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2018年02月03日
拓馬篇−2章◇ ★
日が完全に沈んだ頃、パーカーを着た少年が住宅街を走った。これは彼のトレーニングだ。鍛えた体は異性にもてはやされる、という思想のもと、少年は自身を研磨した。
少年はふと足早に道行く者を見つけた。街灯を頼りに目をこらしてみると、髪留めを後頭部につけた少女だとわかった。そのいでたちは美人の同級生によく似ている。そうと気付いた少年は、目的の進行方向を変える。二人の距離は縮まっていく、かに見えた。
「うぅわっ!」
少年は悲鳴をあげた。何者かが少年の顔を掴んだのだ。不測の事態におちいった少年は、逃げなくては、と思う一心で、自分を拘束する手首を握りしめた。その手首は太く、強靭。少年の力では振りほどけない。その事実がわかっても、抵抗は止めなかった。
少年は体に力が入らなくなり、徐々に立つこともままならなくなる。ふらつく体を、拘束者の手と腕が支えた。少年がだらりと手を下ろす。すると顔を捕捉する手が離れた。
少年の体はゆっくりと地面へ置かれた。あたりに少女はいない。少年の身に起きた不幸を気づかず、立ち去ったようだ。少年は薄れゆく視界の中で襲撃者を見上げた。巨大な体躯の影があった。人相のわからないシルエットは、物音を立てずに去る。その行き先は少女の進路と同じであったように見えたが、無力な少年はその場に寝入ってしまった。
少年はふと足早に道行く者を見つけた。街灯を頼りに目をこらしてみると、髪留めを後頭部につけた少女だとわかった。そのいでたちは美人の同級生によく似ている。そうと気付いた少年は、目的の進行方向を変える。二人の距離は縮まっていく、かに見えた。
「うぅわっ!」
少年は悲鳴をあげた。何者かが少年の顔を掴んだのだ。不測の事態におちいった少年は、逃げなくては、と思う一心で、自分を拘束する手首を握りしめた。その手首は太く、強靭。少年の力では振りほどけない。その事実がわかっても、抵抗は止めなかった。
少年は体に力が入らなくなり、徐々に立つこともままならなくなる。ふらつく体を、拘束者の手と腕が支えた。少年がだらりと手を下ろす。すると顔を捕捉する手が離れた。
少年の体はゆっくりと地面へ置かれた。あたりに少女はいない。少年の身に起きた不幸を気づかず、立ち去ったようだ。少年は薄れゆく視界の中で襲撃者を見上げた。巨大な体躯の影があった。人相のわからないシルエットは、物音を立てずに去る。その行き先は少女の進路と同じであったように見えたが、無力な少年はその場に寝入ってしまった。
2018年01月27日
拓馬篇−2章2
授業が始まって十日を経た。その間にヤマダは新人教師の評判を集めた。授業の合間の休み時間に、それらを拓馬に報告する。
「みんな、優しくていい先生だって言うね。タッちゃんが感じたほど悪い人じゃないみたい」
「人は見かけによらないってっこったな……」
拓馬は第一印象が的外れだったことに気恥ずかしさを覚えた。新任の教師の人となりはたしかに人格者だ。相手が誰であろうと丁寧な口調と物腰で接し、生徒の突拍子のない発言を受けてもきちんと応対する。三郎の要求に応えて本当に組手に付き合うこともあった。その様子を見聞きして、お人好しが過ぎるとさえ思えた。
「でもね、ワルに見えた気持ちはわかるよ」
ヤマダは拓馬のフォローをしだす。
「黒いシャツとサングラス、ガタイがいいうえに髪の色が明るいとカタギには見えない」
「スジもんってことかよ」
「うん、きっと裏で画策するインテリタイプだね、あの雰囲気は」
「本人には言うなよ、失礼だから」
なぜあの教師は他者の警戒心を煽る服装をしているのか、その疑問は解消されない。黒シャツは色黒の肌をごまかすためだと聞いたが、サングラスはなぜ必要なのか。
「校長の許可を取ってまでサングラスをかけるか、普通」
拓馬はひとり言として本音を口に出した。ヤマダは拓馬の疑問を受けて、メモ帳のページをめくる。
「んーと、あんまり目のことをとやかく言われたくなかったみたい」
「青色だっていう目が?」
「日本だと珍しがられるでしょ。それがちょっとヤなんだって」
「へー、そんなことをホントに気にするのか?」
授業中、端々に冗談を飛ばす教師の姿を思い出して拓馬は言った。気さくな先生という印象に似合わぬ苦手意識だ。しかしながら、その本質は真面目一本気な雰囲気はある。
「うん、わたしたちが見てる先生は明るい人。そう演じてるのかもね。それで……」
「ぼくの評判も聞いてるかい?」
成石が二人の会話に割って入る。その目線はヤマダに注いでおり、拓馬は眼中にない。ヤマダはメモをちらりと見たが、すぐに首を横にふる。
「うーん、あんまり」
「なんてことだ! 容姿端麗、頭脳明晰なスターをほめそやさないなんて」
成石はわざとらしく額に手を当て、首を横に振って呆れてみせた。ヤマダは「ふーん」と気のない返事をする。
「お笑いの星になるにはパンチが効いてないかなー」
「ぼくは芸人を目指していない! きみはどうもぼくの魅力に気づかないようだね」
「ナルくんの魅力? それってマジメなかっこよさのこと?」
「そうとも! それ以外の要素は求めていないよ」
「わるいけどシド先生の前じゃかすむよ、ねえタッちゃん」
いきなりのフリながら、拓馬はうなずいた。拓馬の感性において、率直にシドのほうが風采に秀でている。なにより嫌味のない性格が好ましかった。完全無欠とも言える教師に比べると、自意識過剰な転校生は狂言回しだ。
成石は己の満足する反応を得られないことにいらだっていた。髪をかき上げ、ため息をつく。
「はぁ、そんなにあの先生がステキかい? 頻繁に校長室に通う変人だっていうのに」
「あ、それホントの話なの?」
ヤマダは成石の言葉に興味を示す。その情報自体は初耳ではないらしい。成石はようやく女子が自身に関心を持ったことに気を良くし、笑顔になる。
「本当さ。女の子三人に聞いて、実際にぼくも見たからね」
「ほう! それは何曜日の何時?」
「曜日までは覚えてないよ。わかるのは放課後ってことくらいだ」
ヤマダは「放課後ね」とメモに書きつけた。
「なにをするんだい?」
「密会の目的が知りたい。ロクなことしてないんだろうけど、確かめておかなくちゃ」
「ずいぶん好奇心が旺盛なんだね」
「自分を守るためだよ」
成石は珍妙そうにヤマダを見た。校長の性分を熟知しない転校生なら当然の反応だ。そのうちわかるだろうと思い、拓馬たちは説明を加えなかった。
「みんな、優しくていい先生だって言うね。タッちゃんが感じたほど悪い人じゃないみたい」
「人は見かけによらないってっこったな……」
拓馬は第一印象が的外れだったことに気恥ずかしさを覚えた。新任の教師の人となりはたしかに人格者だ。相手が誰であろうと丁寧な口調と物腰で接し、生徒の突拍子のない発言を受けてもきちんと応対する。三郎の要求に応えて本当に組手に付き合うこともあった。その様子を見聞きして、お人好しが過ぎるとさえ思えた。
「でもね、ワルに見えた気持ちはわかるよ」
ヤマダは拓馬のフォローをしだす。
「黒いシャツとサングラス、ガタイがいいうえに髪の色が明るいとカタギには見えない」
「スジもんってことかよ」
「うん、きっと裏で画策するインテリタイプだね、あの雰囲気は」
「本人には言うなよ、失礼だから」
なぜあの教師は他者の警戒心を煽る服装をしているのか、その疑問は解消されない。黒シャツは色黒の肌をごまかすためだと聞いたが、サングラスはなぜ必要なのか。
「校長の許可を取ってまでサングラスをかけるか、普通」
拓馬はひとり言として本音を口に出した。ヤマダは拓馬の疑問を受けて、メモ帳のページをめくる。
「んーと、あんまり目のことをとやかく言われたくなかったみたい」
「青色だっていう目が?」
「日本だと珍しがられるでしょ。それがちょっとヤなんだって」
「へー、そんなことをホントに気にするのか?」
授業中、端々に冗談を飛ばす教師の姿を思い出して拓馬は言った。気さくな先生という印象に似合わぬ苦手意識だ。しかしながら、その本質は真面目一本気な雰囲気はある。
「うん、わたしたちが見てる先生は明るい人。そう演じてるのかもね。それで……」
「ぼくの評判も聞いてるかい?」
成石が二人の会話に割って入る。その目線はヤマダに注いでおり、拓馬は眼中にない。ヤマダはメモをちらりと見たが、すぐに首を横にふる。
「うーん、あんまり」
「なんてことだ! 容姿端麗、頭脳明晰なスターをほめそやさないなんて」
成石はわざとらしく額に手を当て、首を横に振って呆れてみせた。ヤマダは「ふーん」と気のない返事をする。
「お笑いの星になるにはパンチが効いてないかなー」
「ぼくは芸人を目指していない! きみはどうもぼくの魅力に気づかないようだね」
「ナルくんの魅力? それってマジメなかっこよさのこと?」
「そうとも! それ以外の要素は求めていないよ」
「わるいけどシド先生の前じゃかすむよ、ねえタッちゃん」
いきなりのフリながら、拓馬はうなずいた。拓馬の感性において、率直にシドのほうが風采に秀でている。なにより嫌味のない性格が好ましかった。完全無欠とも言える教師に比べると、自意識過剰な転校生は狂言回しだ。
成石は己の満足する反応を得られないことにいらだっていた。髪をかき上げ、ため息をつく。
「はぁ、そんなにあの先生がステキかい? 頻繁に校長室に通う変人だっていうのに」
「あ、それホントの話なの?」
ヤマダは成石の言葉に興味を示す。その情報自体は初耳ではないらしい。成石はようやく女子が自身に関心を持ったことに気を良くし、笑顔になる。
「本当さ。女の子三人に聞いて、実際にぼくも見たからね」
「ほう! それは何曜日の何時?」
「曜日までは覚えてないよ。わかるのは放課後ってことくらいだ」
ヤマダは「放課後ね」とメモに書きつけた。
「なにをするんだい?」
「密会の目的が知りたい。ロクなことしてないんだろうけど、確かめておかなくちゃ」
「ずいぶん好奇心が旺盛なんだね」
「自分を守るためだよ」
成石は珍妙そうにヤマダを見た。校長の性分を熟知しない転校生なら当然の反応だ。そのうちわかるだろうと思い、拓馬たちは説明を加えなかった。
タグ:拓馬
2018年01月25日
拓馬篇−2章1
午後の授業の開始を知らせるチャイムが鳴る。担任の教師が入室した。新しい先生が来る、と期待していた生徒が気落ちする。それを察した本摩はすぐに授業を説明する。
「まだ教科書はいらないぞ。新人の先生が来ているので、まずは自己紹介してもらう」
本摩が拍手をし、担任を模倣した生徒も手を叩く。戸が開くと灰色のスーツを着た男性が現れた。拓馬が入学式で見た長身の男だ。式典と変わらず色の薄い髪と黒灰色のシャツが印象的で、さらに黄色のサングラスが加わる。不良度が増した姿だ。唯一の救いは、彼の表情が親切そうな、いわゆる良い人の雰囲気があることだ。新任の教師は教壇に立つ。
「Hello, everyone! My name is Sage Ivan Dale. いまから名前を書きますね」
突然、自然な日本語が出てきて生徒たちは面食らった。セイジと名乗る男は黒板にチョークでアルファベットを書く。彼の左手には指輪が光っていた。
「私の名前はまるきり西洋人ですけど、国籍は日本です。日本での暮らしは長いですよ」
教師は名前を書き終え、生徒に体の正面を向ける。
「一学期の間だけのお付き合いになりますが、精一杯皆さんと楽しく学んでいけるようにがんばります。どうかよろしくお願いします」
話す内容は至極普通なもので、口調には誠実さがある。再び拍手が起こった。
「さー、質問タイムだ。先生に気になったことを聞いてみよう! 何語でもいいぞ」
最初に挙手した者が千智だ。手をあげたのを本摩が当て、質問の権限を与える。
「How old are you?」
「I will be twenty-seven this year. 皆さんとは十歳違いでしょうか」
「へー、二十七歳ね。この学校に来る前はなにをしてたの?」
「警備の仕事です。おかげで体力には自信があります」
三郎が「体力に自信がある」の言葉に反応し、右腕をぴんと上へのばした。
「先生はどんな武術を学んでこられたのですか?」
「ジャンルは特にありません。私が師事した方は我流で武術を会得していたもので」
「では、どんな武器が扱えますか?」
三郎の質問は趣味に走っている。だが教師は年齢を聞かれた時と同じ態度で返答する。
「剣や長刀、弓などいろんな武器を学びました。基本的になんでも扱えると思います。ですが武器を使うことはあまり好きじゃありません」
「消去法でいくと、拳で戦うことが好ましいのですか?」
「そうです。むやみに拳をふるうのも考えものですけどね」
「よくわかりました! 回答ありがとうございます」
三郎は折り目正しく礼を言った。三郎の満足げな様子を見たヤマダが質問する。
「先生のサングラスはファッション? よく教頭になにも言われなかったね」
「ファッション、ということにしてください。ちなみに校長の許可は下りています」
「わざわざ校長に……あ、あとその黒シャツも聞きたい。あんまり仕事で黒シャツを着る人はいない気がするんだけど、黒を選んだのも理由ある?」
「私は見ての通り色黒です。黒いシャツを着たら色白に見えてきませんか?」
生徒たちは吹き出した。色白を美徳とする日本女性らしい主張が不似合いだったせいだ。
「あはは、そうかもしんない。でもその肌は先生に似合っててカッコイイと思うよ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
ヤマダは質問を終えた。しばしの間が空く。あー、とうなりながらジモンが手を上げた。
「先生の名前、三つもあるんじゃろ。どの名前で呼んだらいいんかの」
「どう呼んでもらってもかまいません。Anything is OK!」
ジモンが「迷うのう」と悩むとヤマダは二度めの質問をする。彼女は照れくさそうだ。
「名前のイニシャルを並べたニックネーム、どうかな? 『シド』って呼べるんだよ」
若い教師は目を見開く。人当たりの良い笑みは薄れ、茫然自失なまでに驚いている。テンポよく質問に答えてきた者がはたと言葉を詰まらせた。その異変にヤマダが焦る。
「あ……あだ名はまずかった?」
軽い気持ちで発した言葉に悔いる者をよそに、ジモンは妙案を得たように手を打つ。
「『シド先生』か! そりゃあ呼びやすいし覚えやすいのう。わしは気に入った!」
ジモンはやっと腑に落ちる答えを見つけて明朗に笑った。千智も「カッコよくていいんじゃない?」と同調する。独り合点な二人に向かって拓馬がとがめる。
「俺らじゃなくて、先生がいいって思わなきゃ呼べねえんだぞ」
拓馬の主張に三郎がうなずき、本人への確認を投げかける。
「先生、ヤマダのネーミングセンスをどう思われますか?」
三郎の問いに、銀髪の教師はやっと反応を示した。その口角は上がっている。
「いいですね。素敵なニックネームをもらえるとは思っていなくて、ついぼうっとしてしまいました。ぜひ、私をシドと呼んでください。Please call me Sid! OK?」
オッケー、という声が上がった。本摩が教壇に上がり「先生と打ち解けたところで授業に入るか」と教科書を開く。ジモンが嫌そうな顔をした。
「今日ぐらい、勉強なしにはならんかの?」
「今日の分を後回しにして、後の授業がぎゅうぎゅう詰めになったら苦しいぞ?」
ジモンは「あ〜い」と渋々了承する。そのやり取りを新人教師はにこやかに眺めていた。
「まだ教科書はいらないぞ。新人の先生が来ているので、まずは自己紹介してもらう」
本摩が拍手をし、担任を模倣した生徒も手を叩く。戸が開くと灰色のスーツを着た男性が現れた。拓馬が入学式で見た長身の男だ。式典と変わらず色の薄い髪と黒灰色のシャツが印象的で、さらに黄色のサングラスが加わる。不良度が増した姿だ。唯一の救いは、彼の表情が親切そうな、いわゆる良い人の雰囲気があることだ。新任の教師は教壇に立つ。
「Hello, everyone! My name is Sage Ivan Dale. いまから名前を書きますね」
突然、自然な日本語が出てきて生徒たちは面食らった。セイジと名乗る男は黒板にチョークでアルファベットを書く。彼の左手には指輪が光っていた。
「私の名前はまるきり西洋人ですけど、国籍は日本です。日本での暮らしは長いですよ」
教師は名前を書き終え、生徒に体の正面を向ける。
「一学期の間だけのお付き合いになりますが、精一杯皆さんと楽しく学んでいけるようにがんばります。どうかよろしくお願いします」
話す内容は至極普通なもので、口調には誠実さがある。再び拍手が起こった。
「さー、質問タイムだ。先生に気になったことを聞いてみよう! 何語でもいいぞ」
最初に挙手した者が千智だ。手をあげたのを本摩が当て、質問の権限を与える。
「How old are you?」
「I will be twenty-seven this year. 皆さんとは十歳違いでしょうか」
「へー、二十七歳ね。この学校に来る前はなにをしてたの?」
「警備の仕事です。おかげで体力には自信があります」
三郎が「体力に自信がある」の言葉に反応し、右腕をぴんと上へのばした。
「先生はどんな武術を学んでこられたのですか?」
「ジャンルは特にありません。私が師事した方は我流で武術を会得していたもので」
「では、どんな武器が扱えますか?」
三郎の質問は趣味に走っている。だが教師は年齢を聞かれた時と同じ態度で返答する。
「剣や長刀、弓などいろんな武器を学びました。基本的になんでも扱えると思います。ですが武器を使うことはあまり好きじゃありません」
「消去法でいくと、拳で戦うことが好ましいのですか?」
「そうです。むやみに拳をふるうのも考えものですけどね」
「よくわかりました! 回答ありがとうございます」
三郎は折り目正しく礼を言った。三郎の満足げな様子を見たヤマダが質問する。
「先生のサングラスはファッション? よく教頭になにも言われなかったね」
「ファッション、ということにしてください。ちなみに校長の許可は下りています」
「わざわざ校長に……あ、あとその黒シャツも聞きたい。あんまり仕事で黒シャツを着る人はいない気がするんだけど、黒を選んだのも理由ある?」
「私は見ての通り色黒です。黒いシャツを着たら色白に見えてきませんか?」
生徒たちは吹き出した。色白を美徳とする日本女性らしい主張が不似合いだったせいだ。
「あはは、そうかもしんない。でもその肌は先生に似合っててカッコイイと思うよ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
ヤマダは質問を終えた。しばしの間が空く。あー、とうなりながらジモンが手を上げた。
「先生の名前、三つもあるんじゃろ。どの名前で呼んだらいいんかの」
「どう呼んでもらってもかまいません。Anything is OK!」
ジモンが「迷うのう」と悩むとヤマダは二度めの質問をする。彼女は照れくさそうだ。
「名前のイニシャルを並べたニックネーム、どうかな? 『シド』って呼べるんだよ」
若い教師は目を見開く。人当たりの良い笑みは薄れ、茫然自失なまでに驚いている。テンポよく質問に答えてきた者がはたと言葉を詰まらせた。その異変にヤマダが焦る。
「あ……あだ名はまずかった?」
軽い気持ちで発した言葉に悔いる者をよそに、ジモンは妙案を得たように手を打つ。
「『シド先生』か! そりゃあ呼びやすいし覚えやすいのう。わしは気に入った!」
ジモンはやっと腑に落ちる答えを見つけて明朗に笑った。千智も「カッコよくていいんじゃない?」と同調する。独り合点な二人に向かって拓馬がとがめる。
「俺らじゃなくて、先生がいいって思わなきゃ呼べねえんだぞ」
拓馬の主張に三郎がうなずき、本人への確認を投げかける。
「先生、ヤマダのネーミングセンスをどう思われますか?」
三郎の問いに、銀髪の教師はやっと反応を示した。その口角は上がっている。
「いいですね。素敵なニックネームをもらえるとは思っていなくて、ついぼうっとしてしまいました。ぜひ、私をシドと呼んでください。Please call me Sid! OK?」
オッケー、という声が上がった。本摩が教壇に上がり「先生と打ち解けたところで授業に入るか」と教科書を開く。ジモンが嫌そうな顔をした。
「今日ぐらい、勉強なしにはならんかの?」
「今日の分を後回しにして、後の授業がぎゅうぎゅう詰めになったら苦しいぞ?」
ジモンは「あ〜い」と渋々了承する。そのやり取りを新人教師はにこやかに眺めていた。
タグ:拓馬
2018年01月22日
拓馬篇−1章6
昼休みになった直後、名木野が同じ写真部のヤマダの席へ逃げてきた。男子の転校生は苦手のようだ。拓馬と千智も二人と一緒に昼食をとる。三郎だけは行方をくらましていた。
「ナギちゃん、災難ね。ああいうスケコマシのとなりじゃ落ち着かないでしょ」
千智が気遣うとナギは軽く首を横に振った。
「いまの席は後ろにチサちゃんと根岸くんがいるから平気」
「そうねぇ、なにかあったら拓馬が彼氏だって言っときゃ大丈夫よ」
「二次被害が出るからやめろ」
拓馬の指摘を千智は気に留めず、新たな話題を口にする。
「転校生は大体どんな子かわかったからいいとして……次は英語の先生ね!」
千智は入学式で見かけた銀髪の教師の話を切りだした。黙々と英語の教科書を眺めていたヤマダが反応を示す。その隣りに座るジモンも話に加わる。
「始業式も入学式もハンパに出ておった先生か。昼イチの授業に出るんかの」
ヤマダが本摩から聞いた新任教師の情報はすでに仲間内に伝えた。それ以外のことは今日わかるかもしれない。拓馬は教師よりヤマダが英語の勉強をする光景が気になった。
「ところでなんで英語の本を見てるんだ?」
「えーと、先生情報の整理」
教科書にはメモ用紙が数枚はさんである。一枚のメモに長いアルファベットが一行書かれていた。人名らしき羅列の大文字の箇所だけ丸が付いている。
「この長い単語、先生の名前か?」
「うん、そう。頭文字であだ名ができそうでね。先生がお堅い人だったらお蔵入り」
ヤマダがあだ名を付けることは多々ある。例えばジモンの本当の名は実門(みかど)という。天皇を意味する「帝」と同じ音が彼の雰囲気に合わないとヤマダが感じて「ジモン」と命名した。本人もこの名称は気に入り、以後彼の身近にいる者は彼をジモンと呼ぶ。今回もヤマダは相手が度量の広い者だった場合、新たな名前を付ける気だ。
「へー、それでなんて言うの──」
千智が質問しかけた時、教室の戸が荒々しく開いた。戸口には息を荒くした三郎がいる。拓馬は普段と異なる様子の三郎を興奮させないよう、細心の注意を払って声をかける。
「三郎、どこ行ってたん──」
「職員室だ! 例の先生、かなりできるぞ!」
三郎が嬉々として答える。興奮している三郎の言う「できる」の意味は一つだ。
「初対面で喧嘩ふっかけたのか?」
「端的に言えばそうなる。だが! オレの攻撃は相手の力量を見定めるためのもの。決して暴力ではない! そこを勘違いしないでほしい」
「やられる側にとっちゃ同じだ」
拓馬のつっこみに三郎はひるまず、職員室で起こした事件を回想する。
「オレが職員室に入った時、その先生は優雅にコーヒーを飲んでいた。居住まいだけで並みならぬ強さを感じ、そこでオレは背後から手刀を放った!」
「ふっかけるどころか不意打ちか」
「茶々を入れてくれるな! ……先生は見事にオレの攻撃を受け止めた。そしてオレの顔を見ることなく言ったんだ、勝負は場所を改めてしよう、と」
「不意打ちを食らっても怒らなかったのか。いい人だな」
「着眼点が違う! あの先生は普通の武芸者じゃないぞ。ぜひとも指南を受けるべきだ。空手家のお前にはうってつけだろう」
三郎は新任の教師が強者であることに歓喜している。その感性は三郎と同じ剣道部所属のジモンだけが理解しており、爽快な笑顔を浮かべる。
「剣術もできる先生ならわしらにちょうどいいのう!」
「体術を学ぶだけでも剣道に活かせると思うぞ!」
剣道部員の二人は盛り上がっている。見かねた千智が三郎に言う。
「それで、その先生は午後の英語の授業に出るの?」
「そうらしいぞ! おっと、いまのうちに英気を養っておかないとな」
三郎はそそくさと自席に着き、新しい教師の話題は止んだ。実物を目にすれば早いと皆が思ったのだ。残りの休み時間は千智がアイドルのドラマ初出演などを話して過ごした。
「ナギちゃん、災難ね。ああいうスケコマシのとなりじゃ落ち着かないでしょ」
千智が気遣うとナギは軽く首を横に振った。
「いまの席は後ろにチサちゃんと根岸くんがいるから平気」
「そうねぇ、なにかあったら拓馬が彼氏だって言っときゃ大丈夫よ」
「二次被害が出るからやめろ」
拓馬の指摘を千智は気に留めず、新たな話題を口にする。
「転校生は大体どんな子かわかったからいいとして……次は英語の先生ね!」
千智は入学式で見かけた銀髪の教師の話を切りだした。黙々と英語の教科書を眺めていたヤマダが反応を示す。その隣りに座るジモンも話に加わる。
「始業式も入学式もハンパに出ておった先生か。昼イチの授業に出るんかの」
ヤマダが本摩から聞いた新任教師の情報はすでに仲間内に伝えた。それ以外のことは今日わかるかもしれない。拓馬は教師よりヤマダが英語の勉強をする光景が気になった。
「ところでなんで英語の本を見てるんだ?」
「えーと、先生情報の整理」
教科書にはメモ用紙が数枚はさんである。一枚のメモに長いアルファベットが一行書かれていた。人名らしき羅列の大文字の箇所だけ丸が付いている。
「この長い単語、先生の名前か?」
「うん、そう。頭文字であだ名ができそうでね。先生がお堅い人だったらお蔵入り」
ヤマダがあだ名を付けることは多々ある。例えばジモンの本当の名は実門(みかど)という。天皇を意味する「帝」と同じ音が彼の雰囲気に合わないとヤマダが感じて「ジモン」と命名した。本人もこの名称は気に入り、以後彼の身近にいる者は彼をジモンと呼ぶ。今回もヤマダは相手が度量の広い者だった場合、新たな名前を付ける気だ。
「へー、それでなんて言うの──」
千智が質問しかけた時、教室の戸が荒々しく開いた。戸口には息を荒くした三郎がいる。拓馬は普段と異なる様子の三郎を興奮させないよう、細心の注意を払って声をかける。
「三郎、どこ行ってたん──」
「職員室だ! 例の先生、かなりできるぞ!」
三郎が嬉々として答える。興奮している三郎の言う「できる」の意味は一つだ。
「初対面で喧嘩ふっかけたのか?」
「端的に言えばそうなる。だが! オレの攻撃は相手の力量を見定めるためのもの。決して暴力ではない! そこを勘違いしないでほしい」
「やられる側にとっちゃ同じだ」
拓馬のつっこみに三郎はひるまず、職員室で起こした事件を回想する。
「オレが職員室に入った時、その先生は優雅にコーヒーを飲んでいた。居住まいだけで並みならぬ強さを感じ、そこでオレは背後から手刀を放った!」
「ふっかけるどころか不意打ちか」
「茶々を入れてくれるな! ……先生は見事にオレの攻撃を受け止めた。そしてオレの顔を見ることなく言ったんだ、勝負は場所を改めてしよう、と」
「不意打ちを食らっても怒らなかったのか。いい人だな」
「着眼点が違う! あの先生は普通の武芸者じゃないぞ。ぜひとも指南を受けるべきだ。空手家のお前にはうってつけだろう」
三郎は新任の教師が強者であることに歓喜している。その感性は三郎と同じ剣道部所属のジモンだけが理解しており、爽快な笑顔を浮かべる。
「剣術もできる先生ならわしらにちょうどいいのう!」
「体術を学ぶだけでも剣道に活かせると思うぞ!」
剣道部員の二人は盛り上がっている。見かねた千智が三郎に言う。
「それで、その先生は午後の英語の授業に出るの?」
「そうらしいぞ! おっと、いまのうちに英気を養っておかないとな」
三郎はそそくさと自席に着き、新しい教師の話題は止んだ。実物を目にすれば早いと皆が思ったのだ。残りの休み時間は千智がアイドルのドラマ初出演などを話して過ごした。
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2018年01月16日
拓馬篇−1章5
授業開始日、教壇に立つ本摩がホームルームを始める。
「みんな、おはよう! 前にも言った通り、さっそく転校生を紹介したいが……」
本摩は左腕に付けた腕時計を見る。
「長いこと校長に捕まってるみたいだなぁ……さて、どうするか」
本摩が「先に出席確認するか」とつぶやく。顔を上げた本摩は室内後方の戸を見て表情を明るくした。教室の戸の上部にはすべからく窓が付いている。廊下になにかいるようだ。
「お、一人来たな。お前たち、ちょっと待っててくれ」
本摩が廊下へ出ると彼の話し声が聞こえた。話は短く済み、すぐに本摩がもどる。
「お待ちかねの転校生の登場だ。自己紹介してもらうから静かにするよーに」
本摩は窓際に立つ。皆が教室の戸に注目する中、一人の女子生徒が手に鞄を提げて進み出た。彼女の髪は長く、後頭部にある髪留めで頭頂付近の髪をまとめていた。女子は無言で黒板に字を書く。自身の姓名を書き終えると振り返り、教室にいる生徒に顔をお披露目した。ファッション雑誌に現れそうな均整のとれた顔立ちだが、表情に柔らかさがない。
「須坂美弥です。よろしくお願いします」
玲瓏な声による非常に簡潔な自己紹介だった。本摩は物足りないと言いたげな顔をする。
「ほかに、言っておきたいことはあるかね?」
教師の問いに女子生徒は首を横に振るだけで答えた。長い髪が揺らいで、静止する。
「じゃ、須坂さんの席は最前列の真ん中の席だ。目の前の空いてる席に着いてくれ」
須坂は本摩の指示通りに三郎の左隣の席へ座る。三郎が須坂に片手を差し出した。
「オレは仙谷三郎という。このクラスに入ったのもなにかの縁だ、仲良くしよう!」
三郎は熱く握手を求めた。須坂は隣人の手を一度見たきり、そっぽを向いてしまった。三郎は己の予想とは違う展開に驚きを隠せない。目的を果たせなかった手で頭を掻く。
「嫌なら、いい」
先ほどとは真逆の態度だ。どこか堅苦しい雰囲気だった教室に笑いがこぼれる。
「三郎! めげるなよ!」
ジモンの激励を受けた三郎は大きくうなずいた。生徒のやり取りを傍観した教師は笑う。
「女子人気の高い仙谷でもフられることがあるんだなぁ」
「先生! オレにそんな気はありません。同じ仲間として……」
「わかってる。お前は義侠心の強い男だからな。そう急ぐな、追々打ち解ければいい」
本摩は飄々とした言い方で三郎をねぎらった。続いて本摩は二人目の転校生を待つ。
「さーて、もう一人転校生がいるんだが…」
本摩が言いかけた時、教室の後ろの戸が勢いよく開いた。栗毛色の髪の少年がわが物顔に教室内の真ん中を歩き、教壇に上がる。そして教卓に両手をつき、生徒を見回す。
「ぼくは成石ハイル。父が日本人で母がイギリス人のダブルだ。以前はイギリスに住んでいたけど、晴れて日本の高校へ通うことになった。いわゆる帰国子女というやつだね」
男子の転校生は先ほどの女子生徒とは対照的によく喋る。表情もまるで違い、活き活きとして自信にあふれている。能弁な生徒に対し本摩が声をかけた。
「あー、すまんが成石くん。一限目の授業があるのでシメに一言頼む」
本摩は演説に水を差した。現にホームルームの時間は終わろうとしている。一人目の自己紹介が短かったとはいえ、複数人の紹介を満足にできる時間は初めからないのだ。
「そうですか? じゃあ一つだけ。……ぼくは恋人募集中です!」
「正直な男だな。まぁ頑張れ。このクラスの女子以外ならお付き合いできるだろう」
男子生徒は意外そうな顔をしたが、すぐに自信満々の表情にもどった。
「えー、成石くんの席は最前列のドア側だ。名木野の隣だな」
「おや、かわいらしい子の隣だなんてラッキーだ」
成石は大人しい女子生徒の右隣の席へ堂々と座る。彼が隣りの生徒へウインクを飛ばすと、名木野はノートを盾のように構えて視線を塞いだ。
「恥ずかしがり屋なのかな? まあいいさ」
成石は名木野に拒絶されたことを気にする様子はない。本摩が手を叩く。
「よーし、これで転校生の紹介は終わり! みんな、一限目の用意をしなさい」
本摩は出席簿を抱え、急ぎ足で退室した。とうとう本摩が生徒の名を呼んで出席状況を確認することはなかった。だが転校生が着席したことで席がすべて埋まっている。再度確かめる必要はなかった。担任と入れ替わりに数学担当の女性教師が入室する。生徒たちの浮付いた気分が徐々になくなり、意識は学生の本分たる学業へと切り替わっていった。
「みんな、おはよう! 前にも言った通り、さっそく転校生を紹介したいが……」
本摩は左腕に付けた腕時計を見る。
「長いこと校長に捕まってるみたいだなぁ……さて、どうするか」
本摩が「先に出席確認するか」とつぶやく。顔を上げた本摩は室内後方の戸を見て表情を明るくした。教室の戸の上部にはすべからく窓が付いている。廊下になにかいるようだ。
「お、一人来たな。お前たち、ちょっと待っててくれ」
本摩が廊下へ出ると彼の話し声が聞こえた。話は短く済み、すぐに本摩がもどる。
「お待ちかねの転校生の登場だ。自己紹介してもらうから静かにするよーに」
本摩は窓際に立つ。皆が教室の戸に注目する中、一人の女子生徒が手に鞄を提げて進み出た。彼女の髪は長く、後頭部にある髪留めで頭頂付近の髪をまとめていた。女子は無言で黒板に字を書く。自身の姓名を書き終えると振り返り、教室にいる生徒に顔をお披露目した。ファッション雑誌に現れそうな均整のとれた顔立ちだが、表情に柔らかさがない。
「須坂美弥です。よろしくお願いします」
玲瓏な声による非常に簡潔な自己紹介だった。本摩は物足りないと言いたげな顔をする。
「ほかに、言っておきたいことはあるかね?」
教師の問いに女子生徒は首を横に振るだけで答えた。長い髪が揺らいで、静止する。
「じゃ、須坂さんの席は最前列の真ん中の席だ。目の前の空いてる席に着いてくれ」
須坂は本摩の指示通りに三郎の左隣の席へ座る。三郎が須坂に片手を差し出した。
「オレは仙谷三郎という。このクラスに入ったのもなにかの縁だ、仲良くしよう!」
三郎は熱く握手を求めた。須坂は隣人の手を一度見たきり、そっぽを向いてしまった。三郎は己の予想とは違う展開に驚きを隠せない。目的を果たせなかった手で頭を掻く。
「嫌なら、いい」
先ほどとは真逆の態度だ。どこか堅苦しい雰囲気だった教室に笑いがこぼれる。
「三郎! めげるなよ!」
ジモンの激励を受けた三郎は大きくうなずいた。生徒のやり取りを傍観した教師は笑う。
「女子人気の高い仙谷でもフられることがあるんだなぁ」
「先生! オレにそんな気はありません。同じ仲間として……」
「わかってる。お前は義侠心の強い男だからな。そう急ぐな、追々打ち解ければいい」
本摩は飄々とした言い方で三郎をねぎらった。続いて本摩は二人目の転校生を待つ。
「さーて、もう一人転校生がいるんだが…」
本摩が言いかけた時、教室の後ろの戸が勢いよく開いた。栗毛色の髪の少年がわが物顔に教室内の真ん中を歩き、教壇に上がる。そして教卓に両手をつき、生徒を見回す。
「ぼくは成石ハイル。父が日本人で母がイギリス人のダブルだ。以前はイギリスに住んでいたけど、晴れて日本の高校へ通うことになった。いわゆる帰国子女というやつだね」
男子の転校生は先ほどの女子生徒とは対照的によく喋る。表情もまるで違い、活き活きとして自信にあふれている。能弁な生徒に対し本摩が声をかけた。
「あー、すまんが成石くん。一限目の授業があるのでシメに一言頼む」
本摩は演説に水を差した。現にホームルームの時間は終わろうとしている。一人目の自己紹介が短かったとはいえ、複数人の紹介を満足にできる時間は初めからないのだ。
「そうですか? じゃあ一つだけ。……ぼくは恋人募集中です!」
「正直な男だな。まぁ頑張れ。このクラスの女子以外ならお付き合いできるだろう」
男子生徒は意外そうな顔をしたが、すぐに自信満々の表情にもどった。
「えー、成石くんの席は最前列のドア側だ。名木野の隣だな」
「おや、かわいらしい子の隣だなんてラッキーだ」
成石は大人しい女子生徒の右隣の席へ堂々と座る。彼が隣りの生徒へウインクを飛ばすと、名木野はノートを盾のように構えて視線を塞いだ。
「恥ずかしがり屋なのかな? まあいいさ」
成石は名木野に拒絶されたことを気にする様子はない。本摩が手を叩く。
「よーし、これで転校生の紹介は終わり! みんな、一限目の用意をしなさい」
本摩は出席簿を抱え、急ぎ足で退室した。とうとう本摩が生徒の名を呼んで出席状況を確認することはなかった。だが転校生が着席したことで席がすべて埋まっている。再度確かめる必要はなかった。担任と入れ替わりに数学担当の女性教師が入室する。生徒たちの浮付いた気分が徐々になくなり、意識は学生の本分たる学業へと切り替わっていった。
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2018年01月15日
拓馬篇−1章4
「その人は正規の教員じゃなくて、非常勤なんだって。アルバイトみたいなものかな?」
ヤマダは拓馬と協力して片付けをする片手間、昨日獲得した情報を喋る。二人はパイプ椅子の下敷きだった、滑り止め用の薄いマットを丸める。
「だから新任の教師の挨拶はしなかったって本摩先生が言ってた。担当は英語ね」
「この学校もケチなことするんだな。非正規の人を雇うのは安上がりなんだろ」
拓馬は父の仕事上、契約社員等の正規雇用でない社員について多少の知識があった。
「それが本人の希望だって。夏が終われば日本を出て、親戚の家に帰るんだってさ」
「国外の親戚……その人、外国人か?」
例の男は色の抜けた髪だった。異邦人ならば不良のような頭髪が正当な姿に思えた。
「アメリカ人らしいよ。でも国籍は日本だって。親が帰化してるんだとか」
「そう、か……髪を脱色してるわけじゃないのか」
「タッちゃんもその先生を見かけた?」
「ああ、三郎が喋る時に見た。肌が焼けてて髪が灰色の人だ。グレーのスーツ着てたよ」
「え……目の色、どうだった?」
気楽に喋っていたヤマダが声色を低めた。その反応の理由が拓馬にはわからない。
「目の色? よく見えなかったな」
拓馬は自ら語弊を感じた。正確には、そのほかの特徴を確認する余裕がなかったのだ。
「んじゃ、身長はどのくらい?」
「三郎より背が高いから……一八〇センチはあるな。なんでそんなに聞くんだ?」
「わたしたちが反省文を書かされた時に会った人じゃないかと思って。あの人も色黒で、グレーのスーツ着てて、きれいな銀髪だった。シャツは黒くなかったと思うけど」
拓馬たちは先月、呼出しを食らった。その日にヤマダが会った青い目の男は一日限りの客人だと思い、忘れ去っていた。採用試験があったのか、と拓馬は認識を改めた。
「あの時、ここの教師になるために来てたんだね」
ヤマダも同じ推測を立てる。拓馬たちが謝罪文を綴った日から今日まで、一ヶ月弱が経過した。学期開始前の準備期間を考慮するとかなり急な採用だ。おまけに教師は一年単位で仕事の区切りがつく。一学期の短い就任を学校側が歓迎するとは考えにくい。
「よく一年いられない先生を雇ったもんだな。それも迷うことなく採ったみたいだし」
「それね、本摩先生が言うには校長好みの先生だって。そういうことなのよ」
「まーた恋愛ネタに使えそうな人か。飽きねえな、あの校長」
マットは丸太に似た筒状になる。拓馬はマットの片端をヤマダに持たせ、二人で運送する。マット自体は拓馬一人で運べる重さだが、ヤマダが手伝いたがるため分担した。目的地は壇の下。そこにパイプ椅子とマットを収納する空間がある。現在は壇下の壁が動かされ、薄暗い穴がぽっかりと開いている。穴に向かう間、二人は異国風の教師について話す。
「お前が見た感じ、その先生は女にキャーキャー言われそうか?」
「言われるね。でも真面目そうな人だったよ。校長が期待してることは起きそうにない」
「女子が騒ぐだけで十分なんじゃねえの」
校長に強敵認定されるヤマダが食いつく時点で、校長の目論見は達成したように拓馬は思えた。野次馬根性が強い行動も校長の欲目では色恋の観点へ変換される。純愛を求める校長には、本物の恋人より寧ろ親しいだけの男女のほうが健全で好ましいきらいがあった。
(めんどくさい校風だよなあ。そのかわり自由にさせてもらってるけど)
拓馬たちが反省文の作成のみで済んだ罪は、停学処分を下されてもやむなしのものだった。他にも生徒に寛容な点は大半の学校で禁止する染髪の許容だ。この校則は拓馬のように地毛の明るい者が髪に負い目を抱かない配慮として設定されたと、本摩は述べていた。
二人は壇に着いた。拓馬が一人でマットを抱え、隠し倉庫へ慎重に足を入れる。壇の高さは拓馬の胸の辺り。壇下の一室の床は体育館より低く、出入口の大きさ以上に高さがある。片足が床を捉えた後、残る足も下ろす。一室には輸送物を収納する係の生徒がいなかった。拓馬は弱い電灯の光を頼りにマットを置いた。ヤマダが外から暗い部屋を見守る。
「これで終了だな。明かりを消してきてくれるか?」
「ステージの右側にスイッチがあるんだっけ。行ってくる」
ヤマダは壇の横へと走った。その間、拓馬は自身がいた穴倉を見て、電灯の光が消えるのを待つ。何年も同じ場所を照らしてきた蛍光灯の光は、時折消えかかる。点検がなおざりになる箇所のようだ。弱々しい明かりの奥に、緑色と青色の小さな光が見えた。
「……?」
あるはずのない光をもう一度見ようとして目を凝らす。有色の光は見えない。
(変なのが通りすがっただけかな)
目の前は真っ暗になった。拓馬は壁を閉め、壇横の準備室にいたヤマダが姿を見せる。
「タッちゃん、消えたー?」
「ちゃんと消えたぞー」
ヤマダはまたも走ってやってくる。
「みんな、もう帰ってるね、わたしたちも教室にもどろうか」
二人は普段の様子へもどった体育館を後にした。
ヤマダは拓馬と協力して片付けをする片手間、昨日獲得した情報を喋る。二人はパイプ椅子の下敷きだった、滑り止め用の薄いマットを丸める。
「だから新任の教師の挨拶はしなかったって本摩先生が言ってた。担当は英語ね」
「この学校もケチなことするんだな。非正規の人を雇うのは安上がりなんだろ」
拓馬は父の仕事上、契約社員等の正規雇用でない社員について多少の知識があった。
「それが本人の希望だって。夏が終われば日本を出て、親戚の家に帰るんだってさ」
「国外の親戚……その人、外国人か?」
例の男は色の抜けた髪だった。異邦人ならば不良のような頭髪が正当な姿に思えた。
「アメリカ人らしいよ。でも国籍は日本だって。親が帰化してるんだとか」
「そう、か……髪を脱色してるわけじゃないのか」
「タッちゃんもその先生を見かけた?」
「ああ、三郎が喋る時に見た。肌が焼けてて髪が灰色の人だ。グレーのスーツ着てたよ」
「え……目の色、どうだった?」
気楽に喋っていたヤマダが声色を低めた。その反応の理由が拓馬にはわからない。
「目の色? よく見えなかったな」
拓馬は自ら語弊を感じた。正確には、そのほかの特徴を確認する余裕がなかったのだ。
「んじゃ、身長はどのくらい?」
「三郎より背が高いから……一八〇センチはあるな。なんでそんなに聞くんだ?」
「わたしたちが反省文を書かされた時に会った人じゃないかと思って。あの人も色黒で、グレーのスーツ着てて、きれいな銀髪だった。シャツは黒くなかったと思うけど」
拓馬たちは先月、呼出しを食らった。その日にヤマダが会った青い目の男は一日限りの客人だと思い、忘れ去っていた。採用試験があったのか、と拓馬は認識を改めた。
「あの時、ここの教師になるために来てたんだね」
ヤマダも同じ推測を立てる。拓馬たちが謝罪文を綴った日から今日まで、一ヶ月弱が経過した。学期開始前の準備期間を考慮するとかなり急な採用だ。おまけに教師は一年単位で仕事の区切りがつく。一学期の短い就任を学校側が歓迎するとは考えにくい。
「よく一年いられない先生を雇ったもんだな。それも迷うことなく採ったみたいだし」
「それね、本摩先生が言うには校長好みの先生だって。そういうことなのよ」
「まーた恋愛ネタに使えそうな人か。飽きねえな、あの校長」
マットは丸太に似た筒状になる。拓馬はマットの片端をヤマダに持たせ、二人で運送する。マット自体は拓馬一人で運べる重さだが、ヤマダが手伝いたがるため分担した。目的地は壇の下。そこにパイプ椅子とマットを収納する空間がある。現在は壇下の壁が動かされ、薄暗い穴がぽっかりと開いている。穴に向かう間、二人は異国風の教師について話す。
「お前が見た感じ、その先生は女にキャーキャー言われそうか?」
「言われるね。でも真面目そうな人だったよ。校長が期待してることは起きそうにない」
「女子が騒ぐだけで十分なんじゃねえの」
校長に強敵認定されるヤマダが食いつく時点で、校長の目論見は達成したように拓馬は思えた。野次馬根性が強い行動も校長の欲目では色恋の観点へ変換される。純愛を求める校長には、本物の恋人より寧ろ親しいだけの男女のほうが健全で好ましいきらいがあった。
(めんどくさい校風だよなあ。そのかわり自由にさせてもらってるけど)
拓馬たちが反省文の作成のみで済んだ罪は、停学処分を下されてもやむなしのものだった。他にも生徒に寛容な点は大半の学校で禁止する染髪の許容だ。この校則は拓馬のように地毛の明るい者が髪に負い目を抱かない配慮として設定されたと、本摩は述べていた。
二人は壇に着いた。拓馬が一人でマットを抱え、隠し倉庫へ慎重に足を入れる。壇の高さは拓馬の胸の辺り。壇下の一室の床は体育館より低く、出入口の大きさ以上に高さがある。片足が床を捉えた後、残る足も下ろす。一室には輸送物を収納する係の生徒がいなかった。拓馬は弱い電灯の光を頼りにマットを置いた。ヤマダが外から暗い部屋を見守る。
「これで終了だな。明かりを消してきてくれるか?」
「ステージの右側にスイッチがあるんだっけ。行ってくる」
ヤマダは壇の横へと走った。その間、拓馬は自身がいた穴倉を見て、電灯の光が消えるのを待つ。何年も同じ場所を照らしてきた蛍光灯の光は、時折消えかかる。点検がなおざりになる箇所のようだ。弱々しい明かりの奥に、緑色と青色の小さな光が見えた。
「……?」
あるはずのない光をもう一度見ようとして目を凝らす。有色の光は見えない。
(変なのが通りすがっただけかな)
目の前は真っ暗になった。拓馬は壁を閉め、壇横の準備室にいたヤマダが姿を見せる。
「タッちゃん、消えたー?」
「ちゃんと消えたぞー」
ヤマダはまたも走ってやってくる。
「みんな、もう帰ってるね、わたしたちも教室にもどろうか」
二人は普段の様子へもどった体育館を後にした。
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