新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2013年09月30日
279. 大友良英 あまちゃん・タモリさん・オールナイトニッポン・クドカン 「笑っていいとも!」
2日前の土曜日にNHK「あまちゃん」が終了。ステージには「あまちゃん」関係者からの花束がいっぱい…。
「『あまちゃん』全部の音楽を作った人ですよ」とタモリさんが紹介すると、大きな拍手が…。
「もともとフリージャズの人ですよね?」とタモリさん。
「ええ、10代のころからタモリさんのステージ見てますよ」と大友さん。
「ほんと?」
「フリージャズ見に行くとタモリさんがいらっしゃるというのが何度か…洋輔さんのときとか」
「へえ…どうぞどうぞ」と椅子を勧めるタモリさん。
「こんな昼間の明るいところに来ていいのかな?と」
「あまちゃん」の音楽
「あまちゃん」の音楽を話題にするタモリさん。
「完全に他局のことですが、いいんですか?」と気を遣う大友さん。
「ええ、いいんです」「何曲作ったんですか?」
「300曲くらい…」(「ええっ!」という客席)「ドラマと同時進行で…」「でも(放送が)始まる前から100曲くらいはできていた…始まる半年前から作って…」
「これ(潮騒のメモリー)は高校野球で使われていた?」
「ええ、使われていました」と大友さん。
「たまたま見ていたら、敵・味方、同じ曲使ってた」(笑)
「よく意味がわかんない」と大友さん。「『1986年に60万枚ヒットした曲を作ってくれ』という依頼だったんですよ…意味わかんないでしょ!」
「その時代のもの、聴くわけでしょ?」とタモリさん。
「いっぱい聴いて…おれ一人じゃ手に負えないんで、その辺の時代にくわしいSachiko Mさんに入ってもらったり、小泉今日子さんに来てもらったりして…みんなで一緒に作っていこうと…」
さらに「暦の上ではディセンバー」について…
「『潮騒のメモリー』書いたあとに、宮藤さんが突然詞を持ってきて、ものすごい長い詞で『すみませんが、振り付けの関係で明日までに曲を書いてください』と言われて…」
「NHKスタジオでちょうど『潮騒のメモリー』録り終わった後だったので…、そこにSachiko Mとかがいたので、3人でパートに分けて、『ここの部分、Sachiko Mさんかな。じゃ、おれサビ書くわ…』」
「合わせただけなの?」とタモリさん。
タモリさんの好きなノイズ
「イントロとキーが違うのに、合わせたら面白いから、『これでいこう!』と」と大友さん。
「それでも歌えるんですか?」
「今の子、音感いいのかな?とつぜんドン!と出ても大丈夫なんですね…最初ヘンだけども」
「おれ、かねがね思ってたんだけれども」とタモリさん。「音楽って縦のつながりあるじゃないですか、和音の、あれよりも横の流れがちゃんとしてたら、そんなもん超越するんですね…」
「するするする、そのへんフリー(ジャズ)、全部やってますから…別に何が来てもいいんですね」と大友さん。
「それからたまたま見てた時に、妙にノイズっぽいギターが…場面よりもそれが気になっちゃって…」
「ぼくの本領なんですけれども…」
「いいですね、あれ」とタモリさん。
「そんなこと言ってもらって、おれ、もうこの場で今日死んでもいい…」と大友さん。(笑)かなりのタモリさんフリーク?
「最初は『あまちゃん』に合わせてたんですけど、『東京』に行きだしたころから、かなり自由に…最後はもうやりたい放題…」
「ノイズっていいんですよ…聴いちゃう」とタモリさん。
クドカンはメチャクチャ
「微妙にわざとダサく作ってるんですよね?」とタモリさん。
「もともとダサいんですけど…注文がありまして、『カッコいい曲もいいけれど、残念な曲も作ってくれ』と」
地方の現実を見たときに、過疎の町など、辛い状況、残念な状況がある…それらの現実を表して、なおかつ愛情も感じられるような表現を求められたそうです。
「300曲はすごいですよね…宮藤君はムチャクチャですね」とタモリさん。
「ムチャクチャですよ、あの人…もうほんと、助けてください…あの人止められるのはタモリさんしかいないんじゃないか…」(笑)
「一番苦労したのは?」
「やっぱり『潮騒のメモリー』ですよ。この曲が全編を貫くカギになってくるので…これも6曲くらい作ったかな…いろんなの。ボツになった5曲があって、山口百恵ふうのとかあって、瞬間ボツになりましたね」
「歌詞がムチャクチャなんですよね…」とタモリさん。
「ジョニーに伝えて 千円返して」(大笑)
「低気圧に乗って 北へ向かうわ」
「北へ行くのね ここも北なのに」(爆笑)
「自分でボケたりツッコんだりしてますよね」と大友さん。(笑)
「だいたい辛い思いをしたり、失恋の場合は北へ行くんですよね」とタモリさん。
「南へ行くと明るくなっちゃうから」と大友さん。
「三途の川のマーメイド」「友だち少ないマーメイド」
「何考えて書いてるんでしょうね…」と大友さん。「『好きよ嫌いよ』はキョンキョンが作ったんですよ…『優しく、強く』を足していった…。」「『宮藤さんにいいの?』って聞いたら、『大丈夫よ』って」
「八重の桜」で仕事をしている坂本龍一さんがふらりと現れ、小泉さんと20年ぶりの再会。そのついで(?)に「来てよタクシー捕まえて」のフレーズを作って帰っていったそうです…。
「微妙なメロディだからやめようかと思っていたら、小泉さんが歌ったらちゃんとものになって、結局採用に…」
オールナイト・ニッポンで人生が…
大友さんが進路を考えていた高校生のときに聴いていたのが深夜放送「オールナイト・ニッポン」。
「高信太郎さんの『オールナイト・ニッポン』に(タモリさんが)出たとき、聴いてて、『なに、このヘンな人?』ちょうどフリージャズ聴きはじめて…。山下洋輔さんとか坂田明さんとか…」
そうこうしているうちに、タモリさんがDJの「オールナイト・ニッポン」が始まり、大友少年はヘビー・リスナーになります。
「ハガキを書いて読まれたことも、テープを送って(放送で)流れたこともあって…」
「何の曲?」とタモリさん。
「そば屋の曲です」
当時の「オールナイト・ニッポン」でよく流れた曲です。楽器の演奏に合わせ、みんなが「そば屋・そば屋」と独特の節を付けて歌い、合いの手にタモリさんがハナモゲラ語を入れる、変わった曲でした。一度聴くと耳について離れない…。
「あれをテープの回転を変えて、オーバーダブして…」
そのテープ、当時のタモリさんが番組内でフルでかけてくれたそうで、大友少年は大感激。
「ああ、覚えてるね、それ!」とタモリさん。
「やった!」と感激の大友さん。(拍手)
「覚えてるわ…」
「真面目な手紙も送って…進路についての相談で…」
「それ覚えてない…」(笑)
「あのころはヘンなことばかりして…ムチャクチャでしたよね」「忘年会を生中継してたの、覚えてます?」
「えー!」とタモリさん。
「こんなひどい番組ないですよ、忘年会をそのまんま…」
「覚えてない…」
「そのおかげでおれ、こんな人になっちゃったんだから…責任取ってほしいくらい」(笑)「なんて大人の世界はいいんだろうと…」
この後の「100分のXアンケート」で見事携帯ストラップを手にした大友さん。「じぇじぇじぇ!」と叫んで…。勢いがある、とはこのことでしょうか。
タモリさんの「オールナイト・ニッポン」、私(よしろう)もよく聴いてました。本当にムチャクチャで面白かったです。だってゲストで来てくれたミュージシャンの歌を、平気で攻撃するんですから。
「あなたの歌は暗い、女々しい、聞いてられない」とタモリさん。
「同じ福岡出身なのに、どうしてそういうこと言うかなあ」と反撃していたのは南こうせつさん。気まずい雰囲気になっていたのは井上陽水さん。
居酒屋からの中継もあって、ぐでんぐでんに酔っぱらった赤塚不二夫が出てきたり…本当に好き放題にやっていた番組でした。懐かしいなあ…。
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2013年09月29日
278. 堀内孝雄 お気に入り洋食・たこ焼き・ヴィンテージギター 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは東京都・渋谷区・笹塚です。
堀内さんとぐっさんは1年前にライブで共演しました。
「ライブのときも暑かったけど、今日も暑い」と堀内さん。「笹塚は自分の地元なんで…」
2人が目指したのは「笹塚ボウル」。ボウリング場です。
「入ったことないですけど、いつも気になってて…」とぐっさん。
「その中におしゃれな店があるのよ。おススメです」と堀内さん。
行きつけの洋食店
「MANIMAL」ボウリング場2階にあるお店です。
堀内さんはお孫さんも一緒に、家族ぐるみで来るそうです。「ほんとリラックスできる」
堀内さんたちはいつも奥の個室を利用するのだとか。
堀内さんのおススメは、数ある食材の中から2品を選び、スパゲティまたはリゾットを作ってもらうオリジナル料理です。
2種の食材とソースを選んでスパゲティ…950円
2種の食材とソースを選んでリゾット…1,000円 ※食材を1種増やすごとに200円増し
ぐっさんが選んだのは「せせり」と「つぶ貝」のリゾット。「せせり」とは鶏の首の部分ですね。
見慣れぬ食材を見つけたぐっさん、店の方に質問します。
「リコッタ・チーズって何ですか?オコッタみたいな…」
「全然違うんですけど…」(笑)
「ドライですねえ…」と、その反応に軽いショックを覚えるぐっさん。
出来上がったリゾットを口に運ぶ2人。「うまい!」
ぐっさんの皿を見て、「せせり、残ってるやん?」と堀内さん。
「2ついただきました」とぐっさん。
「おう、ツー・せせり…。失礼、失礼、失礼!」と変なノリの堀内さん。
「酔っぱらってるみたい」(笑)とスタジオのベッキーさん。確かに!
堀内さんは3人の息子さんを育てましたが、子育てに関して、最近分かったショックなことがありました。
子どもがまだ小さいころのこと。
朝起きて、パパの部屋をのぞく子供に、「パパの布団入れ」
よくある光景です。
「ガーッとして、『かわいいなあ、お前は!』一番嫌やってんて…」「早よ、言え!」
うーん、親のダイレクトな愛情表現が子どもには迷惑…あることでしょうね…。
堀内さんは芸能生活42年目、63歳です。今の目標は70歳まで現役生活を続けること。
「スタッフに、『どう?』目をそらす」(笑)
「なに目をそらしとんねん!」「この目を見ろ!」と言いたい堀内さんです。
自分でたこ焼きが焼ける店
堀内さんとぐっさんが次に向かったのは、練馬区。
「浪花」お好み焼き・たこ焼き
自分でたこ焼きが焼けるということで、堀内さんが「一度来てみたい」と願っていた店だったとか。
「焼くのが楽しみなんです。これが楽しみで生きているようなもんです」と堀内さん。(笑)「いや、ほんとでしょ!」
「素敵な楽しみですけれど、もう少し他に楽しみは?」とぐっさん。(笑)「あってもいいと思います」
2人がチャレンジしたのは
「たこ焼き」(1,111円 ネギ追加)
だしがたっぷり入っているので、ソースが無くても食べられるくらい味がしっかりしているのだとか。
堀内さん、自分が焼いていたたこ焼きを、ぐっさんにも手伝うように言います。ところが、それが柔らかかったのか、形が崩れて…。
「いじりすぎやで…最悪やで、これ…。ここまで育てた子を…」かなりシビアな堀内さん。
言い過ぎたと思ったのか、「ウダウダ言いながら楽しむのがいいんですよ」と自分でフォロー。「1つになれるから絆なんですよ」
「今、ちょっとギスギスしましたけどね…」とぐっさん。堀内さんの言動に傷ついた感じです。
「大丈夫!だいじょうぶマイフレンド!」慰めながら、かつて村上龍原作・監督の映画のタイトルを口にする堀内さん。
出来上がったたこ焼きを口に入れる堀内さん。真似をして、顔をゆがめるぐっさん。ぐっさんは猫舌…。
「唇以外、ぜんぶ熱いですよ」とぐっさん。
アリス、再始動
アリスが4年ぶりに再始動です。47都道府県ツアーを敢行します。
「どうですか?今、アリスをやっているというのは?」とぐっさん。
「絆が強くなるんですね…昔のように『こいつを負かそう!』とか思わない。『今、こいつがリードを取ってるから、一番いい感じでフォローしたいな』と…」
3人で出かける、ということはないそうです。
「『干渉しないでおこう』となるんですね。」大人の関係ですね。相手の世界に踏み込み過ぎないほうが長続きしますよね。
楽器店でセッション
最後に2人が向かったのは、千代田区・神田・神保町。
ここにヴィンテージ・ギターを販売している店があります。
「リムショット」13年前にオープンし、常時100本以上のギターを揃えているそうです。
「お値段はどうやってつけるんですか?」とぐっさん。
「ある程度、相場が決まっていて…」と店長。
ぐっさんが注目したのは、自分の生まれ年に生まれたギター。
「ギブソン ジュビリー 1969」15万5,400円。
堀内さんも生まれ年のギターを手に取りました。
「マーティン D-18 1949」69万8,250円。
アリスのヒット曲「冬の稲妻」を演奏することになりました。
「どうやったらいいですか?」とぐっさん。
「イントロめんどくさいから」とかなり適当に始まりましたが、歌いだすとさすが…。かなり聞きごたえがあります。ところが終わりどころが分からないまま、演奏終了…。
「終わり方、打ち合わせしなかったからね」と堀内さん。「まあ、テレビ的にはこれくらいで…」
ここで再びむっとするぐっさん。
「ぼくが中学でギター始めて、本当に憧れていた大先輩ですから、『イントロめんどくさい』とか『テレビ的にはこれくらいで』とかやめてください」(笑)
いやあ、ぐっさんは不本意だったかもしれませんが、堀内さんの魅力の「軽み」が、還暦を過ぎても健在だったことが嬉しかったよしろうでした。
関西地区のギター小僧にとってはアリスは憧れであり、大きな目標でしたから。でも一人一人を見ると、アリスのメンバーってかなり変なんですよね。もちろんこれはいい意味で。
ぐっさん、お疲れさまでした。
2013年09月28日
277. ビートたけし ロッドスチュアート・喜納昌吉・浅草 「サワコの朝」
たけしさん、登場するや「(アガワさんは)朝の伝道師みたいになって…」(笑)「最後に募金集めて逃げちゃう」(笑)
2人は他局で15年以上共演しています。気心の知れた間柄なのですね。
「話があったときに、『話すことないよ』って言ってたんだけど…」とたけしさん。
「私、たけしさんとそんなに深く話したことないんですよ」とアガワさん。
「ゴルフの愚痴?あと、政治の問題やってたので議員の愚痴と悪口と…」(笑)
ビートたけしさんは、1947年、東京生まれの66歳。
1974年にツービートを結成。おりからの漫才ブームで、瞬く間に日本中の人気者に。
1989年には映画監督デビュー。
1997年、ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞。「世界のキタノ」という名声を得ます。
「最近、奥さんと仲がいいと聞いていますが…」
「とんでもないですよ…カミさんと週に1回、食事するんだけど、それが辛くてしょうがない」(笑)「それを私は『営業』と呼んでいますから…」(笑)「ずーっと文句を言われて小遣いもらうわけですから…。食事終わって、『じゃあな!』と別れたときの解放感…」(笑)「初めてタヒチの海へ行ったような…」(笑)
「記憶の中で今もきらめく曲」は
「マギー・メイ」ロッド・スチュアート
「ロッド・スチュアートが好きで、特に『マギー・メイ』が気に入ってて…」「何か身につまされる…好きになった女が身勝手で…」
その1節…。
「一緒にいるのは楽しいけど、なんでか利用されてる気がする。これ以上ないくらい尽くしてきたし…。お前は俺の心を盗んで、本当に辛かった…」
「かわいそうでしょ?」とたけしさん。(笑)「女性に振り回される男の歌…浅草時代の友だちに勧められて聴いた曲…」
最近流行っている曲の歌詞について聞きますと…
「大嫌いでさ…『君をひとりにしない…ぼくはここにいる』大きなお世話だ!お前にできるわけないだろう!」(笑)「この歌のほうが本音…」
かつての浅草の劇場はストリップ・ショーが中心。その合間の寸劇やお笑いで芸人さんたちは腕を磨いていたそうです。
「浅草にいたころは、ストリッパーが若い芸人の面倒を見るのが常識だった…お金がかからなかった」
たけしさん、けっこうモテていたとか。
ここでアガワさんが、好きな女性のタイプについて、たけしさんに肉薄。
「異常なマザコン…遠足に行って、うちの母ちゃん、隣に座ってんの…」(笑)
「心配で?」
「『この子、吐きやすいから』って言って…。とにかくお袋が見張っているわけ」
「自分をマザコンだと思ったのはいつ?」
「結局…付き合った女性がみな同じタイプ…。彼女であり、お母さんである」
「『たけしさん、おまちどおさま』っていうのはダメなの?」とアガワさん。
「ダメなの…。『何やってんの?アンタ、早く食べなよ!』『汚いズボン穿いて…これ穿きなさい!』」
「いまだに?」とアガワさん。
「『いまだに』って言うと問題あるけど…」(笑)「ありました、と」
あのころの浅草
「ロマンがあった…。売れなくても『浅草で芸人だった』ってことで死んでいけた…。だから浅草に行った」「街全体が芸人を育てるところがあって…」
売れない芸人時代、お金が無くても、居酒屋をのぞくと、「入りなよ」って言ってくれるお客さん。「たけちゃんに何かやってよ」
出世払いで飲めた時代だったとか。
「出世して行かなくなったら『あの野郎、来ねえ』って大変だから、2か月に1ぺんくらい行くようにしてる」
そのお店のご主人、いまだに若い芸人からはお金を取らず、「たけちゃんが来ると貰うから」と言ってるそうで…。
「浅草行くたびに何十万か置かなきゃいけない…。もうやんなっちゃう…」(笑)
事件と事故
長い知り合いでも面と向かって聞きにくいこともあると思うのですが、アガワさんはそこにも迫りました。
1986年の「フライデー襲撃事件」と1994年の「バイク事故」です。
「謹慎になった事件とバイクの事故と、だいたい10年単位で起こってる…10年するとバクハツしたくなる?」とアガワさん。
「イラつくんじゃないですかね?漫才で売れて、ラジオでも売れて…。逆にイラつく。『この先どうなるんだろう?』イライラして、『おれ、どうする?』って言って、こんなになって…。『白紙に戻す』みたいな…」「いいバチだと思って…。節目節目にバチがあたる…」
「事故の理由はかなり映画があったの。自分が『これはいいだろう、こんな感覚の映画はないだろう』って言ってたら、まるっきり評価が無いんで…そうなると、『自分の感覚が悪いのかな?』って…。そして事故になって…」
「あとになって考えたら、『そこまで自分を犠牲にする必要はない。やりたいことをちゃんとやって、評価されようとされまいとしょうがないじゃない』と…。『あとは野となれ、山となれ』と…」
「やることやって失敗したら、『それはしょうがない』と…」とアガワさん。
それでも、メディアに「たけしはもう終わった」と報道されると、「ムカッとして、『やってやろう!』」と思ったそうです。
「いろんな賞を獲ったの、全部事故のあと…」とたけしさん。転んでもただでは起きない?
事件や事故は、結果的には、たけしさん再生のための「儀礼」としての役割を果たしたような気もします。通過儀礼のあと、更に大きくなって「世界のキタノ」になった…。
「個性」の尊重
次に「個性の尊重」を謳う風潮が話題に。
「『人よりいいとこ探しなさい』とか、『自分しか持ってない個性』とか…、『誰でも特別な才能がある』とか、あれ、嘘だよね…、無いヤツは無いもん…。俺だって無いもん…。偶然見つかったのがお笑いで…。『無くてもいいんだ』っていう教育したほうがいいと思うよ」
「『生きがい』って、死ぬ前にやっと見つかるもんで…。」「サラリーマン、『定年後はこうしよう』、そんなバカな話はない。早いうちから遊んどかないと…。『時間が出来たら…』って、それは趣味じゃない、時間がないときに、いかに人をだましてやるかが趣味…」
校則は厳しく
「『校則もあったほうがいい』とたけしさんはおっしゃる」とアガワさん。
「不良は、『いかに自分が不良か』と見せびらかすもの。持ち物検査を徹底的にして、そこでナイフを持ち込んだら『おーっ!』。自由にしたら、ナイフを持ってたって、『別に…』。そうしたら人を刺して『すごいな!』と言われる」
そして「学校は礼儀作法を教えるべきだ」「日本人は国をもっと愛すべきだ」とも。
現代のコンピューター中心のネット社会を、「奴隷化している…狭い鶏小屋に入れられて、頭をつつき合ってるような…卵だけ持っていかれているような気がする」と。
「街を歩いていて耳に入る情報が一番正しいかもしれない…」
たけしさん自身が、ネットで様々に語られていると思うのですが、
「悪口・批評は視聴者の権利。我々はそれで食べてる。職業としているんで、応酬はしない。『お前、なにも分かってないな』とは言わない…」
リタイア
「落ちていく不安は?」とアガワさん。これ、アガワさんでなかったら、「うるせい!余計なお世話だ!」となるところですよね。
「もう、年齢が…静かにフェイドアウト…」とたけしさん。
今よりも、40代のころに的確なアドリブが出なくなったときのほうが不安感は強かったそうです。
「30代では、そのときに一番笑いが取れる的確な言葉がすっと出た。『えーっと』ってやったら漫才はもうダメ」
そして仕事をラジオやコントに移していったそうです。「ピークのときに次のハシゴを見つける」
「未練は?」とアガワさん。
「ない!」とたけしさん。「お笑いはお笑いだし…」
そして引退について語ります。
「引退はお客が決める。視聴率がなくなる…それが引退」「体が動かなくなって倒れたらリタイア」
「今心に響く曲」は
「少女の心に虹がかかるまで」喜納昌吉
沖縄は「大戦で見捨てられ」「返還でも相変わらず基地がある」とたけしさん。沖縄は「楽しいけど悲しいとこ」と。
この歌にたけしさんは「沖縄の現在と夢と愛と、みんな混じった…自分はメルヘンチックだと思う」と語ります。
「少し歩いて何かを求めて ここまで登ってきたけれど
心の中に咲いてた花が ひとつとつぜん枯れました
涙が出てきてとまらず あなたに私の心をあげたくて
少女の涙に虹がかかるまで唄おうよ」
たけしさん、喜納昌吉さんの歌が好きで、この歌もカラオケで歌うのだとか。
子どもたちに
たけしさんに、子どもたちへの言葉を要求するアガワさん。
「生きていることに感謝すればいい。生きていることがすべてです。いずれ、みんな死ぬ…」「生きている間にいかに生きるのかだけを考えろ。そうすっと、マヌケなことをするヒマがないだろ」
そして「そういう自分がマヌケなことをしているのがツライ」(笑)と落としました。
たけしさんが「ツービート」として世に出て約35年。
毒舌漫才、たけちゃんマン、ラジオDJ、エッセイ、小説、テレビでの冠番組、映画出演、そして映画監督と、この人が手を出していないジャンルはないと思えるくらい、あらゆるジャンルで才能を発揮しました。
例の事件や事故をも含めて、私たちはこの人に35年以上もの間惹きつけられてきたのですね。
それにしても思うのは、毒舌漫才のころは常識の中に潜む欺瞞やテレビ番組の定型性などを笑いの形で攻撃していたのが、今や「学校は礼儀を」という主張に変わっていることの意味でした。
「芸人」というスタンスから「おかしい」と思うものを歯に衣着せずにこき下ろすのがたけしさんの作法であるならば、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言ってたころのほうが、たとえ欺瞞に満ちていても市民道徳やエチケットがかろうじて存在していて、今はそれもない、ということになるのでしょうか?
稀代のトリックスター(今やモンスター)の発言の変遷を考えるとき、私たちはかなりキツイ社会に生きているような気がしてきました…。
それにしてもアガワさん、お疲れさまでした。
2013年09月27日
276. 東山紀之 悩み・お風呂で台本・憧れの人 「はなまるマーケット」
「もういつもヤックンにはお世話になって…」と東山さん。
「もう33年の付き合いになりましたから」と薬丸さん。
「今日すごいですね、シブガキ隊、少年隊、CHA-CHAと揃って…」と東山さん。そういえば木曜レギュラーの勝俣さんもCHA-CHAというアイドルグループにいたのですね。
今年5月に次女が誕生。2人の女児のパパになりました。
「男の子より女の子が欲しかったですね…うち、後輩がいっぱいいるから…『これ以上男はいらないな』と思って…」(笑)
今度の日曜日(9/29)に、東山さん主演のドラマが放送されるそうです。
「日本・ベトナム国交樹立40周年スペシャルドラマ The Partner 〜愛しき百年の友へ〜」
東山さんは2役を演じるのですが、1人は実在した医師で、頭を剃ったように見せる特殊メークでの出演です。
「愛菜ちゃんは気づかなかった。誰も気づかない…楽しくて、久しぶりにロケ地を巡りました」「たまに(禿頭に)したほうがいいですよ、ヤックンも」(笑)
「なんか、悪いことしたときにね…」と薬丸さん。(笑)
「最近、オイタないから大丈夫」と岡江さん。(笑)
「『最近』って、なんか人聞き悪いですね」と薬丸さん。
「落ち着いてますから…」と東山さん。(笑)「おたがいにほとんど知ってます」
「ほんとのパートナーですね」と勝俣さん。(笑)
「今朝のおめざ」は
「黒松」(105円) 黒松本舗 草月 (東京都・北区)
黒糖と蜂蜜をたっぷりと使用し、ふっくらと焼き上げたどら焼きです。小ぶりで食べやすいので何個でも食べられるのだとか。
このどら焼きは、東山さんが楠田枝里子さんから紹介され食べたところ、すっかり気に入ってしまい、いろいろ差し入れに使っているそうです。
「偶然だなあ…ぼくもこれを知ってて、いろんなとこに差し入れしてる」と薬丸さん。
「うちのパートナー、すごいでしょ?」と東山さん。(笑)
「ふわふわ」「これで100円なんですか?」と言う声が…。
「甘いものを食べても太らないですね」という指摘を受けた東山さん、「男のプライドで太っちゃいけない…ヤックンもそのへん、すごいですよ」
薬丸さんは「男のプライド、ないでーす」とお腹の肉をつまみました。(笑)
なんかすごく良い雰囲気です。
同じ悩み
近藤マッチさんやV6の坂本さんたちとお寿司屋に行った東さん、3人とも同じ悩みを抱えていることがわかりました。
それは後輩から「怖い先輩」だと思われていること。「TOKIOから下はよく知らない…年齢差もあって…」と東山さん。「実はそうじゃない、ただのおじさんだよ」(笑)
「マッチさんはジャニーズ事務所のトップだもんね」と薬丸さん。
「マッチさんはぼくよりストイック…レース極めたし、トライアスロンにも出ている」と東山さん。「すごいの出てる…5qくらい泳いだ後、バイク190q、42.195q走ったり…週に何回かやっている。マッチさんがやってますので、ぼくも続けている…」「ぼくは(やってるって)言うけど、マッチさんは言わない」そして「唯一おごってくれる先輩」(笑)
ちなみに、東山さんが言うには「マッチさんが長男、ぼくが三男、坂本くんが四男…ヤックンは次男」
「ぼくも入れてくれるの?元ジャニーズなのに…」と薬丸さんが嬉しそうに。
「PARTNER」で共演しているKAT・TUNの中丸雄一さんがインタビューに登場。ベトナムロケでの様子を語ってくれました。
「晩御飯の寿司屋まで2時間空いて、『どうしましょう?』って聞くと『歩こう!』とおっしゃいました。それから2時間、ハノイの街をひたすら歩くという貴重な体験をさせていただきました。」
中丸さんの表情が何とも硬い…。
「やっぱり怖がられている…」とつぶやく東山さんでした。
一石二鳥
東山さんは台本を3冊もらうようにしているようです。
「お風呂で読む用、普段読む用、あと記念にとっとく…」(笑)「セリフ覚えが遅くて…」悩みの種だとか。
「お風呂は唯一ひとりになれる場所」そこでゆっくり湯船につかるだけではもったいないと考えるそうで。また、髪の手入れをしてもらう間も台本を読み、一石二鳥。
「寸暇を惜しんでやらないと、頭に入らないんだよね…」一石二鳥を考えるのが癖になっているようです。
「他に一石二鳥は?」と薬丸さん。
「子どもを使って筋トレする」(笑)
長女が2歳でほぼ10sと、いい感じだそうです。
「すっごい子煩悩なんですよ、若いときはヒガシが結婚するなんて思わなかった…」と薬丸さん。
解体新書
1966年9月30日生まれ。46歳。神奈川県出身。
「自分を漢字1文字にたとえると?」…誠
「新選組の感じで…」
「自分を料理にたとえると?」…炊き立てのご飯
「粒が立っていたい」
「自分を動物にたとえると?」…犬
「犬っぽいとよく言われる。野際陽子さんの犬がぼくにそっくりらしくて…。メールで写真を送ってきてくださったことがあって…『ほんとですね』と返信して…」(笑)
「好きな季節は?」…秋
「おいしいものが多いから」
「長期ロケの必需品は?」…目覚まし時計
「遅刻したことはないですね」「少年隊はいつも早かった…」
「朝起きて最初にすることは?」…水を飲む
「苦手なスポーツ」…なし
「自分へのダメ出し」…イメージが強すぎる
「怖いんじゃないかと思われる」「向こうに緊張される」中丸さんは緊張してましたね…。
「ラッキーナンバーは?」…9
「9月生まれだし…」
「子どものころ憧れていた人は?」…王貞治
「今も憧れています」
ふうん、王さんは「野球界で1番のストイック」という感じがしますもんね。ああ、ストイックとほど遠い生き方をしてきた私(よしろう)には、真似ができません。私は本能のままに…でもないなあ。
2013年09月26日
275. 矢井田瞳 肉吸い・回文・アナグラム・バカリズム 「笑っていいとも!」
花束の中に「南海キャンディーズ 山里亮太」とあります。
「付き合いないでしょ?」とタモリさん。
「山ちゃんは大学のときに同期でした…山ちゃんありがとう!」と矢井田さん。
続いて花束の中に「オール巨人」上方漫才の大御所です。
「私の実家のお近くで…。通ってるお寿司屋さんも一緒で…」実家のご近所さんなのですね。
他に、中島みゆき、小田和正、吉井和哉、葉加瀬太郎…と音楽関係の名前がずらり。
9年ぶりの出演だそうです。
「お母さんになったんだよね」
「もうすぐ4歳です…女の子です」
「ぜんぜん生活変わるでしょ?」
「昔は夜中じゅうお酒飲んで、映画を見て、自分の好き勝手に24時間使ってた…でも今は9時5時ミュージシャンんで…」(笑)「朝起きて午前中ってこんなに光がきれいだったんだなって…」
「何時ごろ起きてたの?」
「『いいとも』が始まるころに起きればいいほうで、朝の7時8時に寝てましたね…」
矢井田さんの生活は子どもが産まれてから、ガラっと変わってしまったそうで…。何か運動でもして体力を付けないと、思っているうちに2、3年経ってしまったそうです。
「タモリさん、運動は?」
「朝起きて軽く走る」
「食べ物は?」
「平均1食半くらい…1日」(へえ、という声)
「朝食べて、昼、これ終わってちょっと食べるくらい…夜なし!酒飲むときは食べないの」(へえ…)「お酒好きなんだ…酒の味を邪魔されるのが嫌なの…」
「炭水化物は?」と矢井田さん。
「炭水化物は1日にご飯2口くらい…」(ええっ!という声)「これで痩せないんですよ…」(笑)「無駄に食べていたんですよ…」
30歳を過ぎると成長しないので、あまり食べる必要がないという意見を出し合う2人。
「悲しくなってくる…」と矢井田さん。
「だんだん体が効率的になってくる…もう成長しないんだもん」とタモリさん。
ここで矢井田さんがある食べ物を紹介します。
肉吸いとベーコンエッグ丼
「先日大阪で、すっごいおいしいのを食べたんですけど…」
「それなんなの?話して」
「肉吸い…肉うどんのうどん抜きです」
「じゃあ、だしに肉が入ってんの?」
「はい、バラだと思うんですけど…」と矢井田さん。「すっごくおいしくて」
「昔からあったの?」
「噂によると、なんばグランド花月の近くのお店で、芸人さんが毎日出前を取ってたんですけど、飽きてしまって『肉うどんのうどん抜き作って』みたいなのがきっかけで…すっごくおいしいですけど…」
矢井田さんが紹介した「肉吸い」、関西のお笑い好きの間ではけっこう有名です。
よしろうの手もとの資料によると、店の名前は「千とせ」。大阪なんばの千日前にあります。名物「肉吸い」は580円。
喜劇役者、花紀京さんが二日酔いで、うどんを抜いた汁を注文したのが始まりだそうです。(サライ 2008年 4/17 「昭和のお笑い」特集)
ここでタモリさんも「抜き」を紹介します。
「東京でそば屋で『抜き』というのがあるの…」「『天抜き』と言うと、天ぷらそばのそば抜きなの…」
「へえー、あるんだ…だし好きが頼むんですかねえ…」
「そう」とタモリさん。「だしが大好きなのよ、おれは!」(笑)「あんなうまいものはないよね…だから肉吸いもうまいよ…肉吸いにご飯食べんの?」
「肉吸いに卵かけごはん…これがまたおいしくて。『なんやろ、このパーフェクト感は!』」
ここでタモリさんが知人の間で流行っている食べ物を紹介。それは「ベーコンエッグ丼」
「それもパーフェクト感高いですよね…」と矢井田さん。
「これもうまいっすよー」
そして作り方を披露。
「マヨネーズを軽くご飯に塗る。ベーコンエッグをのせて、醤油をかけてぐちゃぐちゃにする…くずしながら食べる…」
「完璧ですね…おいしそう」と矢井田さん。B級グルメ対決になりましたね。
回文、アナグラム、バカリズム
9時5時ミュージシャンの矢井田さん。作りたての曲を娘さんが批評することもしばしばだそうで…。
「『それちょっと分かりにくい…』悔しいけど当たってる…こねくり回して作ったものだったりする」
歌詞はパソコンで作っているそうですが、回文やアナグラムの好きな矢井田さんはそっちに脱線することもあるそうです。
「気づくと、タモリモタ、とか考えて…」
「回文、最近あまりやらないね…」とタモリさん。確かに、1980年ごろがブームだったような記憶があります。
「私、ずっと、好きでパソコンに『回文フォルダー』作ってて…」「私はわりと短くてインパクトのあるものが好きで、『素手です』とか…」(笑)
素手です、に激しく反応するタモリさん。「いいねえ」
「あ…『カツラ落下』すいません。」(笑)
「おれも短いの考えた、『ガスですが』」(笑)
「そういうのが好きなんです。いろいろ考えて…アナグラムも」
「言葉の入れ替え?」
「そうです。たとえば、アントニオ猪木…あんときのにおい。入れ替えて違う意味にする」と矢井田さん。
矢井田さん、バカリズムが好きで、先日ライブに行ったそうです。その際、バカリズムさんが「いろはにほへと…」を現代の言葉に置き換えたものがとても面白くて、自分でも作ってみたとか。
「よふけに屁こらえてねむるやつはいりませんぬ。わかれろ。ゆめ、ちえ、あさひをほうきしたものとみなす。おい、こら!」(拍手)
「難しいけど楽しくて…」と矢井田さん。
「おれの名前も、森田がタモリになって…。大学のときのあだ名で、先輩が付けて…。それでこの業界がまたひっくり返すじゃん…。ひっくり返して、『リータモさん』って呼ぶやつが…」(笑)
いやあ、B級グルメからことば遊びまで、矢井田さんの興味の対象がいろいろ分かりました。
ただ矢井田さんの作った「新いろは歌」、「く」と「そ」が抜けているような気がするんですけれど…。
ひょっとしたら、最後の「おい、こら!」は「おい、くそ!」ではなかったのでしょうか…。昼時だから遠慮した…?
スミマセン、あら探しをして…。