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2015年04月27日
572. 佐藤健A 初原宿でスカウト・髪型は変える・ミスチル 「サワコの朝」
ドラマ「天皇の料理番」のために髪を短く切っています。
「まぁスッキリしちゃって。」とアガワさん。
「スッキリしました。ドラマの役で短くしました。」
「…明治の若者みたいになっちゃって…でもいいねえ」
「本当ですか?ありがとうございます」
1989年生まれ。26歳。埼玉県出身。
19歳の時、ドラマ「Rookies」で注目を集め、大ヒットとなったドラマ「とんび」(2013年)では主人公の一人息子を好演。主演を務めた映画「るろうに剣心」では激しいアクションが話題となりました。
髪型がどんどん変わっていきますが。
「髪型に関してはこだわりがあるんですか?」
「…どんどん印象を変えていきたいな、と思っていたので、髪型は変えていくように心がけていました」と佐藤さん。「イメージが付くのが嫌だったんです。『佐藤建ってああいう人だよね』って。そういうふうに思われるのが嫌だったので」「誰だか分からないくらいに思ってもらいたいなと思って」
記憶の中で今でもきらめく曲
Mr.Children「ニシエヒガシエ」
「ミスターチルドレンさんが今も好きなんですけれど…」と佐藤さん。「中学生位なんですけれど、ミスチルが好きになるきっかけとなった曲です。ドラマの主題歌で最後に流れていた曲ですけれども、『なんだ?このかっこいい曲は』と思って…」
「どんな中学生だった?」
「野球部だったんですけど。野球部風のゲーマーでしたね。」(笑)
野球部の練習で疲れて戻ってくるとゲーム。
「中学生まではすごく優等生だったっていう噂を聞きますけど…」
「負けず嫌いなので、テスト勉強はしてました。『あの人に負けたくない』『あいつに勝ちたい』とかそういう気持ちで…」
幼い頃から負けず嫌いだったそうで、体育の授業の中でも負けるとよく泣いたという…。
ただ勉強を頑張ったのは中学までで、「高校に入った時点で勉強はしない」と決めていたそうです。
「えー、何?」
「最初から低いところにいたら悔しい思いをしないでいいじゃないですか?」と佐藤さん。これも負けず嫌いの屈折した形でしょうか?
「疲れたのね?」
「疲れたんです。中3の時点で、受験で使い果たしてしまって…」「疲れたんで、もう勉強しないって決めて」
そのことを母親に宣言すると「ええ!?」と言いながらも受け入れてくれたそうです。
「今思うと、理解のある親でしたね」と佐藤さん。「勉強を捨てて、そこからダンスを始めるんです」ブレイクダンス…。
ダンスで疲れ切っていたので高校ではひたすら眠っていたそうです。辞書とタオルで眠りのベストポジションを見つけて…。
「しょうがないですね。真実なので」と佐藤さん。(笑)
初めての原宿でスカウト
ダンスに夢中になりながらも、ダンスのプロになるのは難しい。将来を迷っていた頃にスカウトされます。
「埼玉の田舎者なので、原宿という所に行ったことがなかったんですよ。人生初原宿だったんです」
「初原宿でスカウトされちゃったんですか?かっけえ!」とアガワさん。(笑)
今所属の事務所「アミューズ」のスカウトマンだったそうです。佐藤さんが唯一知っている事務所でした。
「深津絵里さんが好きだったんですよ」と佐藤さん。
「ほうー!」とアガワさん。
俳優という職業にも興味を持っていた佐藤さん。チャレンジすることにしました。
「テレビ番組のNG集、メイキング、それを見るのが大好きで。『こういう風に作ってるんだ』と思った時に感動して…。」「俳優てすごいな、と思ってて…」
それでも、大学受験に対する思いもあったそうです。勉強はしなかったのに。
センター試験まであと2週間という時にお母さんが言いました。「別に大学に行かなくてもいいんじゃない?大学なんていつでも行けるし、別に今行かなくてもいいんじゃない?」
このお母さんの意見に飛びついた(?)佐藤さん。迷いなく仕事に打ち込むことになりました。
「俳優になって10年ですが」
「目の前にあることに全力でぶつかっていく、ということの繰り返し…。今は『天皇の料理番』の役にどう向き合うか、だけ考えてやっています」
撮影で演出家からOKが出ているので、自分が気に入らず、撮り直しを要求することもあるのだとか。
「映画って、一生残るものだし…、後悔したくないので…」と佐藤さん。
きちんと計画を立てながらも計画通りことが進まず、悶々とする人生もあれば、将来の夢が無いことに悩んでいた若者が、目の前のチャンスを一つ一つものにして、大きなものを手に入れる…。
26歳にして、代表作というものをもっている佐藤さん、これからもご活躍を。
2015年04月22日
571. 藤竜也 元祖ダンディ俳優・北野武監督からオファー・横浜中華街 「A-Studio」
今日は楽しみですよ」と鶴瓶さん。「このゲストの方はね、こんなバラエティに出はれへん人やねん…」「映画でも寡黙やねん」
登場した藤さんは73歳とのことですが、相変わらず颯爽としています。
藤竜也さんは大学時代にスカウトされ、1962年に日活デビュー。石原裕次郎さんや小林旭さんたちが活躍していた時代の日活です。
その後、大島渚監督の映画「愛のコリーダ」(1976年)に主演し、世界的な評価を得ます。約50年間、映画の世界で活躍し続けてきました。
「オレね、お会いしたこともないし、喋ったこともないねん…」と鶴瓶さん。ちょっと緊張気味?
北野武監督からオファー
藤竜也さんは最新映画「竜三と七人の子分たち」で主演を務めました。
「ふざけた映画や」と鶴瓶さん。映画の要所要所にオナラの音が入っているのだとか。
台本には書かれていなかったそうなのですが。
「…もしオナラのことが書いてあったら、練習するの大変でしょうね」と藤さん。(笑)受け答えが絶妙。かなり面白い方だとお見受けしました。
「オファーがあったとき、どうだったんですか?」と鶴瓶さん。
「…北野さんは僕が出る以前に16本作られている」と藤さん。「…たぶん日本の今の映画界で、北野さんの映画に出たくないという人はいないと思います」「オファーが来て、『うそ!』と思った」
「マジで?」と鶴瓶さん。
「ええ…、『出てくれ詐欺』じゃないですけども…」と藤さん。(笑)
「そんなアホな…」(笑)
「いや、ほんとに」と藤さん。
ベテラン俳優たち
映画には中尾彬さんや近藤正臣さん等、超ベテラン俳優が勢ぞろい。日活時代から半世紀の付き合いのある中尾彬さんなど、しっかりしているほうだったとか。
ピストルを持って傾いて歩く78歳の俳優さんや、カンペの字が小さくて見えないので大きくしたら、それを読むのに顔が上下に動いてしまう俳優さん…。
北野監督は打ち合わせのとき、「話さないし目も合わさな」かったのだとか。「シャイな人ですね」と藤さん。
「町内のジジイたちが、昔ブイブイ言わせたうるさ型のジジイが、風呂屋なんかで奇声を上げてワイワイ言ってる、そういうふうにしてくれればいいんです」と北野監督に言われたそうです。「もったいぶって、間なんかとらないでください、と…」(笑)
普通、監督が「スタート!カット!」と声をかけるものですが、北野監督はそれもせず、助監督が前に出て、自分は後ろに控えるというスタイル。
それでも2、3度、俳優さんのところに来て、「今の、よかった…」と声をかけたそうです。
「そのときの私たちのうれしさ…」と藤さん。(笑)
「面白いんだって…」「面白いんだって…」とそのときの様子を再現。「やった!」と手を振りあげる藤さん。(笑)子どもやがな…。
中華街まで歩く
藤さんの自宅は神奈川県・横浜市。
横浜の町内の仲間たちとよく食べ歩きに行くそうです。もともとは近所のカレー屋で知り合った人たちだったとか。
12、3kmある横浜中華街まで20人くらいの人数で歩く…。
「藤竜也が町内の人連れて、えんえん歩いてるんですよ…」と鶴瓶さん。(笑)皆、お揃いの帽子をかぶって…。
きっかけは、人に横浜・中華街のおススメの店を訊かれて、うまく答えられない自分に歯がゆくなったことだそうです。
「横浜に住んでいて、中華街のことをあまり知らない…ハマっ子としては情けない」と藤さん。「皆で中華街に行って、全部の店を…」
大勢ですのでグループに分かれて、グループリーダーが決めた店に入るという…。見ただけで店の善し悪しがわかるという藤さん。頼もしいリーダーだそうです。(笑)
そうして感想を書きためたファイルが計7冊!かなり辛口の批評が書かれているそうで。
「ぼく、80軒くらい行ったんですけどね…」と藤さん。「1つの店で、全部おいしいということはない」
この店は餃子がうまい。この店は酢豚…と得意な料理が異なっているのだとか。
40人集まったこともあるという、町内の仲間たち。
素敵な奥様(元日活女優の芦川いづみさん。鶴瓶さんは大ファンだったそうです。実は私も…)と仲間に囲まれて、本当に幸せそうな70代…。これからもご活躍を。
2015年04月16日
570. 千住真理子 千住家の家訓・生卵丸飲み・ヴァイオリン仕様の身体 「スタジオパークからこんにちは」
アメイジンググレイスを弾き終わると、すぐにヴァイオリンをケースにしまいました。
「今日、割と天候が不順で、湿度の変化が激しいので、しまわせていただきました」と千住さん。「あと、物が当たったり落っこったりするのは危ないので…」
ケースの中にはお母さんの写真と湿度計が入っているそうです。
「この楽器は湿度がいちばん苦手なので…」湿度が高い場所に行くと、できるだけケースから出さないようにするのだとか。
千住さん愛用のヴァイオリンは、ストラディヴァリウスの中でも黄金期に作られた「デュランティ」という名器。1716年製…。
作られてからほとんど使われていなかったので、「生まれたての楽器…」という千住さん。「すごい元気で、私の方が、弾き手のほうが参っちゃうんですね」「弾きこなすのが大変で…」
最初のころは「言うことをきかなくて」大変だったそうです。
「今はもう10何年経つので、自分の体の一部…」
ヴァイオリンの虜
1962年東京生まれ。現在日本画家として活躍する博さん、音楽家として活躍する明さんの妹。山を駆け回る元気な女の子として育ちました。
お兄さんが習い始めたのをきっかけに千住さんも2歳3ヶ月でヴァイオリンを習い始めたそうです。
ヴァイオリンの虜になった千住さんは全日本学生音楽コンクールで優勝。12歳でプロのヴァイオリニストとして活躍し始めます。それから40年。今年はデビュー40周年にあたるそうです。
少女時代、先生の指導の意味がよくわからない千住さん。お母さんと2人相談しながら練習を続けたそうです。指導の意味を2人でいろいろ話し合いながら…。
天才少女も20歳の頃には悩み、一時ヴァイオリンから離れたのだとか。
「血の通った演奏をしたい」と2年後に復活。再びお母さんと二人三脚の日々が始まり、2013年、87歳でお母さんが他界するまで続きました。
千住家の家訓
千住さんのお父さん、大学教授だった千住鎮雄さんは「趣味は持つな!」と常々言っていたそうです。お父さん自身「学問一筋、学問が大好きで」という人だったとか…。
「うちは趣味を持つほど余裕はない。趣味を持つぐらいだったらそれをとことん突き詰めて一生の自分の仕事にしろ、と…」
幼かった千住さんは「ヴァイオリンを趣味だと思われずに、一生懸命頑張ろう」と思ったそうです。「兄たちもそうです」
「大人になった今は、どうしてるかわかりませんが…」ストイックな家族ですね。
生卵丸飲み・ヴァイオリン仕様の身体
ある時風邪をひいて、点滴を受けないとステージに立てない状態にまで悪化した千住さん。「演奏している時は風邪薬を飲めない」と途方にくれました。その時に思いついたのが「ロッキー」。
映画「ロッキー」の中で、シルベスター・スタローンがトレーニング前にいくつもの生卵をコップに入れ、一気に飲み干すシーン。
コップに生卵2、3個入れて飲んだところ、「すごくよかったんです」
今も千住さんの冷蔵庫には生卵がぎっしり詰まっていて壮観です。(笑)
長年にわたってヴァイオリンを弾き続けた千住さん。骨格が曲がり、手足の長さも左右で違っているそうです。
矯正することも考えたのですが、先生に「治したら、ヴァイオリンが弾きにくくなるかもしれない」と言われ矯正をやめたのだとか。(笑)「ヴァイオリンが弾ければそれでいい」
「すごいですね」とMCの清水ミチコさん。「ヴァイオリンが千住さんを選んだんですね」
大事なヴァイオリンを肌身離さず持ち歩き、何かあったらいやだからと、会食等も一切せず、自宅でコンビニで買ったものを食べているという千住さん…。
スゴイ人っているものですね。千住真理子…恐るべし!
2015年04月15日
569. 木村佳乃 築地・子育て・ポールダンス 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは築地市場。
「私、来たことなくて…、食べるの大好きなんですけれども、食べてて『おいしい!これどこで?』って聞くと、必ず築地って答えが返ってくる」と木村さん。
「いつか行きたいと思っていて…」
2人が歩くのは築地場外市場。たくさんの人…。
いろいろなものに目を留める木村さん。「うちの子、昆布が好きで…」二児の母です。
「山長」玉子焼き専門店。1本100円の串玉(玉子焼きを串に刺したもの)をほお張る2人。
築地市場にはロケでも来たことがないと言う木村さん。「敷居が高いと言うか…」
大阪出身のぐっさんも築地では気合が入ると言います。
「築地ハレの日食堂」海鮮焼きのお店。2人が買ったのは、
「マグロステーキ」(1本500円 税込)串に刺さった豪快なマグロ。
「この500円って」…と木村さん。「安いと思う」とぐっさん。
この後、乾物店で昆布を買い込む木村さん。「もう食べるのは終わり?」と思っていると、
「味の浜藤 築地本店」揚げ物のお店です。
1番人気のもろこし揚げを食べる2人。
「もろこし揚げ」(1個320円 税込)
「行ってきまーす」と木村さん。「いただきます」と間違えたのですね。(笑)なんか可愛らしい…。
「甘いですね」とぐっさん。「とうもろこしの甘みが…」
子育て
現在1歳と3歳の娘さんを育てている木村さんが、ぐっさんに子育てのコツを尋ねます。「絶対いいパパだと思うんです」
子育てにはお金をかけないほうがいいというぐっさん。「遊びボックス」の話をします。ボックスの中にいろんな紙が入っていてそれを子供に引かせるのだそうです。
「ボタン」という紙が出ると、子どもがぐっさんの体を触ります。するといろんな音が出るという…。たまに奇声を発して子どもを驚かせるのだそうです。
木村さんも、絵本を見ないで、まるでそこに絵本があるかのようにお話しをする、ということを実行しているそうです。話がどんどんふくらんでいくのだとか。
ポールダンスに挑戦
次に2人が来たのは港区・赤坂。
ちょっとセクシーなポールダンスに興味があるという木村さん。
スタイルの良いインストラクターからダンスを習う2人。インストラクターは長身でグラマーな外国人女性。ポールに絡まる木村さんのなんと細いこと!
子育てが結構大変なはずなのに、明るく自然体の木村佳乃さんでした。
それにしても今回の「ぐっさんを連れて行くならこんなトコ!」は私には大変興味深いものでした。と言いますのも3月末に2泊3日で東京を周遊してきたからです。
行ってきたのは、浅草、築地市場、銀座、国会議事堂(参議院を見学)、東京都庁(昼食)、東京大学(本郷、昼食)、早稲田大学、慶応義塾大学(三田)、下北沢、東京タワー、神楽坂、そして鎌倉と、大変な強行軍でしたが、散歩が大好きな私には本当に楽しい時間でした。
午前10時頃に訪れた築地市場・場外市場の活気は「にじいろジーン」で見た通りでした。
京都が大好きな私(よしろう)ですが、ドラマやロケの舞台は東京が多いので、彼の地を訪れておくとテレビや映画を見るのがまた味わい深くなりますね。
印象に残ったのは…、築地市場のすぐ側に朝日新聞東京本社ビルがあり、その側に浜離宮恩賜庭園があり、しばらく歩くと銀座に出るという…。東京の濃さは半端じゃないです。
2015年04月13日
568. 勝地涼 「A-Studio」に出たかった! 「A-Studio」
「出てほしかったね、この男には」と鶴瓶さん。
「チョー緊張する」と勝地さん。
小栗旬さんと仲の良い勝地さん。鶴瓶さんとも飲み仲間だそうです。
小栗旬さんが監督した映画「シュアリーサムデイ」に出演した俳優はすべて「A-Studio」に出たことになるのだとか。
「出たかったすよ!」と勝地さん。(笑)「…この間、ムロくんと飲ませていただいたときに、『いいね、出てて』って」
小栗旬さんはすでに2回目の登場。「旬くん、2周目してるときに僕出てないんすよ。出たかった…」(笑)
花屋のロケでスカウト
勝地さんは花屋の息子さん。実家の花屋でドラマのロケがあった時にスカウトされたそうです。13歳の時。
「花屋の近くで(ロケを)見てた、かわいい少年がいる、と」「(母が)『それはうちの息子です』と…。何の確証もないのに言って」((笑)
事務所に連れていかれ、台本を読むと、「良いんじゃない」と社長に言われた勝地さん。次に歌をうたうと、「うーん、歌は無いわねえ」(笑)
劇団恒例の罰ゲームで、森田健作の「さらば涙と言おう」を勝地さんが歌わされているのを聞いて驚愕した宮藤官九郎さん。自分のラジオ番組に勝地さんを呼び、歌手としてデビューさせたそうです。
「ドラゴン気取りのティーンネイジブルース」という歌。「『涼 the graduater』という名前で出させてもらってます」
ただ、下手が魅力だったはずなのに、歌っているうちにだんだん上手くなったとか。
前髪クネ男
NHKの朝ドラ「あまちゃん」には「前髪クネ男」というキャラで出演しました。
脚本には「体をクネクネ」としかなかったそうですが、側にいた古田新太さんから「つまらん」と駄目出し。試行錯誤の結果、体を前後にくねらせ、前髪を触りまくるというキャラが出来ました。(笑)
同時期に大河ドラマ「八重の桜」で大変真面目な人物の役で出演。「本当はダメらしいです」
その後古田さんと飲みに行って褒められたのだとか。「勝地、お前はNHKに爪痕残したぞ」(笑)「いい仕事した」
トークの終わりに際し、「前髪クネ男で去ってほしい」という鶴瓶さんのリクエストに即座に応えた勝地さん。
舞台・映画・ドラマ・CM・歌(?)と、活躍の場はどんどん広がっていきます。