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2013年08月12日
234. 窪田正孝 工業高校・機械・構造物が好き! 「笑っていいとも!」
私(よしろう)はドラマやバラエティ番組をあまり見ないのですが、この人の出ているドラマはどういう訳か割と見ているのです。
「ゲゲゲの女房」のやる気満々のアシスタント、「下流の宴」のやる気の出ない若者、「平清盛」の後継ぎとして苦悩する息子「重盛」と、内にいろいろな思いを秘めた屈折した若者役を演じればピカイチの役者さんだと思っています。
花束は、斎藤工、山下智久、佐藤健など、役者仲間からが多いようですね。
窪田さんのデビューは17歳。きっかけはお母さんが今の事務所のオーディションを勧めてくれたからだとか。
窪田さんは工業高校で機械の勉強をしていたそうなんですが、高1のとき実習で文鎮を作って、書道の師範をしているお祖父ちゃんにプレゼントして喜ばれたそうです。
男ばかり3人兄弟の末っ子で長男は溶接の仕事をしているとか。
「かなりそっち系?」とタモリさん。
「そうですね、友だちといっしょに『整備士になれたらいいね』って…」
「機械は好きなの?」
「街中でも車が走ってたら自然に見てしまうし、動くもの…船とか見てしまうし…」
「俺もそうだよ」とタモリさん。「中学のとき、ヒマがあれば船の見えるところに行って船を見てた」
工場地帯で釣り
「長男と工場地帯の中の釣りの出来るスポット、釣れるスポットみたいなところがあって、そこに船が留まって…その船に乗ってどこかに行きたいなって…」
「工場にはスポットがあるよねえ、温排水に魚が集まって…」とタモリさん。
「獲った魚とか、そこで働いている人は普通に食べるらしくて」
「工場地帯で?」
「意外においしいって…残った魚をそこにいる猫たちにあげるという…」
「循環してんだ!」
「循環して…」
構造物が好き!
「構造物も好きなの?」とタモリさん。
窪田さんの地元神奈川にはレインボーブリッジやベイブリッジなど、立派な橋がいろいろありますが、窪田さんが気になるのはあちこちに吊られたワイヤーなのだとか。
「近くで見るととても太くて…あれよく見ると人が点検できるようになってるんですよね…大きいものがすごく好きで…川崎にマシンシティとかあって、夜中に見に行って『すごいな!』と…」
「ぐるぐる回る…ジャンクション?あれ建設中に見たぞ」とタモリさん。
「支えてると思うと…」と窪田さん。
「支えてるっていうと、東京タワー、支えてるよね?」とタモリさん。ここで2人が東京タワーの足の部分を手で再現します。弓なりになったところを。
「これがたまんない」うーん、ちょっとマニアックな世界に…。同じく鉄の構造物が好きな常盤貴子さんがこの場にいればさらに盛り上がっただろうな…。
ネジもたまらない…
窪田さんによると、いわゆるネジというものも、きちんと設計図を書いて作るそうで、「工業高校に通っているものにしか分からない喜びが…」
「ただ、最終的には人の手らしいよ、ある程度以上の精度を求めると…」とタモリさん。これには窪田さんも共感。
とにかく橋を渡るとき、ワイヤーやボルトを見てしまうという窪田さん。
最後に日本人が作った最高の建造物の一つ、黒部ダムを見てみたい、というところで話が落ち着いた2人でした。
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2013年08月10日
233. 増田明美 マラソン解説・天城越え・織田裕二 「サワコの朝」
「女子マラソン中継を100倍面白くしてくれる解説」というアガワさんの紹介で始まりました。
「毎週この番組を見させていただいていたので、まさか出演させていただけるとは思わなくて…眠れなかった、昨日からうれしくて…」と感激の増田さん。
増田さんは1964年生まれの49歳、千葉県出身です。「詳しすぎて面白い」マラソン解説者です。
記憶の中で今もきらめく曲
「天城越え」石川さゆり
増田さんが現役時代、「レースが近づくと聞きたくなった曲」だそうです。「バロメーターになったんです」
当時はカセットテープの時代。増田さんはテープの裏表にすべて「天城越え」を入れて走りながら聞いていたのだとか。
「リズムが合うのか女の情念なのか…坂道は『天城越え』なんですよ。」「あの曲が聴きたくなる時は調子がいいんです」と曲に合わせて腕を振る増田さん。アガワさんもそれに合わせます。
「アガワさんもちょっと演歌の香りがするんですけれど」(笑)
マラソンへのきっかけ
増田さんは中学時代はテニス部でした。アニメ「エースをねらえ!」に魅かれ、たくさんの友人とともにテニス部へ。岡ひろみを目指しますが、「才能はなかった」とか。
「上手になった順にコートに出るんですが、私はずっと壁打ちで…」
そのころ、町内1周の駅伝大会があり、増田さんは「助っ人」で出場します。そして高校生3人をごぼう抜きする大活躍。一躍注目の的に。
そして成田高校で故滝田詔生監督(俳優滝田栄さんのお兄さん)の勧誘を受け、マラソンに取り組むことになりました。
「好きじゃないけど良い結果が出たから…」
そして「完璧な高校時代」というほどの好成績を収めることに。トラック種目の3000m、5000m、1万、ハーフ、マラソン、全部の日本記録を塗り替えたのです。小さな体に大変な注目を集めることになりました。
「天才少女?」とアガワさん。
「そうそうそう!」と喜ぶ増田さん。「今だれも言ってくれないんですよ」(笑)
栄光と挫折
「天才少女」の評判を背に増田さんはロサンゼルスオリンピックに出場。1984年20歳のころです。
それまで出ればトップ、走れば優勝と良い結果が出るのが当然だった増田さん。
「大舞台であまり調子はよくなかったんですが」自分なりにイメージトレーニングをして臨みました。
しかし、4qくらいで後ろから来た大集団に追い抜かれます。そして10qあたりで同じ日本人選手の佐々木七恵さん(故人)に抜かれて…。
それまで日本人相手に負けたことがない増田さん、佐々木選手に抜かれたことがショックでした。「今だったら『七恵さん、私の分まで頑張って!』って。当時は七恵さんに抜かれたのがショックで…」
「みじめだ、カッコ悪い、こんな姿を日本中に見られている…」悲しくて16qで動けなくなってしまいました。途中棄権…。
大変だったのは帰国後です。道を歩いていて「おい!非国民!」会社のファクスには「国賊野郎!」
1年間は走れませんでした。
ただ増田さんの気持ちの中で、「自分は大舞台で途中棄権した」「また自分は足を止めるのでは?」という思いが残り、その思いを拭うために活動を再開。アメリカにスポーツ留学するのです。
そしてアメリカのコーチに「あなたを見ていると辛くなる」と言われます。「あなたは毎日練習で『よい結果をだそう!よい結果をだそう!』と思っている。本当によい結果は生きていてハッピーと思えるときに生まれるんだよ」
そして考え方が変わったのです。
「もっと心豊かに…自分中心で生きるのでなく、人が喜ぶ顔を見るたびに何ができるかと…自分がハッピーだと思えることをたくさんやろう」
永六輔さんとの出会い
それにしても詳しすぎる増田さんの解説。他の解説者の方と違いすぎるんですが、どうして?
「(スポーツ選手を)引退した後、出会った人が永六輔さん」だったそうで、永さんから「取材とは材を取ること。あなたも肉声を聞いて表情を見て、肌で感じることが大事」という助言を受けるのです。
そして徹底的な取材をすることに。
自腹で、一人で選手やコーチのいるところに入り込み、食事や酒を酌み交わしながら話をしていると、それまで寡黙だったコーチが「堰を切ったように喋ってくれる」のだとか。
「それって『聞く力』じゃない?」とアガワさん。確かに!
「私、アガワさんの『聞く力』に学んで…」と増田さん。「現場が好きで、(話す)材料はいくらでもあるの…」
増田さんの情熱の背後にあるのは自身の選手時代の思いでした。
「私自身が人間的なことは何も言われなかったので…選手である前に人だから、どうしてこの選手がごぼう抜きできたのか、なぜ怪我を克服してこんないい走りができるのか、人間的な部分、支えてくれている部分も含めて紹介してあげたい…」
「マラソンは35q過ぎたらみんな苦しい」と増田さん。「ギリギリの究極のところで走っている、そこを抜け出すのは人間力」
今心に響く曲
「Love Somebody」織田裕二
「織田さんは選手に対してのリスペクト、愛があるんです」という増田さん。
「私、言いすぎちゃうからNHKに使ってもらえない」という増田さんですが、増田さんの解説を一度聞いてしまうと、病みつきになりますよね。ぜひNHKでも増田さんを!
2013年08月09日
232. 壇蜜 秋田出身・半沢直樹・さなづら・卓上クリーナー・日記 「はなまるマーケット」
「男性陣、鼻の下がのびてますよ」と岡江さん。そりゃねえ…。
「『半沢直樹』第4話の視聴率がすごかったですねえ」と薬丸さん。
「そうなんです。ありがたいことです」と壇蜜さん。
壇蜜さんは、1980年12月3日、秋田出身の32歳。
本名「齋藤支靜加(さいとうしずか)」。昭和大学出身で、英語科の教員免許を取得しているそうです。
和菓子工場、銀座のクラブ、葬儀専門学校などを経て、29歳でグラビアデビュー。デビューして3年ですが、グラビア、ドラマ、バラエティと多方面で活躍。女性にも人気があり、今や時代の顔と言ってもいいのではないでしょうか?
芸名の由来
壇というのは葬儀用語、仏壇の壇だそうです。
「蜜というのは、神様の飲物が甘露と呼ばれて、甘露は蜜の味で甘いイメージがあるので、『壇甘露』にすると、のど飴っぽくなってしまうので(笑)壇蜜にさせていただきました」
「今朝のおめざ」は
「さなづら」(12枚入り 1,200円) 菓子舗榮太郎 (秋田県・秋田市)
さなづら、とは山ぶどうのこと。秋に収穫したさなづらの実をジュースにし、寒天でゼリー状に固め、甘酸っぱく濃厚なワインのような味わいに仕上げたそうです。
「小さいころから祖母がすごく好きなお菓子で、甘すぎず、酸っぱすぎずで、子どものころから『不思議な味だなあ』って、なじみがありまして…」
「口の中、さっぱりしますね」と薬丸さん。
壇蜜さんは生まれてすぐに引っ越してしまったそうなのですが、秋田には大好きなおばあちゃんがいるので、休みのたびに秋田に帰っていたそうです。「夏休みになるとこのお菓子が食べられるな、と」
秋田代表銘菓さなづら12枚入 甘酸っぱく濃厚で、ワインのような深〜い味わい♪ 秋田銘菓お土産... |
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幼いころ
幼いころの壇蜜さんは「毛のあるもの」を触り続ける「ぼんやりした子」だったとか。
「ぬいぐるみを触って、(ついには)毛がアシカのようになって…」
今でも触りなれたタオルがそばにないと眠れないそうです。
ご両親が共働きでかなりのおばあちゃん子に育った壇蜜さん。あるときおばあちゃんが石油ストーブでするめをあぶって、壇蜜さんに食べさせました。
「この世にこんなおいしいものがあるのか」とハマってしまったとか。しかし子どもがするめというのもどうかと、イカそうめんのような細いものに変えられたそうです。
ブレイクするまで
「芸能界への興味はあったんですか?」
「芸能界は選ばれた人がやるものだと思っていたので…自分にはゆかりの遠い世界だと思っていたんです」
29歳でグラビアに出たのも一つの記念だったそうですが、担当者から今の事務所を勧められました。
ところが壇蜜さんは、その事務所での仕事はティッシュを配ったりする、いわばキャンペーンガールだと思っていたそうです。
「当時は大学病院で働いていて、休日にそういう仕事をするといい実入りになるな…と」(笑)
ご両親は最初はびっくりしたそうですが、そりゃそうですよね。今はそっと見守っていてくれているそうです。
ところで壇蜜さんの大好きなおばあちゃんは?
なんと壇蜜さんの顔写真のついた飲物を仏壇に供えているようです。壇蜜さん、飲料のCMしてましたよね。
「これがほんとの壇蜜!」と薬丸さん。
宇梶剛士さんへのアンケート
「半沢直樹」で共演中の宇梶剛士さん。以前に同じアンケートで壇蜜さんは宇梶さんを「くじら」にたとえました。
壇蜜さんを動物にたとえると
「フクロウ族のお姫様。あの目はまさに闇夜に光るフクロウの目です。初日からあの目にくらくらでした」
「猛禽類ですね…肉食で」と壇蜜さん。
壇蜜さんの「ここがすごい!」という所
「ロケで控室が畳の大部屋みたいなところでも、一緒に海水浴に来た仲間みたいに、むさい男たちと違和感なくいてくれた所に蜜ちゃんの広さと深さと柔らかさを感じました」
壇蜜さん、そこで着替えようとしてスタイリストさんに止められたそうです。
「遠慮したら失礼かと思って…そうしたらスタイリストさんに『違います!』って」
お気に入りのハンディ・クリーナー
「orb(オーブ)」(6,000円)ブラック・アンド・デッカー
正面から見るとまん丸の、可愛らしい卓上クリーナーが壇蜜さんのお気に入りで、両側の羽根のような部分を広げて使用するようです。羽根の部分は片方は持つために、もう片方は吸い込み口になっているのだとか。
「吸い込み口が傾斜しているので、どこにでも使える」重宝していたのですが、1年以上経って、羽根が閉まらなくなって開きっぱなしに…。
「羽根が閉まらない…どこか飛んでるんだろうな…」(笑)
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好きなタイプ・日課
壇蜜さんの好きな男性のタイプは…
「ちょっとキザな人…カッコつけが好きです」うーん、ひょっとしてだめんず好き?いえ、決めつけはダメですよね。
日課は…
日記をつけ始めて4,5年になるそうです。
「今は携帯に100文字以内で収めるようにして…点数もつけてるんです」
「最高点は?」
「85点…中華丼を注文したらウズラが2つ」(笑)
「最低点は?」
「25点…アロマキャンドルを点けようとしてまつげを燃やしてしまった…」(笑)
壇蜜さんが口を開くたびに笑いが起きるようになって、和やかな「はなまるカフェ」でした。
いやあ、人気があるのが分かりました。ミステリアスで聡明で、物腰が穏やかで丁寧な語り口。たくまざるユーモアもあって…。本当に魅力的な壇蜜さんでした。
2013年08月08日
231. 優木まおみ カリスマ美容師・ハワイで挙式・キャンドルづくり 「はなまるマーケット」
6月にカリスマ美容師と結婚。
結婚が決まった当初、マスコミでは「北島康介似」と報道されたようですが、優木さんによると「どちらかというとくまモン似」で、結婚してふっくらしてきた今、さらにくまモンに似たようです。
「今朝のおめざ」は
「焼きたてフィナンシェ」(210円) ノワ・ドゥ・ブール(伊勢丹新宿本店 地下1階)
高温のオーブンでカリッと焼き上げ、中は国産発酵バターのしっとりした味わいで、何度も試作を重ねて作り上げた1品だそうです。
「もともとフィナンシェは好きで、他のも好きなんですが、ここのはバターが濃くて、食べ応えがあるんです」
「いろんなフィナンシエを召し上がってるんですか?」と薬丸さん。
「そうですね、大好きです」
そして一口食べて「オー、セボーン!」と変わったノリの薬丸さん。「中はとてもジューシーですね」
「基本紅茶ですけど、コーヒーとかでも…ティータイムが楽しめます」
ダンナさんも大好きですが、カロリーのことも考えて、1日2個までと制限をかけているそうです。
ハワイでこだわりの結婚式
優木さんは6月にハワイで挙式しました。「ドレスコードを白にして、みんな真っ白で結婚式をしたんです」
ここには実は優木さん夫婦のサプライズがあったのです。
式はとにかくユニークというか、ノリノリだったそうです。新郎・新婦がダンスで登場するのですから。スタッフの人たちも同じダンスをバックで披露。「みんなで踊りまくりの」式になりました。
ただちょっとした誤算も。事前の練習ではいい感じのダンスが本番の砂浜では「足をとられて」いまいち切れの悪いダンスに。
もう一度仕切り直しで披露宴でもダンス大会を行ったそうです。
そしてサプライズ。新郎のご両親は結婚53年になるのですが、結婚式を挙げていなかったようなのです。
「彼の提案で」サプライズで新郎のご両親の結婚式も挙げることに…。ここで白のドレスコードが生きたのですね。
すごい感動だったそうです。なんとまあ親孝行な…。
結婚式の様子は「MAOMI'S HAWAII WEDDING」(宝島社 1,365円)で詳しく紹介されているようです。
結婚への道のり
ダンナさんはカリスマ美容師。仕事でたまに一緒になったそうです。
ところがあるとき、3日連続会うことがあって、その際たまたまロケバスが事故。「1〜2時間休憩してください」ということに。
「彼と私とスタイリストさんが一緒になって3人でゆっくり話したんです。そうしたらスタイリストさんが『2人お似合いだから付き合ってみれば』って言いだして。そのおせっかいから照れちゃって、意識するようになって…。」なるほど。「『犬の散歩とか一緒に行けば』ってスタイリストさんが言うので『行かないよ』ってムキになって…」
優木さん、ムキになる自分に気づき、「これは恋心かもしれない…」と思うようになったそうです。
おせっかいなスタイリストさんは恋のキューピッドだったのですね。
ここで薬丸さんが一言。「ダンナさん、スタイリストさんに頼んでたんじゃないの?」
ああ、私も同じことが頭をよぎったのでした!オヤジの考えることは似てるのでしょうか?いやだ!
優木さんはきっぱり否定。どちらかというと優木さんのほうが彼に魅かれていったそうです。
キャンドル・インストラクター
優木さんが現在ハマっているのがキャンドルづくり。なんでもキャンドル・インストラクターになるための講座に通っていて、アトリエも構えて大変な入れ込みようです。
講座は全28回。現在6回受けたところですが、タマゴキャンドルやスイーツキャンドル、地球キャンドルなど、習ったことをすぐにアトリエで実践しているようです。
イニシャルキャンドルは結婚式の引き出物としてぴったりだとか。そのうちキャンドルアーティストとしても活躍するようになるかもしれませんね。
2013年08月07日
230. 原千晶 ガンを克服・夫のカミングアウト・パワースポット 「はなまるマーケット」
暦の上では立秋とはいえ、猛暑日が続くこの日、涼しげな白いお着物での出演です。
「2年前から着付けを習っていて…」
原千晶さんは1994年4月27日生まれの39歳です。北海道出身で、1994年に第21回のクラリオンガールに選ばれ芸能界にデビューしました。
深夜番組「ワンダフル」の司会で注目され、ドラマ「Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜」(2000年)などでは女優としても活躍します。
2004年「子宮頸がん」、2009年「子宮体がん」と病魔に襲われますが、闘病生活の末、がんを克服。
2010年には闘病を支えてくれた1歳年上の男性(TV番組制作会社勤務)と結婚しました。
「僕には君が必要なんだ」「元気で幸せになるのが今一番の僕の望みだ」というプロポーズでの結婚でした。
2011年にはがんの情報交換の場「よつばの会」を立ち上げ、がん検診の啓発などに力を入れているそうです。
原さんの著書「原千晶39歳 がんと私、明日の私、キレイな私。」(光文社 1,575円)にはそのあたりの経緯が書かれているそうです。
「今朝のおめざ」は
「仙人からあげ(醤油、塩)」(各100g 230円) からあげ専門店 鶏仙人(福岡・北九州市)
九州産の鶏肉を使用したジューシーなからあげ。まろやかな醤油味と、生姜をきかせた塩味の2種類があるそうです。
「朝からからあげで」と恐縮する原さん。
「朝からでもからあげ大好きです」と薬丸さん。
「私、北九州に住んでいたことがあって、小倉にその当時の小学校の同級生が、この鶏仙人というからあげ専門店をオープンさせて、すごく力を入れてるんです。PRしたいということで、私も食べてすっごくおいしくて…」
夫のカミングアウト
「夫がほんと優しい人なんですよ」と原さん。「女性的な部分があって…私のほうがダンナみたいな感じで。怒るとすっごい怖いんですけれど、普段はすごく優しくて…『チーちゃんがいいようにしてくれたらいいよ』って」
「原さんはチーちゃんと呼ばれてるんですか?」
「ええ、ダンナのことはピーちゃんと呼んでいるんです」
本当に仲の良いご夫婦なんですが、実はご主人はある苦手なものを隠していて、最近それが分かったそうです。それは「あんかけ」です。
天津丼とか酢豚とか、とろーり甘酸っぱいあんかけがご主人は苦手だったらしいのです。
それまでは普通に食べていたようなんですが、「実はあんがかかっていないほうがいいんだ」とカミングアウト。「甘酸っぱいのが嫌いで…」
「もう一緒には酢豚は食べられないんです」と残念そうな原さん。
阿蘇のパワースポット
原さんは神社が好きで日本各地の神社めぐりをしているそうです。
九州には最近、五泊六日の一人旅をし、熊本県の阿蘇神社を訪れました。
「ずっと行ってみたくて…」
社殿が「一の宮」から「十二の宮」まであり、12神が祀られているのだとか。
「高砂の松(縁結びの松)」は、女性は右から2回、男性は左から2回まわるとご利益があるそうです。
「願かけ石」というのもあって、「重厚で素晴らしい場所だった」という原さん。
他に
@「草部吉見神社(くさかべよしみじんじゃ)」
全国的に珍しい「下り参拝」の神社です。「不老長寿の水」と言われる池もあり、「小さめでとても落ち着く神社」だそうです。
A「国造神社(こくぞうじんじゃ)」
地元の人は「くにづくり」と呼んでいるのですが、正式には「こくぞう」だそうです。
樹齢約2000年の巨木「手野のスギ」は台風で倒壊した幹を保存しているのですが「かなりのスケール」だったとか。
B「押戸石の丘(おしといしのおか)」
古高い丘に大小の巨石が並んで祀られています。
「拝観料を払うと方位磁石を渡されるんです」
磁場の狂った場所があるのだそうです。UFOを見たという話もあって、「すごく磁場の強い場所だと思いました」「私は頭が痛くなって長いこといられなかった」のだとか。
この九州旅行は原さんの一人旅でしたが、夫婦そろってパワースポットを巡るのもお好きだそうです。
優しいダンナさんやご両親に見守られながら、タレント活動やがん検診の啓発運動に取り組み、原さんは素敵な苦しくも素敵な人生を送られていると感じました。