2013年09月28日
277. ビートたけし ロッドスチュアート・喜納昌吉・浅草 「サワコの朝」
たけしさん、登場するや「(アガワさんは)朝の伝道師みたいになって…」(笑)「最後に募金集めて逃げちゃう」(笑)
2人は他局で15年以上共演しています。気心の知れた間柄なのですね。
「話があったときに、『話すことないよ』って言ってたんだけど…」とたけしさん。
「私、たけしさんとそんなに深く話したことないんですよ」とアガワさん。
「ゴルフの愚痴?あと、政治の問題やってたので議員の愚痴と悪口と…」(笑)
ビートたけしさんは、1947年、東京生まれの66歳。
1974年にツービートを結成。おりからの漫才ブームで、瞬く間に日本中の人気者に。
1989年には映画監督デビュー。
1997年、ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞。「世界のキタノ」という名声を得ます。
「最近、奥さんと仲がいいと聞いていますが…」
「とんでもないですよ…カミさんと週に1回、食事するんだけど、それが辛くてしょうがない」(笑)「それを私は『営業』と呼んでいますから…」(笑)「ずーっと文句を言われて小遣いもらうわけですから…。食事終わって、『じゃあな!』と別れたときの解放感…」(笑)「初めてタヒチの海へ行ったような…」(笑)
「記憶の中で今もきらめく曲」は
「マギー・メイ」ロッド・スチュアート
「ロッド・スチュアートが好きで、特に『マギー・メイ』が気に入ってて…」「何か身につまされる…好きになった女が身勝手で…」
その1節…。
「一緒にいるのは楽しいけど、なんでか利用されてる気がする。これ以上ないくらい尽くしてきたし…。お前は俺の心を盗んで、本当に辛かった…」
「かわいそうでしょ?」とたけしさん。(笑)「女性に振り回される男の歌…浅草時代の友だちに勧められて聴いた曲…」
最近流行っている曲の歌詞について聞きますと…
「大嫌いでさ…『君をひとりにしない…ぼくはここにいる』大きなお世話だ!お前にできるわけないだろう!」(笑)「この歌のほうが本音…」
かつての浅草の劇場はストリップ・ショーが中心。その合間の寸劇やお笑いで芸人さんたちは腕を磨いていたそうです。
「浅草にいたころは、ストリッパーが若い芸人の面倒を見るのが常識だった…お金がかからなかった」
たけしさん、けっこうモテていたとか。
ここでアガワさんが、好きな女性のタイプについて、たけしさんに肉薄。
「異常なマザコン…遠足に行って、うちの母ちゃん、隣に座ってんの…」(笑)
「心配で?」
「『この子、吐きやすいから』って言って…。とにかくお袋が見張っているわけ」
「自分をマザコンだと思ったのはいつ?」
「結局…付き合った女性がみな同じタイプ…。彼女であり、お母さんである」
「『たけしさん、おまちどおさま』っていうのはダメなの?」とアガワさん。
「ダメなの…。『何やってんの?アンタ、早く食べなよ!』『汚いズボン穿いて…これ穿きなさい!』」
「いまだに?」とアガワさん。
「『いまだに』って言うと問題あるけど…」(笑)「ありました、と」
あのころの浅草
「ロマンがあった…。売れなくても『浅草で芸人だった』ってことで死んでいけた…。だから浅草に行った」「街全体が芸人を育てるところがあって…」
売れない芸人時代、お金が無くても、居酒屋をのぞくと、「入りなよ」って言ってくれるお客さん。「たけちゃんに何かやってよ」
出世払いで飲めた時代だったとか。
「出世して行かなくなったら『あの野郎、来ねえ』って大変だから、2か月に1ぺんくらい行くようにしてる」
そのお店のご主人、いまだに若い芸人からはお金を取らず、「たけちゃんが来ると貰うから」と言ってるそうで…。
「浅草行くたびに何十万か置かなきゃいけない…。もうやんなっちゃう…」(笑)
事件と事故
長い知り合いでも面と向かって聞きにくいこともあると思うのですが、アガワさんはそこにも迫りました。
1986年の「フライデー襲撃事件」と1994年の「バイク事故」です。
「謹慎になった事件とバイクの事故と、だいたい10年単位で起こってる…10年するとバクハツしたくなる?」とアガワさん。
「イラつくんじゃないですかね?漫才で売れて、ラジオでも売れて…。逆にイラつく。『この先どうなるんだろう?』イライラして、『おれ、どうする?』って言って、こんなになって…。『白紙に戻す』みたいな…」「いいバチだと思って…。節目節目にバチがあたる…」
「事故の理由はかなり映画があったの。自分が『これはいいだろう、こんな感覚の映画はないだろう』って言ってたら、まるっきり評価が無いんで…そうなると、『自分の感覚が悪いのかな?』って…。そして事故になって…」
「あとになって考えたら、『そこまで自分を犠牲にする必要はない。やりたいことをちゃんとやって、評価されようとされまいとしょうがないじゃない』と…。『あとは野となれ、山となれ』と…」
「やることやって失敗したら、『それはしょうがない』と…」とアガワさん。
それでも、メディアに「たけしはもう終わった」と報道されると、「ムカッとして、『やってやろう!』」と思ったそうです。
「いろんな賞を獲ったの、全部事故のあと…」とたけしさん。転んでもただでは起きない?
事件や事故は、結果的には、たけしさん再生のための「儀礼」としての役割を果たしたような気もします。通過儀礼のあと、更に大きくなって「世界のキタノ」になった…。
「個性」の尊重
次に「個性の尊重」を謳う風潮が話題に。
「『人よりいいとこ探しなさい』とか、『自分しか持ってない個性』とか…、『誰でも特別な才能がある』とか、あれ、嘘だよね…、無いヤツは無いもん…。俺だって無いもん…。偶然見つかったのがお笑いで…。『無くてもいいんだ』っていう教育したほうがいいと思うよ」
「『生きがい』って、死ぬ前にやっと見つかるもんで…。」「サラリーマン、『定年後はこうしよう』、そんなバカな話はない。早いうちから遊んどかないと…。『時間が出来たら…』って、それは趣味じゃない、時間がないときに、いかに人をだましてやるかが趣味…」
校則は厳しく
「『校則もあったほうがいい』とたけしさんはおっしゃる」とアガワさん。
「不良は、『いかに自分が不良か』と見せびらかすもの。持ち物検査を徹底的にして、そこでナイフを持ち込んだら『おーっ!』。自由にしたら、ナイフを持ってたって、『別に…』。そうしたら人を刺して『すごいな!』と言われる」
そして「学校は礼儀作法を教えるべきだ」「日本人は国をもっと愛すべきだ」とも。
現代のコンピューター中心のネット社会を、「奴隷化している…狭い鶏小屋に入れられて、頭をつつき合ってるような…卵だけ持っていかれているような気がする」と。
「街を歩いていて耳に入る情報が一番正しいかもしれない…」
たけしさん自身が、ネットで様々に語られていると思うのですが、
「悪口・批評は視聴者の権利。我々はそれで食べてる。職業としているんで、応酬はしない。『お前、なにも分かってないな』とは言わない…」
リタイア
「落ちていく不安は?」とアガワさん。これ、アガワさんでなかったら、「うるせい!余計なお世話だ!」となるところですよね。
「もう、年齢が…静かにフェイドアウト…」とたけしさん。
今よりも、40代のころに的確なアドリブが出なくなったときのほうが不安感は強かったそうです。
「30代では、そのときに一番笑いが取れる的確な言葉がすっと出た。『えーっと』ってやったら漫才はもうダメ」
そして仕事をラジオやコントに移していったそうです。「ピークのときに次のハシゴを見つける」
「未練は?」とアガワさん。
「ない!」とたけしさん。「お笑いはお笑いだし…」
そして引退について語ります。
「引退はお客が決める。視聴率がなくなる…それが引退」「体が動かなくなって倒れたらリタイア」
「今心に響く曲」は
「少女の心に虹がかかるまで」喜納昌吉
沖縄は「大戦で見捨てられ」「返還でも相変わらず基地がある」とたけしさん。沖縄は「楽しいけど悲しいとこ」と。
この歌にたけしさんは「沖縄の現在と夢と愛と、みんな混じった…自分はメルヘンチックだと思う」と語ります。
「少し歩いて何かを求めて ここまで登ってきたけれど
心の中に咲いてた花が ひとつとつぜん枯れました
涙が出てきてとまらず あなたに私の心をあげたくて
少女の涙に虹がかかるまで唄おうよ」
たけしさん、喜納昌吉さんの歌が好きで、この歌もカラオケで歌うのだとか。
子どもたちに
たけしさんに、子どもたちへの言葉を要求するアガワさん。
「生きていることに感謝すればいい。生きていることがすべてです。いずれ、みんな死ぬ…」「生きている間にいかに生きるのかだけを考えろ。そうすっと、マヌケなことをするヒマがないだろ」
そして「そういう自分がマヌケなことをしているのがツライ」(笑)と落としました。
たけしさんが「ツービート」として世に出て約35年。
毒舌漫才、たけちゃんマン、ラジオDJ、エッセイ、小説、テレビでの冠番組、映画出演、そして映画監督と、この人が手を出していないジャンルはないと思えるくらい、あらゆるジャンルで才能を発揮しました。
例の事件や事故をも含めて、私たちはこの人に35年以上もの間惹きつけられてきたのですね。
それにしても思うのは、毒舌漫才のころは常識の中に潜む欺瞞やテレビ番組の定型性などを笑いの形で攻撃していたのが、今や「学校は礼儀を」という主張に変わっていることの意味でした。
「芸人」というスタンスから「おかしい」と思うものを歯に衣着せずにこき下ろすのがたけしさんの作法であるならば、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言ってたころのほうが、たとえ欺瞞に満ちていても市民道徳やエチケットがかろうじて存在していて、今はそれもない、ということになるのでしょうか?
稀代のトリックスター(今やモンスター)の発言の変遷を考えるとき、私たちはかなりキツイ社会に生きているような気がしてきました…。
それにしてもアガワさん、お疲れさまでした。
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