2013年08月21日
242. 中村橋之助 小倉もなかアイス・新歌舞伎座・ダウンタウンヒーローズ・三田寛子 「はなまるマーケット」
5月に奥様の三田寛子さんが出演されて、今回は橋之助さんです。
「今朝のおめざ」は
「小倉もなかアイス」(300円)新橋演舞場内売店(東京都・銀座)
新橋演舞場内の売店でのみ販売されている名物のアイスもなかだそうです。
パリッとしたもなかの食感、、甘すぎないアイスをはさんで、橋之助さんのお好きなお菓子だとか。
「各劇場で名物があって楽しいですよ。皮がパリパリなのは米粉を使っているらしいんです」
「うまいですね」と一口食べて「いかがでございましょうか?」と言う口ぶりが何とも歌舞伎の人らしい艶やかさです。
新しい歌舞伎座
新しく建てられた歌舞伎座は五代目。旧歌舞伎座と比べ、席数が減った分、ゆったりしているようです。
「全然変わりがない…感無量」と橋之助さんが言うのは、舞台から客席を見たときの様子。
それ以外は大きく変わったそうです。
たとえば、前の歌舞伎座には練習場がなかったのですが、今度は立派な稽古場が2つもあります。
そしてとんぼ(空中回転)の練習ができる砂場もあるそうです。
何より変わったのは楽屋。
「楽屋が快適…お風呂が広くて立派…温泉に行かなくてもいいくらい」「ここで生活してもいいと思うくらい…自慢できる楽屋です」
楽屋は30弱ほどあるそうです。
橋之助さんがこんなに歌舞伎座を熱く語るのにはわけがあります。
「若手で『歌舞伎座建て替えプロジェクト』を作り、それに任命されていまして…」
諸先輩方からいろんな意見を受けて、大変だったと思います。
「最初の内覧会のときは声を出して泣きました…うれしくてね…」「こけら落としとして参加できる、こんな名誉なことはない」
あちらこちらに工夫が凝らされた建築物で「100年先まで使える歌舞伎座を作りたいと思い…」と意気込んで建て替えにあたったのです。
3人の子どもたち
3人の息子さんたちは高3、高1、小6。
上のお2人はゴルフ部でゴルフに精を出す、言わば体育会系。
小6の息子さんは絵を描くのが得意な「どちらかと言えば文科系」ということですが、歌舞伎の絵がかなり上手で、「絵が上手いのは歌舞伎には有利」と橋之助さんは喜んでいます。
3人の息子さんがお父さんの「弱点」を語りました。
「ゴルフのスコア」「ヘビ嫌い」「高所恐怖症」
ゴルフの腕前に関しては高3の息子さんに抜かれてしまったようで、悔しがる橋之助さんです。
そして「ご両親はどんな夫婦」には
「父と母はバランスよく、お互いにぼくたちにアドバイスをくれる。母は優しく、時に厳しく、父は一日中歌舞伎のことを考えている、という夫婦です」
橋之助さん、感激した様子で…。
「もっともっと親として応えてやらなきゃいけないと思いますね」そして「絶対にこの3人には負けませんので…よろしく」と気概を示します。
三田寛子さんと結婚して22年ですが、「あっという間…ふっと過ぎました」
思い出に残る初出演映画
「ダウンタウンヒーローズ」(1988年)山田洋次監督
橋之助さんが23歳のときに初出演された映画です。柳葉敏郎さんは27歳でした。
「楽しかった…ろくすっぽ学校に行かないで歌舞伎に入ってしまったので…尾美としのり君なんか、今でも『尾美』って呼び捨てにできる…何とも言えない…」と橋之助さん。
「撮影の3か月間がぼくの高校生活だったような…」
撮影現場で山田監督にヘリウムガスを使ったイタズラをしたのも、やんちゃな高校生が担任の先生にイタズラをしかける感覚だったのかもしれませんね。
この日も和やかな「はなまるカフェ」だったのですが、私がドキッとしたのは、高校生の息子さんが、橋之助さんを評して、「父は一日中歌舞伎のことを考えている」という一節でした。
歌舞伎というのは原則として世襲制ですよね。世襲制といいうのは、たとえば企業でも、せいぜい2代目までで、3代目になると衰退、ということが普通です。
歌舞伎の世界は世襲制を続けているのに、変わらない人気を保ち続けています。一部の特別な趣味の人だけが喜ぶ、ということではなく、橋之助さんもそうだし、故中村勘三郎さんや、先日「にじいろジーン」に出ていた海老蔵さんなど、スターを輩出し続けています。
高校生の息子さんから見て「一日中歌舞伎のことを考えている」その情熱が、世襲制の世界においてどういう仕組みで継承されているのか、どうにも不思議な気がします。
創業者の情熱、というのは分かります。しかし、情熱の再生産、というか、延々継承されているのがどうもよく分からないのです。よしろうの素朴な疑問です。
うーん、これからも歌舞伎関係者のトーク場組は可能な限り見ていこうっと。
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image