2013年08月22日
243. 村井國夫&音無美紀子 紫藤尚世・しるこ・皿うどん・うつ病との闘い 「はなまるマーケット」
お2人揃って、シックな着物で登場。
「紫藤尚世(しとうひさよ)さん…大好きな着物デザイナーで…20年くらい前から…」
本当に素敵な着物です。こういう着物を着て京都を散策したいと、ふと思うよしろうでした。
「憧れですね…こういうご夫婦は」とどなたかの声。
「いかがですか、ご夫婦でご出演は?」と薬丸さん。
「イヤに決まってるじゃないですか!」と村井さん。(笑)
「朝から恥ずかしがって…」と笑顔の音無さん。
結婚生活37年のご夫婦です。
1976年に31歳と26歳で結婚。「いろいろありました」と村井さん。
「今朝のおめざ」は
「冷やししるこ」(550円) しるこ一平(佐賀県・佐賀市)
厳選された国産の材料にこだわり、きめ細やかな手作りのこしあんと、ふわふわでこしのある白玉の相性が絶妙。創業80年を迎える老舗の夏の味だそうです。
「佐賀のご出身なんですか?」
「生まれは中国なんですが、引き揚げて佐賀で…」と村井さん。
「お母様が大好きで、知り合ったときから行くと一平でいただいたので…」と音無さん。
「お袋の思い出ですよね」
1年に1度は佐賀に帰るという村井さん。
「ここ(しるこ一平)と春駒(食堂)という皿うどん屋さんには絶対行きます。この2つには絶対に行きます」と村井さん。本当にお好きなようです。
春駒の皿うどんは、同じく皿うどんが名物の長崎のものとも違うようです。
ちゃんぽんの麺を油でちょっと焦げ目を付けて、あんをかけているのだとか。
「お野菜がいっぱいで…」と音無さん。
「これは最高です…杉村(春子)先生も大好きで…」と村井さん。
映画「レ・ミゼラブル」のヒットで…
今年になって映画「レ・ミゼラブル」が大ヒットしましたが、以前からミュージカルでも大人気でした。
日本版「レ・ミゼラブル」のジャヴェール役と言えば、村井さん。
40歳のときにオーディションを受けて、再演のときから「13年くらい…100回くらいやってましたね」
映画ではラッセル・クロウでしたが「ラッセル・クロウより、僕のほうがいいです」(笑)いやほんとに。
映画のヒットで村井さんのかつての歌声がYouTubeで視聴されることが増えたそうです。
娘さん(麻友美さん)はお父さんの「レ・ミゼラブル」を見て女優になりたいと思ったそうです。
「ずーっとコゼットの役に憧れてて、女優になりたい、ミュージカルをやりたいって」
麻友美さんはお父さんは絶対反対する、と思っていたそうで、一計を案じました。
「学校の父母会で先生から『お嬢さんは女優さんになりたいと言ってます。どうですか、お母さん、やらしてあげたら?』
麻友美さん、先生からご両親を説得してくれるように頼んでおいたそうです。それで村井さんも認めることとなりました。
「(娘は)舞台の僕が好きだ…家にいる僕は好きじゃない」と村井さん。ジャージ姿でソファに座り込んで動かないのだとか。
6人姉妹
音無さんは6人姉妹の4番目だそうです。
「今度は男、と思って産んだんでしょうね」と村井さん。
普通にしていては埋没してしまう4番目。目立つポジションになれるようにふるまうようになったそうで…。
現在は長女が69歳、六女が56歳。
「よく集まる、けっこう仲がいい…」と村井さん。
姉妹の夢は6人揃って旅行に行くことです。6人となると日程の調整が難しいですよね。
みんな集まると孫の世代を合わせて37、8人になるとか。
「孫の世代の名前が覚えられない」と音無さん。お年玉も大変なので廃止になったそうです。
長女の三田美子さん(あの女優さんと字がちがいますが同名です)がご夫婦のことを評して
「とても仲が良く、美紀子も献身的で円満だと思います。しかし家族が集まったときに、村井さんの古いダジャレに若い家族が戸惑って…」
「それはもうイーデス・ハンソン」「壁に耳あり、クロード・チアリ」と村井さん。確かに古い…。
乳ガン、そしてうつ病
音無さんは38歳のときに乳ガンになり、胸の手術をしました。
「それで人生がガラッと変わり、うつ病になって…」
現在はその時の体験を講演会で語っているそうです。「早期発見、早期治療が大切なので」
「(主人には)助けていただきました。夫婦の絆と言うか…」と音無さん。「うつ病はどうしようもなくて…生きる意欲というか、踏み出す一歩が出なくて…笑うこともできないし、しゃべることもできないし…一歩も家から出ていけないし…苦しかった…」
「『元気を出して』って言っちゃいけないし…ただそばにいるだけで…『死にたい』って言うし。でも何もできない…ただただそばにいるしか…」と村井さん。
「毎晩本当に眠れない日が続く…地獄で…これじゃ死んだほうがましだ…川の字になって寝てたんです…万一を考えて…」と音無さん。
あるとき、村井さんは子どもの顔を見せて「きみねえ、あと5年生きてごらん。まみさんも小学校6年生。弟の面倒を見るようになるんだよ…見たくないの?」と問いかけました。でも音無さんは答えず…。
「あと3年でいいや、3年生きてくれてたらけんたろうも小学校上がるから…見たいでしょ?」
この繰り返しだったそうです。
「1年でいいから生きてよ」「1年なら生きれるかな…還暦を越してしまった」と笑う音無さん。
辛い病を乗り越える原動力になったのはお子さんでした。
「『ママはどうして笑わないの?ママは笑うとかわいいよ…』鏡を見たらひどかったんです」と音無さん。
ここで「今が?」という村井さんのツッコミ。
これに激しく薬丸さんが反応しました。村井さんに詰め寄り
「ここはそういう合いの手を入れるとこじゃないですから!」薬丸さんのヤンチャツッコミです。
でも私(よしろう)は村井さんの気配りを感じました。音無さんの話で緊張感いっぱいの空気を緩和させたかったんだと思います。音無さんの言葉にツッコめるのは村井さんだけですし…。
「それで笑う練習を毎日して…そのうち口紅を付けて、美容院…少しずつよくなってきたんです」
そしてさらに吹っ切るために、まだ幼かった娘さんとお風呂に入ることにしたのです。
「子どもは顔から上しか見ないんです。目だけを見て…うれしくなってぽろぽろ泣いたんです。『ママ、だいじょうぶ、おっぱいは生えてくるから』って…私を慰めてくれて…それで『生きなきゃ』って。気遣ってくれて、5、6歳なのに、大人だなって…」
家族の支えで、音無さんは病を乗り越えたのですね…。
「絶対に治る病気だからあきらめないで、家族の支えが必要、という話を(講演会では)させていただくんです」
夫婦円満の秘訣
夫婦円満の秘訣を問われて「ありがとうとごめんなさい」と答えたお2人。
「ぼくはずっと『ごめんなさい』です」と村井さん。
音無さんは、村井さんが「病気になってくれてありがとう」と言ってくれたことを語りました。
「君が病気になって、生きる意味が分かった。自分が傲慢だったことも分かった。謙虚になれた。人生を2人で乗り越えていこうという気になれた。病気になってくれてありがとう」
そうか…ほんとうに「いろいろなことがあった」んですね。
テレビを見て泣いて、この文章を書きながらまた泣いてしまったよしろうでした。
私ももっと家族を大事にしよう…。
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image