これまで簡単に出来たことができない。洗濯ばさみも、左手ではつまめなかった。掃除機も右手で持つものの、左手で障害物を動かせなかった。これまでは結構几帳面に毎週掃除をしていたのだが、2,3週間に1回でいいと思った。仕方ない。
心配だった階段の上り降りも手すりと杖でなんとかなった。杖は退院翌日に着くよう楽天で頼んでおいた。これまで“守られた生活”をしていた者には、外での生活はかなりの緊張感を強いられた。
買い物をしても、財布からお金を出すのに時間がかかる・自販機のお釣りが取れずにばら撒くなどもあった。
ポケットに小銭を入れていても、健常な頃は100円玉や10円玉の区別はついたが、痺れで全く判らなかった。出すときにばら撒くこともあった。仕方なく小銭入れを持つことにした。
寝室の倒れた場所を見て思い出すのが、倒れた時に「助けて」と大声で叫んだこと。よくドラマや映画で敵に捕らえられ、潔く「殺せ」とかのシーンがある。シチュエーションが違うから何とも言えないが「オレは命乞いをしてまで生きたかったんだ」ということを想う。生きてやろう、不自由になった身体でも。でも生きている限り絶対に元通りになってやる。
リハビリ病院へは退院後も通院リハビリをすることになっていた。リハビリ病院は外来を基本的に実施していなく、急性期に入院した病院しか外来は受け付けていないとのことだった。でも、回復期にリハビリをしてくれたPTさんに引き続きお願いしたかった。自分の回復経過が一番わかってくれているのだから。しかし、そのための手間があった。
最初に入院した病院に行き、その時の主治医に診てもらい、その後にリハビリ病院で院長に診察してもらうという手順。理解不能だった。同じグループで。
住んでいる街の様子は微妙に変化していた。ミニスーパーが出来ていたり、建物が壊されていたり。109日というのは長い日なのだ。その街を歩く僕も変わってしまった。
外を歩くのは怖かった。比較的何でも徒歩圏で揃うのだが、500メートルを歩くことはできなかった。
自転車はエアロバイクを入院中にしていたので、なんとか動かせると思った。
何とか動かせるが、必死にグリップを握らないといけなかった。
以前から行っていたジムはそのまま会員登録したままだった。まずは毎日ジムにいくことにした。
(今は週何回という会費設定で通っているが、この頃は月額だった)
全国規模のフィットネスなのだが、このジムはそれほど混んでいない。筋トレが回復の道という考えは変わらなかった。
ロッカールームの鏡で見る自分の身体は情けなかった。やせ細っていた。入院前は不摂生放題で、ベスト72キロが74キロを超えることもあった。毎日飲んで、最後にラーメンという生活だったから。
体重は66キロまで落ちていた。
ジムではまずストレッチをマットの上でするのだが、病院にいる時と変わらず地面に座るのも一苦労だった。身体はカチカチで、これまでのルーティンでしていたストレッチも満足にできなかった。
筋肉は1か月くらいで付くはず。入院前にやっていた筋トレのマシンを順番にやってみた。
受傷前は軽いストレットの後、「フライ」30kg12回×2、「アブドミナルクランチ」59kg24回×2、「チェストプレス」39.5kg12回×2、「ラットプルダウン」39.5kg12回後・前、そして時々「ステップマシン」を10分程度気まぐれで乗って、ストレッチ、風呂というメニューだった。風呂以外で3,40分のトレーニング。
これまでは基本的に何か目的を持ってトレーニングをしていたわけでなく、出ている腹が少しでも引っ込んで見えるよう大胸筋を鍛えること、ドライバーが飛ぶよう腕力を付ける、その日飲むビール分くらいのカロリー消費といった理由の筋トレだった。
これからは自分を回復させるためのトレーニングだ。これまでのマシンはとても従来の荷重は無理だった。とにかく、動かせるだけの荷重をかけて動かした。
とにかく恐々と筋トレをやり始めた。風呂に入る時も、滑らないよう注意した。
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