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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年07月11日

三願転入の三願とは

ここを以て、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、
久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く雙樹林下の往生を離れ、善本・
徳本の真門に廻入して、偏に難思往生の心を発しき。然るに今特に方
便の真門を出でて、選択の願海に転入し、速に難思往生の心を離れて、
難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓、良に由有るかな。

教行信証化土巻)

「ここを以って愚禿釈の鸞」

これからいうことは私自身のことです。

親鸞聖人の書かれるものの特徴、非常に重要なこと、信じがたいこと、

疑問のおきそうな文章には必ず自分の名前を明記される。

曖昧さがない。

 

「釈」という字は釈尊の弟子の、仏弟子親鸞、ということ。

「愚」おろかな。

「禿」普通は頭の禿げた、という字。

非僧非俗をあらわす言葉と言われる。

ご自分のことを卑下しておっしゃっている。

 

「論主の解義を仰ぎ」

論主、普通は天親菩薩をいう。

「千部の論主」といわれる。

沢山の本を書かれた。

 

ただ、ここでは龍樹菩薩も含めておっしゃっておられると思っていい。

「千部の論主」といったら、天親菩薩。

浄土論。

解義とは教え。

それをあおいで、ということだから、

龍樹菩薩、天親菩薩の教えを仰いだ。

 

「宗師の勧化によりて」

宗師とは、普通は善導大師のことをいう。

 

 真心徹到するひとは

 金剛心なりければ

 三品の懺悔するひとと

 ひとしと宗師はのたまへり

 

(高僧和讃)

 

宗師はのたまへり、宗師は教えられました。

ここでは善導大師のこと。

しかし三願転入では、七高僧の中の残りの5人。

曇鸞大師道綽禅師、善導大師、源信僧都、法然上人。

 

七高僧の教えに親鸞導かれて、ということ。

当然ここには別格として釈尊がおられる。

仏教説かれた元祖善知識。お名前を出すまでもない。

これらの方々のみちびきによって、ということ。

善知識方に導かれて。

 

「ひさしく万行諸善の仮門を出でて」

「万行諸善の仮門」とは19願のこと。

そもそも三願転入の三願とは。

 

阿弥陀仏という仏様は本願を48建てられている。

釈尊は500願。本願の数からいうと釈尊のほうが多い。

けれども仏の偉大さ、本願の数で決まるのではない。

数でいうと薬師如来は12願。

その本願の内容による。人間でもそう。

 

そのひとが心にどういうものを願っているか。

どういう理想を持っているのか。

日本一になってやろう、という人と世界一になってやろう、

という人では心の大きさが当然変わってくる。

 

阿弥陀仏の本願がなぜ素晴らしいか、その数ではない。

内容が素晴らしい。

だから阿弥陀仏は本師本仏といわれる。

仏様はみんな本願持っておられる。

だから本当は本願寺といっただけでは誰の本願だろう、といえないことはない。

だけれども本願寺といったら、阿弥陀仏が本尊だな、と思う。

それだけ阿弥陀仏と本願には密接な関係がある。

それは阿弥陀仏が他の仏と比較にならないくらい素晴らしい本願を建てられているから。

 

その中でも、18、19、20の3つを三願といわれる。

 

それはどうしてか。

48の本願の中で十方衆生を救う、とちかわれているのは、この3つしかない。

そして、是は他の仏様の本願にはない。

十方衆生を救う、釈尊の500願に一つもない。

だから約束の相手からしても阿弥陀仏の本願のスケール他と比較にならないくらい大きい。

だからこの3つを「摂生の願」という。

こんな本願建てられるのは阿弥陀仏しかいない。

だからこの3つを三願という。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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