アフィリエイト広告を利用しています

2023年01月23日

週末いろいろ

20日の金曜日はとても楽しみにしていた日だった。
今年の年賀状は2つに分けた。1つは会社関係、これには本年で年賀状を終えること。友人と親戚には4月から住所が変わることとLINEのIDを書いていた。
何人かがLINEで連絡をくれた。そのうちの一人、M。
彼は新卒で入った会社の同期。配属から札幌支店だった。入社3年目で札幌に転勤した時、心強い存在だった。

札幌でくじけて会社を辞めた。くじけてという表現がいいかどうか、腹が立つことが多かったのだ。
そして実家に帰るのだが、その頃にMは結婚した。同じ札幌支店の女性だ。
Mは和歌山出身だった。その結婚式に呼ばれて行ったのを覚えている。それからも付き合いがあった。彼の子供が生まれた時に家に泊まりに行った。これは東京での出来事だと思っていたが大阪だったようだ。子供の歳から逆算すると1994年のことだったのだ。
そのあとに彼の今の東京の住まいの街で呑んだことも覚えている。これは自分が東京に来てからかと思っていたが、どうも出張で来ていた時のようだ。

もう一人Gが来た。Gは入社した時に同じビルの勤務だった。
入社した会社は事業部制で、同じ会社だが事業部色の方が強かった。大阪だけで3つのビル、同じビルにいないと合うことはあまりない。
Gとは札幌に転勤するときに送別会に来てくれて以来だと思う。たぶん、来たかと思うのだが。
19時半に新宿南口で待ち合わせ。時間があるので居酒屋Qで呑んでから行った。3人でグループラインを作っていた。早く着いたので「着いてるよ」と送るとGも居るという。
見渡すが解らない。ルミネのエスカレーター下と送ると声をかけられた。どこのオッサンかと思った。でも面影はある。腹が出ていた。
アパレルで女性相手だし販売員も女性。だから社員は男前が多かった。Gもシブがき隊のやっくんのような感じだったのだ。

少し遅れてMが来た。
Gとは35年ぶり、Mは少なくとも20年ぶりか。
その後は目についた居酒屋に入り3時間ほど喋りっぱなしだ関西弁で。入社したころの話、他の同期の事や先輩のこと。
何よりもお互い定年を迎えたことだ。Gは7年くらい前に辞めたという。Mは去年の定年と同時に辞めて今年から別の会社だという。
別れたのは22時半くらいか。
久しぶりの高揚感、久しぶりの楽しい席。翌日目が覚めてもその余韻を感じた。

土曜はいつものようにジム、2週ぶりの鍼。
2週間鍼をしなくて何が変わるか。生活していてそれはよく解らない。この2週間でも痺れは強かったり弱かったり。ただ鍼を打つと変化があるのは感じる。
足裏と甲の外側の痺れが強く感じていた。お尻とモモ裏も押せば痛い。典型的な坐骨神経痛なのだがこれまでのように下腿に強い痺れは無い。
鍼の翌日に感じたのは足裏の痺れがかなり弱まっていること。それはダイレクトに鍼を打つからだろうか、それとも坐骨神経自体を刺激したからだろうか。

土曜の鍼後は居酒屋Qというパターンだが、この日は休み。マスターのお兄さんが亡くなったというのだ。
それでママに呑みに行こうかと誘ったらゆきちゃんと呑みに行くという。ゆきちゃんは毎週来るお客さんでいつもヘロヘロに酔っぱらって帰る。
去年は和式トイレに座ったまま動けなくなり大騒ぎを起こしている。気の良い人なのだ、呑み過ぎなければ。イヤな予感も感じつつ3人で呑みに行くことになった。
鍼を終えてタクシーで2人が呑んでいる焼き鳥屋へ。
そこでボトル2本呑んで次はカラオケへ。平均年齢80歳くらいの人たちの社交場としてのカラオケパブ。何度か行っているが、本当はお年寄り専用だと思わないといけない。オーナーの趣味の店なのだ。

そいうう店だからいつも来ているお年寄りや店のルールに従わなければいけないと自分は思っている。
そこでゆきちゃんは近くに座っているお年寄りに絡んで全く何の意味のない会話をしたり、飲み物が無くなると注文しているのに遅いと手を上げてすみませーんを大声で連発したり。人が歌っているのに。
こちらの歌の番になって2本のマイクを同時に入れてハウリングした。そしたら店のママが大きな声で「マイク切って」と言った。
これに居酒屋Qのママが腹が立ったようだ。
いや腹を立てるところではないのだ。常識なのだ。それを客に偉そうに言ったとか文句を言っている。

店を出た。出る時にママがママに文句を言っている。もう2度と来ないとか。
うんざりだ。客商売をしている人の中には他の店に行くとこうなることがある。ふだん自分が客に我慢していることの反動が来る。自分だったらそうはしないのにとか、自分は今日は客だというような思いが強くなる。それは解らないでもない。
もうこの店には来られないのか、ここのマイクだと自分のヘタな歌も上手に聞こえていたのだ。
帰りにママの家で呑もうと誘われたが断った。マスターは遠方まで葬式に行って疲れて寝ているだろう。
人の事をどこまで思いやれるのか、それを言われてやることは誰でもできる。言われずに思うことが大切だと自分は思っている。

そんな土曜を過ごし日曜日はのんびりと家にいた。一歩も外に出なかった。
1か月ぶりに英会話がスタート。もうテキストはレベル3になっているので2時間くらいの予習が必要になった。そうだ、今日も英会話だ。
今週は寒くなるという。少し寒さに対する恐怖が緩和したが、やはり身体が硬直しそうで怖い。
posted by shigenon at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月19日

感覚麻痺なのかどうか

昨日は4月から自分の置かれる状況を書いたが実感はない。
常に変化を求めて動き回る時とそれと相反するずるずる日常に溺れる時。人の本能としては平静な日常を求めたいものなのだろう。
人類の過去を考えても狩猟しながら移動生活から定住による稲作と変化している。他の土地への侵略行動、これは現況への不満や‘隣の芝生は青い’的な欲望なのか。
何か自分からコトを起こすことはかなりのチカラが必要だ。

これまで自分の意とする大きなアクションは何かしただろうか。会社を変わるとかそういうことくらいか。
あとは会社の転勤で各地に住み、その各地で楽しく過ごしているのが現状。置かれた状況で対処する能力はかなりついたか。
言い換えればどんな状況でも自分の欲が消化できるように持っていくことに慣れたのだろう。これが受傷して全く左腕が動かない・左脚がほとんど動かないという状況になっても悲観的にならなかったことか。その時の自分の状況は自分でさえ理解しにくい。

身体の状態。
受傷後ずっと気になっていた左手首の冷感。これがほとんど感じなくなった。去年もそうだったか。
左手首のためにサポーターを何度も買っていたのだ、今やそれを付けようと思わないのだからかなり改善したのだろう。
感覚麻痺で冷感かと思っていたが実際に冷たかったのだ。
これは血流なのか。左腕自体に筋肉が付いたことで指先までの血流が良くなったからなのだろうか。
お尻の痛みはまだある。火曜日にジムに行った後少し痺れが強くなった。でも今はそんな苦ではない状態。2週間前と比べてどうかというと、押して痛い箇所が増えた気がする。
だがこの押して痛いことこそが感覚麻痺なのだろう。
感覚麻痺だからその押して痛い箇所自体の筋肉などは損傷していないのだろうか。
posted by shigenon at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月18日

4月から

先週の金曜日に親会社の総務から電話があった。今は親会社から出向している身だ。
今年の3月の誕生日で60歳、定年だ。役員になれなかった果てだ。
60歳になったらどうするか、これについては50歳位から漠然と思っていた、受傷前の健常な時に。
まず1番は実家に帰ること。18歳に家を出て一度は実家に戻ったがずっと出ている。昔から長男という重責を周りから言われ続けていた。就職でも相談することなく家を出たまま。
大阪⇒札幌と過ごした会社を3年で辞めて先輩の会社。そこも辞めて地元企業に入ったがそこから転勤の人生。

大きな休みは絶対に実家に帰った。年末年始・GW・お盆。素直に両親には言えないが、両親と過ごす時間を取りたかったのだ。
嬉しいことに両親は存命だ。自分の残りの人生、両親と一緒に過ごしたいという気持ちが強い。
受傷前に思っていたこと。
もう仕事はしなくてよいだろう。わずかながら蓄えがある。株の配当もあるし個人年金もある。週1回の平日ゴルフや週1日に近所に呑みに出るという計算でもなんとかなりそうかなと。
その頃はゴルフも絶好調だしシングルでも目指そうかと思っていた。
そう思っていてから変わったこと。受傷したこと・コロナ禍になったこと・両親が急に老いたこと。

受傷したことで何が影響したか。
元通りを取り戻そうと8年が過ぎた。健常なままであればゴルフも楽しいかもしれない。いや今楽しくないわけではないが、思いどおりに打てないリハビリゴルフだ。知らない人と廻って自分のゴルフを研鑽できる状態でない、ただのヘタだ。実家に帰ったら一人ゴルフで予約して知らない人と組み合わされても自信があったが今はどうだろう。
コロナ禍での在宅勤務。
何も仕事をしなくても過ごせた。よく退職して時間が余ってすることなく…という話を聞く。自分は過ごせるなぁと思った。株を売買して散歩してジムに行って。これでもう夕方になる。ただ株の売買で300万以上の損失を出した。時間があるということは余計なことをしてしまうのか。

両親はいつまででも元気でいるものだと思っていた。
思い込みたかった。ボケたり動けなくなったりすることを思いたくなかったのだろう。
大して歩けなくなった父親。物忘れが多くなった母親。一緒に過ごしてBBQをしたり買い物に行ったり温泉行ったり、もちろんまだ大丈夫なのだがアクティブなことは出来ない。
運転免許を返納し、近所に買い物には行くようだがそれも危ない。病院に行くのも姉や姉の亭主に頼り切りだ。

実家に帰省して1週間いるだけでも何度も母親にキツく言ってしまう。賞味期限の切れた食材を見つけたり不衛生なことをしたりして。
これが一緒に住むとなったらどうなのだろう。実家にいると高校生のままの状態になってしまうのだろう。その立ち位置も自分が反省しながら改めないといけないのだろう。
そして出した結論。
週に3日だけ働こう。社会との断絶…今の自分は想像できていないだけなのだ。しかも今は東京にいて友達もたくさんいる。実家に帰ったらどうだ。同級生はまだ働いている。そんなしょっちゅう会えない。
今は社会との繋がりがあるという前提があるから一人で何一過ごしても不安はないのだろう、間違いない。

夏ごろに親会社の取締役と話した。親会社は会社自体が若返ったため自分が知っているだけでも定年退職した人は3人だ。そのうちの1人はパートみたいな状態で働いていたように思う。もう10年以上前だ。それは営業系の話。工場もあるが工場は定年後の仕事も変わらないカタチで雇用しているようだ。
中堅企業が企業としての再雇用の仕組みを作っている段階なのだ、営業系の退職者をどう取り扱うか仕組みにしなければいけないのは理解できる。同一賃金同一労働という法令もある。
3月に定年と言う期限は決まっているのに全く連絡がなかった。親会社の総務担当は昔営業していた後輩だ。どないなってんねん!と電話しようと思ったが止めた。

そして先週の金曜日の電話。
夏の面談で親会社の別の子会社が介護関係の製品を販売しているので、そちら関係をやりたいと言っていた。実は23年前に親会社の中で新規事業として介護の部門の責任者をしていたことがある。
福祉用具専門相談員の資格も取得した。たぶん更新していないから消えているだろうが。
その面談の時に週3日の勤務も言っていた。
電話では親会社の部門に所属してその子会社の企画をやって欲しいと。
すかさず言った、週3日勤務でやるよと。給料は今の3割程度減。それで週3日となるとその4割減だろうか。今の42%ほどの収入だろうか。

でも週3日勤務だと社会との接点も維持しながら自分の時間も持てる。
両親を病院に連れていくこともできるだろう。平日昼間にジムに行って筋トレも出来る。平日の安い時にゴルフも出来る。
前年の税金を払えばほとんど残らないだろう、でも働かないよりマシだ。厚生年金も継続できるし保険も自分負担でない。
気が向いた時だけアルバイトをするのとは大きく違う。長年この会社にいたメリットは甘受したい。

新しい仕事に何の不安もない。
一応4月からの予定は決まった。あとは3月までどう今までのことを整理するかだ。
posted by shigenon at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月17日

うっそー、見えないです

昨日は客先の互例会。
そこの窓口としては充分な仕事をした。しかしもう3月で定年なのだ、後任を連れて参加。
見知った顔ぶれに挨拶をすると同時にもう担当替わりますよと告げる。「えっ、何で」「いや、もう定年なんですよ」「うっそー、全然そういう歳に見えないじゃないですか」
よく言われた、昔から。歳よりは若く見えるのだ。35くらいまでは20代に、45くらいまでは30代に。
それが50くらいになると言われなくなった。
30代前半まで若いと言われることは嬉しくなかった。年下と思われなめられるのがイヤだった。
もちろん良い面がたくさんなのだが、若いと言われるのが当たり前に思っていた。

それが言われなくなって久しい。その中で昨日は10人くらいの人から同じ反応をもらった。
この歳になったら嬉しさしかないと感じる。心の中ではオレって若く見えるよな?と思っていたのだ。
それは今年の3日にあった中学の同窓会で感じた。
還暦同窓会と銘打った同窓会。心の中で自分は参加した中で若く見えるぞと自慢したい気持ちがあった。
まあその評価は解らないが、若く見える方だったかなと集合写真を見ながら思うが歳なりと言えば歳なりか。
なんというかくたびれた感が顔に出ているのだ。決して疲れているわけではないのに。
これが加齢なのだろう。

昔からカッコいい歳の取り方を思っていた。それは外面も内面も。
ハタチくらいから思っていたのだ、それは思っているだけで何か努力をしたわけではないが。今から思えば無理して日に焼いたりしなければ良かったと思うが。
内面に関しては知識を付けることと色んな人と付き合って肌で感じる部分で自分に吸収できることは吸収できたように思う。物事を俯瞰で見る目も付いたか。
ただ自分の感情に左右されること、これは治っていないかも。少しはマシになったとは思うが。
その集大成の60歳が3月か。

身体の状態。坐骨神経痛の痺れが強くなったのだが少し収まった。
痺れの強さは緩和したが、まだお尻がピリピリする。足裏の感覚は悪くないのが良い。足裏の感覚が一つの痺れが強くなったかどうかの判断基準になるような気がする。

定年後の仕事等が大まかに決まった。これについては次回。
posted by shigenon at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月16日

鷹揚さをもつ

土曜日は鍼を休んだ。というのが元々この日は富岡八幡宮にお詣りに行く予定だった。
それが一緒に行く人の息子がコロナ感染、濃厚接触者なので行けなくなった。一人でお詣りも行く気がせず。
鍼は毎週土曜日に時間を空けてもらっている。土曜に予定が入ると解り次第早く言う。今月は再来週も会議なので1週おきになってしまう。
皆が行きたい時間である土曜の午後2時半という時間をずっと空けてもらっている。毎週行っているのだから気にする必要はないのかもしれないが。
いや、そういうことを気にする方だ。だから調子が良くて来週はいいやという風にはできない。
それが結果的に改善に向かったかもしれない。

調子は良かった。痺れも軽いままだ。
土曜日のジム、ルーティンワーク。ただ違ったのがマシンの順番。いつもローから始めるが使っていた。
空いているマシンから始める。前から感じていたことも検証したかった。
それは使うマシンの順番が変わると筋肉への刺激の入り方が変わるということ。いつもだいたい順番通りにマシンを使うが、たまに変えた時に荷重の感じ方が変わったりしていた。
脚のマシン3種類に対して腕や胸のマシンは5種類使う。

ローを3番目にするといつもの荷重なのに重く感じる。
脚のマシンをやっている間も両腕を閉じたり開いたりという動きをする。腕の筋トレ後のストレッチにもなり気持ちがいいのだ。
やはり腕の感じが違う。張っているのだ。マシンを使う順番で刺激の入り方が変わるのは間違いなさそうだ。これからは順番を変えるのも一つかもしれない。

ジム後に鍼がないのでまったりと家で過ごす。このあとは鰻を食べに行く予定だ。
金曜日にGo to eat 東京のクーポンを使うために検索していると前から行きたかった鰻屋が対象店だった。予約の電話を入れるが一人の予約は受け付けないとのことだった。
17時の開店の前に行く。一人ですけどと言うとアルバイトの子は少々お待ちくださいと中に入る。一人客はあまりいないから入れていいものかどうかの確認なのだろうか。半分は予約で席が埋まっていたが空いているのだ。
まあ不審な人には見えなかったようで無事入れた。

焼き物は時間がかかるだろうとビールのアテに1品たのんでキモ焼きと特上。1品は遅く来たのでたのむ必要はなかったか。
店で鰻を食べるのは久しぶり、それほど濃くないあっさりのタレで美味しかった。うな肝がこれまで食べた中で一番美味しかった。
鰻屋の後は時間を潰してバーに行こうと思っていたが、お腹がいっぱいになり何の水分も入りそうになかったので帰宅。帰っても呑むことすらできずにマッサージ機で時間を過ごしていたら眠くなった。
たまの贅沢もいいものだ。

日曜日にトイレで目が覚めるとお尻に痛みが。立ち上がると右下腿の痺れが強い。
どうしたのだろう、何か変な動きはしていない。筋トレやストレッチで違う動きもしていない。強いといっても痺れが弱くなったと感じる前位の強さか。右足の甲が痺れている、これはいつもそうだったのがいつの間にか消えていたので久しぶりの感覚。
消えていた箇所に痺れが加わると解るのだが、痺れている箇所の痺れが強くなっても気づきにくい。
膝の前とかハムとか痺れが無くなっていた箇所が痺れ、下腿の痺れに繋がっている。坐骨神経痛による痺れだ。

慌てることはしない。慌てたところで何も変わらない。
仕方ないなくらい思って再び寝る。日曜日も予定なく家でまったりだ。起きて洗濯をしたり灯油を買いに行ったり部屋の中をウロウロしたりしていると少しマシになってきた。
去年も1月の下旬に急に痺れが強くなっているのだ。そんなことがもう起きないくらいに快調な日々が続いていたのだが、こればかりは自分でもどうしようもない。気を付ける項目がよく解らないのだ。
起因を考えるが、ストレッチで膝を折り曲げて腹にくっつけるストレッチくらいしか思いつかない。それがお尻に効くストレッチなのだが、そんなのは毎回やっていることだ。
今は金曜日の状態と比べてそれほど変わらないように思う。

介護はまわりの人が頑張りすぎないこととよく言う。それは自分じゃなくて人が対象だが。
リハビリもそうかもしれない。何も自分で努力していない人任せな人は別だ。神経に起因することは脳も関わっているから思った通りになるわけでもない。ただ良い方向には持っていける。その中でちょっとしたことで状態は変わるくらいの鷹揚さを持つことが大事だろう。他の人は知らないが自分は頑張っている方だと思う。生真面目な性格でなくて良かったのだ。
posted by shigenon at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月13日

アナミさんからの電話Bとママからの電話J

そうだ、年明けにアナミさん、今週の火曜日にママから電話があった。
アナミさんやママ…大阪時代のお好み焼き屋のママ、そこで知り合ったアナミさんについては何度も書いている。
アナミさんは前に電話がかかった時に調子は良くないと言っていた。頚椎症のような症状。どうなの?と聞くと元気ですよと。
去年の夏は久しぶりに潜りに行ったという。アナミさんとは3回くらい潜りに行って岩ガキやサザエ、アワビを獲った。アワビはアナミさんが沖まで潜りに行って1時間は帰ってこない。そんなアナミさんなのだ、調子が悪くても復活できると思っていた。

アナミさんはママに電話するが繋がらないと言っていた。えっ、そうなのと返してそのままだった。
先週の金曜日に見知らぬ番号から会社携帯に着信があった。気にはなったが放置していた。そして火曜日に洋食屋で呑んでいたら個人携帯に着信。これも登録にない番号。
出るとママだった。どうも番号が変わったみたいだ。
いつもママには年賀状を書いている。そして年賀状のお礼はいつも電話なのだ。アナミさんが心配していたことを伝え、しばらく世間話をした。元気そうで安心した。
思えばママのお好み焼き屋に行っていたのは20年前なのだ。飲食店の店主と客で20年の付き合いとは素晴らしい。山口の焼き鳥屋のマスターは33年の付き合いか。

今日は週末。居酒屋Q。
Go to eat 東京のクーポンを買っている。8000円で1万円使える。この期限が1/25までだ。土曜日は対象店を探して行くことにするか。
posted by shigenon at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月12日

痺れについて

痺れについて詳しい知識がないことに気づいた。いまさら。
考えれば何で痺れているのだ?正座で痺れるのは理解できる、圧迫されるから。その感覚しか理解していない。
調べると、皮膚⇒末梢神経⇒脳の経路のどこかに障害が起きると痺れると。正座の痺れなとは皮膚と末梢神経の間の障害を脳が感じているからか。

中枢神経の損傷による痺れは何なのだ。
末梢神経⇒脳の間が繋がっているけどうまく繋がっていないことで、本来ない感覚を脳が異常な感覚である痺れと認識するらしい。
つまり痺れには「末梢性」と「中枢性」があるということ。
 
じゃあ痺れが強くなったり弱くなったりするのは何でなのだろう。抹消性であれば圧迫の強さとか時間かなと理解できる。
中枢性の場合の痺れの強弱は脳の感じ方だけと言ってもいいのだろうか。そしたら長年やってきたように‘痺れていない’と思うことで生活することが正しいのか。

やっかいなのが運動神経に及ぼす影響か。やはり痛い・痺れているは動かすことに難がある。
前に書いたが、夜中にトイレに起きて立ち上がろうとすると産まれたての小鹿、力が入らない。気を付けないとよろけて転びそうになる。寝て腰が伸びているから力が入らないのかと思ったりするが別の考え。
これは痺れていることで運動神経が発揮できないのだろうか。朝起きてしばらくするとちゃんと動くようになる。
これは「感覚は痺れているけど、それはエラーなんだよ」と脳が目覚めて判断しているのだろうか。たぶんそうだと思うのだが。

起きて日中の行動をしていると動きは良くなる。
もちろん痺れてはいるのだけど、痺れていないような動き。これは最初から‘痺れていない’と自分に言い聞かせて動かしていたからクセづいたこともあるのだろう。

ほんと、脳神経の学者と筋肉を働かせるプロが組んだら効果的・効率的なリハビリが実現するだろうな。
posted by shigenon at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月11日

足裏に地面の感覚

昨日は火曜日、洋食屋に行く日。今年初出勤。
いつものようにカウンターに座ってビールからワイン1本。しばらくしてアッコが来る。去年の誕生日に一人で焼きとん屋に行っていて、表の喫煙所で彼女とちょっと会話したことがきっかけでこの洋食屋に来るようになったのだ。誕生日と言うことを言ったからカウンターにいた自分に飲み物を届けてくれたのだ。
そして彼女らの席で乾杯して一緒に呑んだ。その時に一緒だったのが洋食屋の夫婦。
じゃあ今度店に行きますよ…からほぼ毎週行って1年近く。

しばらくしてヤイチさんが来る。彼とはここで知り合った。
アッコもヤイチさんもこの店のすぐ近所だ。彼にお悔やみを言う。ちょうど1か月ほど前の火曜日に彼の父親が餅をのどに詰まらせて入院。そして翌週の火曜日に亡くなったのだった。
ようやく落ち着いたという。
3人で喋りながら呑む。ワイン一人で1本空けて焼酎。21時の閉店まで呑んで二人は近所のスナックに呑みに、自分は家に帰った。

洋食屋に行く前にジムで筋トレ。いつものマシンをやる合間にも腕を色んな方向に動かすのだが、これがけっこう効果があるように感じる。筋トレマシンは同じ方向にしか動かないから筋肉は付くにしても実際に役に立つ筋肉にするには“動”が必要なのではないかと。
腕を胸の前で内回りに回転させて横に伸ばす動きが心地よい。
本当はスタジオで各種プログラムに入ればいいんだろうけど、今のジムではスタジオメンバーが決まっているので今更という気持ち。

洋食屋までは家から10分もかからない。歩きが好調なことを感じる。
右足の痺れが緩和している。足裏の感覚も少しある。考えれば歩き方自体はずっと同じなのだ。ただそれについていけない状態になることがあったのだ。
左脚に力が入らず右脚を踏みしめた勢いで左脚を出していたのが歩き始め。そこから大きく変わった。
正しい歩き方を調べ、そのカタチになるよう意識し続けた。
左足先が下がって地面に擦れることもあった。左足首にボルトがあるなら、そのボルトが緩んだように足先が下がった。これは左足の着地を踵からドンッとすることをクセづけたら解消した。だんだん左足首のボルトも少し絞まった感じがある。

右足の痺れが強くて無感覚ながらも正しい歩き方をした。
これが良かったのだ。脳から発する運動神経のみで脚を繰り出す。踵着地の足裏全体、親指から地面を蹴る。右下腿が痺れ足裏の感覚がなくてもこれは出来る。
その右下腿と足裏が今は少し感覚を感じる。地面を踏んでいる感覚。そうなれば感覚神経も働き動きも良くなるのだろうか。
思えば健常な人に見えるようカッコつけたことが結果的に良かったのだ。

この右下腿の痺れの緩和がずっと続いてくれれば嬉しい。
というか、坐骨神経痛の痺れだったのだろうか。確か元々の頚髄損傷による痺れはそれほど強くはなかったように思うが、今ではどれくらいの強さだったか不明だ。そのころは歩くには杖が手放せない頃だったのだし。

さあ週中。今日は家で調理、サンドイッチを作ろう。
posted by shigenon at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月10日

感じ方

正月休みの後の3連休。連続ではないが休んだ感がある。
今日もそうだがこれから毎朝いつものように起きるのが辛い。
木・金・土と居酒屋Qで夜を過ごし正月のように呑み食いした。体重は71.5キロと年末よりも1キロ増えているか。70キロを切りたい気持ちはあるが、裏腹に食べたいモノ食べて呑みたいモノ呑むというスタイルは変えたくないという気持ち。
じゃあ消費カロリーを上げるといってもなかなか難しいからやはり食の管理か。

日曜日はSNSの友達と会って昼から呑んだ。長い時間呑んで最後はラーメン屋に行って残ったスープに白飯入れて食べているのだ、食の管理なんてできないだろう。
外で呑むと呑む量・食べる量が増える、これがいけない。さすがに4日間外呑みをすれば胃が疲れるのだ。昨日は久しぶりに二日酔いで何もする気がしなかった。
自分の好きな事だけをやりたい…そう思ってもなかなかそれが一体何か見出すのは難しい。それで自分のイヤなことをしないと決めた。
そう決めて1年、というかもともと自由に過ごしてきたのだがより一層シンプルな生活になった。

土曜日の鍼はよく効いた。
よく効いたという表現を使うことはあまりないのだが、凝っている肩を揉んでもらってスッキリしたという感覚か。
右脚は痺れているのでふつうの人より敏感に刺激を感じる。痺れていると表皮の感覚は鈍いが筋肉の深層部の感覚、神経が敏感だ。Aセンセイの打つ鍼は深い。打ってもらった箇所からそれがどこまでの箇所に響いているかを感じ取れる。
もちろん普通の人もピリッと電気のように響く鍼で神経に走っていく感覚を得ることは出来るが、それとは違う。それは瞬時の刺激。それはいつも仕上げにピリッと響く鍼を打ってもらっている。
右脚だけはふつうに打つ鍼でゆっくりとどこに刺激が入っていくかを感じ取れる。左脚も同じように打ってもらうがあまり感じ取れない。
肩が凝っていたら一番効くところを自分でも押したりする。それは自分だから解ることだ。Aセンセイの鍼は欲しい所に打つので不思議だ。ましてそれはいわゆるツボと言われる箇所でないのに。

もう1月も3分の1が過ぎた。
1.2.3月が早く過ぎる感覚を表すコトバ、1月…いんだ、2月…逃げた、3月…去った。‘いんだ’とは‘いぬ’=帰るという意味の関西弁。もしかしたら標準語圏では1月を行ったと言っていたかもしれない。
年明けて期末までのあわただしさで表現されたコトバなのだろう。
時間は誰にでも同じ長さだ。早くも遅くも長くも短くもない。ただ感じ方が人それぞれなのだ。
posted by shigenon at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月05日

謹賀新年2023

今日から仕事始め。いつも起きる5時50分のアラームでは起き上がれなく7時までベッドでゆっくり。
1週間の自由な生活からの復帰はなかなか難しい。
朝は寒さを感じて久しぶりに大きく震えた。やはり麻痺側の左腕が大きく震える。
実は新年最初に書こうと思っていたのだ、寒さに震えなくなったと。

実家は1軒家なので寒い。マンションの方が圧倒的に温かいのだ。昔、札幌に住んでいた時に両隣の暖房で自分の部屋を暖房する必要がなかったくらいだ。
実家に住んでいた頃、冬の朝は辛かった。起きるとストーブの前で10分くらい暖を取っていた。
それが今年は寒さをあまり感じなかった。東京よりも1,2度低い気温なのにだ。
左腕や上体に筋肉が付いたから寒さに強くなったと思った。それを書こうと思っていたら、東京で迎えた朝でブルブル震えたという次第。
体感温度は東京の部屋の方が寒いようだ。

12月28日に大阪での打ち合わせを終えて帰省。
両親は元気そうだった。しかし年相応なのだろうか、朝言ったことことを忘れるとか。それが少し激しくなったような気がする。怒ってはいけないと思いながらもかなり古い肉が冷蔵庫にあったりすると食中毒が心配だ。
いっぱいの野菜室、下の方にはいつのか判らないエリンギやブナシメジ。
買い物に行くと揚げを買うというので買ったら冷凍庫にヤマのように揚げがあるとか。
でも目の前のことはちゃんとできる。

帰省したその日に高校の同級生の新築祝い。卒業以来ずっと付き合いのある5人が集まった。
さすがに新築の家は禁煙、家主とともに玄関で缶の灰皿だ。この日は散々呑んでリビングで雑魚寝。まるで学生時代のようだ。
30日はFBの友達と呑みに行く。姫路市内で呑むのは久しぶり。驚いたのは居酒屋が多く出来ていたこと。昔は入りにくそうな赤ちょうちんが多かったのだが、洒落た居酒屋が多くなった。
行動規制のない年末、各地から帰省した若者が多く街に出ていた。1件目の居酒屋を出て別の店に行こうと探すのだがどこもいっぱい。呑みはぐれた人が道にはあふれていた。

3日は楽しみにしていた中学の同窓会。これは8年ぶりの開催。
この8年前の同窓会を楽しみにしながら年末に受傷して入院したのだった。
還暦同窓会の銘打った同窓会、JJIとBBAの集まりだ。名札がなかったら誰か判らない。話しているうちに面影が残った顔で思い出す。
ほとんどが45年ぶりに会うのだ。懐かしくないわけがない。最初は1次会だけ申し込んでいたが受付で2次会も申し込み。結局は1次会中に会場のホテルの宿泊を取って3次会、4次会まで行った。
もっと話をしたい友達がいたのだが時間切れ。

身体の調子はいい。どうだろ、年末にちょっと痺れが強く感じた時があったが、それ以降は強い痺れを感じない。
実家の床や階段の感触をその前の帰省よりも感じることができる。足裏にも記憶があるのだなぁと思った。
年末年始、何キロ増えているのか。今日は早く帰ってジムに行こう。
posted by shigenon at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
ファン
検索
<< 2024年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
shigenonさんの画像
shigenon
2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
プロフィール