(2016年投稿記事です。)
6回にわたって「海上自衛隊幹部候補生学校」の記事を書いてまいりました。
ようやく「卒業」の部分まで到達することができました。
しかし卒業後も続く出港と航海!すぐに近海練習航海(その2)です!
今日はそんな「卒業編」について!
(前記事):【海上自衛隊】海自幹部候補生になったお話その6(巡航編)
(次記事):【海上自衛隊】国内巡航(その2)から遠洋練習航海出発へ!
(1)ようやく卒業だ!けどいろんなことも一杯だ!!
3月に入り、近海練習航海(その1)が終了して、ようやく江田島に戻ってきました。
ようやく一息付けるかと思いきや、3月下旬までの卒業まですぐです!
最終総合試験やら身辺整理、卒業後の近海練習航海(その2)の準備、出国準備など一杯です。
何しろ、卒業式の後そのまま「近海練習航海(その2)」に出発します。
そして、「遠洋練習航海」(略称:遠航)に出港します。
そのため、1年間借りていた「下宿」も引き払います。
併せて、学生隊舎の大掃除や卒業式の予行練習(立付)も行います。
その間に、急遽始まる「総短艇」もこなします!
(2日で4回の「総短艇」はさすがに詰め込み過ぎじゃない?)
そして、卒業・任官後に着用する幹部自衛官の制服が支給されます。
私の所属していた分隊は「2等海尉」任官がペンギン候補生のみでした。
そのため、私のみ「2等海尉」の制服が支給されます。
図1 2等海尉の階級章
引用URL:http://www.mod.go.jp/msdf/formal/about/basic/class/img/lt_jg.gif
http://yamaneko-lynks.up.n.seesaa.net/yamaneko-lynks/image/00610231840.jpg?d=a1
みんなより、階級章の線が1本多くなります。
「赤鬼・青鬼」こと『幹事付A・B』と同じ階級となることに、責任の重さを感じました。
(2)江田島の「正門」より旅立ちの日・・・
大講堂での「卒業式・幹部任命」をもって、江田島を卒業します。
陸空自では「幹部候補生学校」を卒業後、隊付き教育を経て任官します。
海上自衛隊では、「A幹(防大・一般大卒)」のみ卒業と同時に「幹部任官」になります。
(「B幹(部内・飛行課程)は卒業後の7月に3尉昇進)
卒業式を終え、来賓・家族と共に午餐会となります。
そして午後、「近海練習航海(その2)」に出発のため、卒業式恒例の「行進」が行われます。
図2 卒業後の目玉行事「行進」
引用URL:http://mebisu924.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/03/20/img_6125.jpg
http://www.jpsn.org/images/topic/05_06.gif
この時、「候補生」から「実習幹部」となって、「表桟橋」へ行進します。
ここで、2等海尉になった者が列の先頭集団にまとめられます。
分隊から離れて行進するため、「ああ、本当に卒業したんだな・・・」と感じました。
江田島に来て、『初めて』幹部候補生学校の「江田島の正門」を使います。
江田島では「表桟橋」が「正門」とされています。
通常、よく目にする入口は「営門」です。
図3 江田島の「営門」
引用URL:http://pds.exblog.jp/pds/1/201003/31/10/f0141310_237437.jpg
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(3)さあ!出港よ〜い!
いよいよ、練習艦隊の「かしま」を始めとした「練習航海部隊」が出港します。
実習幹部は、出港にて「登舷礼」(船の片舷に整列する礼式)を行います。
結構この「登舷礼」も均一にするには結構手間がかかります。
さらに動き出すとそれなりに揺れがあるので、苦労します。
出港は、卒業式のハイライト!
図4 「かしま」他出港する「練習航海部隊」
引用URL:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/3e/2bb963e335b7d05206dea5c72e3b2fed.jpg
この時、近海練習航海(その1)にはいなかった人たちも同乗して出港します。
それは「内局若手キャリア」の方々です。
入省3年目ぐらいの「内局若手キャリア」も「部隊研修」で近海練習航海に参加します。
図5 同乗する内局若手キャリア(画像を一部修正)
引用URL:http://msdfmso.info/wp-content/uploads/2016/04/kinkai2kai3.jpg
長期の「部隊研修」がキャリア組の3年目教育にあるそうです。
ここで、「海自練習艦隊で研修!」というのが一番キツイそうです。
船は揺れる、眠れない、昼夜を問わず訓練見学しなきゃならない、と愚痴をこぼしていました。
食事はかしまの「練習艦隊司令部公室」でするけど、「船酔い」で食べられない人が続出!
寝室は「実習幹部寝室」で「実習幹部」と同室になります。
『海自の研修がキツイのが良くわかったわ〜』
若手キャリアがよく言ってました。
ただ、このキャリアとの交流でいろんなことも吸収できました。
最後に、私のころは「卒業」と同時に「幹事付A・B」と離れることができました。
近年は「教育幕僚A・B」としてそのまま「幹事付A・B」が同行するそうです・・・
oh・・・No・・・
いま苦労しているだろう「実習幹部」へ頑張ってくださいとしかいえません・・・
ホント江田島は卒業しても地獄だぜえぇぇ!!!
幹部候補生学校編はこれで終わりです。
今までの記事もご覧になってみてください!
【海上自衛隊】海自幹部候補生になったペンギンのお話その1(カナヅチ編)
【海上自衛隊】海自幹部候補生になったペンギンのお話その2(総短艇編)
【海上自衛隊】海自幹部候補生になったお話その3(下宿編)
【海上自衛隊】海自幹部候補生になったお話その4(給料編)
【海上自衛隊】海自幹部候補生になったお話その5(航海編)
【海上自衛隊】海自幹部候補生になったお話その6(巡航編)
(次記事):【海上自衛隊】国内巡航(その2)から遠洋練習航海出発へ!
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B幹は多種多用な生き方になり、なかなかすごい世界が待っています。
飛幹についても、階級上は7月まで「幹部候補生たる海曹長」のまま飛行部隊で勤務するそうです。
しかしすでに実用機課程などを修了して勤務しており、幹部扱いなのであんまり気にしていないそうです。
それよりも副操縦士・TACCOとしての部隊の戦力となる任務資格習得の方が忙しいそうです。
部内課程の場合、「幹部候補生たる海曹長」として部内遠洋練習航海(部内・飛行)を経験します。
その後、艦艇部隊に配置されるとそのまま幹部扱いでサムライ配置になります。
・ただ、艦長の考え次第では「艦長付」にて幹部任務課程(6週間)を終了して、3等海尉に昇任してからサムライ配置とする例もあります。
・海曹時代のマーク(特技)が生かせる職務なら、そのままサムライ配置になる人は多いですが、部内幹部になったとたんガラリと職種が変わる人もいるため、全員がサムライ配置になるわけではありません。
けっこうA幹より複雑な人事管理だったりするのが、B幹配置だったりします。(海曹時代潜水艦マークだったひとが、水上艦配置になる例もあります。)
部内幹候の方々は、卒業後の7月に三等海尉に昇任とあります。2月に部内課程を卒業すると、確か3か月程度の遠洋航海があったかと思いますが、遠洋航海終了後は幹部候補生たる海曹長のままサムライ配置につくのでしょうか?
・幹部候補生学校卒業(3月)と同時に、幹部任官となるためどうしても2尉任官は2期上よりも早くなります。
(2期上の人は、7月に定期昇任で昇任)
・3尉から2尉昇任は、A幹では2年という人事上の規定がある上に定期昇任日が7月1日と1月1日に固定されているためです。
・そのため一時期、大学院卒も3等海尉に任官させるということが検討されたこともありますが今度は定年までの期間が短くなるという弊害があり取りやめになっています。(院卒の入隊メリットが無くなり募集にも影響が出るため)
・練習艦隊での遠洋練習航海中に昇任させるよりは、卒業時に2尉に任官させた方が人事管理や官品被服貸与などの補給面で面倒が少ないということもあります。
(練習艦隊実習幹部の時は、まとめてしごかれるため)
・海幕も院卒十数人ほどのために人事の特例を作るほどでもないという考えだと聞かされました。
つまり、幹候54期でいうと、54期院卒は52期に編入され、56期院卒は54期に編入される。54期は52期の一部と心理的に同期で56期の一部とも人事管理的に同期ということになる、という認識でよろしいでしょうか?しかし、56期院卒の方が54期よりも二等海尉昇任が早いのはどこか不思議な感じですね。幹候卒業で一旦三等海尉とし、改めて二期上と同じ夏に二等海尉にしたらいいと思うのですが、練習艦隊期間中で何かと大変だから卒業時にしているのでしょうか?
ご指摘の通りに、院卒で2尉になる者は人事管理上2期上の代に編入される形になります。
しかし同期会は、そのまま元の期にて入ることになります。
ただ2期上に組み込まれるのを実感するのは、幹部中級課程入校ぐらいですね。(同期より早く中級に行きます)
利点は、同期の枠を超えて知り合いが多くできます。
欠点は、1尉昇進まで「1選抜扱い」になります。(院卒の2尉任官が、2期上より3か月早いため)
なかなか人事面で、神経を使うことが多いです。