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第三次世界大戦を阻止した英雄と言える英軍人が、80年の生涯を終えました。
彼の名はサー・ジャクソン将軍、元英陸軍参謀総長です。
図1 サージャクソン将軍
引用URL:https://pbs.twimg.com/media/GaKeNwOa4AAyBGD?format=jpg&name=900x900
1999年6月12日にロシア軍とNATO軍が衝突寸前となった、プリテシュナ危機は日本では知られていません。
たった一人の英国将軍により、1999年に第三次世界大戦が発生するのを防いだのです。
(前回記事):『陸自小型級船舶がついに進水する!』
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(1)コソボ紛争そしてロシア空挺軍急襲!
1999年にコソボ紛争があり、NATO軍がセルビア爆撃をしたのは知られています。
図2 アライドフォース作戦
引用wiki
2か月に及ぶ空爆により、セルビアは和平会談に応じてコソボ紛争は終結に向かいます。
1.1 サー・ジャクソン将軍はどんな人
英国陸軍サー・ジャクソン将軍は、1999年にNATO即応軍団司令官として勤務していました。
図3 将軍
引用wiki
若いころ英国空挺部隊などに勤務して、1972年の「血の日曜日事件(北アイルランド)」など血なまぐさい経歴を持っています。
1999年には、NATO即応軍団司令官としてコソボ紛争の指揮を執っていました。
古き良き軍人として、懐にはいつも愛用のウィスキーを入れたフラスクを持ち歩いていたそうです。
彼が第三次世界大戦を防いだと言えるのは、1999年のコソボ紛争終結時の行動です。
1.2 コソボ紛争終結そして平和維持軍(KFOR)派遣へ
1999年5月には、セルビア爆撃中に中国大使館を誤爆するなど緊張が高まりました。
図4 中国大使館
引用wik
1998年のアジア通貨危機などが起きている中で、中国大使館の誤爆事件など第三次世界大戦に段々と近づく状況です。
セルビアが和平交渉に応じて、コソボ紛争は1999年6月11日に紛争終結となります。
国連安保理が1999年6月10日に決議をして、NATO主導の平和維持軍KFORが発足し部隊展開が6月12日に予定されていました。
1.3 ロシア空挺軍第98師団が空港占拠!
ロシアは伝統的友好国であるセルビアに、NATO軍が進駐することを憂慮していました。
そのため電撃的に1999年6月12日、ロシア空挺軍第98師団の先遣隊をコソボプリテシュナ空港に派遣して占拠します。
図5 ロシア空挺軍
引用URL:https://www.reddit.com/media?url=https%3A%2F%2Fexternal-preview.redd.it%2FaCj3QF67xG_v_rfjvCcsgvKkNgHV1dNC0IIakXBKs60.jpg%3Fauto%3Dwebp%26s%3Dabd25f9eedc41a8e5d0eee724bce7a9374100862
突如現れたロシア軍に、空港周辺は大混乱に陥りました。
元々ロシア軍はKFORに加わる予定でしたが、6月11日に参加破棄を国連に通告して空港をロシア空挺部隊が占拠する事態となります。
またプリテシュナ空港は、KFORの活動拠点となる予定であり確保が大前提でした。
NATO軍最高司令官(米陸軍大将)は激怒し、「ロシア軍であっても撃破して空港を占拠せよ!」と無茶苦茶な命令を出します。
このまま1999年6月12日に、ロシア軍とNATO軍が全面衝突して第三次世界大戦開始となるか?!
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(2)老将軍の冷静な判断が世界を救った!
事前偵察をしていたSASの報告を受けたジャクソン将軍は、プリテシュナ空港に直接乗り込むことにしました。
図6 ヘリで乗り付け
引用URL:https://www.difesaonline.it/sites/default/files/pictures/021019%20storia%20k3b.jpg
空挺兵らしい大胆かつ、素早い動きでした。
2.1 米国にはNO!を突きつける判断
サー・ジャクソン将軍は、無茶な命令を出してきたNATO軍司令官(米陸軍大将)に対して、
『お前のために戦争を始めるつもりはない!』
とはっきりと命令拒絶を行います。
米国はF-117ステルス戦闘機が撃墜されるほどの損害を出しており、命令無視の英国にカンカンとなります。
後に米国は間違いを認め、命令を出した米陸軍大将を解任します。
冷静な英陸軍将軍の判断が、第三次世界大戦を回避したと言えます。
2.2 ロシア軍と話を付ける!
空港に直接乗り込んだ将軍は、ゲリラ攻撃を受けて殺気立つロシア空挺軍と直接対峙します。
図7 空港での対峙
引用URL:https://www.difesaonline.it/sites/default/files/styles/large/public/article/021019%20storia%20k0.jpg?itok=yuUXO7t_
周りにはSASやらスペツナズなど、歴戦の兵士が睨み合い発砲寸前でした。
そんな中で、サー・ジャクソン将軍はロシア軍の指揮官に切り出します。
『とりあえずウィスキーでも飲まないか戦友?』
図8 協力
引用URL:https://balkaninsight.com/wp-content/uploads/2024/06/254648-1280x847.jpg
英国人らしいウィット溢れる会話により、ロシア軍も態度を軟化させその場でロシア軍もNATOとは別の指揮系統でKFOR参加が決まります。
(後日ロシア軍からサー・ジャクソン将軍にウオッカが贈呈されました)
当時のロシア軍は、プロ意識が高く冷静な行動を選択して第三次世界大戦は回避されました。
2.3 日本での関心は薄い
これほどの危機があったのですが、日本ではほとんど知られることはありませんでした。
ちょうど6月12日には、東京相和銀行が経営破綻して大ニュースになっていまいた。
図9 破綻
引用wiki
そんな中で同じ日に発生していた第三次世界大戦の危機に、関心を寄せる人は少なかったのです。
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(3)マジに戦争にならなくてよかったよ(汗)!
25年前の出来事ですが、振り返るとマジに第三次世界大戦の瀬戸際でした。図10 キューバ危機
引用wiki
核魚雷が発射寸前までいった、1962年キューバ危機の再来でした。
3.1 世界は紛争に満ちていた。
1999年は世界各地で、武力衝突が続いていた年でした。
@印パ紛争(カルギル戦争):インド・パキスタン双方が戦術核使用寸前
Aバドメ戦争(アフリカ):エチオピア・エリトリア国境紛争でロシア・ウクライナが代理戦争
B第二次コンゴ内戦:アフリカ大戦とも呼ばれる戦争
C東ティモール紛争:1999年にはインドネシアとオーストラリアが軍事衝突寸前
図11 バドメ戦争
引用URL:https://www.cnn.co.jp/storage/2021/12/21/66ffd86f283edb2cc1a2442eda4a77a2/t/768/432/d/ethiopia-tigray-tank-02-26-2021-super-169.jpg
マジに第三次世界大戦にならなかったのが、不思議なくらいの混乱でした(汗)
サー・ジャクソン将軍が、理性的な命令不服従をしなかったら世界は崩壊していたかもしれません。
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3.2 第三次隻大戦を防いだ将軍に哀悼を!
サー・ジャクソン将軍は、2024年10月15日に80年の生涯を終えました。
第三次世界大戦を阻止した英雄として、記憶しておくことが追悼になるでしょう!
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プリテシュナ危機は、海外ではかなり有名なのに日本では知られていない不思議な事件です。
歴史のIFですが、突然世界大戦が発生するのではなくこんな感じで小さい事件から事態が悪化する教訓となったと言えます。