんがお父さんの「弱点」を語りました。
「ゴルフのスコア」「ヘビ嫌い」「高所恐怖症」
ゴルフの腕前に関しては高3の息子さんに抜かれてしまったようで、悔しがる橋之助さんです。
そして「ご両親はどんな夫婦」には
「父と母はバランスよく、お互いにぼくたちにアドバイスをくれる。母は優しく、時に厳しく、父は一日中歌舞伎のことを考えている、という夫婦です」
橋之助さん、感激した様子で…。
「もっともっと親として応えてやらなきゃいけないと思いますね」そして「絶対にこの3人には負けませんので…よろしく」と気概を示します。
三田寛子さんと結婚して22年ですが、「あっという間…ふっと過ぎました」
思い出に残る初出演映画
「ダウンタウンヒーローズ」(1988年)山田洋次監督
橋之助さんが23歳のときに初出演された映画です。柳葉敏郎さんは27歳でした。
「楽しかった…ろくすっぽ学校に行かないで歌舞伎に入ってしまったので…尾美としのり君なんか、今でも『尾美』って呼び捨てにできる…何とも言えない…」と橋之助さん。
「撮影の3か月間がぼくの高校生活だったような…」
撮影現場で山田監督にヘリウムガスを使ったイタズラをしたのも、やんちゃな高校生が担任の先生にイタズラをしかける感覚だったのかもしれませんね。
この日も和やかな「はなまるカフェ」だったのですが、私がドキッとしたのは、高校生の息子さんが、橋之助さんを評して、「父は一日中歌舞伎のことを考えている」という一節でした。
歌舞伎というのは原則として世襲制ですよね。世襲制といいうのは、たとえば企業でも、せいぜい2代目までで、3代目になると衰退、ということが普通です。
歌舞伎の世界は世襲制を続けているのに、変わらない人気を保ち続けています。一部の特別な趣味の人だけが喜ぶ、ということではなく、橋之助さんもそうだし、故中村勘三郎さんや、先日「にじいろジーン」に出ていた海老蔵さんなど、スターを輩出し続けています。
高校生の息子さんから見て「一日中歌舞伎のことを考えている」その情熱が、世襲制の世界においてどういう仕組みで継承されているのか、どうにも不思議な気がします。
創業者の情熱、というのは分かります。しかし、情熱の再生産、というか、延々継承されているのがどうもよく分からないのです。よしろうの素朴な疑問です。
うーん、これからも歌舞伎関係者のトーク場組は可能な限り見ていこうっと。
2013年08月20日
241. 大地真央 インテリアデザイナー・おススメ中華・スカイツリー 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは東京都・渋谷区・広尾です。
「私が好きな身体にいい店がありまして」と向かったのは
「ISLAND VEGGIE × SAMBAZON ASAI CAFE」
健康と美容をテーマにした女性に大人気のヘルシーフードのお店です。
大地さん、席に着くとぐっさんを見て「痩せられました?」
「うれしいですね!」と喜ぶぐっさん。「自分のことを見てくれているのがうれしい」
「どうやって?」と大地さん。
「ウォーキング…あとはお菓子とか炭酸とかバカスカ食ってたんですよ」
「それをやめられて?」「(それなら)ここはぴったりです」
「アイランドクラシックバーガー(フレンチフライ付)」(890円)
「このハンバーガー、大豆なんです」と大地さん。
ジューシーな大豆ミートと新鮮な野菜の歯ごたえが絶妙にマッチした、身体に優しい、この一番の人気メニューだそうです。
「聞かないと大豆ミートだってわかりませんね」とぐっさん。
「言わないで召しあがっていただいたらよかったですね」と大地さん。
「大事な段取りを…」とぐっさん。
「だいずな?」と大地さん。でたー!オヤジギャグ。宝塚出身者は意外にオヤジギャグ好きが多い。
「サンバゾン・ベリー・ボウル」(880円)
大地さんが来店するたびに必ず食べる一品のらしいです。
カルシウムや食物繊維をふんだんに含むアサイーにバナナやイチゴなど、新鮮な果物をトッピングしています。
「ん、おいしーい!」とぐっさん。「もっとさっぱりしてると思った」ということは濃厚なお味?
ご主人はインテリアデザイナー
2007年、大地さんは国際的なインテリアデザイナー、森田恭通さんと結婚。
家庭での定番メニューは豚しゃぶということなのですが、ご飯は玄米ごはんを食べるようにしているそうです。
大地さんこだわりの食べ方は、玄米をミネラルウォーターに寝かせ、その後浄水器の水で洗い、もう一度ミネラルウォーターに寝かせたうえで炊くというものです。
次に2人が向かったのは
「華都飯店(シャトーハンテン)」(東京都・港区・六本木)
特別な日に来る、大地さんご夫婦お気に入りのチャイニーズレストランです。
1965年にオープンしましたが、昨年六本木に移転してきました。
中に入ると立派な内装ですが、ご主人が手掛けたものだそうです。さりげなく宣伝?いえいえ、たまたま。
以下のお料理がオススメだそうです。
「大海老の香り辣油炒め」(2,500円)
「豚ヒレを使った馬家特製 黒豚の酢豚」(2,900円)
「蟹入りフカヒレとアボカドのスープ」(1,600円)
カニはタラバガニを使用しています。
「華都特製麻婆豆腐」(1,800円)
うーん、どれもおいしそうなものばかり。ちょっと高い?そりゃあ、本格中華ですから…。
東京スカイツリー
次に2人が向かったのは、墨田区押上。東京スカイツリーが目の前にそびえています。
「来たかったんです。初めてなんです」とテンションが上がる大地さん。「(工事をしているときは)よく前を通っていたんですが、完成してからは初めてで…」
高速エレベーターで地上350mの展望デッキへ。
「やあ、すごい。すごいですね…。」
あいにくの雨ですが、雨の夜景も気に入ったようで、「海の底みたい…」と。
お2人はスカイツリーカフェで
「スカイソフト・ライブデザート・ビネガー ふじりんご」(450円)を注文。
夜景のよく見える場所で、食べながらの歓談。
ああ、これってデートじゃないですか。ぐっさんは仕事とはいえ、もっとも多くの女優さんとデートしている男性ではないかと思います。
フロアでぐっさんに小ネタをリクエストする大地さん。すぐにそれに応えるぐっさん。女性に人気があるのもうなずけます。こりゃ、負けたかな?
2013年08月19日
240. 葉加瀬太郎 ピストルズ・古澤巌・東京藝大・劇団四季 「サワコの朝」
「ヴァイオリンという楽器がこんなにも多彩な、いろんな音色とかワクワク感をもたらしてくれるものだということを、日本中にたくさん教えてくださっているんじゃないかと思います」と素敵な紹介をしたアガワさん。
いざ葉加瀬さんが登場すると、
「また一回り大きくなったみたいね…」(笑)
これはひどい。素敵な紹介の後のパンチ。しかし葉加瀬さんは人格者です。
「あんまり変わってないんですけど…高値安定で…」とにこやかに。
チリチリパーマの印象的な頭はバンドデビューのころかららしいです。
「もともとはサラサラのストレートなんですよ」
「柔らかい」と葉加瀬さんの髪を触るアガワさん。
この2人、仲がいいですね、なんというか年の離れた(失礼)姉弟みたいな…。
「何度か(ストレートに)戻すたびに、『葉加瀬に見えない』ってスタッフに言われて…」(笑)
葉加瀬さんは、1968年生まれの45歳。大阪府出身です。
4歳でヴァイオリンを始め、大学在学中に「クライズラー&カンパニー」でCDデビュー。
セリーヌディオンのワールドツアーに参加して世界的な知名度を得ます。
また「情熱大陸」のテーマを初め、次々と作曲。音楽イベントのプロデュース、自身のライブで、年間およそ100公演を行うそうです。
子どものころ
団地っ子として育ったという葉加瀬さん、1週間のすべてが習い事で埋まるという忙しい生活を送っていたそうです。
その習い事の一つがヴァイオリンだったのですが、子どものころ一番好きな番組が「N饗アワー」というクラシック専門の番組でした。
自称「変な子ども、目立ちたがり屋」で、「好きな音楽をやって毎日テレビに出られる。N饗のコンサートマスターになりたい!」というのが当時の夢だったとか。
クラシック音楽ばかり聞いていて、「クラシック命」の葉加瀬さんが毛色の違う音楽と出会うのは、ヴァイオリンを極めるために入学した東京藝大時代でした。
記憶の中で今でもきらめく曲
「アナーキー・イン・ザUK」 セックス・ピストルズ
この曲はクラシック音楽以外の音楽への扉を開いてくれた曲だそうです。
「音のカルチャーショック」「うわあ、パンクすげえ!」
「クラシック音楽を勉強しに大学に来たのに?」とアガワさん。「おもしろいですね、人間の開花の瞬間は…」
葉加瀬青年にとっての疑問は「クラシックは再現芸術に過ぎない」ということでした。
藝大にはいろいろな学生がいました。下宿にいた美術家の学生は真っ白なキャンバスに自分の絵を描いていきます。ピカソに似ていようがマティスに似てようが「自分の作品として創る」のです。
「ぼくの場合にはまず楽譜が必要…18歳のぼくには?がいっぱい付きはじめたんですよ…」
「若い葉加瀬の悩み…カバーミュージシャンっていう気がしてきたのね…」とアガワさん。カバーミュージシャン…なるほど。
ヴァイオリニストと呼ばれたくない
疑問を抱いた葉加瀬青年は担当教授に悪態をつきます。
「先生、ベートーベンに会ったことあんのかい?」(笑)「そういうことになっちゃうんですよ」
葉加瀬さんの中でクラシックだけのヴァイオリンというのはすっかり消えたそうです。
「何か自分で作りたい…ポピュラーの世界に行きたい」
そしてアルバイト先として選んだのが「劇団四季」でした。
オーケストラは壁の中で演奏し、観客から見えてはいけないことになっています。
ところが葉加瀬青年は自分のパートで椅子の上に立ち上がるのです。「目立ちたい!」
「市村正親さんとかは面白がってくれて、かわいがってくれて、『太郎、今日も絶対立てよ』って」
ところが、劇団主宰の浅利慶太さんがやってくると叱られるのです。始末書を書き、ノーギャラ…。
それでもやっていると、思惑通り「目立って」きました。
レコード大賞、紅白歌合戦などで演奏する機会が与えられました。
当時のインタビューでは葉加瀬さんは「間違ってもヴァイオリニストって書いてくれるな…マルチアーティストとか…」
ヴァイオリニストと呼ばれたい…
様々な活動を続けながら、葉加瀬さんは演奏家としての活動は40歳頃には辞めるのではないか、と漠然と思っていたそうです。
それがある人との出会いで180度変わってしまいました。
ヴァイオリニストの古澤巌(ふるさわいわお)さんです。
古澤さんは葉加瀬さんが14歳のころから憧れていたヴァイオリニストで、「果てしなく上手い」「けた違いに上手い」と葉加瀬さんが絶賛する先輩アーティストです。
その古澤さんと数年前に一緒にツアーで周ったのです。
「彼は毎日ヴァイオリンを弾く、どんどん上手くなる」「子どものように『葉加瀬』って来て、『やっとヴァイオリンの持ち方が分かったんだよ』っていうわけ。『何言ってるんですか、古澤さん』って。『これから一
緒にやってみようよ』って…」 毎日少年のようにヴァイオリンに取り組む古澤さんに葉加瀬さんは感動したのです。
「『こいつバカじゃないか』と思うくらい…でもそんな彼に憧れを持ったの…すごく強い…『ヴァイオリンをずっと弾いてりゃいいんだ』っていう。それに勝るものはない、というのを彼が体で教えてくれて…」
そしてある夜、古澤さんがこう言ってきたのです。
「葉加瀬…80になっても一緒に弾こうね」
葉加瀬さんは泣いてしまったそうです。14歳のときに憧れた人と今一緒にいる。その人が「80まで一緒に弾こうね」って言ってくれる…。
「わあっ!ヴァイオリンやろう!って思って、練習し始めて…」
「それまでは?」とアガワさん。
「ヴァイオリンには重きを置いてなかった…40まで弾くんだったらそれでよかった…でも80まで弾くんだったらもういっぺんトレーニングを再開しないといけない」
でも葉加瀬さんはヴァイオリンの名手というイメージがあるのですが…。
「ぼくは葉加瀬しか弾けない弾き方は編み出したと思う…でも普通のヴァイオリニストができることは捨ててきちゃった…」
ロンドンに移住して修業
できるだけ練習に専念できる環境を作るため、葉加瀬さんはロンドンに移住。先生に付いて、ときには叱られながら指導を受けているそうです。「すごく楽しくて…」
大学時代に悪態をついた教授にも現在指導してもらっているのだとか。
葉加瀬さんの目標は「ブラームスのヴァイオリンソナタ」を弾けるようになることだそうです。
「60歳で弾くのが目標なんです」
「今いくつ?」
「45歳」
「15年もあるじゃない!」
「あと15年しかないんですよ!」
「壮大な夢ですよね」とアガワさん。
いやあ、熱い。いい意味で人生はどうなるのか分かりませんよね。
ヴァイオリニスト葉加瀬太郎に期待するばかりです。