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2023年01月25日

大法寺(だいほうじ)は、長野県小県郡青木村にある天台宗の寺院

大法寺(だいほうじ)は、長野県小県郡青木村にある天台宗の寺院。山号は一乗山。開基(創立者)は藤原鎌足の子・定恵と伝える。本尊は釈迦如来。国宝の三重塔があることで知られる。

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歴史
寺伝である一乗山観院霊宝記によると、大法寺は奈良時代の大宝年間(701〜704)に藤原鎌足の子である定恵によって創立されたとされる。その後、平安時代の大同年間(801〜810)に坂上田村麻呂の祈願により、義真(天台宗座主)によって再興された。

大宝年間と定恵が生きたとされる間(諸説あり)は一致しない。歴史資料や地理的事実からは、大法寺が近くに存在した東山道の浦野駅に関係する寺として創建されたと考えるのが妥当とされており、いずれにしても奈良時代に創建された信州でも有数の古刹である。

平安時代に周辺地域が牧場として栄えたことから、大法寺は牧場関係者による崇敬を受けた。重要文化財に指定されている十一面観音菩薩立像、普賢菩薩立像などはこの間に造られ、平安時代独特の作風を伝えている。

鎌倉時代に入いると大法寺は、周辺に住んだ有力地頭による崇敬を受けた。特に国宝に指定されている三重塔や、重要文化財に指定されている厨子、須弥壇などの文化財は、浦野氏、北条氏などの地頭の支援により造られた。

江戸時代、大法寺は戸隠の勧修院の末寺となっており、天台修験による山岳仏教の寺として栄えた。

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文化財
国宝
三重塔 - 山腹に点在する伽藍の最も高い地点に位置する。鎌倉幕府崩壊の年にあたる、正慶2年(1333年)に建立された和様の三重塔。
重要文化財
木造十一面観音及び脇侍普賢菩薩立像 2躯 − 十一面観音、普賢菩薩ともにカツラ材の一木造で、平安時代・10世紀後半の作。周辺地域では最古の仏像。観音堂に安置されている。
厨子及び須弥壇 − 室町時代。禅宗様の厨子であり、上部にある鯱(しゃちほこ)は木製のものとしては日本最古とも考えられている。

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所在地 長野県小県郡青木村当郷2052
位置 北緯36度22分53.0秒 東経138度8分56.0秒
山号 一乗山
宗旨 天台宗
本尊 釈迦如来
文化財 三重塔(国宝)
木造十一面観音及び脇侍普賢菩薩立像、厨子及び須弥壇(重要文化財)
posted by Kazu at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 長野県

2023年01月24日

真宗大谷派井波別院瑞泉寺(しんしゅうおおたにはいなみべついんずいせんじ)は、富山県南砺市井波にある真宗大谷派の寺院

真宗大谷派井波別院瑞泉寺(しんしゅうおおたにはいなみべついんずいせんじ)は、富山県南砺市井波にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。井波別院、瑞泉寺と略称で呼ばれる。山号は「杉谷山(すぎたにさん)」。

戦国時代には、越中一向一揆の拠点とされ、伽藍は堅牢な石垣に囲まれている。瑞泉寺の建物の彫刻は、全て木彫刻産業が盛んな、南砺市井波の井波彫刻職人の手によって飾られている。

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本堂

概要
明徳元年(1390年)、本願寺第五代綽如により建立される。

天正9年(1581年)、顕秀の下、織田信長の北陸方面軍佐々成政の軍勢と戦うが焼き討ちに遭い、堂宇を焼失する。

慶長7年(1602年)、本願寺の分立により「准如を十二世法主とする本願寺教団に属する。

慶安2年(1649年)、「教如を十二代法主とする本願寺教団」に転派する。

明治12年(1879年)、火災で大門(山門)などを残して主要伽藍を焼失。その後、明治18年(1885年)に本堂、大正7年(1918年)に太子堂が再建された。

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太子堂

開門・閉門時間
開門 - 8時30分
閉門 - 16時30分
拝観料
一般300円、中学生200円、小学生100円
アクセス
JR西日本城端線福野駅から車で20分
加越能バス瑞泉寺前バス停下車すぐ(高岡駅前または石動駅から、庄川町行き、または小牧堰堤行きに乗車)
加越能バス交通広場前バス停下車5分(金沢駅または福光駅から、南砺金沢線井波行きに乗車)

所在地 富山県南砺市井波3050
位置 北緯36度33分30.55秒 東経136度58分19.92秒
山号 杉谷山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
寺格 別院
本尊 阿弥陀如来
創建年 明徳元年(1390年)
開基 綽如
文化財 【重要文化財】
後花園天皇宸翰消息
綽如上人勧進状
【重要美術品】
聖徳太子絵伝
【富山県指定文化財】
山門
木造阿弥陀如来立像
【南砺市指定史跡】
瑞泉寺境内
posted by Kazu at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 富山県

2023年01月23日

投入堂(なげいれどう)は、鳥取県東伯郡三朝町にある木造建築物

投入堂(なげいれどう)は、鳥取県東伯郡三朝町にある木造建築物。三佛寺の奥院として、三徳山北側中腹の断崖絶壁の窪みの中に建造された懸造仏堂で、平安時代の密教建築の数少ない現存遺例である。

日本建築史上、他に例を見ない特異な建造物であるとともに、屋根の軽快な反り、堂を支える長短さまざまな柱の構成など、建築美の観点からも優れた作品であり、日本の国宝に指定されているが、険しい登山道(行者道)を登った先の、文字通り絶壁の中に建ち、その上方は岩壁がオーバーハングしている。「日本一危険な国宝」の異名をとり、参拝者は堂を斜め上方に見上げる地点までは立ち入ることが出来るが、崖を登って近付くことは滑落事故が発生する恐れがあるため、原則として禁止されている。

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三仏寺奥院(投入堂)

来歴
「投入堂」の名は、慶雲3年(706年)、三仏寺の開祖とされる役小角が蔵王権現などを祀った仏堂を、法力でもって平地から山に投げ入れたという伝承に由来する。永和元年(1375年)紀の修理棟札の墨書中に「伯州三徳山之鎮守蔵王殿」という文言があり、「蔵王殿」が投入堂の本来の名称であったとみられる。平安後期(寛治7年(1093年)とみられる)に三徳山(当時:美コ山)の僧兵集団が伯耆大山寺の内紛に介入し、その報復として寺の子守・勝手・蔵王堂・本堂・講堂を完全に焼き払われたという記録が『伯耆大山寺縁起』(続群書類従 巻八百十五)にあり、このうち子守・勝手・蔵王は宝亀年間に寺に祀られた3神であった。

1904年2月18日に当時の古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定され、1952年3月29日に文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定された。加えて、東側に接続して建つ小建物の愛染堂をはじめ、前述の永和元年の棟札1枚と、1915年の解体修理の際に再用されなかった古材43点が附(つけたり)に指定されている。

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遥拝所から撮影した投入堂の正面写真。向かって左の小堂は愛染堂

建造時期
投入堂は、その様式から平安時代後期の建築と推定されている。ただし大岡実のように、現状の投入堂は改造を経てきたもので、身舎部分と庇(廻縁)部分とでは造立年代が異なるとする研究者もいる。

2001 - 2002年度に奈良文化財研究所の光谷拓実らが実施した年輪年代調査では、北側の縁板から11世紀末の1098年の年輪年代が得られている。このことから、投入堂は12世紀前半には現在の形になっていたとみられるが、建立以来たびたびの修理によってかなりの部材が取り替えられている。柱のうち、隅庇屋根を支える廻縁北西隅の柱と、そのすぐ南の柱(いずれも風蝕が少ない)は1915年(大正4年)の修理で取り換えられた新材である。

参拝
投入堂への入堂は原則として禁止されている。三佛寺裏手にある登山道を辿って付近まで行くことは可能だが、「日本一危険な国宝」と称されるほど道中は険しく、死亡事故も発生している。

三佛寺前を走る県道21号線を三朝温泉方面から三徳山駐車場を過ぎたところに、投入堂遥拝所もあり、無料の望遠鏡も設置されている。三徳川を挟んだ三仏寺の対岸の山から見る「投入堂遥拝コース」も設けられている。2016年の鳥取県中部地震により、中腹の岩にひび割れができたため、立ち入り禁止になったが、クラウドファンディングにより迂回路が設置され、現在は参拝登山を行うことができる。

なお、2007年11月14日に投入堂が約100年ぶりに修復されたことを祝する落慶法要が同堂内において営まれた際、約60年ぶりに一般拝観も許可され、18歳以上の身体健康な約340名の応募者の中から選出された3名が、草鞋に作務衣・輪袈裟姿に着替えた上で、当寺住職・米田良中や当寺境内に構える三徳山皆成院住職の清水成眞などと共に、行者道を登って入堂し、同法要に参列した。

用途 仏堂
管理運営 三仏寺
構造形式 木造
竣工 平安時代後期
所在地 〒682-0132
鳥取県東伯郡三朝町大字三徳1010
座標 北緯35度23分47.0秒 東経133度57分35.7秒
文化財 国宝
指定・登録等日 1952年3月29日
posted by Kazu at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 鳥取県

2023年01月22日

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にある神社

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にある神社。式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

宗教法人登記上の正式名称は「二荒山神社」であるが、宇都宮市の二荒山神社(宇都宮二荒山神社)との区別のために地名を付して「日光二荒山神社」と称される。古くは「日光三社権現」と称された。

二荒山神社の境内は東照宮、輪王寺の境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。

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本社 拝殿(国の重要文化財)

概要
関東平野北部、栃木県北西にそびえる日光連山の主峰・日光三山を神体山として祀る神社である。境内は次の3ヶ所からなる。

本社(栃木県日光市山内)
本社 - 日光の社寺最奥に鎮座。
別宮本宮神社 - 日光の社寺入口、女峰山登山口入口。
別宮滝尾神社 - 女峰山登山口入口奥。
中宮祠(栃木県日光市中宮祠) - 中禅寺湖畔。男体山表登山口入口。
奥宮(栃木県日光市中宮祠二荒山) - 男体山山頂。
日光三山は男体山(なんたいさん:古名を「二荒山(ふたらさん)」)・女峰山(にょほうさん)・太郎山からなり、二荒山神社ではそれぞれに神をあてて祀っている。三山のほか日光連山を境内地とし、面積は3,400haにも及び、その神域には華厳滝やいろは坂も含まれる。

二荒山神社は古来より修験道の霊場として崇敬された。江戸時代になり幕府によって日光東照宮等が造営されると二荒山神社も重要視され、現在の世界遺産・重要文化財指定の主な社殿が造営された。また、国宝指定の刀剣2口や多数の刀剣等の重要文化財を現在に伝えているほか、境内は国の史跡「日光山内」に包括されている。

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鳥居(重要文化財)

社名
社名「二荒山(ふたらさん)」の名の由来には諸説がある。

「補陀洛山」説 - 観音菩薩が住むとされる「補陀洛山(ふだらくさん)」が訛ったものといわれ、後に弘法大師空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたとする。ただし、空海の来訪は伝承の域を出ない。
男体山・女峰山2神の二神二現説
暴風雨説
アイヌ語の「熊笹 = フトラ」説
なお、男体山山頂遺跡の出土品から、鎌倉時代初期には「二荒」と「日光」が併用されていたことがわかっている。

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神体とする男体山(手前は中禅寺湖)男体山の古名が「二荒山」とされる。

祭神
二荒山大神像
(男体山山頂)
主祭神は次の3柱。それぞれ日光三山の一山にあてられている。3神は「二荒山大神」と総称される。

神体山 祭神 関係 本地仏 標高 所在地
男体山
(二荒山) 大己貴命(おおなむちのみこと) 父 千手観音 2,486 m 位置
女峯山 田心姫命(たごりひめのみこと) 母 阿弥陀如来 2,464 m 位置
太郎山 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)子 馬頭観音 2,368 m 位置

これらの山々は神体山、いわゆる神奈備であり、霊峰として古くから信仰されてきた。この日光の神々は「日光三山」「日光三所大権現」などと呼ばれ、親子の山と考えられてきた。

二荒山神に現在の人格神があてられたのは12世紀頃だとされる。さらには本地垂迹説により上記のような諸仏があてられ、輪王寺では現在もこれら諸仏を祀っている。

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二荒山大神像 (男体山山頂)

境内
江戸時代までは、神領約70郷という広大な社地を有していた。今日でも日光三山を含む日光連山8峰(男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山)や華厳滝、いろは坂などを境内に含み、その広さは3,400haという、伊勢神宮に次ぐ面積を有している。

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本社 本殿と透塀(ともに重要文化財)
本殿は八棟造で、日光の社寺の中で最古。

交通アクセス
本社まで
東日本旅客鉄道(JR東日本)日光線 日光駅または東武鉄道日光線 東武日光駅から
徒歩:約35分
バス
東武バス(世界遺産めぐり)で「大猷院二荒山神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
東武バス(中禅寺温泉行き・湯元温泉行き・奥細尾行き)で「西参道」バス停下車 (下車後徒歩約8分)
駐車場:有り
中宮祠まで
バス:東武バス(湯元温泉行き)で、「二荒山神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)

所在地 本社:栃木県日光市山内2307[1]
中宮祠:栃木県日光市中宮祠2484
奥宮:栃木県日光市中宮祠二荒山
位置 本社:北緯36度45分30.32秒 東経139度35分47.00秒
中宮祠:北緯36度44分30.41秒 東経139度29分12.54秒
奥宮:北緯36度45分52.97秒 東経139度29分23.97秒
主祭神 二荒山大神
(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の総称)
神体 日光三山(神体山)
社格等 式内社(名神大)論社
下野国一宮
旧国幣中社
別表神社
創建 本社:神護景雲元年(767年)
中宮祠:延暦3年(784年)
奥宮:天応2年(782年)
本殿の様式 八棟造(本社本殿)
例祭 4月13日-17日(弥生祭)
posted by Kazu at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 栃木県

2023年01月21日

粟飯原家住宅(あいはらけじゅうたく)は、徳島県名西郡神山町にある歴史的な建造物

粟飯原家住宅(あいはらけじゅうたく)は、徳島県名西郡神山町にある歴史的な建造物。国の重要文化財に指定。

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歴史
1351年(慶応2年)に下総国より阿波国に派遣された上山谷の6箇村の大庄屋である粟飯原家の分家である。当時の一般農家が2間取りから3間取りが普通であったのに対し、粟飯原家は6間取りあり、支配階級の民家として貴重なものとされている。

建物は鮎喰川上流左岸の山裾に建っており、屋敷地は広く、前面に石垣が築かれている。建築年代は棟札により1710年(宝永7年)であることがわかる。粟飯原家住宅はこの地方における6間取りの平面をもつ家では最古の民家である。また1976年(昭和51年)5月20日に国の重要文化財に指定された。

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交通
JR「徳島駅」より車で約45分。

所在地 徳島県名西郡神山町下分字栗生野125
位置 北緯33度57分55.3秒 東経134度19分33.6秒
形式・構造 寄棟造、鉄板葺、四面庇付、桟瓦葺
建築年 1710年(宝永7年)
文化財 国の重要文化財
posted by Kazu at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 徳島県

2023年01月20日

迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう)は、東京都港区にある日本の迎賓館

迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう)は、東京都港区にある日本の迎賓館。

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沿革
東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮皇居が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

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施設
本館
日本が独自の文化を守りながらの西洋化と富国強兵に突き進んでいた時代を象徴して、天皇を「武勲の者」という印象を表現するために、正面玄関の屋根飾りや内装の模様などに鎧武者の意匠があるなど、建物全体に西洋の宮殿建築に日本風の意匠が混じった装飾になっている。イギリスのバッキンガム宮殿やフランスのヴェルサイユ宮殿が参考にされた[3]。また、ウィーンのホーフブルク宮殿(新宮殿)との類似性も見られる。

また、電気が珍しかった建築当時の日本において、イギリス製の自家発電装置を備え付けて照明に電気を使い、アメリカ製の自動温度調節機能付き暖房装置を設置した。ただし、この暖房装置は正常に作動せず、室温が突然上がったり下がったりするトラブルに幾度も見舞われたという。煉瓦石造で西欧様式の建物は高温多湿の日本の気候には全く適さず、晩春から早秋にかけては天候によっては室内の湿度が著しく上がり、暖房はあっても冷房はないために居住性が著しく低かった。これに対処するために片山東熊は電気式の除湿機を設置する計画も考えていたが、こちらは実行に移されなかった。

建築当初の調度品はタペストリーなど日本製の物もあったが、椅子などの家具の多くはドイツやフランスなどから輸入したものを使用していた。この建物が迎賓館になった際に建物から放出されたこれらの家具の一部は現在、博物館明治村に保存・公開されている。

1974年(昭和49年)の改修時に金箔張りの賓客用エレベーターを設置。

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旧名称 東宮御所
用途 国賓等の歓迎、宿泊施設
旧用途 東宮御所
設計者 片山東熊
管理運営 内閣府
構造形式 鉄骨補強煉瓦石造
敷地面積 117,000 m2
延床面積 15,000 m2
高さ 地上2階、地下1階
竣工 1909年(明治42年)
所在地 東京都港区元赤坂二丁目1番1号(北緯35度40分48秒 東経139度43分43秒)
posted by Kazu at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都

2023年01月19日

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。通称、みさきさん。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。社殿12棟などが国の重要文化財に指定されている。

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島根県出雲市にある日御碕神社。楼門(重要文化財)

歴史
当社は、上下の2社あり、上の宮を神の宮、下の宮を、日沈宮(ひしずみのみや、日沉の宮)と称し、2社を総称し日御碕神社(日御碕大神宮)と呼ばれる。古くは『出雲国風土記』に美佐伎社、『延喜式』に御碕社とあり、地元では「みさきさん」とよばれる。

社伝によると、素盞鳴尊は出雲の国造りの後、熊成峰に登り、鎮まる地を求めて、柏葉を風で占うと隠ヶ丘に止まった。そこで御子・天葺根命は御魂をその地で奉斎したと伝わり、隠ケ丘(古墳)が現・社殿の裏側にある。日沈宮は元は文島(現・経島)に鎮座し、天葺根命が文島にいたとき、天照大神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅によって奉斎したのが始まりと伝わる。

平安時代末期に後白河上皇が編纂した『梁塵秘抄』に「聖の住所(すみか)」として記される修験の聖地である。神の宮(上の宮)は、現・社殿の背後にある隠ヶ丘に鎮座していたが、安寧天皇13年(紀元前536年)に、勅命により現在地へ遷座し、日沈宮(下の宮)は、経島(日置島)に鎮座していたが、天暦2年(948年)に村上天皇の勅命により現在地に遷座したと伝わる。

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日沈宮(下の宮) 拝殿(重要文化財)

祭神
以下の祭神を祀る。

日沈宮(下の宮)
主祭神
天照大御神
配祀神
天忍穂耳尊
天穂日命
天津彦根命
活津彦根命
熊野樟日命
神の宮(上の宮)
主祭神
素盞嗚尊
配祀神
田心姫命
湍津姫命
市杵島姫命

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神の宮(上の宮) 拝殿(重要文化財)

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日沈宮(下の宮) 拝殿(左)・本殿(右奥)・玉垣(本殿を囲う)

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神の宮(上の宮) 本殿(左)・玉垣(本殿を囲う)・拝殿(右)

文化財
国宝
工芸品
白絲威鎧(しろいとおどしよろい) 兜・大袖付 1領 - 1953年(昭和28年)3月31日指定。
鎌倉時代作。胴高:63.6 センチメートル、兜鉢高:11.2 センチメートル、大袖高:39.4 センチメートル[6]。江戸時代には、源頼朝奉納の甲冑として知られていた。幕末には威糸(おどしいと)などの痛みが激しく、文化2年(1805年)、松江藩主・松平治郷の命により、江戸で、元の姿を損なうこと無く現状の形に補修されている。その際、破損部分の繕いに「文化二年修補」の文字を染めた白韋(しろかわ)が用いられ、取り外された威糸や紐などの残欠類は保管されている。修理を担当した寺本安宅により61ヶ条の修理記録「源頼朝卿御鎧修補註文」が記されている。東京国立博物館寄託。(塩冶高貞寄進)

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交通アクセス
JR出雲市駅から一畑バスで57分
出雲大社バスターミナルから一畑バスで20分
(2022年10月時点)

所在地 島根県出雲市大社町日御碕455
位置 北緯35度25分46.4秒 東経132度37分45.5秒
主祭神 天照大御神
素盞嗚尊
社格等 式内社(小)
旧国幣小社
別表神社
創建 安寧天皇13年
本殿の様式 権現造
別名 通称「みさきさん」
札所等 出雲國神仏霊場20番
例祭 8月7日
主な神事 御寄神事、御饗神事、釿始祭、和布刈神事、例大祭/神幸祭、爪剥祭、神在祭/神去出祭、神劔奉天神事
posted by Kazu at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 島根県

2023年01月18日

観音寺(かんのんじ)は、長崎県長崎市脇岬町にある曹洞宗の仏教寺院

観音寺(かんのんじ)は、長崎県長崎市脇岬町にある曹洞宗の仏教寺院。山号は円通山。円通山観音禅寺と号する。

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歴史
寺伝によれば、和銅2年(709年)、僧行基により開かれたという。現在の観音堂は江戸時代に再建されたもので、堂内には平安時代末期の作とされる像高約2.5mの千手観音立像が安置されており、「みさきの観音」と称され江戸時代を通じ長崎市内からの参詣者が多かった。また、脇岬が長崎半島南端部にあり長崎へ出入りする唐船の風待ち港として用いられたことから、寺内寄進物の施主には長崎の町人・遊女のみならず中国貿易商人らも名を連ねている。

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文化財等
木造千手観音立像(国の重要文化財)
観音堂内陣天井絵(県指定有形文化財) - 石崎融思・川原慶賀らの筆。
梵鐘(市指定有形文化財

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アクセス
長崎自動車(長崎バス)で「観音寺入口」バス停留所下車、徒歩3分。
長崎市内より国道499号経由で車で約1時間。

所在地 長崎県長崎市脇岬町2330
位置 北緯32度35分02.7秒 東経129度46分28.8秒
山号 円通山
宗派 曹洞宗
本尊 千手観音
創建年 和銅2年(709年)
開山 行基
別称 観音禅寺
posted by Kazu at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 長崎県

2023年01月17日

鉄舟寺(てっしゅうじ)は、静岡県静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院

鉄舟寺(てっしゅうじ)は、静岡県静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は補陀落山。本尊は千手観音菩薩。

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歴史
推古天皇の御代に秦氏の出身である久能忠仁が現在の久能山東照宮付近に建立した堂に始まり、その後奈良時代の僧行基が来山して久能寺と号したという(『久能寺縁起』)。平安時代に入って天台宗に改められ、建穂寺と駿河を二分する勢いで栄えた。1570年(永禄13年)武田信玄が久能山に城を作る(久能城)ため現在地に移され、宗旨も変わり新義真言宗(真言宗根来派)に属することになる。

江戸時代には朱印寺領として200石余りを与えられ、多くの支坊を有したが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治に入ると無住(住職がいないこと)になって寺は荒廃してしまった。

その後、旧幕臣で明治以降に静岡藩権大参事も務めたこともある山岡鉄舟が、臨済寺から今川貞山を招いて復興し、寺号も鉄舟寺と改められた。そのため鉄舟の書跡の遺品も多い。

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文化財等
国宝
法華経(久能寺経)19巻
現存最古の一品経(法華経二十八品を一巻毎に書写したもの)。現在は東京国立博物館に寄託。永治2年(1142年)待賢門院の出家に際して、鳥羽法皇や美福門院をはじめ、近臣や女房らが加わった、逆修供養のために結縁書写された。元は法華経二十八品に開教と結経を加えた三十巻か、或いは更に『阿弥陀経』『般若心経』を加えた三十二巻本だったと想定される。鉄舟寺にはそのうち17巻分伝わっており、他に五島美術館に2巻(重文)、東京国立博物館に3巻(重文)、個人に4巻(国宝[1])の計26巻が現存している。鉄舟寺所蔵品の員数は19巻だが、そのうち陀羅尼品第二十六と普賢菩薩勧発品第二十八の2巻は補配本と見なされる。
なぜこのように立派な経典が都から遠く離れた地に納められたのか、は不明である。諸説として、京の戦乱を避けるため東国武士によって移された、鳥羽法皇の離宮であった安楽寿院や上皇がしばしば詣でた熊野三山と久能寺との関係性、などが挙げられている。
「譬喩品」は待賢門院自らの結縁によるもので、その写経の筆者は近侍の女房中納言の弟で、当代屈指の能書で知られた藤原定信。また、書写名は不明だが「安楽行品」の書は穏やかで優美な行書気味の書風で、当時の能書の中でも特に優れた人物の手になる。

重要文化財(国指定)
錫杖 銘「康治元年九月八日久能寺念空」あり、1142年の作。

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1142年作の錫杖(重要文化財)

所在地・アクセス
静岡県静岡市清水区村松2188
JR東海 東海道本線 清水駅から静鉄バス忠霊塔行きに乗車(約20分)、「鉄舟寺」下車。

位置 北緯34度59分33.6秒 東経138度28分59.0秒
山号 補陀落山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
本尊 千手観音菩薩
文化財 法華経 19巻(国宝)
錫杖(重要文化財)ほか
posted by Kazu at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 静岡県

2023年01月16日

近江神宮(おうみじんぐう)は、滋賀県大津市神宮町にある神社

近江神宮(おうみじんぐう)は、滋賀県大津市神宮町にある神社。皇紀2600年を記念して同年に相当する1940年(昭和15年)に創祀された。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社で勅祭社でもある。

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楼門

歴史
天智天皇6年(667年)に同天皇が当地に近江大津宮を営み[1]、飛鳥から遷都した由緒に因み、紀元2600年の佳節にあたる1940年(昭和15年)の11月7日、天智天皇を祭神として創祀され、官幣大社に列せられる。

太平洋戦争後、神道指令が発令された1945年(昭和20年)12月15日、戦後復興を祭神(天智天皇)に祈願した昭和天皇の勅旨により、同神宮は勅祭社に治定された。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。

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本殿

祭神
主祭神 - 天智天皇(又の御名:天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ))
神徳:時の祖神 開運・導きの大神、文化・学芸・産業の守護神

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内拝殿

文化財
国宝
崇福寺塔心礎納置品- 京都国立博物館に寄託。
舎利 3粒
舎利容器 一具
金蓋碧瑠璃壺 1口
金製内箱 1口
銀製中箱 1口
金銅外箱 1口
瑠璃玉 一括
硬玉丸玉 3顆
金銅背鉄鏡 1面
無文銀銭 11枚
水晶粒 2顆
銅鈴(残欠共) 2口
金箔木片其他伴出物一切

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手前から北神門、外透塀、外廻廊、神符授与所、楼門

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外拝殿

交通アクセス
鉄道
京阪電気鉄道石山坂本線 近江神宮前駅から北西へ0.6km。
西日本旅客鉄道(JR西日本)湖西線 大津京駅から北西へ1.1km。
自動車
西大津バイパス 近江神宮ランプから南へ1.1km。皇子山ランプから北へ1.7km。
滋賀県道558号高島大津線柳が崎交差点から滋賀県道30号下鴨大津線(神宮道)に入り西へ1km。

所在地 滋賀県大津市神宮町1-1
位置 北緯35度01分56.8秒 東経135度51分04.4秒
主祭神 天智天皇
社格等 旧官幣大社
勅祭社
別表神社
創建 1940年(昭和15年)
本殿の様式 近江造
例祭 4月20日
posted by Kazu at 09:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 滋賀県
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