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2016年01月10日
595.池脇千鶴 焼き芋にハマって… 「スタジオパークからこんにちは」
1981年生まれ。大阪出身。映画好きの両親の影響で夢は「女優」。小学校の卒業文集にも「将来の夢は女優」と書いたそうです。
転機は中学時代。オーディション番組で8000人の中から選ばれCMデビュー。8歳の井上真央さんと共演しました。
応募してくれたのは風邪で休んでいた友だち。ゼーゼー言いながら、「ちいちゃん、出しといたからね」と電話があったのだとか。
その後、映画「大阪物語」で主演デビュー。憧れの映画の世界に進んでいきます。
「ジョゼ」で演技開眼
映画「ジョゼと虎と魚たち」は池脇さんにとって記念碑となった作品だそうです。
「それまでは優等生的な役だったのが来なくなって...。ジョゼの役を預けて貰って女性からファンレターが来るようになって...」
演技派として認められたのです。
私(よしろう)も「ジョゼ」は大好きです。この映画を見たときから池脇さんのことが気になって...。
焼き芋にハマって
池脇さんは凝り性で、一度ハマるとそればっかり、というところがあるそうです。「長期ではないんですけれど」。
今ハマっているのは「焼き芋」。
小ぶりのサツマイモを買ってきて、朝起きるとそれをオーブントースターに、「30分ほど入れっぱなしで...」。
焼けると保温バッグに入れて現場に持っていくのだとか。
演じるのではなく、「その役に成り切る」ことを信条としている池脇さん。改めてその演技が評価されたのが、映画「そこのみにて光輝く」。
女優としてますます輝く池脇千鶴さんでした!
2015年06月15日
593. 相田翔子A 鉄道博物館・東村山のお気に入り 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは埼玉県・さいたま市・大宮。
1988年アイドルデュオ Winkとしてデビューした相田さん。。現在は3歳の娘さんを育てながら活動中です。
「私の大好きな場所が近くにあるので、ぜひ一緒に行きたいなと思って…」と相田さん。「ぐっさん、好きなんじゃないかな、と思って…」「私は大好きで、月イチくらいで来るんですけど…」
近くまで来て、「1度来ました、家族で」とぐっさん。
「鉄道博物館」(入場料金 一般 1,000円、小中高生 500円 税込)
「うちの娘、鉄子なんですね」と相田さん。もちろん「鉄道大好き少女」という意味ですが、ぐっさんは名前だと勘違い。「名前じゃないです!」と相田さん。(笑)
「…失礼しました」と頭を下げるぐっさん。
広い館内には実物車両がたくさん並んでいます。
「もともと好きだったんですか?」
相田さんのお父さんは航空機マニア。ご主人も同好の士で、やがて興味は乗り物全般に波及したそうです。
大正時代の在来線に乗り込む2人。
「ここに居たい」と相田さん。「ここに住みたい」
ブルートレインの寝台車にも興味を示す相田さん。アイドル時代に仕事の帰りに利用したことがあるそうです。
「おじさんの隣りで…」と何やら過激な発言。「朝になったら着くんです」そりゃそうでしょ。この辺り、よく分かりません。さらに、高校時代の体験談が強烈です。
「吊革持って立ってたら、急にクルーンとなって、おじさんの上に座って…」「制服着たまんま、立つに立てなくて、一駅ぐらい座ってた」
「すぐ立たなあかんでしょ!」と興奮するぐっさん。(笑)すごいですね、相田さん。
お気に入りのお店
次に2人が来たのは東京都・東村山市・秋津町。
「私の地元なんです。生まれ育った街で、毎日ここの商店街を歩いてました」「ぜひぐっさんをお連れしたいお店がありまして…」
「ホームベーカリー サントアン」
店に入るや店主らしい男性とハグする相田さん。「会いたかった、手塚さん…」
高校生のときにこのお店でアルバイトをしていたそうです。そこでいろいろな失敗をしたとか。
「私がすごい上がり症で、表が苦手で、『裏をやらしてください』と調理パンを作ったり…」
忙しいときに表に出て接客。緊張して、グシャグシャに切ったトーストを売ってしまった…。
「表はダメだったですね」と相田さん。
「なんでこの世界入ったん!?」とぐっさん。確かに!
もう一軒のオススメの店は…
「カツ丼好きですか?」と相田さん。「美味しいカツ丼屋さんにお連れします。泣きます!」「日本一おいしいカツ丼…」
「大村庵」創業48年のお蕎麦屋さん。相田さんは子どもの頃から通っているとか。
相田さんはカツ丼と同時にここのカレーも食べたくなるそうです。
「2大ワンパクメニューですよね、ガッツリの」とぐっさん。
両方頼んで家族でシェアするのだとか。
「カツ丼」(1,000円 税込)
「大変だった時とか、嬉しかった時とか、全部詰まってる…」と相田さん。
「カレーライス」(700円) そばつゆがしっかり効いたお蕎麦屋さんのカレーです。
「いろいろ思い出すなあ」と相田さん。しんみりした表情。
航空機や鉄道など、家族共通の趣味を楽しむ相田翔子さんでした!
2015年06月13日
592. 井上真央 動物王国・「まれ」チームからケーキ調達・お菓子箱 「あさイチ」
現在NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」に出演とあり、艶やかな着物姿です。大河の撮影はもう10ヶ月続いているということで、かなりお疲れではないかと思うのですが、爽やかな笑顔です。
子どものころからの夢
動物が大好きな井上さん、「動物に囲まれながら暮らすというのが、今の夢でもあるんです」「小さい頃からも夢だったんですけど、ほんと好きで、今でもいつかは大きいお家を建てて、そこにいっぱいの動物たちと…」
「何王国にします?」と井ノ原さん、
「真央ゴロウ王国」と井上さん。(笑)
動物を世話する大変さを強調する有働さんですが。
「いろいろ資格も取っておかないといけないと思うので」と井上さん。
「そこまで考えてるんですか?」と有働さん。
「そこから始めて、ちゃんと責任を負える立場になってから、みんなと…」真剣ですね。
スイーツでストレス解消?
大河ドラマの隣りのスタジオで、朝のテレビ小説「まれ」の撮影が行われているそうなのですが、「まれ」はパティシエを目指す主人公がスイーツ作りに挑戦するドラマ。そこにはたくさんのスイーツがあります。
「こっそりスタッフさんに、今日ケーキが出るか出ないか、情報を聞いて、『今日はある』というその時間にウロウロすると、『まれ』チームの皆さん優しいので、くださったりするんですよ」と井上さん。「大泉さんだけですね、『向こうへ行け!』って言うの」(笑)
「仲良いですね、隣りのスタジオ同士…」と井ノ原さん。
お菓子箱を設置
「花燃ゆ」のヒロインは井上さん。ドラマの主演のことを「座長」というらしいのですが、座長として「スイーツ調達」だけではなく、誰でも気軽に手を伸ばせる「お菓子箱」も設置しているそうです。
半透明の6段のトレイに、おかき、飴、駄菓子、洋菓子(個包装)等がギッシリ詰まっています。
「なかなかここまで揃っていないですよ」と井ノ原さん。「業者ですよ、これ」
「よく食べる人って誰ですか?」と有働さん。
「意外と…、大沢たかおさん」(笑)食べ方がダイナミックだそうです。大きなフタのついた菓子箱を抱えて食べるという。
お土産を買ってきて詰めてくれる人もいるのだとか。「お菓子箱」は大成功のようです。
多大な影響を受けた人
井上さんがドラマデビューをしたのは5歳。女優を志したのは8歳!のときだったそうです。
その作品がBS日曜ドラマ「藏」(1995年放送)。
この作品で監督からすごく怒られる、ということを経験。同時にそれをフォローしてくれる人もいて、現場の厳しさややりがいなどを体感したのだそうです。そして、放送を近所の人たちと一緒に見たときの反応。
「近所のおじちゃん、おばちゃんとかが泣いてたりする姿を見たときに、自分の演った作品で誰かが感動している、というのを初めて感じたので…」「素敵なお仕事なんだな、と思って…」
「藏」で共演し、「花燃ゆ」で20年ぶりに共演したのが檀ふみさん。
8歳の井上さんに寄り添って、着物の着方や立居振舞いを指導したのが檀さんだったそうで、「勉強はちゃんとしなさい。大学にも行った方がいいよ」という助言もしてくれたそうなのです。素直な井上さんはその助言に従い、女優業の傍ら、大学にも進学・卒業しました。(明治大学・文学部卒業)
「そのときの言葉がすごく印象に残ってました」と井上さん。
「花燃ゆ」制作発表のときに檀さんと再会した井上さん、泣きそうなほど感激するとともに、立居振舞いで駄目出しされるのではないかと緊張もしたとか。
一方の檀さんは、8歳の頃の井上さんにどんな印象を持っていたのでしょうか?
「とにかくかわいくて、頑張り屋さんで、飲み込みも速いし、吸い取り紙のように大きなお目々で全てを吸い取る。何かを吸い取ろうとする力が小さいときも強かったですね」とコメントする檀さん。
そして現在の井上さんに感心するのは「集中力がすごい。セリフがリハーサルの時からバッチリ入っている…」
8歳から志した女優業。その甲斐あって女優としての王道を進んでいる井上真央さん。本当にすごい…。
2015年06月07日
586. 鈴木京香 父の愛・辛かった朝ドラヒロイン 「徹子の部屋」
「お父様はどういう方だったの?」と徹子さん。この質問の前には、お父さんが結婚前にお母さんに送ったラブレターの話があったのですが。
「父は…」と言って微笑む鈴木さん。「ふざける人でした」過去形なのはすでに他界されているからです。
「子供たちの前でも、大人同士の集まりでも中心になって、楽しいことを喋る人でした。目立ちたがり屋」(笑)
PTAの役員なども大喜びで務めていたそうです。行事の際の挨拶では「オジさんのギャグをいっぱい盛り込んで…」「その当時は本当に恥ずかしかった…」
「でも、あなたがモデルになるときにはとっても反対なさったんですって」と徹子さん。
「母は認めてくれてたんですけど、父は最後までOKと言わなかったんですよね」と鈴木さん。「目立つことが好きな、楽しい父なのに、なぜ私はいけないのかと思いましたけれど…。心配だったんでしょう」
そのお父さんが変わったのは、NHKの朝のテレビ小説への出演が決まってからだそうです。「君の名は」鈴木さんがヒロインを務めました。
NHKの番組関係者が宮城の実家に挨拶に来たとき、一番張り切って応対したのがお父さんだったのだとか。
「それを機会に私も安心して仕事の話を家族の前でするようになりましたし、父も私が帰郷するときには、色紙をたくさん持って、待ってくれるように…」
大変だった朝ドラヒロイン
そうして始まった朝ドラですが、予想にも増して大変だったそうです。1年に渡る出演でした。
「皆さん、きちんとお仕事のことを考えている方ばっかりだし、お上手だし、私一人だけなんだかボンヤリしてたので…」
2月から始まった撮影で、落ち込みが始まったのは4月。
「落ち込みまして、あと何カ月あるんだろう?指折り数えて…」「頑張らないといけない、と思うんですけれど、翌日またセットの隅で指折り数えて…」「もう、田舎に帰って就職することになるかな、と思ったことはありました」
辛い日々の中で気付いたことがあったそうです。「みんなが自分に教えてくれている」ということと、「自分もみんなのように仕事ができるようになりたい」ということ。「出来ないというのは情けないと、冬になった頃に思って」
「よく頑張って…」と黒柳さん。
「今となってみれば、かけがいのない時間だった、と」と鈴木さん。
7人の子どものお母さん役
映画「おかあさんの木」では、戦地に息子たちを送ったお母さん役を演じました。教科書にも載っている児童文学の映画化です。
「とても悲しいお話ではありますけど、子どものことを思う母親の強い愛情を感じてももらえますし、本当に切ないですけれど、忘れてはいけないことだなあ、と」
鈴木京香さんもお母さんを演じる年代になりました。女優の道を確かな足取りで歩んで来られたのですね。
2015年06月06日
585. 麻生久美子 踊りまくる・超自然児・今村監督 「あさイチ」
出演映画は60本以上とのことですが、その才能が開花したのは巨匠今村昌平監督の「カンゾー先生」(1998年)。
20歳で日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を、市場最年少で受賞。「映画に出続ける女優になってほしい」という今村監督の助言もあって映画中心に活躍してきました。
最新作「ラブ&ピース」で65作目だそうです…。すごい数ですね。
家で踊りまくる
ちょっと元気が出ないとき、麻生さんが家で実行するのは、「踊りまくる…、音楽無しで…」
これを始めた頃はまだ子どもはいなかったそうですが、今は子どもも一緒になって踊ってくれるのだとか。「嬉しそうな顔して…」「子供がいるときは音楽をかけたほうがノリノリになってますね」
少女時代「自分は世界一かわいい」と思っていた麻生さん。夢はアイドルになることだったそうです。
「イタい子だったんです」(笑)
ですから今村監督のこともよく知らなかったそうで、「おじいちゃんに会いに行こうか?」とマネージャーに言われてオーディションに出かけたという…。それがよかったのかもしれませんね。
超自然児
麻生さんは千葉県・山武市出身。かなり自然に溢れたところでおてんばに育ったそうです。
「こういう(森の中の)道を小学校の時とか、ずっと歩いて通って…」「街灯が無いから怖くて…」
夏休みは「崖登ったり、川でタニシ取ったり、ザリガニ釣ったり…」ザリガニは茹でて食べていたとか。「甘エビみたいな感じで…」
パンの耳で釣っていたそうです。「ウジャウジャいたから…」
道路で寝っころがってクルマを止める遊びもしていたそうで…!
「道路があったかくて気持ちよかったんです。そこへクルマが来て止まるじゃないですか?それが気持ちよかったんです」
「僕は死にましぇん!とか?」と井ノ原さん。(笑)ウケましたね。
麻生さんはお母さんに「激しく」叱られたとか。「夜、木に縛り付けられて」
今は自分も母親になり、「母の気持ちが分かる」と麻生さん。
女手一つで育てられた麻生さん、初給料をそっくりお母さんに手渡したそうです。
映画に出て続けて自分の演技に限界を感じていた麻生さんがオファーを受けたのがドラマ「時効警察」(2006年)。コメディ出演というチャンスもモノにして更に演技の幅を広げましたが、その奥行きの素地は少女時代にあったのですね。これからも楽しみです。
2015年06月01日
583. 樹木希林 エピスカネコ・お気に入りブティック・ぐっさんへの思い 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは東京都・港区・西麻布。
「…いやあ、ずっと興奮しておりますが」といつになく緊張気味のぐっさん。
「初めまして」と2人。
「今日はあなたをどこかへ連れていけ、ということなので」と希林さん。(笑)
「いや、ほんと…、お世話になります」とぐっさん。
お気に入りレストラン…実は
「ここに、こういうレストランとか、あるんですけれど」と希林さん。
「エピス カネコ」
「カッコいい!ここ」とぐっさん。コンクリート打ちっ放しの外観です。
「実はね、ここはね、私が住んでたところなの」と希林さん。「今、大家やってるんです」(笑)
希林さんが引越しを考えているとき、知り合いのシェフが店舗を探していると聞き、自宅をレストランとして使うことを提案したそうです。
希林さんたちが住んでいたときの雰囲気を残したままレストランにしたのだとか。
「そうとうモダンな形の…」とぐっさん。
「でもね、税務署が、(この家が)建ち上がってすぐ来てね、『奥さん、これ内装したら良くなるよ』って言って」(笑)「昭和51、2年でしたからね」
この店では屋上で野菜を栽培。その野菜を使った料理が希林さんのお気に入りです。
まずは生ハムを載せたサラダ。マイ箸を取り出した希林さん。自分は箸で食べ、ぐっさんの前にあった箸を取り除けます。「食べにくいのを見たいから」(笑)
「なんちゅうイジワルや」ぐっさん。(笑)嬉しそうな希林さん。それでも、
「生ハム、美味しいです」ぐっさん。
「私、午前中は食べないんだけど、スタッフが『連れてけ、連れてけ』って言うから」と希林さん。(笑)
こちらのお店の紹介です。http://hitosara.com/0006056181/
30年以上通うブティック
さらに次の店へ。
「PRESS・601」希林さんが30年以上通うブティック。ここのご主人といろいろ話をするのが希林さんは好きなようで。
デザートを持ち込み、コーヒーを飲みながら新作映画「あん」を語る希林さん。お孫さんの内田伽羅さんも出演しているのですが、そのオーディションへの参加を押したのが希林さんだそうです。
このあと、希林さんは愛車を運転しながら、趣味の「物件巡り」に出かけます。車中でぐっさんにしんみり話しかける希林さん。
「あのう、実はね、この間、西城秀樹くんの、還暦のお祝いにあなた出てらしたでしょう?」と希林さん。
希林さんと西城さんは、大人気ドラマ「寺内貫太郎一家」で共演した仲です。お祖母ちゃんと孫。
「小林亜星さんと、浅田美代子さんの3人で行かせていただいて」と希林さん。「…山口(ぐっさん)さんが中心になって、あの会を盛り上げてらっしゃった、『ああ、いいヤツだなあ』って山口さんのことも思いましたねえ」「ちょっと今日ね、なんかの時に言いたくって」
「ありがとうございます。光栄です」とぐっさん。
「私自身もこういう状態で、ガンというものを持って、還暦のお祝いの席で出会うとは想像もしていなかったですけども、こういうふうになった、あるいは変化することも含めて人間だなあって…。見ていただくこともあっていいんじゃないか、っていうふうにね、思ったんですよ」「ファンの人と一緒に歳をとって、その時代を見ていただくことも、一つのお役かな、って思ったのね」
そしてやってきたのが、
「旧前田家本邸」(目黒区・駒場・駒場公園内)
昭和4年に旧加賀藩前田家16代当主が、当時のヨーロッパ建築の粋を集めて作った建物。国の重要文化財に指定されています。
東洋1の邸宅を見て回る希林さん。これが趣味の「物件巡り」。見ながらその人の人生を想像するのが楽しいのだとか。
いやあ、まだまだご活躍の続きそうな樹木希林さんです。
2015年05月22日
580. 安藤玉恵 初めてのトーク番組・外交官が夢だった・「あまちゃん」で有名に 「スタジオパークからこんにちは。」
本日のMCの清水ミチコさんとは初対面ですが、安藤さんは中学生の頃に清水さんのモノマネをしていたのだとか。
トーク番組が初めての安藤さん、「帰りたい…」(笑)
安藤さんが有名になったのはドラマ「あまちゃん」の北三陸・観光協会の栗原ちゃん役ですが…。
「もともとひょうきんな性格だったんですか?」と清水さん。
「どちらかと言えばそうですね」と安藤さん。
「そうでなければ出ない味ですよね」と清水さん。
演出家から、「ここは笑わせてください」と要求され、体当たりで演じたこともあったのだとか。
その味は現在放送されている「植物男子ベランダー」でも遺憾なく発揮されています。S気味の花屋の店長を好演しています。面白くするためにいろいろなアイデアを出しているのだとか。
安藤さん、この番組で植物と触れ合ううちに本当に植物が好きになり、今や貸し農園で植物を栽培しているのです。
「ベランダーをやらなかったらやってないですね…」
夢は外交官
安藤玉恵さんは1976年、東京都・荒川区に生まれました。実家は下町のトンカツ店。お父さんが49歳のときの子どもで、とても可愛がられたそうです。
小学生の頃は大人びた性格で、商店街で焼き鳥を焼いているおばさん相手に「人間関係に疲れちゃって…」と相談するような子どもだったとか。(笑)
当時の夢は外交官になること。国連・難民高等弁務官の緒方貞子さんに憧れたそうです。
「日本人で外国語を操って世界のために活躍している姿…カッコいいな、と思ったんですよね。憧れちゃって」
また、お父さんが英語に堪能だったことも影響していたのだとか。「独学で勉強していて」
お父さんと2人でラジオの英会話を聞いたりしたそうです。
中学・高校と勉強を続け、上智大学・ロシア語学科に入学。
夢に向かって突き進んでいた安藤さんですが、大学を1年で辞めてしまいます。
「なんでですか?」
「これがですね、分からない!」と安藤さん。「行ってみて、楽しくならなさそう、とか…。」
「夢に向かって努力し、やっと合格したのに…」
「ちょっと…、そういうことってあるんですね」と安藤さん。(爆笑)
「こっちが聞いてるんですよ」と伊藤アナ。
「なに、その無責任さ…」と清水さん。(笑)本当に他人事のような言い方で…。
しかし、お母さんから大学は出ておいてほしいと言われ、今度は早稲田大学に入学。
「超頭いいんですね」と清水さん。
「勉強は好きだったんですね」と安藤さん。
演劇にハマって
大学で友人に誘われ演劇サークルに参加。軽い気持ちで始めたところ、「ハマっちゃって…」
即興芝居が面白くて仕方がなかったのだとか。
早稲田は「卒業しました。面白くて…」
演劇一筋の安藤さん。劇作家・演出家のタニノクロウさんと2007年に結婚。小学生2年生の息子さんがいて、一緒に舞台や映画を見に行くそうです。
家庭では料理好きな奥様・母親。外に出ると注目の人気女優。外交官に憧れたはずなのに、人生って分かりませんね。
2015年05月13日
577. 吉田羊 阿佐ヶ谷・通い続けたお店・着物・パンケーキ 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは東京都・杉並区・阿佐ヶ谷。
「初めまして」と握手した吉田羊さん、 「温かい、手が!」と一声。
「ずっと握っていただいても大丈夫です」とぐっさん。「嬉しい…」
阿佐ヶ谷は吉田羊さんが7年半住んでいた街だそうです。
「(劇団の)旗揚げ公演をやった劇場が(駅の)向こう側にあるんです」
劇場に近いのは便利だということで住んでいたのだとか。
通い続けたお店
ゆっくり歩いたのは、阿佐谷新進会商店街。
「変わらないお店もあれば、変わったお店もあって…」それはそうでしょう。
着物が好きな吉田さんがよく来ていたのが、
「今昔きもの grape 阿佐ヶ谷店」
「わたし、阿佐ヶ谷に住んでて、こちら、何度も来てるんです」と吉田さんが言うと慌てるご主人。「また遊びに来てください」
吉田さんが大好きなお店が、
「だいこん屋」和風創作料理のお店。
吉田さんは劇団員時代、毎日のようにこのお店に通っていたそうです。今回訪れたのは10年ぶり。
「住んでた当時、夜な夜な舞台の稽古帰りに寄って…」と吉田さん。「東京のお父さん、お母さんみたいな感じで…」「ご無沙汰して」と恐縮すると、
「毎日テレビでお会いしてます」と女将の松本昭子さん。「美人さんだけど、気さくで気取らない」
「キュウリ・ミョウガもみ」(378円 税込)
吉田さんが必ず注文した一品。
「(キュウリを)カブトムシばりに食べますよ、ムシャムシャと…」と吉田さん。
「ん!おいしい!なんだろ、これ」と、10年ぶりに食べた吉田さん。「絶妙でしょ、これ」
「しゅうまい」(324円)これも必ず注文した一品だそうです。
「しゅうまいって、ギュッとしてるイメージでしょ。これ食べるとフワフワなんですよね」と吉田さん。「たぶん練るとき、空気入れてる」
ここですかさず女将さん、「そんなもんじゃない…」(笑)
稽古が終わるとここで食事をし、あまり深酒はせず、帰宅していたそうです。
アンティーク着物
次に2人が向かったのは、渋谷区・原宿。
着物が好きな吉田さん。「時々買いに来るお店が、この通り沿いにありまして…」
「壱の蔵(いちのくら) 原宿店」リサイクル着物の専門店。いわば着物の古着ショップ。
「ちょっと(着物に)変身してみたいな、と…」と吉田さん。
「僕も?」とぐっさん。
「もちろんです。男の人にこそ着てほしいんです」
店内にはアンティークな着物のほか、帯や小物がいっぱい…。
「ここに来ると何か見つかるんです」と吉田さん。「私は特に大正時代のものが好きで…」
店のご主人のアドバイスも受けて、見事に変身した2人。その姿で原宿を闊歩することに。原宿キャットストリート。
「いいですね、このあたり、気になる」と街並みを見渡すぐっさん。
「いちいちオシャレですね」と吉田さん。「でも、私たちも今日、負けてないと思いますよ」確かに。
「今、原宿でもいちばん目立っているカップルでしょうね」とぐっさん。
「RAINBOW PANCAKE」行列の絶えない人気のパンケーキ屋さん。
「ぐっさん、私パンケーキ食べたい!」と突然小さく叫ぶ吉田さん。パンケーキを食べたことがなかったそうです。
2人が注文したのは、
「マカダミアナッツソース」(1,250円 税込)
「B・L・R・T 目玉焼きトッピング」(1,500円)
「いくらでも食べられる」「朝ごはんに毎朝食べたい」と、パンケーキをひたすら口に運ぶ吉田さん。
冷え取り健康法にハマっているという吉田さん。その効能を熱く語ります。ただ「洗濯物が靴下でいっぱいになって…」(笑)
着物を来て一人で花見のはしごをしたり、一人カラオケで熱唱と、一人で過ごす時間を大事にしている吉田さん。大事な充電時間のようです。
素敵だなあ、吉田羊さん…。
2015年05月05日
574. 加賀まりこ 元祖小悪魔女優・最愛のパートナー・お父さんの作った映画 「徹子の部屋」
「角(かど)無くなった?」と黒柳さん。
「徹子さんは私のこと、すごく角角(かどかど)しいと思ってたかもしれませんが」と加賀さん。
「思ってた」とすかさず黒柳さん。
「徹子さんと共通の知り合い、例えば沢村貞子さん、山岡さん、池内さん…、一緒のお友だちが多くて…、多分ね、その方たちに訊いていただいたら、そんな角じゃないタイプだと思うんですが…」(笑)
「…若いときにね、すごい不良だったと思って…」と黒柳さん。バトルが始まるのでしょうか?大変なオープニング。
「…『キャンティ』というお店に、ただずっといただけの不良で…」と加賀さん。
「あのころあの辺でうろうろしてると、なんとなく不良で」と黒柳さん。
一緒に仕事をする機会がほとんどなかったそうです。そこから生まれた誤解?偏見?それとも正しい理解?
ニューヨークに行っていた黒柳さんが書いていたエッセイのファンだったという加賀さん。やっといい感じのトークになっていきます。
ここで加賀さんの趣味の話に。読書とマージャン。意外にも(失礼)お酒は全く飲めないそうです。
マージャンをしているとお芝居のプレッシャーが和らぐのだとか。
最愛のパートナー
マージャン仲間は12年間一緒に暮らす最愛のパートナー。そしてあと2人メンバーを見つけて没頭するそうです。
パートナーは本当に優しい人で、なにかあるたびに「大丈夫?」と加賀さんを気遣ってくれるのだとか。「大丈夫に決まってるじゃない!」と言い返す加賀さん。(笑)猫とパートナーが加賀さんの家族。
「本当にすごく幸せです」と加賀さん。「なんか年取って、こんなにいいことがあるなんて考えもしなかったから…」
5年間、加賀さんの方からアプローチしつづけたそうです。
「『僕、女優さん好きじゃないんで』って言われて?」と黒柳さん。
「そうなんです、仕事が、演出家なんで、あまりね…」と加賀さん。女優さんに対し良い印象を持ってなかったのだとか。
「良い日々が来たのは本当よかったですよね」と黒柳さん。「波瀾万丈だったですよね」(笑)「私がかってに波瀾万丈だったと思ってる」
「みんな波瀾万丈じゃないの?」と加賀さん。「私たちは書かれたりするから…」
強烈な個性ゆえに若くして大人気となり、いろいろ書かれ、その個性ゆえにいまだに芸能界で活躍し続けている加賀さん…。
お父さんも映画人
小悪魔的な魅力で大人気だったデビュー当時。大胆な言動で世間の注目を集めた加賀さんですが、お父さんの加賀四郎さんも大映のプロデューサーとして数々の映画に関わってきました。
そのお父さんが愛読していたのが映画の専門誌「キネマ旬報」。その「キネマ旬報」の「助演女優賞」を、映画「泥の河」(1981年)での熱演で加賀さんが受賞しました。
「父が生きていたら一番喜んだ賞だろうな、と思って」と加賀さん。その数年前にお父さんは他界していたのです。
そのお父さん、戦前に自身のプロダクションを設立してミュージカル映画を制作したことがあったそうです。
「鋪道の囁き」という、当時の日本映画としては大変お洒落な、ジャズを前面に出したミュージカル映画でした。
ところが松竹映画などからスター俳優を引き抜いたために、劇場で上映できなかったそうなのです。
若き日の加賀さんが松竹からデビューしたとき、社長に「ふうん、お前が加賀の娘か…」と言われ、「なぜ、こんな言われ方をされるんだろう?」と思ったそうですが、そういういきさつがあったのです。
そのフィルムが長い間アメリカで保存されていて、アメリカの文化省から加賀さんあてに電話がかかってきたのだとか。プロデューサーの加賀という名前を手掛かりに、「加賀四郎はあなたの父親なのか?」という電話でした。
父の映画を見た加賀さん、「その当時としては音も良いし、オシャレで…」と、昨年神楽坂の映画館で上映したそうです。
「やっと陽の目を見て…」
加賀さんを支えてくれたお父さんに親孝行ができたのですね。
奇妙な偶然
今も女優として活躍し続ける加賀さんですが、昨年の暮れ、舞台出演の打診を受けました。
「かつて日本で作ったけど、上映されなかった映画がアメリカで見つかって…」という筋書きの舞台…。その話を聞いたとき、加賀さんは大変驚いたとか…。そりゃあね。
関ジャニ∞の横山さんと共演の舞台「ブルームーン」は、加賀さんにとって、因縁を感じさせる作品だそうです。
これからもますます活躍されそうな加賀まりこさんでした。
2015年04月15日
569. 木村佳乃 築地・子育て・ポールダンス 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは築地市場。
「私、来たことなくて…、食べるの大好きなんですけれども、食べてて『おいしい!これどこで?』って聞くと、必ず築地って答えが返ってくる」と木村さん。
「いつか行きたいと思っていて…」
2人が歩くのは築地場外市場。たくさんの人…。
いろいろなものに目を留める木村さん。「うちの子、昆布が好きで…」二児の母です。
「山長」玉子焼き専門店。1本100円の串玉(玉子焼きを串に刺したもの)をほお張る2人。
築地市場にはロケでも来たことがないと言う木村さん。「敷居が高いと言うか…」
大阪出身のぐっさんも築地では気合が入ると言います。
「築地ハレの日食堂」海鮮焼きのお店。2人が買ったのは、
「マグロステーキ」(1本500円 税込)串に刺さった豪快なマグロ。
「この500円って」…と木村さん。「安いと思う」とぐっさん。
この後、乾物店で昆布を買い込む木村さん。「もう食べるのは終わり?」と思っていると、
「味の浜藤 築地本店」揚げ物のお店です。
1番人気のもろこし揚げを食べる2人。
「もろこし揚げ」(1個320円 税込)
「行ってきまーす」と木村さん。「いただきます」と間違えたのですね。(笑)なんか可愛らしい…。
「甘いですね」とぐっさん。「とうもろこしの甘みが…」
子育て
現在1歳と3歳の娘さんを育てている木村さんが、ぐっさんに子育てのコツを尋ねます。「絶対いいパパだと思うんです」
子育てにはお金をかけないほうがいいというぐっさん。「遊びボックス」の話をします。ボックスの中にいろんな紙が入っていてそれを子供に引かせるのだそうです。
「ボタン」という紙が出ると、子どもがぐっさんの体を触ります。するといろんな音が出るという…。たまに奇声を発して子どもを驚かせるのだそうです。
木村さんも、絵本を見ないで、まるでそこに絵本があるかのようにお話しをする、ということを実行しているそうです。話がどんどんふくらんでいくのだとか。
ポールダンスに挑戦
次に2人が来たのは港区・赤坂。
ちょっとセクシーなポールダンスに興味があるという木村さん。
スタイルの良いインストラクターからダンスを習う2人。インストラクターは長身でグラマーな外国人女性。ポールに絡まる木村さんのなんと細いこと!
子育てが結構大変なはずなのに、明るく自然体の木村佳乃さんでした。
それにしても今回の「ぐっさんを連れて行くならこんなトコ!」は私には大変興味深いものでした。と言いますのも3月末に2泊3日で東京を周遊してきたからです。
行ってきたのは、浅草、築地市場、銀座、国会議事堂(参議院を見学)、東京都庁(昼食)、東京大学(本郷、昼食)、早稲田大学、慶応義塾大学(三田)、下北沢、東京タワー、神楽坂、そして鎌倉と、大変な強行軍でしたが、散歩が大好きな私には本当に楽しい時間でした。
午前10時頃に訪れた築地市場・場外市場の活気は「にじいろジーン」で見た通りでした。
京都が大好きな私(よしろう)ですが、ドラマやロケの舞台は東京が多いので、彼の地を訪れておくとテレビや映画を見るのがまた味わい深くなりますね。
印象に残ったのは…、築地市場のすぐ側に朝日新聞東京本社ビルがあり、その側に浜離宮恩賜庭園があり、しばらく歩くと銀座に出るという…。東京の濃さは半端じゃないです。