迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう)は、東京都港区にある日本の迎賓館。
沿革
東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮皇居が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。
施設
本館
日本が独自の文化を守りながらの西洋化と富国強兵に突き進んでいた時代を象徴して、天皇を「武勲の者」という印象を表現するために、正面玄関の屋根飾りや内装の模様などに鎧武者の意匠があるなど、建物全体に西洋の宮殿建築に日本風の意匠が混じった装飾になっている。イギリスのバッキンガム宮殿やフランスのヴェルサイユ宮殿が参考にされた[3]。また、ウィーンのホーフブルク宮殿(新宮殿)との類似性も見られる。
また、電気が珍しかった建築当時の日本において、イギリス製の自家発電装置を備え付けて照明に電気を使い、アメリカ製の自動温度調節機能付き暖房装置を設置した。ただし、この暖房装置は正常に作動せず、室温が突然上がったり下がったりするトラブルに幾度も見舞われたという。煉瓦石造で西欧様式の建物は高温多湿の日本の気候には全く適さず、晩春から早秋にかけては天候によっては室内の湿度が著しく上がり、暖房はあっても冷房はないために居住性が著しく低かった。これに対処するために片山東熊は電気式の除湿機を設置する計画も考えていたが、こちらは実行に移されなかった。
建築当初の調度品はタペストリーなど日本製の物もあったが、椅子などの家具の多くはドイツやフランスなどから輸入したものを使用していた。この建物が迎賓館になった際に建物から放出されたこれらの家具の一部は現在、博物館明治村に保存・公開されている。
1974年(昭和49年)の改修時に金箔張りの賓客用エレベーターを設置。
旧名称 東宮御所
用途 国賓等の歓迎、宿泊施設
旧用途 東宮御所
設計者 片山東熊
管理運営 内閣府
構造形式 鉄骨補強煉瓦石造
敷地面積 117,000 m2
延床面積 15,000 m2
高さ 地上2階、地下1階
竣工 1909年(明治42年)
所在地 東京都港区元赤坂二丁目1番1号(北緯35度40分48秒 東経139度43分43秒)
2023年01月20日
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