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2023年01月12日

痺れについて

痺れについて詳しい知識がないことに気づいた。いまさら。
考えれば何で痺れているのだ?正座で痺れるのは理解できる、圧迫されるから。その感覚しか理解していない。
調べると、皮膚⇒末梢神経⇒脳の経路のどこかに障害が起きると痺れると。正座の痺れなとは皮膚と末梢神経の間の障害を脳が感じているからか。

中枢神経の損傷による痺れは何なのだ。
末梢神経⇒脳の間が繋がっているけどうまく繋がっていないことで、本来ない感覚を脳が異常な感覚である痺れと認識するらしい。
つまり痺れには「末梢性」と「中枢性」があるということ。
 
じゃあ痺れが強くなったり弱くなったりするのは何でなのだろう。抹消性であれば圧迫の強さとか時間かなと理解できる。
中枢性の場合の痺れの強弱は脳の感じ方だけと言ってもいいのだろうか。そしたら長年やってきたように‘痺れていない’と思うことで生活することが正しいのか。

やっかいなのが運動神経に及ぼす影響か。やはり痛い・痺れているは動かすことに難がある。
前に書いたが、夜中にトイレに起きて立ち上がろうとすると産まれたての小鹿、力が入らない。気を付けないとよろけて転びそうになる。寝て腰が伸びているから力が入らないのかと思ったりするが別の考え。
これは痺れていることで運動神経が発揮できないのだろうか。朝起きてしばらくするとちゃんと動くようになる。
これは「感覚は痺れているけど、それはエラーなんだよ」と脳が目覚めて判断しているのだろうか。たぶんそうだと思うのだが。

起きて日中の行動をしていると動きは良くなる。
もちろん痺れてはいるのだけど、痺れていないような動き。これは最初から‘痺れていない’と自分に言い聞かせて動かしていたからクセづいたこともあるのだろう。

ほんと、脳神経の学者と筋肉を働かせるプロが組んだら効果的・効率的なリハビリが実現するだろうな。
posted by shigenon at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月11日

足裏に地面の感覚

昨日は火曜日、洋食屋に行く日。今年初出勤。
いつものようにカウンターに座ってビールからワイン1本。しばらくしてアッコが来る。去年の誕生日に一人で焼きとん屋に行っていて、表の喫煙所で彼女とちょっと会話したことがきっかけでこの洋食屋に来るようになったのだ。誕生日と言うことを言ったからカウンターにいた自分に飲み物を届けてくれたのだ。
そして彼女らの席で乾杯して一緒に呑んだ。その時に一緒だったのが洋食屋の夫婦。
じゃあ今度店に行きますよ…からほぼ毎週行って1年近く。

しばらくしてヤイチさんが来る。彼とはここで知り合った。
アッコもヤイチさんもこの店のすぐ近所だ。彼にお悔やみを言う。ちょうど1か月ほど前の火曜日に彼の父親が餅をのどに詰まらせて入院。そして翌週の火曜日に亡くなったのだった。
ようやく落ち着いたという。
3人で喋りながら呑む。ワイン一人で1本空けて焼酎。21時の閉店まで呑んで二人は近所のスナックに呑みに、自分は家に帰った。

洋食屋に行く前にジムで筋トレ。いつものマシンをやる合間にも腕を色んな方向に動かすのだが、これがけっこう効果があるように感じる。筋トレマシンは同じ方向にしか動かないから筋肉は付くにしても実際に役に立つ筋肉にするには“動”が必要なのではないかと。
腕を胸の前で内回りに回転させて横に伸ばす動きが心地よい。
本当はスタジオで各種プログラムに入ればいいんだろうけど、今のジムではスタジオメンバーが決まっているので今更という気持ち。

洋食屋までは家から10分もかからない。歩きが好調なことを感じる。
右足の痺れが緩和している。足裏の感覚も少しある。考えれば歩き方自体はずっと同じなのだ。ただそれについていけない状態になることがあったのだ。
左脚に力が入らず右脚を踏みしめた勢いで左脚を出していたのが歩き始め。そこから大きく変わった。
正しい歩き方を調べ、そのカタチになるよう意識し続けた。
左足先が下がって地面に擦れることもあった。左足首にボルトがあるなら、そのボルトが緩んだように足先が下がった。これは左足の着地を踵からドンッとすることをクセづけたら解消した。だんだん左足首のボルトも少し絞まった感じがある。

右足の痺れが強くて無感覚ながらも正しい歩き方をした。
これが良かったのだ。脳から発する運動神経のみで脚を繰り出す。踵着地の足裏全体、親指から地面を蹴る。右下腿が痺れ足裏の感覚がなくてもこれは出来る。
その右下腿と足裏が今は少し感覚を感じる。地面を踏んでいる感覚。そうなれば感覚神経も働き動きも良くなるのだろうか。
思えば健常な人に見えるようカッコつけたことが結果的に良かったのだ。

この右下腿の痺れの緩和がずっと続いてくれれば嬉しい。
というか、坐骨神経痛の痺れだったのだろうか。確か元々の頚髄損傷による痺れはそれほど強くはなかったように思うが、今ではどれくらいの強さだったか不明だ。そのころは歩くには杖が手放せない頃だったのだし。

さあ週中。今日は家で調理、サンドイッチを作ろう。
posted by shigenon at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月10日

感じ方

正月休みの後の3連休。連続ではないが休んだ感がある。
今日もそうだがこれから毎朝いつものように起きるのが辛い。
木・金・土と居酒屋Qで夜を過ごし正月のように呑み食いした。体重は71.5キロと年末よりも1キロ増えているか。70キロを切りたい気持ちはあるが、裏腹に食べたいモノ食べて呑みたいモノ呑むというスタイルは変えたくないという気持ち。
じゃあ消費カロリーを上げるといってもなかなか難しいからやはり食の管理か。

日曜日はSNSの友達と会って昼から呑んだ。長い時間呑んで最後はラーメン屋に行って残ったスープに白飯入れて食べているのだ、食の管理なんてできないだろう。
外で呑むと呑む量・食べる量が増える、これがいけない。さすがに4日間外呑みをすれば胃が疲れるのだ。昨日は久しぶりに二日酔いで何もする気がしなかった。
自分の好きな事だけをやりたい…そう思ってもなかなかそれが一体何か見出すのは難しい。それで自分のイヤなことをしないと決めた。
そう決めて1年、というかもともと自由に過ごしてきたのだがより一層シンプルな生活になった。

土曜日の鍼はよく効いた。
よく効いたという表現を使うことはあまりないのだが、凝っている肩を揉んでもらってスッキリしたという感覚か。
右脚は痺れているのでふつうの人より敏感に刺激を感じる。痺れていると表皮の感覚は鈍いが筋肉の深層部の感覚、神経が敏感だ。Aセンセイの打つ鍼は深い。打ってもらった箇所からそれがどこまでの箇所に響いているかを感じ取れる。
もちろん普通の人もピリッと電気のように響く鍼で神経に走っていく感覚を得ることは出来るが、それとは違う。それは瞬時の刺激。それはいつも仕上げにピリッと響く鍼を打ってもらっている。
右脚だけはふつうに打つ鍼でゆっくりとどこに刺激が入っていくかを感じ取れる。左脚も同じように打ってもらうがあまり感じ取れない。
肩が凝っていたら一番効くところを自分でも押したりする。それは自分だから解ることだ。Aセンセイの鍼は欲しい所に打つので不思議だ。ましてそれはいわゆるツボと言われる箇所でないのに。

もう1月も3分の1が過ぎた。
1.2.3月が早く過ぎる感覚を表すコトバ、1月…いんだ、2月…逃げた、3月…去った。‘いんだ’とは‘いぬ’=帰るという意味の関西弁。もしかしたら標準語圏では1月を行ったと言っていたかもしれない。
年明けて期末までのあわただしさで表現されたコトバなのだろう。
時間は誰にでも同じ長さだ。早くも遅くも長くも短くもない。ただ感じ方が人それぞれなのだ。
posted by shigenon at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年01月05日

謹賀新年2023

今日から仕事始め。いつも起きる5時50分のアラームでは起き上がれなく7時までベッドでゆっくり。
1週間の自由な生活からの復帰はなかなか難しい。
朝は寒さを感じて久しぶりに大きく震えた。やはり麻痺側の左腕が大きく震える。
実は新年最初に書こうと思っていたのだ、寒さに震えなくなったと。

実家は1軒家なので寒い。マンションの方が圧倒的に温かいのだ。昔、札幌に住んでいた時に両隣の暖房で自分の部屋を暖房する必要がなかったくらいだ。
実家に住んでいた頃、冬の朝は辛かった。起きるとストーブの前で10分くらい暖を取っていた。
それが今年は寒さをあまり感じなかった。東京よりも1,2度低い気温なのにだ。
左腕や上体に筋肉が付いたから寒さに強くなったと思った。それを書こうと思っていたら、東京で迎えた朝でブルブル震えたという次第。
体感温度は東京の部屋の方が寒いようだ。

12月28日に大阪での打ち合わせを終えて帰省。
両親は元気そうだった。しかし年相応なのだろうか、朝言ったことことを忘れるとか。それが少し激しくなったような気がする。怒ってはいけないと思いながらもかなり古い肉が冷蔵庫にあったりすると食中毒が心配だ。
いっぱいの野菜室、下の方にはいつのか判らないエリンギやブナシメジ。
買い物に行くと揚げを買うというので買ったら冷凍庫にヤマのように揚げがあるとか。
でも目の前のことはちゃんとできる。

帰省したその日に高校の同級生の新築祝い。卒業以来ずっと付き合いのある5人が集まった。
さすがに新築の家は禁煙、家主とともに玄関で缶の灰皿だ。この日は散々呑んでリビングで雑魚寝。まるで学生時代のようだ。
30日はFBの友達と呑みに行く。姫路市内で呑むのは久しぶり。驚いたのは居酒屋が多く出来ていたこと。昔は入りにくそうな赤ちょうちんが多かったのだが、洒落た居酒屋が多くなった。
行動規制のない年末、各地から帰省した若者が多く街に出ていた。1件目の居酒屋を出て別の店に行こうと探すのだがどこもいっぱい。呑みはぐれた人が道にはあふれていた。

3日は楽しみにしていた中学の同窓会。これは8年ぶりの開催。
この8年前の同窓会を楽しみにしながら年末に受傷して入院したのだった。
還暦同窓会の銘打った同窓会、JJIとBBAの集まりだ。名札がなかったら誰か判らない。話しているうちに面影が残った顔で思い出す。
ほとんどが45年ぶりに会うのだ。懐かしくないわけがない。最初は1次会だけ申し込んでいたが受付で2次会も申し込み。結局は1次会中に会場のホテルの宿泊を取って3次会、4次会まで行った。
もっと話をしたい友達がいたのだが時間切れ。

身体の調子はいい。どうだろ、年末にちょっと痺れが強く感じた時があったが、それ以降は強い痺れを感じない。
実家の床や階段の感触をその前の帰省よりも感じることができる。足裏にも記憶があるのだなぁと思った。
年末年始、何キロ増えているのか。今日は早く帰ってジムに行こう。
posted by shigenon at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年12月27日

2022年最後の出社

少し痺れが強くなったと感じていたが昨日の午後からは少し緩和した。
痺れの強さはなかなか感じ辛いし表現もしづらい。痺れているか痺れていないかだと簡単だ、健常な人はそうだ。
痺れている人にとってはどれが標準の痺れか判らない。言えるのは昨日から+1や−2といったカンジだ。
それでいうと1週間前くらいはこれまでよりも−3くらいだったし、今は−1くらいか。
いや、10段階では難しい。0が全く痺れていないと想定するなら20くらいの刻みだろうか。

帰省までにやっておくことは散髪だけになった。
今日は出先から早く帰って散髪・ジム。そして元居酒屋SのSマスターと呑む約束。考えたら今年は1回呑んだだけか。1年のうち330日は居酒屋Sで4、5時間は過ごしていたのだ、約10年近く。
今回の約束も11月頃に一緒に呑みに行くタイミングが合わなくてズレた。
ちょうど長野から帰った日にSさんが家の下から電話してきたのだ。下にいるよと。
顔のケガにも、治りかけたらアットノンを塗った方が良いとアドバイスをもらって実践している。

顔のケガ。
湿潤療法の甲斐が合って思ったより早く治った。これを普通の絆創膏を貼っていたら今頃はカサブタが取れ始まる状態かもしれない。
ただ跡がまだある。軽いキズの目の横、額も赤い状態。鼻の頭は打って赤くなったのが治らない。
一番深い眉間と鼻の下。キズは治ってはいるけど赤く荒れた状態。
デコのたんこぶはまだ小さくならない。
キズ自体は治っているから良いが、跡がいつになったら薄くなるのか。とりあえずはアットノンを毎日刷り込んでいる。

明日は大阪で打ち合わせ、そして帰省。
帰省して夜に同級生の新築祝いにその家に集まる。どんな家になったのか。前の家は外の階段から部屋に上がれるので、学生時代は溜まり場だったのだ。
posted by shigenon at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年12月26日

クリスマスの週末

久しぶりに人と楽しむ週末になった。金曜日に居酒屋Q、イブにとお願いしていたチキンがもう用意してあるがそれは我慢して翌日のイブに。ヨーコさんたちも来てけっこう酒が進んだ。翌日は店が終わったらママとヨーコさんカップルでカラオケに行こうという話になった。
翌日、チキンとエビフライを食べて店の終わってから近所のカラオケパブ。
近所にはカラオケパブが複数あり、3000円ほどで呑み放題なのだ。来ている客はほとんどが70歳以上、90歳に近い人もいる。下町ならではか。
この日のカラオケパブも3度目。

カラオケは得意でない。どちらかというと音程が安定しない。
なぜかこの日だけは調子が良かった。ママが今日は上手と言う。じゃあやはりいつもはヘタなのだ。
何時に帰ったのだろう、そんな遅い時間ではない。帰ったらベッドに直行。聖なる夜といっても何もすることがある訳でもない。
チラっと思った、8度目の誕生日だったのだなと。

日曜日は掃除をしなければ。あちこちにずいぶん埃が溜まっているのを見て見ぬふりをして過ごしてきた。年内最後の掃除だ。
トイレ掃除をしてから掃除機。やはり腰が痛くなる。気を付けないと、冬はぎっくり腰になりやすい。
掃除など上体だけを使う動作は腰に負担がかかる。途中で腰が張ってきたのでベッドに横たわって足で円を描くように回す。後は股関節を開く。
腰が気持ち良くなるような動きを模索して、この2つをやった。気持ちよく感じることは矯正に間違いのないことだ。

日曜日、夕方から沖縄のAさん会。
2か月ぶりの帰京か。いつもの中華料理屋で食べ放題・呑み放題。今回は元居酒屋Kのマスターも来た。そしてその居酒屋Kによく来ていたKさんカップルも来た。この二人とは店が閉店して以来だから4、5年ぶりか。
呑み放題はみんな十分モトは取れるが、食べ物は進まない。もう歳なのだ。一人で食べていた。
中華料理屋を出ていつも行くカラオケスナックへ。昨日と同じ歌を歌うのだがそんな満足感はない。昨日は自分でも上手だと思ったのだが。
それでも友達たちは○○ちゃん、腕上げたね〜とか言う。これまでどれだけダメだったのだろうか。

土曜日には年内最後の鍼。
ジムで筋トレ・ストレッチを終えるまでは調子良かった。風呂の湯船で右のお尻の横側が気になるからそこから下腿にかけて指圧をしていた。押せば瞬間痺れが強くなる、これはよくあることだ。
それが強くなったまま戻らない。
家に帰ってからもチェックをするが、そんな強い痺れではないが確実に前日までの痺れよりも強くなっている。今年の年初に痺れが緩和していた状態だったのが、足裏を自分でマッサージしてから痺れが悪化しているのだ、イヤな予感を感じる。そのあと鍼で腰から足先への刺激を感じたのだが、余計に悪くなったのだった。

鍼で前日までの調子に戻れるだろうか。
ベッドに仰向けに寝るといつもの順序と違って、いきなり前脛骨筋に鍼。
「いやぁ、なんかソコが気になって」とセンセイ。
まあ確かにここ1,2か月とは違って痺れが強いのだ。何かカタチが変化しているのだろうか。
4年ほど前か、一通り打った後に左の大腿四頭筋への1本の鍼。これが左脚全体がピクピク動く鍼で、これにより左脚に筋肉が付くようになった。
いつも診てもらって変化がわかり、それに加えてカンのあるセンセイに任せるしかない。

さっきタバコロードを歩きながらチェックしたが、先週に比べて少し痺れは強いか。
かといってこれまでの強さなのかどうか。痺れの強弱は解り辛い。
歩けないことはない、酷い状態から歩いてきたのだから。地面の感覚が先週より感じにくいなぁという感覚。足裏の痺れと下腿の痺れは連動しているようだ。
ストレッチマットに座って右脚を伸ばして足首を回せば気持ちいいだろうなと想う。

さあ年内の出勤は今日と明日。明後日は大阪。
散らかり放題のデスクや周辺を片付けるか。
posted by shigenon at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年12月23日

8歳のプレ誕生日

なんとか年賀状の印刷を終わらせた。
年賀状の印刷をするたびに受傷した前日を思い出す。あの日はゴルフを終えて戻ったのが早かったので年賀状を印刷。黒のインクが出なくなってあて名書きを手書きでしていたのだ。
半分を終わらせて居酒屋Yに行った。居酒屋Yではそんなに呑んでいないはずだ。
帰って残り半分を終わらせて満足感とともに寝たのだった。
そして翌朝。立ち上がって電気を点けたまでしか覚えていない。

先月の長野での転んでケガした時もそうだ。転んだ瞬間を全く覚えていない。
確かに酒がかなり入っていた。が、その直前の記憶は確実にある。
誰かが言った…事故などの恐怖の体験はそれ自体が記憶に残らないようになっていると。怖い体験を覚えているとそのたびに恐怖にかられる。目の前に地面が迫り、顔がキズつく感触なんて覚えていたくもない。忘れるように脳が働いているらしい。

受傷した時に四肢は全く動かなかった。あの不思議な感覚だけは覚えている。
病院のベッドに横たわった時も、右手はナースコールを押す力もなかった。かろうじて右脚を少し動かすことができたから足元にナースコールを付けてもらった。
年末までの記憶はけっこうある。というかテレビをずっと見ていた。ダマされた大賞、ダーツの旅スペシャル、ダウンタウンの笑ってはいけないなどを受傷する前と同じ感覚で見ていた。
深刻な事態を深刻に考えないように脳が働いていたのだろうか。

元々は深刻に考えるタイプなのだ。
それが年齢とともに少しづつ変わったのかもしれないが、いくらなんでも呑気すぎだったような気がする。やはり特別な事だと脳が判断して気分が緩和するよう働いたのか。
過去の事をどう思っても仕方がない。今と未来しかないのだ。そういう気持ちは受傷前から年齢を重ねると同時に強くなってきていたのは間違いないが。

最近気を付けないといけない。調子に乗りすぎだ。長野での転倒もそう。
昨日も地下鉄の階段を降りながら思った。コロナ禍になってからなのだ、左脚の違和感少なく階段を降りられるのは。階段を降りながらほとんどの時にそれを思う。
それを思わない時もある。健常な時にタイムスリップしたかのように何も考えずに。いつ左足が十分に上がらずに着地するか判らないのだ。上げたつもりで上がっていないことはある、これが神経の障害だ。

昨日書いたように調子は悪くないのだ。
手も痺れている、足も痺れている、でも生きて人と接し笑って泣いて腹を立てている。
何処へだって歩いて行けるのだ、これ以上の幸せはない。
posted by shigenon at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年12月22日

2022年12月22日のカラダ

身体の状態。
右脚はまだ調子の良さを継続。上腿の横や裏は時々押せば痛い状態がある。
下腿のこれまであったぼんやりとした痺れは軽くなっている。押すと痛い部分はあるが、これまでよりも痛くない。足裏はピリピリした痺れだから軽くなっているのだろう、前は感覚すらなかったのだ。地面の感覚を感じる。
左腕は肩の可動は数か月前に良くなってから変わらないか、悪くない。

歩くという行為、これも不自由はない。ただ良くなったかどうか。
タバコロードを歩いていると左脚がガックンとすることもある。ただ修正の仕方を心得ている。いつものように手を後ろに組むだけ。足裏の痺れが軽くなって地面を踏む感覚を感じられることがいいようだ。
たまに信号手前で道を横断する。その時は小走りだ。危険だから横断歩道以外は渡らないようにしないといけないのだが、正直、小走りがしたくて渡っている。ふつうの道で目的無く小走りはできないものだから。小走りをすると左脚と右脚のバランスの悪さを感じる。早歩きの時もそうだ。
これもやっていないから出来ないことなのだろうか。

去年の今頃も良い状態だったようだ。それが年明けて悪くなっている。
それがそのまま今年の秋まで続いたのだ。痺れが強い状態にこれまで慣れてしまっているから少しづつ強くなっても気づかない。茹でガエルと一緒だ。
去年のブログを見返していると今とおなじよう深夜に目が覚めている。この頃からだったのか。
日々の生活で覚える能力が弱くなってきているのだろうか。それもあるだろうが、細かな事を気にしなくなってきたのかもしれない。それは加齢なのだろうか。
脳の働きかもしれない。細かな事を気にしていると何らかのストレスでもある。ストレスを感じないよう脳は最大限の調整をしてくれているのだろうと考えることにする。

年内にやるべきこと、書き出したにも関わらずやっていないこと多数。
もう気分は年末年始だ。28日に大阪で打ち合わせてそのまま帰省。
posted by shigenon at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年12月20日

マスターからの贈り物

広島に住んでいた頃、毎月山口に出張していた。
山口県内も翌朝の仕事の関係から色んな場所のホテルに宿泊したがある地域にしか泊まらなくなった。
それはお気に入りのの焼き鳥屋ができたから。そこに行きたくてその地域から県内に行くようになった。
一番最初に行ってからもう30年以上になる。
広島を離れ、その地に行く用事が無くなっても、例えば福岡に用事があれば翌日に休みを取って訪れる。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/700/0?1671410731
マスターが気になり、たまに電話をする。10月頃か、ふと思い出して電話をした。
相変わらず元気な声で喋る。昔より少し声が小さくなったか。ふつうで言えば大声だが。
マスターから電話があったのは12月8日。

この日は区のプレミアム商品券を年内に消化するため、一人では行ったことのない居酒屋に行っていた。
着信‥「元気かね〜」…マスターだ。
「兄ちゃん、住所は・・・・・でええかね」長門弁が懐かしい。
いや、その住所は違うよと。その住所は結婚していた時の住所だ。そういえば写真入りの年賀状を送った、それを大事に持っていてくれているのだ。
従業員の人と替わり住所を告げる。ハムを送ってくれるというのだ。
それが土曜日に届いた。居酒屋Qで呑んでいたのだが19時の受付にしていたので早く帰った。翌日はゴルフだったので早く帰るきっかけにもなった。
有難いことだ。マスターの焼く焼き鳥は絶品なのだ。今度いつ行けるだろうか。

ゴルフ後の身体。歩くという行為はやはり良くなる。力が入りやすい。
それ以外に今回期待していたのが左腕の可動。筋肉も付いたので力が入りやすくなるのではないかと期待していた。
身体の不自由さをあまり感じなかった。カートの乗り入れ不可だったので歩きなのだが、全く不自由はなかった。左腕はたまに力をうまく使えない時はあったものの、前ほど力が入らないという状態ではい。
それ以上に寒さと風が気になった。他の事が気になるほど身体は安定していた。
結局は久しぶりの大叩きで終わった。

12月ももう下旬。あと1週間で帰省だ。
年末までにやるべきこと…息子へのクリスマスプレゼント送付、年賀状、大掃除。
夏布団と扇風機を粗大ごみで出さないと。
posted by shigenon at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年12月19日

ラストコンペになるか

日曜日は寒い日だった。向島の料理屋さんの定例コンペ。
去年も12月に行っているがこれほど寒くはなかったような。午前中は日差しが無く、午後は日差しはあったが風が強い。風速1mで体感温度は1℃下がるという。
もしかしたら今回がコンペ参加最後になるかもしれない。もう来年の3月が定年だ、東京にいることはない。今出ている家賃補助が無くなるのだ。それと親元へ戻ろうという気持ち。
ただ縁のあった東京、友達もそうだが鍼治療もある。今のところは3か月に2回くらいは上京しようと考えている。
このゴルフ会もそのタイミングに合えば参加できる。

とはいえ、定年後どうするか決まっていない。
健常な時、それはもう8年前か、漠然とイメージしていた。家を出たのが18歳。頻繁に帰っているとはいえ両親も高齢だ。最後は一緒に暮らしたい。60歳になったら実家に戻ろうと。
仕事はやらなくてもいいかと。毎日ジムに行って、週に1回ゴルフに行って、週に2回ほど夜はどこか馴染みの店を作って呑んで。
そして月に1回東京に2泊3日位で行く。
そんな生活を具体的に金額に落とし込んで概算費用も考えていた。なんとか株の運用や個人年金や貯蓄の切る崩しで賄えるか。
ただ自分が何歳まで生きるのかということ、大きな病気をしてずっと入院とかになること、それが解らない・解るわけがない。

そう思っていて受傷した。
大まかな定年後のイメージは変わらないが継続して働くのも一つかなと考えるようになった。
カネはいくらあっても困るものではない。足りなければ困る。カネがないとセコくなるのも事実だろう。
再雇用以外でアルバイトと考えても条件的に良いものはないだろう。昔の顔で働けるのが一番ラクだ。
もう仕事で何かを成し遂げるとかを思うことは無い、これまで成し遂げたこと大事に思うだけでいい。あとは労働に対する対価としてのギャラだけを思うだけだ。

そう思っているのだが、今の段階で何も決まっていない。
工場現場を別にして、これまで定年再雇用で働いた人はそんなに多くない。若い会社だ。
現場以外の総合職社員の定年に伴う再雇用という仕組みが構築されていないのだ。
8月に担当役員と話をして、そこを言うとその通りと。その後何の回答もない。もう12月になっているのに。
腹も立つし、もうそれだったら働かないとは考えない。一時の腹立ちで自分の選択肢を狭めるようなことはしても仕方ない。

ゴルフとそれによる身体の変化を書こうと思っていたら、流れで自分の定年後の話になってしまった。
posted by shigenon at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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