(2015年投稿記事です。)
\PR!/
今回は少し趣向を変えて、2ちゃんねるなどのネットにてコピペにもなったお話を取り上げてみましょう!
くだらない話でも、ホントのことが書かれていたりしますから面白いものです。
海上自衛隊の結婚式におけるコピペが一番有名でしょうかね?
今日はそんな話や私も実際に体験した話も含めて書いてみましょう。
(実は、このサイト発でのコピペ発信も狙っている・・・)
(前回記事):『海上自衛隊婚活の出会いの場所は街コン?それとも合コン?それとも?』
\こちらもご参考に!PR/
(1)有名な海上自衛隊の結婚式での『大和』の話(コピペ)
こんなコピペをネットで見たことありませんか?
『私がホテル勤めをしていた頃の話。ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」 と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。 私はその後は仕事になりませんでした。』
よくネットで流れていて、自衛隊のコピペで検索をかけるとすぐに出てくる話です。
『ネットで書かれた話だから、盛っている話もあるだろう』
そういう風に感じる方もいるかもしれません。
ただこの話は、マジな実話です・・・。
\奇跡の生還物語!PR/
先任将校: 軍艦名取短艇隊帰投せり (光人社NF文庫) 松永 市郎【中古】 価格:1000円 |
(2)海軍の諸先輩方に敬意を表して・・・
『それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。』
ここの下りについて、一般の方だと「なんでそこまで?」となるかも知れません。
海上自衛隊幹部候補生学校がある江田島には、かつて海軍兵学校がありました。
そこでは海軍の歴史に関する教育参考館などがあり、海軍の歴史を感じるところでです。
現在使用している建物も、昔の兵学校に建てられたものをそのまま使用しています。
ここでで学んで卒業していくと、やはり海軍との繋がりを強く意識します。
また、大和の主砲弾などが展示されています。
図1 大和主砲弾(江田島にて展示)
引用URL:http://blog-imgs-56.fc2.com/w/a/k/wakiwakidonn/2012092009263345d.jpg
江田島を卒業した海上自衛官にとって、大和はやはり特別な存在というのが本心です。
最近は大和乗組だった方もご高齢のため、こういう話を聞くことが少なくなりました。
『ネーヴィー(海軍)の伝統』というのは大切にしたいと思います。
\PR!/
(3)私が体験した大和の実話を紹介!
ちょっと結婚式のコピペからずれますが、私自身も大和絡みのある体験があります。
実習幹部時代に、まさに『すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼』という体験です。
それは、実習幹部に対する外部講師の講話でした。
ただ、その外部講師の方は海上自衛隊に何の関係もなさそうな肩書でした。
実習幹部どころか、船の幹部まで『???何か関係ある方???でした。
その方の肩書(当時)は、『宝塚音楽学校理事』で全く関係がわかりませんでした。
そして講話の冒頭で驚愕する事実を聞きました。
『今日は今の肩書で話すよりも、海兵74期卒で大和に乗り組み、沖縄への出撃直前に退艦させられた少尉候補生として話をしたいと思う・・・』
図2 大和から退艦させられる少尉候補生たち(映画より)
引用URL:http://stat.ameba.jp/user_images/20130318/20/zipang-analyzing/92/57/j/o0424028012462996600.jpg
まさに、コピペにあったように海上にいた総員が、
『すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼』
する経験を致しました。
同行していた宝塚歌劇団のキャストの方は、まさに『????』状態でした。
まさか自分がコピペのような経験をするとは思いませんでした。
意外と、海上自衛隊の結婚式ではこういうことが発生します・・・
\PR!/
防衛・軍事ランキング
↑ブログ主の更新意欲維持の為↑バナーをクリック↑
↑していただければブログ主が↑頑張ります↑
司馬先生の話は私もちょこっと聞いた話でしたが、そんなに喜んでいただいていたんですね〜!
私の場合、三笠の見学で「ここに司馬先生が来て海軍OBと懇談したことがあるんだぞ」という程度でした。
この話寝たきりの母に話したところ、我が家で言えば、私の長男が防衛大学を卒業して結婚する際に亡き義父(海軍兵学校77期、戦後群馬大学医学部進学医者)が挨拶するという感じだねと涙目で言ってました。
かの坂の上の雲を執筆された司馬先生が日本海海戦を執筆する前に、誰かの肝いりで旧海軍士官と戦艦三笠のガンルームで会食、缶ビールと銀のさらにお好みあられがあるだけの質素な集いなのに極上の品を感じた。先生ほ、学徒出陣で戦車士官として陸軍に在籍していられたが、あんな理不尽な世界は、ないと思い出すのも嫌だったけど、集まった方々(兵学校出身だけでなく、自分の様に学徒出陣もいれば、機関学校、造船士官もいた)皆海軍時代を目を細めて懐かしがる姿に大きなギャップを感じ、帝国海軍の大ファンになられた旨ロシアについて、というエッセイに認められていた。
先生の気持ちがよく分かる❗
帝国海軍が模範とした英国海軍に感謝、伝統を受け継いでいる海上自衛隊に幸あれ(陸上自衛隊のコピペにこういった話よんだ事ない。)