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2023年02月14日

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋である。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上、年間にすると850万人以上の参詣者がある。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。

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祭神
菅原道真公
学問の神として広く知られている。

歴史
右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々年の延喜3年(903年)に同地で死去した。その死後、道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、さらに6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去した。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀である。

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社殿
本殿は五間社流造で屋根は檜皮葺。正面に1間の唐破風造の向拝(こうはい)を設ける。また、左右側面には各1間でこれも唐破風造の車寄を付け、廻廊が前方の楼門まで廻らされている。本殿は明治40年(1907年)5月27日に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)文化財保護法施行に伴い重要文化財とされている。昭和41年(1966年)6月11日付で棟札9枚と板札2枚が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。

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文化財
国宝
翰苑巻第卅(書跡)
平安時代の作。1954年(昭和29年)3月20日指定。
重要文化財(国指定)
本殿(附 棟札9枚、板札2枚)(建造物)
桃山時代の造営。1907年(明治40年)5月27日指定。
末社志賀社本殿(建造物)
室町時代中期、長禄2年(1458年)造営。1907年(明治40年)5月27日指定。
毛抜形太刀 無銘(工芸品)
平安時代の作。1923年(大正12年)3月28日指定。
太刀 銘俊次(工芸品)
鎌倉時代の作。1912年(大正元年)9月3日指定。
梅月蒔絵文台(工芸品)
裏面に信元(花押)の蒔絵銘がある。室町時代の作。1980年(昭和55年)6月6日指定。
太宰府天満宮文書 78巻・25冊・1幅(附 大宰府天満宮境内図(着色)1幅)(古文書)
平安時代から江戸時代の文書。1982年(昭和57年)6月5日指定。
蓮華唐花文塼(考古資料)
福岡県筑紫郡太宰府町大字観世音寺出土。奈良時代の作。1961年(昭和36年)6月30日指定。

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交通
正月三が日は初詣客で周辺道路は大変混雑する。九州自動車道太宰府インターチェンジを降りて太宰府方面へ向かうと国道3号に出るが、交通規制により、すぐ側道を経由後左折して「水城1丁目交差点」から福岡県道112号を進み、同「関屋交差点」を左折後は福岡県道76号を利用し天満宮に向かうこととなる。この際所要時間は通常15分前後が数時間となる。ちなみに、国道3号を直進しても「君畑交差点」までの各交差点においては、インターチェンジ方面からの左折及び進入が規制されている。また、三が日以外の日においても志望校合格祈願の受験生と合格者のお礼参りが集中する例年1月から3月にかけての土日祝日を中心に混雑する。元々天満宮周辺の駐車場が不足気味であること、九州国立博物館への来訪者が同館の開館後に加わったこともあり、渋滞が顕著となり今後解消に向かって解決策が講じられる見込みもないため、自家用車の利用は推奨できない。これらの時期においては、西鉄電車西鉄太宰府線を利用した方が無難である。

公共交通
西鉄太宰府線太宰府駅から参道を通り徒歩5分。
西鉄バス・太宰府市コミュニティバス「まほろば号」も太宰府駅前に発着する。
JR鹿児島本線二日市駅から西鉄バス1-1,1-2番西鉄太宰府駅行きで23分
1時間に1本程度の運行のため、時間が合わない場合はJR二日市駅から西鉄バスもしくは徒歩12分でたどり着く西鉄二日市駅から、またはJR二日市駅から徒歩5分の西鉄紫駅から1駅の西鉄二日市駅から西鉄太宰府線を利用するのがよい。なお正月三が日は二日市駅 - 太宰府駅前間に直行便が運行される。
西鉄都府楼前駅より太宰府市コミュニティバスまほろば号内山行きもしくは5番北谷方面行き乗車、西鉄太宰府駅下車
博多バスターミナル・福岡空港国際線ターミナルより太宰府行きバス「太宰府ライナーバス旅人号」乗車、終点下車
上記のまほろば号と太宰府ライナーバス旅人号は大宰府政庁跡・坂本八幡宮最寄りの大宰府政庁跡バス停より太宰府駅への利用が可能


九州自動車道太宰府インターチェンジから15分
九州自動車道筑紫野インターチェンジから20分

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所在地 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
位置 北緯33度31分17.49秒 東経130度32分5.45秒
主祭神 菅原道真公
社格等 旧官幣中社
別表神社
創建 延喜19年(919年)
本殿の様式 五間社流造檜皮葺
札所等 菅公聖蹟二十五拝
例祭 9月25日
主な神事 鷽替え・鬼すべ(1月7日)
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2023年02月13日

飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)は、福島県いわき市平に鎮座する八幡宮

飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)は、福島県いわき市平に鎮座する八幡宮である。旧社格は県社。社家は伊賀氏の庶流である飯野氏である。

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祭神
品陀別命(応神天皇)
息長帯姫命(神功皇后)
比売神(仲姫命)

歴史
社伝によれば、源頼義が前九年合戦後の康平6年(1063年)に京都石清水八幡宮を勧請したという。文治2年(1186年)に関東御領好嶋荘の総社として、源頼義の命により[疑問点 – ノート]。本社石清水より御正躰を奉じて、岩城郡飯野郷(村)の赤目埼見物岡(現在のJR常磐線いわき駅北側の高台)へ奉祀した。

浜通り南部でも最大級の神社であり、岩城氏や磐城平藩主など当地を本拠地にした権力者たちから崇敬を受けてきた。

しかし、関ヶ原合戦後に岩城氏は追放され、代わって徳川譜代の鳥居忠政が入ると、慶長7年(1602年)に現在地である八幡小路(福島地裁いわき支部の近く)に飯野八幡宮は移設され、移設後の飯野八幡宮跡地に磐城平城が建設された。なお、安藤氏が磐城平藩主だった時期(1756年 - 1868年)には、八幡小路に藩校施政堂が立地していた。

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文化財
重要文化財(国指定)
本殿 - 元和2年(1616年)上棟。桁行梁間共3間の入母屋造平入杮葺。屋根は当初流造であったが、延宝2年(1674年)と元禄16年(1703年)の修理で入母屋造となる。
楼門 - 万治元年(1658年)建立。入母屋造、銅板葺(もと板葺)。
唐門 - 元禄16年頃建立。銅板葺の平唐門。
神楽殿 - 元和9年建立。入母屋造、鉄板葺(もと杮葺)。
仮殿 - 寛文13年(1673年)建立。一間社流造、鉄板葺(もと板葺)。
若宮八幡社本殿 - 元和5年建立。一間社流造、板葺。
宝蔵 - 江戸時代初期建立。寄棟造、本瓦葺の土蔵。
大薙刀 銘「備州長船住盛景 貞治六年十一月日」 - 盛景は長船派の刀工、貞治6年は1367年。
飯野家文書 1,683通
いわき市指定有形文化財
飯野八幡宮幣拝殿 など

所在地 福島県いわき市平字八幡小路84
位置 北緯37度03分37.3秒 東経140度52分55.6秒
主祭神 品陀別命
息長帯姫命
比売神
社格等 旧県社
創建 伝康平6年(1063年)もしくは文治2年(1186年)
本殿の様式 入母屋造杮葺
例祭 9月14日
主な神事 古式大祭(9月15日)・流鏑馬(9月15日)
posted by Kazu at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島県

2023年02月12日

有珠善光寺(うすぜんこうじ)は、北海道伊達市にある寺院

有珠善光寺(うすぜんこうじ)は、北海道伊達市にある寺院。「善光寺跡」として国の史跡に指定されている。

境内には春は桜から始まりツツジやアジサイ、牡丹など〈花の寺〉として有名。大銀杏など紅葉も楽しめる。

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歴史
伝承によれば、平安時代の天長3年(826年)比叡山の僧であった円仁(慈覚大師)が胆振国有珠郡に堂宇を建て自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置したことが寺の開基とされている。室町時代、コシャマインの戦いの際に災され一時荒廃した。

境内
本堂
客殿(旧庫裡)
地蔵堂
松前藩が江戸時代に再興した善光寺があった場所で、現在地から南東に約700mの位置にある。
鐘楼
納骨堂
宝物館
有料で完全予約制。200点あまりの寺宝を展示している。
龍神堂

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文化財
重要文化財(国指定)
蝦夷三官寺善光寺関係資料 62点(版木17点、文書・記録類22点、経典8点、絵画・器物類15点)
北海道指定有形文化財
釈迦如来立像
円空作仏像聖観音像
伊達市指定記念物
三本杉
イチョウ
石割り桜

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善光寺自然公園
有珠善光寺の境内の裏山は自然公園になっており、1,000本を超えるサクラやミズナラ、カシワ、イチイ・イチョウ・ツツジなどの木や四季折々の花を楽しむことができる。

交通
道南バス「善光寺前」バス停下車徒歩5分
北海道旅客鉄道(JR北海道)有珠駅から徒歩約20分
JR洞爺駅からタクシーで10分

所在地 北海道伊達市有珠町124番地
位置 北緯42度31分16秒 東経140度46分48秒
山号 大臼山
宗旨 浄土宗
寺格 末寺
本尊 阿弥陀如来
創建年 (伝)天長3年(826年)
開山 荘海
開基 (伝)円仁(慈覚大師)
中興年 1804年
中興 荘海
正式名 大臼山道場院 善光寺
札所等 北海道新四国八十八ヶ所霊場58番
文化財 蝦夷三官寺善光寺関係資料62点(国の重要文化財)、円空仏(北海道指定有形文化財)など。
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2023年02月11日

石井閘門(いしいこうもん)は、宮城県石巻市の北上川にある閘門

石井閘門(いしいこうもん)は、宮城県石巻市の北上川にある閘門。日本初の西洋式の本格的な閘門であった。また、現在日本国内で稼動する閘門の中では最古のものであり、2002年5月23日に国の重要文化財に指定されている。名称は、建設の指揮を執った内務省土木局長の石井省一郎に由来する。

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宮城県石巻市の北上運河にある石井閘門

歴史
野蒜築港の事業の一環として、野蒜港と旧・北上川を結ぶ北上運河が開削された。これに伴って、北上川と運河の連結点に水位調節などのため、オランダ人であるコルネリス・ファン・ドールンの計画に基いて、閘門を設けることとなった。1878年(明治11年)10月8日に起工式が行なわれた。工事には宮城県を中心に、岩手県や山形県、福島県からも人夫を集め、北上川と合わせて総勢2,000名ほどが働いていた。赤レンガ約50万個と井内石(仙台石)24,000m2が用いられたという。長雨や洪水で工事は難航したが、1880年(明治13年)7月に石井閘門が完成した。

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構造と特徴
石井閘門は開き戸型の単純合掌戸の門扉を有し、船の入る閘室は長さ50.6m、幅8.1mである。門扉は最初は木製だったが、1966年に鋼製になり、高さ5.9m、幅3.7mとなっている。

従来の日本の閘門は木造ないし石造で、角材で川を堰き止める「角落とし式」と呼ばれる方式だけであった。また幅も3m以下であったのに対し、石井閘門は約2倍の5.9mであり、初の西洋式・合掌扉の閘門であった。現在、日本国内で稼動するレンガないし石造の閘門は4ヶ所しかなく、その中で石井閘門は最も古い。野蒜築港など周辺施設とともに土木学会選奨土木遺産に選ばれている。

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用途 治水施設(洪水調節)
事業主体 国土交通省
着工 1878年10月8日
竣工 1880年7月
改築 1966年
所在地 旧北上川
座標 宮城県石巻市水押3丁目6北緯38度26分47.314秒 東経141度17分27.071秒
文化財 重要文化財
指定・登録等日 2002年5月23日
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2023年02月10日

鵜森神社(うのもりじんじゃ)は、三重県四日市市浜田地区にある神社

鵜森神社(うのもりじんじゃ)は、三重県四日市市浜田地区にある神社。神紋は左三巴。敷地面積は1219坪。

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由緒
浜田武士関係と赤堀地区の地域仏教祈願と子孫繁栄のご利益が信じられている神社。浜田城主由来の軍事神社。浜田城の跡地に立地。江田神社と鵜森大明神の名称が戦国時代の浜田武士による赤堀関係の地域祈願時代にあった。浜田武士の家臣が滅亡した田原家の城主家柄の戦死者を供養する鵜森大明神を江戸時代初期頃の慶長期に建立した。浜田地区自治会が防犯カメラを設置して神社参拝関係の社務所を管理。

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祭神
天照大御神
スサノオノミコト
菅原道真
浜田家の初代田原忠秀と二代目田原藤綱と三代目田原元綱と四代目田原重綱

田原稲荷大明神
保食守
猿田彦神社守護霊
大宮能売命
4月9日に田原稲荷祭りを実施

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文化財
重要文化財
十六間四方白星兜鉢 - 1955年(昭和30年)2月2日指定、平安時代末期の作で藤原秀郷所用とされ、田原家に伝来した。

交通
近鉄名古屋線 近鉄四日市駅から徒歩4分

所在地 三重県四日市市鵜森1-13-6
主祭神 天照大御神、建速須佐之男命、菅原道真公
社格等 旧無格社
創建 慶長期
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2023年02月09日

高千穂神社(たかちほじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社

高千穂神社(たかちほじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社である。国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の有力な論社であるが、近代社格制度上は村社にとどまった。現在は神社本庁の別表神社となっている。

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社名
古来「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などと称されて来たが、1871年(明治4年)に「三田井神社」と改称、更に1895年(明治28年)に現社名に改称した。

祭神
主祭神は一之御殿(いちのごてん)の高千穂皇神(たかちほすめがみ)と二之御殿の十社大明神。

高千穂皇神は日本神話の日向三代と称される皇祖神とその配偶神(天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫命、彦火火出見尊と豊玉姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と玉依姫命)の総称で、十社大明神は神武天皇の皇兄、三毛入野命(みけぬのみこと)とその妻子神9柱(三毛入野命の妃神である鵜目姫(うのめひめ)命と、両神の御子神である御子太郎(みこたろう)命、二郎(じろう)命、三郎(さぶろう)命、畝見(うねみ)命、照野(てるの)命、大戸(おおと)命、霊社(れいしゃ)命、浅良部(あさらべ)命)の総称とされる。

十社大明神の中心である三毛入野命は、「記紀」に浪穂を踏んで常世国に渡ったとあるが、当地の伝承では、高千穂に戻り当時一帯を荒らしていた鬼神の鬼八(きはち)を退治、当地に宮を構えたと伝える。また文治5年(1189年)3月吉日の年記を持つ当神社の縁起書『十社旭大明神記』には、神武天皇の皇子「正市伊」が「きはちふし」という鬼を退治し、その後正市伊とその子孫等が十社大明神として祀られたという異伝を載せている。更に、正和2年(1313年)成立の『八幡宇佐宮御託宣集』巻2に、「高知尾(明神)」は神武天皇の御子である神八井耳命の別名で、「阿蘇(大明神)」の兄神であるとの異伝もあり、また、『平家物語』巻8緒環段では、「日向国にあがめられ給へる高知尾の明神」の正体は「大蛇」で豊後緒方氏の祖神であるとしている。

また、鵜目姫命は祖母岳明神の娘神で、鬼八に捕らわれていたところを三毛入野命に助け出され、後にその妃神になったという。

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歴史
高千穂は日向三代の宮である高千穂宮が置かれた地と伝えられるが、天孫降臨伝承と在地固有の信仰が融合し、更に熊野修験も加わるなど複雑な信仰を包含する。また、槵觸神社は古来より当神社の春祭りに対して秋祭りを行うなど、当神社と密接な関係を持つものでもあった。

社伝によれば、三毛入野命が神籬を建てて祖神の日向三代とその配偶神を祀ったのに創まり、三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、後に三毛入野命他の十社大明神を配祀、垂仁天皇の時代に初めて社殿を創建したと伝える。当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」であるとすれば朝廷からの神階授与があったことになるが、『延喜式神名帳』の記載はない。また、天慶年間(938-47年)に豊後国から大神惟基の長子の政次(高知尾太郎政次)が当地に入り高知尾(高千穂)氏を興したが、社伝によると同氏は当神社を高千穂18郷にわたる88社(高千穂八十八社)の総社と位置づけて崇めたといい、以後も当神社に深く関わるようになったと見られている。

社殿
本殿は梁間2間の五間社流造銅板葺で棟に千木・鰹木を置く。安永7年(1778年)に延岡藩主内藤政脩を大檀那として造替された九州南部の代表的な大規模社殿であり、東側の脇障子に彫刻された鬼八を退治する三毛入野命の神像といった当地の伝説や祭礼に関する彫物を施し、西側脇障子の部分には稲荷社を設ける独特の形式などの地方色も顕著に有していることから、国の重要文化財に指定されている。ちなみに天保8年(1837年)に参拝した松浦武四郎は、その紀行文(『西海雑志』)に「本社は東向に瑞籬の中に十社并び建たり」と当時の有様を記している。

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本殿(重要文化財、右奥の建物)

文化財
国の重要文化財
本殿 - 江戸時代前期(1778年)の建立。五間社流造、銅板葺、稲荷社を含む。延岡藩主内藤政脩を大檀那として安永7年(1778年)に完成したもので、造営には大分城下鶴崎の大工等が携わった。形式は五間社流造で、通常、脇障子となる縁西面には、稲荷社を設けている。装飾細部は躍動感のある大胆な構図とし、立体的につくられている。高千穂神社本殿は、欅材を用いた丁寧なつくりで装飾細部も充実し、意匠的な完成度も高く、九州地方南部を代表する大規模な本殿建築である。また、縁に小規模な社殿を附属した独特の形式や、当地方の伝説や祭礼に関連した彫物など、地方色も顕著に有しており、高い価値がある。2004年(平成16年)7月6日指定。
鉄造狛犬1対 - 伝・源頼朝奉納の鋳鉄製の狛犬。像高およそ55cmで、一般に鉄像は銅像に比べて複雑な形の鋳造や細部の仕上げが困難であるとされるが、当品は同時代(鎌倉時代)の木彫のものと比較しても遜色がなく、その鋳造技術は鉄造遺品中出色のものとされ、1971年(昭和46年)6月22日に指定された。
木造神像〈男神坐像1躯・女神坐像1躯〉附:木造神像2躯 - 元々は荒立神社の神像であったが、同神社を合祀した際、一緒に移されたもの。県指定の有形文化財に指定されていたが、2020年(令和2年)9月30日付で国の重要文化財に指定された。

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所在地 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037
位置 北緯32度42分23.2秒 東経131度18分8.3秒
主祭神 高千穂皇神
十社大明神
社格等 国史見在社論社
旧村社
別表神社
創建 不明
本殿の様式 五間社流造銅板葺
別名 十社大明神
札所等 高千穂八十八社
例祭 4月16日
主な神事 猪掛祭(旧暦12月3日)
笹振り神事(旧暦12月3日)
神話の高千穂夜神楽まつり(11月22-23日)
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2023年02月08日

岩根沢三山神社(いわねさわさんざんじんじゃ)は、山形県西村山郡西川町岩根沢にある神社

岩根沢三山神社(いわねさわさんざんじんじゃ)は、山形県西村山郡西川町岩根沢にある神社である。正式社号は「月山神社出羽神社湯殿山神社摂社 月山出羽湯殿山三神社(旧日月寺)」、通称「岩根沢三山神社」である。出羽三山の羽黒山山頂にある、出羽三山神社が管理しており、出羽三山神社岩根沢社務所とも呼ばれている。もとは長耀山日月寺という天台宗寺院であり、月山神社の別当寺であった。旧社格は無格社。

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祭神
月山
月読神
羽黒山
稲倉魂命
湯殿山
大山祇神、大己貴命、少彦名命

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地理
岩根沢は、西川町中心部の間沢から北へと山間部に進んだ奥にある。ここから月山への登山道があるため、出羽三山への主要な登山口となっている。

なお、岩根沢地区は、現在も岩根沢三山神社の門前町の色彩を色濃く残している。神社前には宿坊が立ち並んでおり、出羽三山の行者が当地に伝えたとされる秘伝の豆腐「六浄豆腐」が作られている。「六浄豆腐」は全国でも、現在では岩根沢でしか見られない。

歴史
日月寺は、嘉慶元年(1387年)、清亮の開基とされる。修験道では月山の登拝口として重視されるとともに、月山神社の別当寺として篤く信仰された。月山の祭神である月読神の本地仏として、阿弥陀如来への信仰も篤かった。

当初は真言宗であったが、江戸時代初期に、羽黒山寂光寺(現出羽神社)の天宥上人が、当時徳川家に保護されていた天台宗に注目して改宗したのに併せて、日月寺も同宗に改宗、輪王寺の直末寺となった。

天宥上人は日月寺の出身であったため、湯殿山派諸寺が江戸期の改宗に関わる騒動以降、寂光寺との対立が絶えなかったのに対し、羽黒山と月山は良好な関係を保った。寂光寺の僧が江戸に出かける際は、行者装束で寂光寺から月山へ登り、日月寺にて旅装に改めてから江戸へと旅立ったのだという。

日月寺の伽藍は火災によりたびたび焼失している。記録にあるだけでも、寛文7年(1667年)、延享元年(1744年)、天保7年(1836年)と3度焼失している。現存の建物は、天保12年(1841年)に建立されたものである。

明治時代初期の神仏分離令により、明治3年(1870年)、寺号を廃して神社となった。その際、出羽三山神社岩根沢社務所が設置され、出羽神社と湯殿山神社の祭神も、あわせて主祭神となった。羽黒山が、いち早く神社への転換を行った結果、廃仏毀釈が極端になり、寺社文物ともに破却されたのに比べると、伽藍が良好に残されている。

平成12年(2000年)、岩根沢三山神社の本殿(旧日月寺本堂)が、国の重要文化財に指定された。

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境内
山門
本殿(旧本堂):重要文化財
鐘楼
要害神社(旧大日堂)
祖霊社(旧地蔵堂)
墓地

文化財
本殿(重要文化財)
岩根沢三山神社の本殿は、前述の通り天保12年(1841年)に落慶し、安政5年(1858年)に向拝が付加された。明治初期の廃仏毀釈により、神仏習合の形態だった日本各地の修験道寺院は軒並み破却されたが、旧日月寺は破却を免れ、仏式から神式に変更するための最低限の改修に留まった。そのため、往時の修験道寺院建築の特徴を今に残す貴重な文化財として評価されている。重要文化財指定名称は「月山神社出羽神社湯殿山神社摂社月山出羽湯殿山三神社社殿(旧日月寺本堂)一棟」である。
本建物は、仏堂、客殿、座敷、庫裏等を、全て一つの建物内に納めた複合建築とする点に特色がある。寄棟造、一部2階建、桁行66.9メートル、梁間22.5メートルという大規模な建築物で、東北地方では最大規模の木造建築物である。建物の西半分は、西端が5室からなる座敷、その東に接して仏堂(明治以降は神式に改造)があり、仏堂の東は床(とこ)・棚を設けた客殿である。仏堂の手前には入母屋屋根に唐破風を設けた向拝(玄関)がある。建物の東半分は社務所、奥座敷、庫裏等にあてられている。庫裏にある大賄部屋には径3尺(約90センチメートル)の八角柱6本が立ち、このうち西側の2本の柱には、等身大の恵比寿・大黒天の木像が安置されている。他にも、本殿正面にある梁に、龍や司馬光甕破りの彫刻などが残されており、高山文五郎作と伝えられている。

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祭事
9月の第二週日曜日に例大祭が行われる。この際、岩根沢三山神社や要害神社で、「岩根沢三山神社太々神楽」が奉納される。この神楽は、神仏分離で、岩根沢三山神社となったことを記念し、福島県伊達郡から伝えられた里神楽であると言われており、山形県では珍しい出雲流神楽である。 演目は、大延舞(大山祇命)、大国舞(大国主命)、宇賀舞(稲倉魂命)など多くのものがある。特に、白いキツネの面を付け、軽妙に舞う宇賀舞では、舞の後段で、菓子を観客や参加者に撒き、観客は手を広げて菓子を受け取ろうとするなど、観客と一体になり繰り広げられ、人気が高い。

所在地 山形県西村山郡西川町岩根沢
位置 北緯38度27分26.1秒 東経140度6分6.4秒
主祭神 月読神、稲倉魂命、大山祇神、大己貴命、少彦名命
社格等 無格社
創建 伝 嘉慶元年(1387年)
本殿の様式 白木造 天台宗寺院型
例祭 9月13日
主な神事 岩根沢三山神社太々神楽
posted by Kazu at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 山形県

2023年02月07日

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、山口県下関市一の宮住吉にある神社

住吉神社(すみよしじんじゃ)は、山口県下関市一の宮住吉にある神社。式内社(名神大社)、長門国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

大阪の住吉大社・博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の1つに数えられる。本殿は国宝に指定されている。

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拝殿(国の重要文化財)

祭神
本殿は第一から第五の5殿が連なり、それぞれ次の神が祀られている。

第一殿:住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)
第二殿:応神天皇
第三殿:武内宿禰命
第四殿:神功皇后
第五殿:建御名方命
大阪の住吉大社が住吉三神の和魂を祀るのに対し、当社は荒魂を祀るとされる。

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一の鳥居

社殿
本殿は応安3年(1370年)に大内弘世により造営されたもので、昭和28年(1953年)国宝に指定されている。5つの千鳥破風付き一間社を合の間とともに一列に連ねた九間社流造で、中央の第三殿の前に拝殿がある。拝殿は毛利元就の寄進により天文8年(1539年)造営された切妻造檜皮葺で、こちらは昭和29年(1954年)重要文化財に指定されている。

主な祭事
例祭は12月15日である。その前の12月8日夕刻から15日の朝までは「御斎祭(おいみさい)」として、境内に注連縄を張り巡らし、一般の人の参拝をできないようにし、神職も境内の外へ出ないという厳重な物忌みが行われる。

特殊祭事の和布刈(めかり)神事は神功皇后の事跡に因むもので、旧正月の未明、壇の浦の海中からワカメを刈って神前に供える非公開の祭である。

毎年5月第3日曜日には農業の発展と五穀豊穣を祈る農業祭である「お田植祭」が開催される。当日は稲の害虫などの災難が来ないように弓矢で悪霊を祓い鎮める「弓鎮治舞」や、あぜ道で八乙女が白衣に緋袴、緋襷に菅笠の姿で秋の豊穣を祈り田植えを行う「八乙女舞」、八乙女が田植えをしている間に早乙女があぜ道で秋の実りを祈りながら踊る「早乙女舞」が行われる。 また境内ではお田植祭奉納武道大会が開催され、剣道と柔道の試合が行われる。

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本殿(国宝)
千鳥破風があるため一見すると春日造に見えるが檜皮葺流造である。

主な祭事
例祭は12月15日である。その前の12月8日夕刻から15日の朝までは「御斎祭(おいみさい)」として、境内に注連縄を張り巡らし、一般の人の参拝をできないようにし、神職も境内の外へ出ないという厳重な物忌みが行われる。

特殊祭事の和布刈(めかり)神事は神功皇后の事跡に因むもので、旧正月の未明、壇の浦の海中からワカメを刈って神前に供える非公開の祭である。

毎年5月第3日曜日には農業の発展と五穀豊穣を祈る農業祭である「お田植祭」が開催される。当日は稲の害虫などの災難が来ないように弓矢で悪霊を祓い鎮める「弓鎮治舞」や、あぜ道で八乙女が白衣に緋袴、緋襷に菅笠の姿で秋の豊穣を祈り田植えを行う「八乙女舞」、八乙女が田植えをしている間に早乙女があぜ道で秋の実りを祈りながら踊る「早乙女舞」が行われる。 また境内ではお田植祭奉納武道大会が開催され、剣道と柔道の試合が行われる。

文化財
国宝
本殿(附 玉殿5基、棟札4枚)(建造物)
室町時代、応安3年(1370年)の造営。明治36年4月15日に当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、昭和28年11月14日に文化財保護法に基づき国宝に指定。
重要文化財(国指定)
拝殿(建造物) - 室町時代、天文8年(1539年)の造営と伝える。昭和29年9月17日指定。
銅鐘(工芸品) - 新羅時代作の朝鮮鐘(新羅鐘)。高さ147.0センチメートル。明治35年7月31日指定。
金銅牡丹唐草透唐鞍 1具(工芸品) - 室町時代の作。昭和31年6月28日指定。
登録有形文化財(国登録)
楼門(建造物) - 平成29年10月27日登録。
唐門及び透塀(建造物) - 平成29年10月27日登録。

現地情報
所在地
山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1

交通アクセス
鉄道
JR西日本山陽新幹線・山陽本線 新下関駅 (徒歩20分またはタクシー5分)
同駅の旧名である「長門一ノ宮」は本神社に由来している。
バス
サンデン交通バス「一の宮」バス停から徒歩10分

中国自動車道 下関インターチェンジから約10分
posted by Kazu at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県

2023年02月06日

清白寺(せいはくじ)は、山梨県山梨市にある寺院

清白寺(せいはくじ)は、山梨県山梨市にある寺院。宗派は臨済宗妙心寺派、山号は海涌山(かいゆうざん)、本尊は釈迦如来である。

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仏殿(国宝)

歴史
甲斐国では元徳2年(1330年)に夢窓疎石により開創された恵林寺や長禅寺(古長禅寺)をはじめ夢窓派による禅宗寺院が創建されているが、清白寺は正慶2年(1333年)あるいは観応2年(1351年)の創建。『甲斐国志』によれば開基は足利尊氏で、国家安泰戦勝祈願所として創立し、二世住職で夢窓疎石の高弟清渓通徹により開創され、清渓が師の夢窓を開山と位置づけている。また、貞和5年(1349年)に浄居寺住職の友山が当寺を訪れた際に詠んだ漢詩や絶海中津の漢詩からも夢窓との関係が窺える。嘉慶元年(1387年)には鎌倉円覚寺の勧進に奉加している。

室町時代には関東夢窓派の中心寺院となった鎌倉建長寺末だったが、江戸時代初期ごろに妙心寺末となった。天和2年(1682年)の火災で仏殿を除きほとんどの堂宇が焼失し、その直後から総門の完成する享保16年(1731年)まで再建工事が行われた。

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伽藍
総門―放生池―三門(鐘楼門)―仏殿―本堂が一直線に並ぶ、禅宗形式に沿った配置となっている。

文化財
仏殿
国宝。身舎(もや)組物の墨書銘によれば応永22年(1415年)の建立。入母屋造、檜皮葺小形の方三間裳階(もこし)付形式で、大規模仏殿に用いられる意匠をそのまま小型化した建築であると評される。県内では東光寺や最恩寺に中世禅宗様の仏殿が残り、いずれも関東禅宗様式に属する。
庫裏
国の重要文化財。元禄2〜6年(1689年〜1693年)に再建されたと考えられ、江戸時代中期の禅宗寺院庫裏として貴重である。

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その他
参道の両側は梅の古木50本ほどがあり、梅参道として親しまれている。

交通
中央本線東山梨駅から徒歩で約10分

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所在地 山梨県山梨市三ケ所620
位置 北緯35度41分38.4秒 東経138度42分29.6秒
山号 海涌山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来像
創建年 正慶2年(1333年)
開基 足利尊氏
正式名 海涌山 清白禅寺
札所等 甲斐百八霊場14番
文化財 仏殿(国宝)
庫裏(重要文化財)
posted by Kazu at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 山梨県

2023年02月05日

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院。正式には高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)と号する。

高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの盆地状の平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。

「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。

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歴史
平安・鎌倉時代
弘仁7年(816年)、高野山を賜った空海は、翌年から実恵、円明などの東寺にいた弟子達に命じ草堂を建てさせ、819年に空海が高野山に結界を張り伽藍の建立に取りかかったが、国の援助を得ずに人々からの勧進による私寺建立を目指したこと、交通不便な山中であること、また朝廷からの要請による821年の香川県の満濃池の修築や828年の京都の綜芸種智院の開設などにより、空海が多忙であったことで、工事ははかどらなかった。空海の在世中に完成した堂宇はごくわずかであり、無論、当時の建築物は現存していない。承和2年(835年)には定額寺に列し官寺に准ずる寺格を得た(『続日本後紀』承和八年二月七日条)。空海の入定(835年)の後、弟子であり実の甥でもあった真然が887年頃に根本大塔などの伽藍を整備した。

真然が空海が唐で恵果から教わった奥義や経典を書写した「三十帖策子(三十帖冊子)」を東寺から借り出したが、「三十帖策子」を所有することで真言宗の根本寺院を意味したので、その後の東寺からの返却要請に応じず、紛争の原因となった。第2代座主無空は返還を拒否し「三十帖策子」を持って一山の者を連れ下山し、約20年にわたり高野山に人影が無い状態が続き、第一期の荒廃期を迎えた。この紛争を解決したのが東寺長者の観賢であった。「三十帖策子」は東寺に返却され、観賢が高野山座主を兼ねることで、高野山は東寺の配下となり、明治維新まで高野山は東寺の末寺となったが、先述したように、921年この観賢の上奏により空海に「弘法大師」の諡号が贈られ、入定信仰が生まれ次第に高野山の復興に繋がっていった。

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室町・江戸時代
鎌倉末期から南北朝が合一に至るまで日本全土に争乱が続く中、大勢力となっていた高野山に南北朝両勢力より協力要請などの働きかけがあったが、高野山は一貫して中立を保っていたため、南朝の後醍醐天皇が1334年に愛染堂を寄進、また南北朝統一後すぐに北朝方の足利尊氏は高野山の段銭や諸役の免除、寺領への守護不入の権利を与え手厚く庇護した。その後、足利尊氏、義満が高野参詣し、室町幕府とも良好な関係が続く。

高野山の教学を二分する学侶方勢力の宝性院院主の宥快は「宝門」、無量寿院院主の長覚は「寿門」という学派を組織し、応永19年(1412年)頃に「応永の大成」とよばれる教学の組織改編を推し進め、その結果、真言密教教学の確立にともなって、高野山の主導権が学侶方にあるべきとの風潮が高まった。この学侶の二大勢力は、その後も塔頭寺院筆頭格として江戸時代まで続き、明治時代に両院は合併し、宝寿院となった。しだいに学侶と行人との対立は深まり、寛正5年(1464年)には学侶方と高野山の実務を行ってきた行人方と合戦が行われた。また、この頃の高野聖は密教教学から離れて時宗化し、また禁止されていた鳴り物を使った踊り念仏、鉦叩きを別所(本拠地を離れた所に営まれた聖が集まって修行するための庵や仏堂を設けた場所)で行っていたため、それら行為を学侶方から禁止され、学侶、行人、聖の対立が表面化する[33]。またこの頃の聖の中には、利潤追求のためだけの宿坊経営や高野山を利用した商売を行う者、また諸国を遍歴していた者による他人の妻・娘をかどわかしたりする問題行為も絶えなかったと伝わる。

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高野山真言宗総本山金剛峯寺
高野山は「一山境内地」といわれ、かつて結界が張られていた内部全域が境内地とされ、境内の中に開かれた宗教都市である。山内を大きく分別すると、壇上伽藍(伽藍地区)、総本山金剛峯寺(本坊)、奥之院(墓域)、高野十谷(子院・塔頭地区(既述))で構成されている。これらの地区全体の西端には高野山の正門にあたる大門(重要文化財)がある。信仰の中心となるのは山内の西寄りに位置し、かつて空海により二重の結界(既述)が張られた壇上伽藍と呼ばれる聖域である。ここには総本山金剛峯寺の総本堂にあたる金堂や真言密教の根本道場となる根本大塔を中心とする主要な堂塔が立ち並び、伽藍地区となっている。その東北方に本坊である主殿が建つ総本山金剛峯寺がある(広義における金剛峯寺は高野山全体と同義だが、狭義における金剛峯寺は、この本坊のある総本山金剛峯寺を指す。)。壇上伽藍の周辺地区には高野十谷があり、「子院(塔頭)」と呼ばれる多くの寺院が立ち並び、また高野山大学、霊宝館(各寺院の文化財を収蔵展示する)などもある。地区東端には墓域である奥之院への入口である一の橋があり、ここから2キロほどの墓域が続き、最奥に弘法大師信仰の中心地である奥之院がある。

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所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山132
位置 北緯34度12分50.7秒 東経135度35分3秒
山号 高野山
宗派 高野山真言宗
寺格 総本山
本尊 薬師如来(阿閦如来とも)[注釈 1]
創建年 弘仁7年(816年)
開基 空海
中興年 長和5年(1016年)
中興 定誉、木食応其
正式名 高野山真言宗 総本山金剛峯寺
札所等 真言宗十八本山18番
西国三十三所特別札所
神仏霊場巡拝の道 第13番(和歌山第13番)
文化財 不動堂、絹本著色仏涅槃図ほか(国宝)
大門、絹本著色大日如来像ほか(重要文化財)
世界遺産
posted by Kazu at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 和歌山県
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