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2018年10月24日

シュテパーネク引退試合(十月廿日)



 近々日本に帰任されるという企業の方とお話をしていたら、最近チェコのテニス関係者と付き合いがあって、帰任するという話をしたら、シュテパーネクのサイン入りのTシャツをくれたんだよなんてことを仰る。思わず、凄いですねと返すと、いまいちその凄さがわからなくてという。確かに、現在近年は怪我がちランキングもずっと下げていたし、デビスカップでも活躍できていなかったから、昔からチェコのテニスを追いかけていなければシュテパーネクについて知らなくても不思議はない。
 こちらもチェコに長年住んで、チェコ人たちが熱狂的に応援するデビスカップの中継を見ていなかったら、特にテニスが好きという人間でもないから、シュテパーネクって誰? ということになっていた可能性は高い。四大大会で優勝したことがあるわけでもなく、ランキングトップ10の常連でもなかった選手が、デビスカップで優勝したからといって日本で有名になるわけもないのだ。日本ではどうも国対抗のチーム戦であるデビスカップ、フェドカップはそれほど重要視されていないようだし。

 思い返せば、今週の初めぐらいから、すでに引退したシュテパーネクがテレビのスポーツニュースで取り上げられることが増えていた。一番大きかったのはジョコビッチがコーチを務めたシュテパーネクのためにプラハにやってきたというニュースだった。そのジョコビッチがプラハにやってきた理由というのが、シュテパーネクの引退試合に出るためだったのだ。
 引退試合は木曜日の夕方からプラハで行なわれ、チェコテレビのスポーツチャンネルが中継していた。うちに帰ってきてチャンネルを変えてみたら、シュテパーネクが、かつて一緒に四大大会のどれかのダブルスで優勝したインドのパエスと組んで、ジョコビッチがハースという選手と組んでダブルスをやっていた。四人とも勝負よりも観客を楽しませ、自分たちが楽しむことを重視したプレーをしていた。こんなところで勝ち負けを云々しても野暮なだけだしね。

 たまにベンチというか、選手たちがコートチェンジの際に座る椅子が移されるのだけど、シュテパーネク側には、サッカー界からパベル・ネドビェド、ペトル・チェフ、それにアイスホッケーのヤロミールヤーグルの姿があった。ジョコビッチ側は、アガシとF1のハッキネンがいた。テニス選手のアガシはともかく、どこでハッキネンと付き合いができたんだろう。なんとも豪華な招待メンバーである。
 本当は、デビスカップでシュテパーネクと二人でチェコを優勝させたトマーシュ・ベルディフも、シュテパーネクとシングルスの試合をする予定だったらしいのだが、怪我が長引いていてプレーできない状態でその試合は実現しなかった。ただ、プレーヤーとしては出場しなかったのだけど、ダブルスの試合の途中で審判として登場した。長身のベルディフがアンパイア席で小さくなっているのはなかなかの見ものだったし、ジョコビッチが判定にクレームをつけて、あれこれやり取りしていたような気もする。

 ニュースの時間と重なっていたこともあって、全部を通して見たわけではないから、他にも有名人が登場したり、楽しい選出があったりしたことだろうと思う。シュテパーネクはデビスカップの試合でも、観客を盛り上げるためにいりいろやってショーマンと言われていたわけだし。客席に神のカーヤことカレル・ゴットがいたのは確認できたけど何かやったのかなあ。
 セットとセットの間の休憩時間には、シュテパーネクのキャリアを振り返る短い番組が放送されていて、世界ランキングでは、最高で8位まで上がったけど、怪我のためにトップ10の選手として試合に出場したことはないなんてことが語られていた。四大大会の最高成績もウィンブルドンの8強が一回あるだけで、後輩のベルディフよりはかなり劣るのだが、チェコでの人気、チェコのテニスに対する貢献度では負けていない。

 シュテパーネクのキャリアで何よりも特筆されるのは、ベルディフと組んで、チェコを二回もデビスカップ優勝に導いたことである。しかも大半の試合をベルディフと二人だけでこなしたのだ。もちろん負けてしまったこともあるけど、負けてなお、チェコ人の魂をゆすぶるような試合をしていた。いつのことだったかは覚えていないけど、痙攣を起した足を引きずりながら、5セット戦い抜いた試合はスイスとの対戦だっただろうか。フェデラーには演技だとか言って批判されていたはずである。
 それから、これは勝った試合だけど、クロアチアの強烈なサーブだけで飯食っているような長身の選手と、6時間にわたる死闘を繰り広げたのも忘れられない。第4セットまではすべてタイブレークで、第5セットは18−16だったかな。当時デビスカップ史上最長の試合で、このときはさすがに翌日のダブルスには出なかったんだったか。シュテパーネクのことだから無理して出た可能性もあるか。

 ベルディフもデビスカップではシュテパーネク以上に活躍しチェコの優勝に貢献しているのだけど、個々の試合の残した印象という点になると、シュテパーネクには敵わないのである。そんなシュテパーネクも、キャリアの最初の頃からデビスカップで活躍できたわけではなく、一時はテニス協会、当時のデビスカップの監督ともめて(負けたことを批判されて戦犯扱いされたのに我慢できなかったんだったかな)、一時はデビスカップの代表を拒否していたのだから、不思議なものである。

 選手としては最晩年と言ってもいい2016年のオリンピックで、混合ダブルスとはいえメダルを獲得したのもシュテパーネクを忘れられない選手にしている。チェコ人って日本人と一緒で、オリンピック大好きだからさ。日本でもテニス好きの間では多少の知名度はありそうだけど、ステパネクという名前で覚えられていそうだなあ。テニス好きでチェコ好きなら、そんな人はあまりいないだろうけど、シュテパーネクの名前で覚えてくれているかな。
2018年10月21日23時。








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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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