2018年04月13日
拓馬篇−4章6 ★
拓馬が不審な大男を見かけた翌週、仲間内にそのことが知れ渡っていた。三郎に一報入れた情報がすぐに伝播したらしい。その結果、拓馬が登校した直後に、早速千智に捕まった。
だが千智は大男でなく、須坂の実姉である水卜律子を話題にとりあげた。顔の小ささや着ていた服など、拓馬には興味のない質問ばかりだ。千智にとって律子はあこがれの芸能人なようで、話はホームルーム開始まで続いた。
午前の授業が終わってなお千智の情熱は冷めなかった。拓馬は彼女と一緒に昼食をとる。
「記者ってのは芸能人を追いかけて、他県までくるんだな」
「知らない? 水卜律子のスキャンダル!」
千智はゴシップを周知の事実のように言い放つ。芸能関連にうとい拓馬には初耳だった。
「何ヶ月前だったか、同業の男と熱愛してるとさわがれたの。写真もおさえられたって」
「へー、めでたい話……じゃないのか?」
「全然! 相手の男にはほかにパートナーがいたんだから」
拓馬は耳を疑った。拓馬が会った女性は略奪愛をしでかす毒婦に見えなかったのだ。
「浮気だなんだってテレビでも言われてたはずよ。それで味を占めた連中が、新しい特ダネを集めにきてたんじゃないの」
水卜が須坂と会うのは週末の夜。意中の人のもとへ足繁く通っているとの邪推が成り立つ。若く美しい芸能人にはありがちな話だ。
「でもあれ、やらせかなにかに決まってる」
千智が息巻いた。他人の恋愛模様をそこまで言い切れるのか、と拓馬は疑問をいだく。
「なんでウソだとわかるんだ?」
「水卜さんの理想の男性像と全然ちがうもん。雑誌で『知的で優しい人が好み』だと言ってたのよ。あの俳優崩れったら、クイズ番組でおバカタレントといい勝負するバカ」
知的で優しい男性、と聞いて拓馬はシドを連想した。この場ではだまっておく。
「だいたい、ヤツはまぐれでヒット作を出した程度の落ちぶれた俳優よ。売れっ子で美人な水卜さんがなびかないって」
「じゃ、なんで一緒にいた?」
「罠よワナ! 水卜さんを使って、ヤツが返り咲こうとしてるんでしょ」
「そんなの、水卜さんが否定したらそれで終わりの話だろ?」
「ヤツは話題を集めれば仕事がもらえると思ってんじゃないの。バカだから目先のことしか考えられないのよ」
千智の意見は理屈に合っているようだ。ただしその根底には「あんな男は水卜律子にふさわしくない」という感情論がある。千智の願望が多分にふくんでいるやもしれず、拓馬は話半分に聞いておいた。
千智の熱弁が一段落ついたとき、三郎が声をかけてくる。
「くだんの不審者に出会ったときのこと、くわしく話してくれるか?」
朝は千智に拓馬を奪われ、聞き損ねた質問なのだろう。拓馬はかるく首をかしげる。
「もう全部伝えたよ。あいつは須坂の周りをうろついてる。たぶん須坂を守ってるんだろうけど、理由はさっぱりだ」
「うーむ、襲われた成石はめぐり合わせがわるかった、ということか……」
「須坂はしばらく姉と会わないそうだ。それで大男が現れなかったら一件落着だろ?」
「腑に落ちないが、様子を見てみるか。……協力に感謝する」
三郎は引きさがった。三郎の話が終わったのを見届けた千智が再度拓馬に話しかける。
「例の男の人を見たんでしょ。どんな人?」
「俺が見たのはシルエットだけだよ。須坂も、男がサングラスをかけてたせいで顔はわからなかったとさ」
「なぁんだ、カッコイイのかわかんないのね」
「カッコイイ、わるいはどうでもいいだろ。いまんとこストーカーだぞ、そいつ」
「そう? かよわい女の子を影で守るのってステキじゃない。あたしも守られてみたい」
拓馬は思わず出そうになった言葉を飲みくだした。男顔負けの脚力をもつ千智へ「お前は守られる必要がない」と言えば不機嫌になるのは目に見えていた。
「あ、本物のカッコイイ人がきたわ」
千智の視線は教室の出入り口にある。そこに褐色の肌の教師がいた。手には花柄の包みがある。彼のシックな装いにそぐわない模様だが、拓馬はその包みに見覚えがあった。ヤマダの私物だ。ヤマダが慌てた様子で、持ち物を届けに来た人物に駆けよる。
「先生! その弁当、だれから?」
「貴女のお母さんから預かりました。家にわすれていったそうですね」
「うん、そうなの。届けてくれてありがとう」
ヤマダは弁当を受け取った。教師が去るために足を引くのを、ヤマダが引き留める。
「あれ……先生、指輪は?」
「え? ああ、ありますよ」
シドはズポンのポケットから指輪を出した。彼はいつも白い宝石のついた指輪を左手の人差し指にはめていた。
「手をよごしたので、指輪を外して、洗ったままにしていました。よく気付きましたね」
「存在感あるからね、その指輪……タイピンとケンカしないデザインでよかった」
シドのみぞおち付近にはネクタイピンが装着してある。その装飾品は拓馬たちが不良少年と争ったあとに見かけるようになった。三色の宝石がはめこんであるのが特徴的だ。
「ええ、こちらのタイピンはとても役に立っています。ところで、この宝石になにか由来や意味はあるのでしょうか?」
「なんかあるらしいんだけど、はっきりしたことは知らない。それ、気になる?」
「実は校長がたいへん興味津々でして」
「だったらオヤジに聞いてよ。もし校長と一緒に聞くならジモンちの店でね」
千智は二人のやり取りを食い入るように見ている。かと思うと深いため息をつく。
「シド先生ってヤマちゃんがお気に入りよね。ちょっと妬けちゃう」
「そうか? いろんな女子に絡まれてるが」
その中には須坂の姿もあった。ただし彼女の場合はシドから話しかけており、むしろシドは須坂を気にしているように拓馬は感じた。
「そりゃそうだけど、あの二人が一緒なことが多くない? 体育祭の前後がとくに」
「あんときは先生、体操着が無かったからな。その貸し借りのときに接点は増えるさ」
「必要なときに必要な助けをしてあげる、てのがポイント高いのね。見習わなくちゃ」
千智は拓馬の主旨とは異なる理解を示した。拓馬はその読解を議論する気は起きない。かわりに千智の想い人だといわれる人物について、疑問が生じる。
「そういや、よその学校にいる彼氏はどうなってんだ?」
千智は人差し指を立てて左右に振る。
「やぁね、校長避けに言ってる彼氏でしょ」
千智は恋話好きな校長を遠ざける目的で、他校に恋人がいるという建前を吹聴していた。学外に恋愛対象がいれば校長の観測から外れる、という理屈だ。
「多少は仲がよくなきゃ偽装できないだろ?」
「そうは言うけどねえ、あっちはあたしよか拓馬が好きなのよ」
拓馬は反射的に防御の姿勢をとる。千智はまちがって伝わった語意を弁解する。
「べつにホモホモしい意味じゃなくてね。拓馬は去年、空手の大会に参加してたでしょ。そこであんたが負かした子。おぼえてる?」
「いや、ぜんぜん……」
拓馬は自身が空手部に所属することさえわすれかけていた。今年から部員が自分だけになってしまい、現在は廃部同然の状態だ。
「今年は拓馬が出ないで県大会で優勝したから、悔しがってね。『あいつを倒さなくては本当の勝利はない』と意気込んでたわ」
「そう言われてもな……部員が卒業して、いなくなっちまったんだから出ようがない」
「個人の部で出場できたじゃない。拓馬ならいい成績だせたんじゃないの」
「俺は順位や勝ち負けに興味ねえんだ。普通に生活できりゃそれでいい」
拓馬が空手部に入部した理由は自己鍛錬であったり、周囲に流された結果であったりする。大会で優勝を目指す、といった欲求は皆無。そこが陸上部で好成績をのこす千智とは価値観が異なる部分だ。
そうこう話すうちに二人の昼食が終わる。拓馬はヤマダの様子を見た。すでにシドとは話がつき、彼女は自席へ着くところだった。その席とまわりはなぜか物で散らかっている。拓馬は荒れたヤマダの席へ近づく。
「なんでこんなに物をぶちまけてるんだ?」
「それが、弁当だけじゃなくて財布もわすれて。百円でものこってないか探してた」
おそらく、弁当がない代替案として昼食を買おうと考えたのだろう。昼食代さがしに荷物を漁った、という経緯だ。ヤマダは整理をはじめる。拓馬も床に落ちた物をひろおうとして、小さな巾着袋をもつ。水色がかった灰色の生地でできている。袋の中央をつまむと細長く硬い物の感触がした。
「それ、中にアメジストのかけらがある」
「紫水晶か。病気に効くとかなんとか、ミスミさんが言ってた気がする」
ヤマダの母は護符やパワーストーンに関心のある人だ。その影響でヤマダもお守りを常に所持している。
「そうそう、お母さんが私にくれた原石の残り。ほしかったらあげるよ」
「遠慮する。こういうので俺にくる災難が防げるとは思わねえから」
「苦労人の星の下で生まれた子には、効き目ないだろうね」
ヤマダは笑いながらも着実に収納を進めた。すっきり整頓ができて、ようやく弁当の包みを開ける。ラップにくるんだサンドイッチが並んでいた。そのひとつを拓馬に差し出す。
「これはあげる。サブちゃんのわがままに付きあってくれたお礼ね」
「お、いいのか」
拓馬は素直に受け取った。ヤマダがサンドイッチを昼食に持ってくるときは大抵多めに用意する。それは友人に与える分だ。たとえ昼食時に満腹でサンドイッチが食べられなくとも、放課後に食べるおやつにちょうどよい。
「お礼といや、シド先生のタイピン──」
「あれはわたしがもってたやつ」
「やっぱりか。たしかノブさんが使ってた」
「そう。オヤジがもう仕事でスーツを着る機会がないから、わたしにくれたタイピンね。まえにタッちゃんにあげようとしたら、いらないって言われた」
「ものすごく高そうで、もらえなかったな」
子どもが使うには高価すぎる素材でできた品物だった、と拓馬は記憶している。
「あげちゃっていいのか?」
「それがね、先生があんまりノリ気じゃなくて、一学期の間だけ貸すことになった」
「ノブさんには了解をもらったか?」
「『お前の好きにしろ』ってさ。わたしが持ってても使わないし、アグレッシブでジェントルな人に使われるのが一番いいんだよ」
ヤマダは相容れなさそうな形容詞を並べたが、二つともシドには適合する。あのように活発に動き回る人がそもそもネクタイピンを使わないのが奇妙なくらいだ。
「先生にはちょうどいいか。タイピンがあったらネクタイを損しなくてすんだだろうし」
「あー、あのネクタイはわたしが貰ったよ」
「直すのか?」
「生地を再利用して小物にするつもり」
ヤマダは「思い出の品になるよ」と付け加える。アレを思い出にしていいものか、と拓馬は心配しつつ席にもどる。不良の件も不審者のことも、これで収まった。平々凡々に過ごせる開放感に浸り、午後の授業を受けた。
だが千智は大男でなく、須坂の実姉である水卜律子を話題にとりあげた。顔の小ささや着ていた服など、拓馬には興味のない質問ばかりだ。千智にとって律子はあこがれの芸能人なようで、話はホームルーム開始まで続いた。
午前の授業が終わってなお千智の情熱は冷めなかった。拓馬は彼女と一緒に昼食をとる。
「記者ってのは芸能人を追いかけて、他県までくるんだな」
「知らない? 水卜律子のスキャンダル!」
千智はゴシップを周知の事実のように言い放つ。芸能関連にうとい拓馬には初耳だった。
「何ヶ月前だったか、同業の男と熱愛してるとさわがれたの。写真もおさえられたって」
「へー、めでたい話……じゃないのか?」
「全然! 相手の男にはほかにパートナーがいたんだから」
拓馬は耳を疑った。拓馬が会った女性は略奪愛をしでかす毒婦に見えなかったのだ。
「浮気だなんだってテレビでも言われてたはずよ。それで味を占めた連中が、新しい特ダネを集めにきてたんじゃないの」
水卜が須坂と会うのは週末の夜。意中の人のもとへ足繁く通っているとの邪推が成り立つ。若く美しい芸能人にはありがちな話だ。
「でもあれ、やらせかなにかに決まってる」
千智が息巻いた。他人の恋愛模様をそこまで言い切れるのか、と拓馬は疑問をいだく。
「なんでウソだとわかるんだ?」
「水卜さんの理想の男性像と全然ちがうもん。雑誌で『知的で優しい人が好み』だと言ってたのよ。あの俳優崩れったら、クイズ番組でおバカタレントといい勝負するバカ」
知的で優しい男性、と聞いて拓馬はシドを連想した。この場ではだまっておく。
「だいたい、ヤツはまぐれでヒット作を出した程度の落ちぶれた俳優よ。売れっ子で美人な水卜さんがなびかないって」
「じゃ、なんで一緒にいた?」
「罠よワナ! 水卜さんを使って、ヤツが返り咲こうとしてるんでしょ」
「そんなの、水卜さんが否定したらそれで終わりの話だろ?」
「ヤツは話題を集めれば仕事がもらえると思ってんじゃないの。バカだから目先のことしか考えられないのよ」
千智の意見は理屈に合っているようだ。ただしその根底には「あんな男は水卜律子にふさわしくない」という感情論がある。千智の願望が多分にふくんでいるやもしれず、拓馬は話半分に聞いておいた。
千智の熱弁が一段落ついたとき、三郎が声をかけてくる。
「くだんの不審者に出会ったときのこと、くわしく話してくれるか?」
朝は千智に拓馬を奪われ、聞き損ねた質問なのだろう。拓馬はかるく首をかしげる。
「もう全部伝えたよ。あいつは須坂の周りをうろついてる。たぶん須坂を守ってるんだろうけど、理由はさっぱりだ」
「うーむ、襲われた成石はめぐり合わせがわるかった、ということか……」
「須坂はしばらく姉と会わないそうだ。それで大男が現れなかったら一件落着だろ?」
「腑に落ちないが、様子を見てみるか。……協力に感謝する」
三郎は引きさがった。三郎の話が終わったのを見届けた千智が再度拓馬に話しかける。
「例の男の人を見たんでしょ。どんな人?」
「俺が見たのはシルエットだけだよ。須坂も、男がサングラスをかけてたせいで顔はわからなかったとさ」
「なぁんだ、カッコイイのかわかんないのね」
「カッコイイ、わるいはどうでもいいだろ。いまんとこストーカーだぞ、そいつ」
「そう? かよわい女の子を影で守るのってステキじゃない。あたしも守られてみたい」
拓馬は思わず出そうになった言葉を飲みくだした。男顔負けの脚力をもつ千智へ「お前は守られる必要がない」と言えば不機嫌になるのは目に見えていた。
「あ、本物のカッコイイ人がきたわ」
千智の視線は教室の出入り口にある。そこに褐色の肌の教師がいた。手には花柄の包みがある。彼のシックな装いにそぐわない模様だが、拓馬はその包みに見覚えがあった。ヤマダの私物だ。ヤマダが慌てた様子で、持ち物を届けに来た人物に駆けよる。
「先生! その弁当、だれから?」
「貴女のお母さんから預かりました。家にわすれていったそうですね」
「うん、そうなの。届けてくれてありがとう」
ヤマダは弁当を受け取った。教師が去るために足を引くのを、ヤマダが引き留める。
「あれ……先生、指輪は?」
「え? ああ、ありますよ」
シドはズポンのポケットから指輪を出した。彼はいつも白い宝石のついた指輪を左手の人差し指にはめていた。
「手をよごしたので、指輪を外して、洗ったままにしていました。よく気付きましたね」
「存在感あるからね、その指輪……タイピンとケンカしないデザインでよかった」
シドのみぞおち付近にはネクタイピンが装着してある。その装飾品は拓馬たちが不良少年と争ったあとに見かけるようになった。三色の宝石がはめこんであるのが特徴的だ。
「ええ、こちらのタイピンはとても役に立っています。ところで、この宝石になにか由来や意味はあるのでしょうか?」
「なんかあるらしいんだけど、はっきりしたことは知らない。それ、気になる?」
「実は校長がたいへん興味津々でして」
「だったらオヤジに聞いてよ。もし校長と一緒に聞くならジモンちの店でね」
千智は二人のやり取りを食い入るように見ている。かと思うと深いため息をつく。
「シド先生ってヤマちゃんがお気に入りよね。ちょっと妬けちゃう」
「そうか? いろんな女子に絡まれてるが」
その中には須坂の姿もあった。ただし彼女の場合はシドから話しかけており、むしろシドは須坂を気にしているように拓馬は感じた。
「そりゃそうだけど、あの二人が一緒なことが多くない? 体育祭の前後がとくに」
「あんときは先生、体操着が無かったからな。その貸し借りのときに接点は増えるさ」
「必要なときに必要な助けをしてあげる、てのがポイント高いのね。見習わなくちゃ」
千智は拓馬の主旨とは異なる理解を示した。拓馬はその読解を議論する気は起きない。かわりに千智の想い人だといわれる人物について、疑問が生じる。
「そういや、よその学校にいる彼氏はどうなってんだ?」
千智は人差し指を立てて左右に振る。
「やぁね、校長避けに言ってる彼氏でしょ」
千智は恋話好きな校長を遠ざける目的で、他校に恋人がいるという建前を吹聴していた。学外に恋愛対象がいれば校長の観測から外れる、という理屈だ。
「多少は仲がよくなきゃ偽装できないだろ?」
「そうは言うけどねえ、あっちはあたしよか拓馬が好きなのよ」
拓馬は反射的に防御の姿勢をとる。千智はまちがって伝わった語意を弁解する。
「べつにホモホモしい意味じゃなくてね。拓馬は去年、空手の大会に参加してたでしょ。そこであんたが負かした子。おぼえてる?」
「いや、ぜんぜん……」
拓馬は自身が空手部に所属することさえわすれかけていた。今年から部員が自分だけになってしまい、現在は廃部同然の状態だ。
「今年は拓馬が出ないで県大会で優勝したから、悔しがってね。『あいつを倒さなくては本当の勝利はない』と意気込んでたわ」
「そう言われてもな……部員が卒業して、いなくなっちまったんだから出ようがない」
「個人の部で出場できたじゃない。拓馬ならいい成績だせたんじゃないの」
「俺は順位や勝ち負けに興味ねえんだ。普通に生活できりゃそれでいい」
拓馬が空手部に入部した理由は自己鍛錬であったり、周囲に流された結果であったりする。大会で優勝を目指す、といった欲求は皆無。そこが陸上部で好成績をのこす千智とは価値観が異なる部分だ。
そうこう話すうちに二人の昼食が終わる。拓馬はヤマダの様子を見た。すでにシドとは話がつき、彼女は自席へ着くところだった。その席とまわりはなぜか物で散らかっている。拓馬は荒れたヤマダの席へ近づく。
「なんでこんなに物をぶちまけてるんだ?」
「それが、弁当だけじゃなくて財布もわすれて。百円でものこってないか探してた」
おそらく、弁当がない代替案として昼食を買おうと考えたのだろう。昼食代さがしに荷物を漁った、という経緯だ。ヤマダは整理をはじめる。拓馬も床に落ちた物をひろおうとして、小さな巾着袋をもつ。水色がかった灰色の生地でできている。袋の中央をつまむと細長く硬い物の感触がした。
「それ、中にアメジストのかけらがある」
「紫水晶か。病気に効くとかなんとか、ミスミさんが言ってた気がする」
ヤマダの母は護符やパワーストーンに関心のある人だ。その影響でヤマダもお守りを常に所持している。
「そうそう、お母さんが私にくれた原石の残り。ほしかったらあげるよ」
「遠慮する。こういうので俺にくる災難が防げるとは思わねえから」
「苦労人の星の下で生まれた子には、効き目ないだろうね」
ヤマダは笑いながらも着実に収納を進めた。すっきり整頓ができて、ようやく弁当の包みを開ける。ラップにくるんだサンドイッチが並んでいた。そのひとつを拓馬に差し出す。
「これはあげる。サブちゃんのわがままに付きあってくれたお礼ね」
「お、いいのか」
拓馬は素直に受け取った。ヤマダがサンドイッチを昼食に持ってくるときは大抵多めに用意する。それは友人に与える分だ。たとえ昼食時に満腹でサンドイッチが食べられなくとも、放課後に食べるおやつにちょうどよい。
「お礼といや、シド先生のタイピン──」
「あれはわたしがもってたやつ」
「やっぱりか。たしかノブさんが使ってた」
「そう。オヤジがもう仕事でスーツを着る機会がないから、わたしにくれたタイピンね。まえにタッちゃんにあげようとしたら、いらないって言われた」
「ものすごく高そうで、もらえなかったな」
子どもが使うには高価すぎる素材でできた品物だった、と拓馬は記憶している。
「あげちゃっていいのか?」
「それがね、先生があんまりノリ気じゃなくて、一学期の間だけ貸すことになった」
「ノブさんには了解をもらったか?」
「『お前の好きにしろ』ってさ。わたしが持ってても使わないし、アグレッシブでジェントルな人に使われるのが一番いいんだよ」
ヤマダは相容れなさそうな形容詞を並べたが、二つともシドには適合する。あのように活発に動き回る人がそもそもネクタイピンを使わないのが奇妙なくらいだ。
「先生にはちょうどいいか。タイピンがあったらネクタイを損しなくてすんだだろうし」
「あー、あのネクタイはわたしが貰ったよ」
「直すのか?」
「生地を再利用して小物にするつもり」
ヤマダは「思い出の品になるよ」と付け加える。アレを思い出にしていいものか、と拓馬は心配しつつ席にもどる。不良の件も不審者のことも、これで収まった。平々凡々に過ごせる開放感に浸り、午後の授業を受けた。
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