2013年09月30日
279. 大友良英 あまちゃん・タモリさん・オールナイトニッポン・クドカン 「笑っていいとも!」
2日前の土曜日にNHK「あまちゃん」が終了。ステージには「あまちゃん」関係者からの花束がいっぱい…。
「『あまちゃん』全部の音楽を作った人ですよ」とタモリさんが紹介すると、大きな拍手が…。
「もともとフリージャズの人ですよね?」とタモリさん。
「ええ、10代のころからタモリさんのステージ見てますよ」と大友さん。
「ほんと?」
「フリージャズ見に行くとタモリさんがいらっしゃるというのが何度か…洋輔さんのときとか」
「へえ…どうぞどうぞ」と椅子を勧めるタモリさん。
「こんな昼間の明るいところに来ていいのかな?と」
「あまちゃん」の音楽
「あまちゃん」の音楽を話題にするタモリさん。
「完全に他局のことですが、いいんですか?」と気を遣う大友さん。
「ええ、いいんです」「何曲作ったんですか?」
「300曲くらい…」(「ええっ!」という客席)「ドラマと同時進行で…」「でも(放送が)始まる前から100曲くらいはできていた…始まる半年前から作って…」
「これ(潮騒のメモリー)は高校野球で使われていた?」
「ええ、使われていました」と大友さん。
「たまたま見ていたら、敵・味方、同じ曲使ってた」(笑)
「よく意味がわかんない」と大友さん。「『1986年に60万枚ヒットした曲を作ってくれ』という依頼だったんですよ…意味わかんないでしょ!」
「その時代のもの、聴くわけでしょ?」とタモリさん。
「いっぱい聴いて…おれ一人じゃ手に負えないんで、その辺の時代にくわしいSachiko Mさんに入ってもらったり、小泉今日子さんに来てもらったりして…みんなで一緒に作っていこうと…」
さらに「暦の上ではディセンバー」について…
「『潮騒のメモリー』書いたあとに、宮藤さんが突然詞を持ってきて、ものすごい長い詞で『すみませんが、振り付けの関係で明日までに曲を書いてください』と言われて…」
「NHKスタジオでちょうど『潮騒のメモリー』録り終わった後だったので…、そこにSachiko Mとかがいたので、3人でパートに分けて、『ここの部分、Sachiko Mさんかな。じゃ、おれサビ書くわ…』」
「合わせただけなの?」とタモリさん。
タモリさんの好きなノイズ
「イントロとキーが違うのに、合わせたら面白いから、『これでいこう!』と」と大友さん。
「それでも歌えるんですか?」
「今の子、音感いいのかな?とつぜんドン!と出ても大丈夫なんですね…最初ヘンだけども」
「おれ、かねがね思ってたんだけれども」とタモリさん。「音楽って縦のつながりあるじゃないですか、和音の、あれよりも横の流れがちゃんとしてたら、そんなもん超越するんですね…」
「するするする、そのへんフリー(ジャズ)、全部やってますから…別に何が来てもいいんですね」と大友さん。
「それからたまたま見てた時に、妙にノイズっぽいギターが…場面よりもそれが気になっちゃって…」
「ぼくの本領なんですけれども…」
「いいですね、あれ」とタモリさん。
「そんなこと言ってもらって、おれ、もうこの場で今日死んでもいい…」と大友さん。(笑)かなりのタモリさんフリーク?
「最初は『あまちゃん』に合わせてたんですけど、『東京』に行きだしたころから、かなり自由に…最後はもうやりたい放題…」
「ノイズっていいんですよ…聴いちゃう」とタモリさん。
クドカンはメチャクチャ
「微妙にわざとダサく作ってるんですよね?」とタモリさん。
「もともとダサいんですけど…注文がありまして、『カッコいい曲もいいけれど、残念な曲も作ってくれ』と」
地方の現実を見たときに、過疎の町など、辛い状況、残念な状況がある…それらの現実を表して、なおかつ愛情も感じられるような表現を求められたそうです。
「300曲はすごいですよね…宮藤君はムチャクチャですね」とタモリさん。
「ムチャクチャですよ、あの人…もうほんと、助けてください…あの人止められるのはタモリさんしかいないんじゃないか…」(笑)
「一番苦労したのは?」
「やっぱり『潮騒のメモリー』ですよ。この曲が全編を貫くカギになってくるので…これも6曲くらい作ったかな…いろんなの。ボツになった5曲があって、山口百恵ふうのとかあって、瞬間ボツになりましたね」
「歌詞がムチャクチャなんですよね…」とタモリさん。
「ジョニーに伝えて 千円返して」(大笑)
「低気圧に乗って 北へ向かうわ」
「北へ行くのね ここも北なのに」(爆笑)
「自分でボケたりツッコんだりしてますよね」と大友さん。(笑)
「だいたい辛い思いをしたり、失恋の場合は北へ行くんですよね」とタモリさん。
「南へ行くと明るくなっちゃうから」と大友さん。
「三途の川のマーメイド」「友だち少ないマーメイド」
「何考えて書いてるんでしょうね…」と大友さん。「『好きよ嫌いよ』はキョンキョンが作ったんですよ…『優しく、強く』を足していった…。」「『宮藤さんにいいの?』って聞いたら、『大丈夫よ』って」
「八重の桜」で仕事をしている坂本龍一さんがふらりと現れ、小泉さんと20年ぶりの再会。そのついで(?)に「来てよタクシー捕まえて」のフレーズを作って帰っていったそうです…。
「微妙なメロディだからやめようかと思っていたら、小泉さんが歌ったらちゃんとものになって、結局採用に…」
オールナイト・ニッポンで人生が…
大友さんが進路を考えていた高校生のときに聴いていたのが深夜放送「オールナイト・ニッポン」。
「高信太郎さんの『オールナイト・ニッポン』に(タモリさんが)出たとき、聴いてて、『なに、このヘンな人?』ちょうどフリージャズ聴きはじめて…。山下洋輔さんとか坂田明さんとか…」
そうこうしているうちに、タモリさんがDJの「オールナイト・ニッポン」が始まり、大友少年はヘビー・リスナーになります。
「ハガキを書いて読まれたことも、テープを送って(放送で)流れたこともあって…」
「何の曲?」とタモリさん。
「そば屋の曲です」
当時の「オールナイト・ニッポン」でよく流れた曲です。楽器の演奏に合わせ、みんなが「そば屋・そば屋」と独特の節を付けて歌い、合いの手にタモリさんがハナモゲラ語を入れる、変わった曲でした。一度聴くと耳について離れない…。
「あれをテープの回転を変えて、オーバーダブして…」
そのテープ、当時のタモリさんが番組内でフルでかけてくれたそうで、大友少年は大感激。
「ああ、覚えてるね、それ!」とタモリさん。
「やった!」と感激の大友さん。(拍手)
「覚えてるわ…」
「真面目な手紙も送って…進路についての相談で…」
「それ覚えてない…」(笑)
「あのころはヘンなことばかりして…ムチャクチャでしたよね」「忘年会を生中継してたの、覚えてます?」
「えー!」とタモリさん。
「こんなひどい番組ないですよ、忘年会をそのまんま…」
「覚えてない…」
「そのおかげでおれ、こんな人になっちゃったんだから…責任取ってほしいくらい」(笑)「なんて大人の世界はいいんだろうと…」
この後の「100分のXアンケート」で見事携帯ストラップを手にした大友さん。「じぇじぇじぇ!」と叫んで…。勢いがある、とはこのことでしょうか。
タモリさんの「オールナイト・ニッポン」、私(よしろう)もよく聴いてました。本当にムチャクチャで面白かったです。だってゲストで来てくれたミュージシャンの歌を、平気で攻撃するんですから。
「あなたの歌は暗い、女々しい、聞いてられない」とタモリさん。
「同じ福岡出身なのに、どうしてそういうこと言うかなあ」と反撃していたのは南こうせつさん。気まずい雰囲気になっていたのは井上陽水さん。
居酒屋からの中継もあって、ぐでんぐでんに酔っぱらった赤塚不二夫が出てきたり…本当に好き放題にやっていた番組でした。懐かしいなあ…。
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