2015年05月17日
578. 松田翔太② イギリス留学・俳優は30歳から 「あさイチ」
トーク番組にあまりでない印象がありますが、「たまたまです」と松田さん。「でも、苦手かもしれない」
デビュー10周年。確実にキャリアを積み上げてきました。
大河ドラマ「篤姫」(2008年)、「平清盛」(2012)、そして数々の映画にCM…。
時代劇ではシリアスな演技、CMではコミカルな演技と、どちらも強く印象に残ります。
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人生を賭けたイギリス留学
ずっとインターナショナルスクールに通っていた松田さん。17歳でイギリス留学を決意しました。
「何か留学して見つけたいとか、大人になるにあたって何かを得たいとか…?」と井ノ原さん。
「全部そこに込めてましたね」と松田さん。「僕はそれで変われるんだ、と思ってたし…、それで何か絶対見つけて帰りたいと思ってたし…」「母親にもそれが恩返しになるかな、と思ってたんで…」
「で、どうでした?」
「…今の自分は、その経験無しには無いのかな、と思います」と思います。「自分が日本人だっていうことを意識したのもそこが初めてでしたし…」
外見や言葉の違い等を強く意識したそうです。そして初めての一人暮らし…。
「でも、多くの友達ができて、今でも親友なんですが…」
マーティンという友だちがいろいろと助けてくれたそうです。
「アートの学校に…、僕がロンドンに行って勝手に受験して…」と松田さん。「受かっちゃったんですよ」
そこの同級生がマーティンだったと…。アート系の学校らしく、「先生もオネエというか…」
入学式のときに「ぼくらは平等ですべて楽しもう」と言ってくれたそうです。そこでいろんな人種や肌の色の違い等、均一な日本では体験できないことに触れたとか。
そのイギリスに、松田さんは10年ぶりに行ったそうです。
その際に松田さんは、前回出来なくて悔しい思いをしたことをいろいろ実現させたのだとか。
「タクシーも一回も乗ってなかったし…、ロンドンタクシーって有名じゃないですか?」お金が無かったので乗れなかったそうです。また、高級ホテルに入ってもフロントで相手にされなかったなど…。
前回出来なかったことを書き留めていて、それを全部「やりかえした」という松田さん。結果は?
「楽しくない…、何でもない、というか」
それよりも俳優として活躍している自分を、当時の友人たちが認めてくれたことの方が嬉しかったそうです。
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俳優は30歳から
「30歳になってからが俳優の本番だって言っているのを聞いたことがあるんですけれど」と有働さん。
「人としてちゃんと説得力を持てるのが30歳からかな、と…」と松田さん。「失敗できるのが20代だと思ってたんで」
「失敗しました?」と井ノ原さん。
「…もう全部失敗ですよ」と松田さん。「自分にしか分かんないことなんですけど…」
「評価されてたと思うんですけど」と井ノ原さん。
「その評価が、自分の欲しい評価じゃなかったかもしれないですし…、自分ということが、まだまだ分からないので…。これから30代は、わりかし目が覚めてきたと思うので…、ま、これからかな、と…」「序盤はちょっとユルめで…」(笑)「あと、父親の死んだ年、というのがすごく、自分の目標になっているので…」
「39歳…」と井ノ原さん。
「そうですね…、でも、まだ29なので…」と松田さん。
「目標ってどういうことですか?」と有働さん。
「…それより生きたいし…。父親がやってること、全て意識してるわけじゃないですけど、ただ、単純になんか、いい指標になってるっていう気がするし…。」
「…(お父さんが)この齢、こういうことをやってたんだ、って考えたことありました?」と井ノ原さん。迫りますね。
「ありましたね…、でも、まあ、(自分は)今の時代に生きてるんで…、当時は当時の感覚があったのかな、っていう」と松田さん。「あまり考えないようにしてますね」
仕事でもプライベートでも自分らしく生きていきたいと言う松田さん。父は父の時代を疾走した、自分はこの時代を自分なりに駆け抜けたい、ということでしょうか。
「自分が楽しいこと、自分が辛くても乗り越えたいと思うこととかが自分かな、と思うんで…」
20代は自分が苦手なことにもいろいろと取り組んできた、という松田さん。
「これからは得意なことを突き詰めていきたいな、と」
端正な顔に笑みを絶やさず、とつとつと話す松田さん。お父さんとはまた違った輝きを放つ30代になりそうです。

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