話しは戻るが、リハビリ病院に転院してしばらくして同じ病棟のフロアに入院していて顔を良く合わせるNさんと話をするようになった。
Nさんは脳梗塞で入院しており、知り合った頃は退院間際でよく外出もしていた。ソムリエだそうで、新店もオープン準備もあり早く退院を望んでいた。
Nさんの症状は麻痺が強く、舌も痺れているとのこと。歩くことは問題ないように見えた。
Nさん曰くは、「鍼治療が有効かな」と。退院したNさんはしばらく通院リハビリしていて、来たときは病棟へも顔をだしていた。わざわざ自分の通っている鍼灸院の名刺を持ってきてくれた。
僕自身、受傷前は慢性的な肩こりで毎週マッサージ通いだった。鍼治療も何度か受けたことがあった。さっそくネットで調べてみた。
頸髄損傷を高い確率で治すという中国の鍼灸院を発見した。ここは、頸髄損傷だけでなく、どんな難病も鍼治療で治せると。信じるしかなかった。
3月末の退院勧告が避けられ、「社会復帰」をイメージしながら入院生活を送った。ただ、家に戻って一人で何かをするということへの不安は消えなかった。住んでいる部屋は3Fなのだが、部屋まではかなり急な階段だった。それを毎日上がったり下りたり出来るのだろうか。
3月の中旬から退院までは、自身でかなりハードなメニューをこなした。OTさんやPTさんに自室でできるリハビリを書いてもらい、休むことなく繰り返した。友達にゴルフクラブを持ってきてもらおうかとも思ったが、さすがに問題になりそうなのでやめた。
毎日外出許可をとって病院周りをウロウロした。ある時弁当を買って近くの公園で桜を見ながら食べようと思った。弁当のソースが開けられない・割箸がキレイに割れないなど“守られた生活”からの1人立ちは簡単ではないことを実感した。
4月10日がやってきた。不安はあるものの、自分で決めた日だ。
T君に頼んで車で迎えに来てもらった。
荷物を部屋に運んでもらい、丁度昼だったので一緒に近所の蕎麦屋へ行った。
話しは全く変わるが、札幌に住んでいた若い時に1週間入院したことがある。気管支炎で。(くだらない話だが、3日目位に退院の検査があったのだが、豊胸な看護師さんが2つめまでボタンを開けていたので、呼吸が乱れて良い数値が出ず3日入院が延びたという青い思い出がある)
その退院した日に缶ビール1本飲めなかったな・と思い出しながら蕎麦屋でビールで乾杯。その頃よりも肝臓が進化しているのか、すんなり1本飲めた。
瓶ビール中瓶が左手で持てなかった。まず、左手で中瓶を持てることを目標にした。
その日は何をしたのだろう。夕方まで飲んだ記憶もあるし、そのあとどうしたのか。焼酎も飲んだように思う。家に帰ってタバコも1本吸った。久しぶりのタバコは旨かった。
ただただ自分のベッドで眠った。起きれば全てが元通りになっていることを少し期待しながら。
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