2018年03月06日
拓馬篇-3章6 ★
公園内をかこむ木々の合間に、背の高い男性が立っている。彼は拓馬たちに歩みよってきた。その人物は色黒で、黒いシャツを着ており、髪色は銀。うたがいようもなく、才穎高校の新任教師である。だが彼はいつもの黄色いサングラスを外していた。青い瞳がはっきり見えるその顔つきは無表情。普段から笑顔が印象的な人だけに、怒っているように拓馬は感じた。
「危険な遊びをしているようですね」
低い声だった。もともと彼の声は低いのだが、いっそう低音に聞こえた。なにせ、拓馬たちは学校側が禁じる乱闘に身を投じている。教師が嫌悪して当然の事態だ。
拓馬は教師の叱責が飛ぶのではないかと戦々恐々する。反対にジモンが「おお、先生か!」と歓声をあげた。この大柄な友はのんきだ。およそ子どもたちの遊びに大人も加わるような認識でいる。そんな状況ではないと察した拓馬はおそるおそる、教師に質問する。
「先生が……石を投げたのか?」
一喝されるだろうか、拓馬は緊張した。しかしシドは「そうです」といつもの調子で答えた。彼はズボンのポケットから紺色のハンカチを出す。
「これで血をぬぐってください」
そのハンカチは拓馬へ差し出される。拓馬は予想外の温情をかけられて、呆然とした。
「あとで病院に行きましょう」
シドは気遣いを受け取ろうとしない拓馬の手に、ハンカチを持たせた。次に彼はヤマダのそばにしゃがむ。ヤマダは千智に膝枕された状態で、地面に横たわっていた。
「ノイさん、オヤマダさんのケガの状態はどうですか」
「ヤマちゃんは頭を打って、気絶して……」
ヤマダは「もうだいじょーぶ」とヘナヘナした声でしゃべった。シドが立ち上がる。
「ではオヤマダさんも病院へ行きましょう。脳の損傷の有無を検査しなくては」
彼は拓馬にくだしたのと同じ善後策を講じた。そして二人に怪我を負わせた張本人を見る。金髪はナイフを手元にもどし、あらたに登場した敵に刃を向けた。彼の闘志はがぜん燃えたぎるようだが、その手はすこし震えていた。
シドは他校の少年から敵意をそそがれている。にも関わらず、彼は堂々と金髪との距離を詰めた。金髪はシドの常識はずれな行動に動揺する。
「お前が……こいつらの教師か?」
金髪が刃物の切っ先をシドに突きつけたまま問う。
「オレをさぐってたヤツか。目的はなんだ」
金髪は嗅ぎ回られたことに気付いていた。拓馬も、シドがそんな活動をしたことは知っていた。
「オレをどうにかしようって腹か?」
シドは再び「そうです」と返答をする。
「ですが、貴方が素行を正せば私はなにもしません」
語勢はやさしいが、内なる強い意志がこもっていた。シドは手のひらを金髪へのばす。
「刃物をこちらに渡してください」
金髪は和平をこばみ、相手へ飛びこむようにナイフを突く。直線的な攻撃を、シドは半身をずらすことでかわした。俊敏な回避だ。しかしその動作に彼のネクタイはついてこれず、大剣部分が半分切れる。シドはネクタイの被害を一瞬見た。次に、なお立ち向かってくる金髪をにらむ。
「人を殺せる道具をまだ使いますか」
このときになってはじめて、温和な教師の怒気が声にあらわれる。
「それ相応の覚悟をしてもらいますよ」
金髪は警告を無視し、武器を突きだす。すると刃物は上空へ舞った。シドの蹴りが、ナイフを持つ金髪の腕に命中したのだ。金髪は腕に二度目の打撃を食らった。その負傷のために痛がる──かと思った瞬間、シドの片手が彼の首を捕まえた。
(先生、なにを……)
拓馬は胸がざわついた。そのいやな予感は的中する。シドは金髪の首をつかんだ状態で、金髪の頭部を持ち上げた。金髪は地面に足がつかない。金髪はシドの手を両手でつかみ、浮いた足をばたつかせている。教師の暴挙に一同は愕然とした。
「先生、やりすぎだ!」
拓馬は制止を呼びかけた。教師は腕を下ろさない。次第に金髪が抵抗する力を失くす。
(体当たりをかますか?)
拓馬は教師の暴走を止めようとした。そのとき、シドのかたく閉じていた口がうごく。
「貴方がいま感じている恐怖は、貴方が刃物を突きつけた相手も感じた恐怖です」
捕縛者が無感情な声で話しはじめた。金髪の体がすこしずつつ下がる。
「その感覚をよく覚えておきなさい」
金髪の足が地面についた。シドの手が彼の首元から離れる。金髪は力なく崩れ落ちた。
拓馬はすぐに金髪の生存確認をする。意識のない少年の鼻と口に手をかざすと、ひかえめな呼吸を感じる。
(よかった、無事だな……)
大事には至らなかった。そうと知れた拓馬は次に、殺人一歩手前まで踏みこんだ大人をキっと見上げる。
「先生、人殺しになるところだったぞ」
「手加減は心得ています。ご心配なく」
シドは拓馬の非難を受け流した。過激なことをしでかしたという反省は見られない。
(先生って、こんなに冷たい人だったか?)
平素の温厚で謙虚な人柄からは信じがたい反応だ。まるで似た容姿の人物が複数いるよう──相手は自身の窮地を救った恩人にも関わらず、拓馬は不信感がつのった。
冷酷な一面をあらわにした男が、地面に刺さったナイフを見た。刃物の柄は空に向かっている。それを彼は踏みつけた。刀身がぱっきり折れる。使い物にならなくなった刃物が地面にころがった。
武器破壊を行なった男は不良少年たちに顔を向ける。うつ伏せに倒れる刈り上げ以外、少年らは体をびくっと震わせる。彼らは完全に戦意を喪失している。
「貴方たちも同じ目に遭いたくなければ、身を正して生きなさい」
もはや畏怖は不要だと思ってか、その声色はやさしげだ。
「貴方たちはいくらでも自分を変えられます」
不良たちは小刻みにうなずく。彼らは金髪のもとに寄り、退散の姿勢をとった。
この場が安全地帯になった、と判断したシドは、ようやく教え子に関心を向ける。
「ケガをした二人は、私と一緒に病院に行きましょう」
青い目はやさしげだ。彼の態度はいつもの温和な教師にもどっている。
「ほかの皆さんは帰宅してください」
教師は生徒らを叱らずに帰すつもりだ。今回の騒動を見なかったことにするのか、と思いきや──
「この件の処分は後々決定します」
彼はきっちり校長に報告するつもりだ。叱責は上司任せ、という判断らしい。
「それまで新たな問題を起こさないよう、お願いします」
シドはおもむろにヤマダに近寄る。千智がヤマダの両肩をつかみ、シドを警戒した。
「オヤマダさんを運びます。私に預からせてください」
千智は彼の笑みにほだされ、はにかみながら手を放した。
シドはヤマダを横抱きにした。彼女はあわてる。それは教師を恐れてではなく、その体勢のはずかしさゆえ。
「こんなことしなくたって、歩けるよ!」
「後遺症があってはご家族に申しわけが立ちません」
金髪への仕打ちとは打って変わっての過保護な主張だ。
「私を助けると思って、言うことを聞いてもらえますか」
ヤマダは口答えをあきらめた。恥をこらえて、お姫様抱っこを受け入れる。千智がぼそっと「いいな~」と羨ましがった。三郎が千智を小突き、「惚《ほう》けたことをぬかすな」と注意した。千智はむくれる。
「なによ、ほんとにそう思ったんだから──」
「無駄口はあとだ。オレたちは撤収するぞ」
三郎はシドの指示を忠実にこなそうとしている。彼の態度は仲間内に伝染し、ジモンが脱いだ服を着始めた。地べたに座っていた千智は服についた砂埃をはらう。三人の帰宅する姿勢を見たシドは温和にほほえみ、公園の外へと歩いた。彼は病院へ向かうつもりだ。それに拓馬は同行せねばならない。
(まずは治療を受けねえとな)
シドを弾劾するのは後回しだ。拓馬はシドの後ろを追う。歩き出してふと、自分の手に持つハンカチの存在に気がつく。清潔感のあるハンカチだ。洗い落としにくい血を付着させるにはしのびない。拓馬は持ち主へ返却を申し出る。両手がふさがるシドが「ポケットに入れてください」と言うのを、素直にしたがった。
「危険な遊びをしているようですね」
低い声だった。もともと彼の声は低いのだが、いっそう低音に聞こえた。なにせ、拓馬たちは学校側が禁じる乱闘に身を投じている。教師が嫌悪して当然の事態だ。
拓馬は教師の叱責が飛ぶのではないかと戦々恐々する。反対にジモンが「おお、先生か!」と歓声をあげた。この大柄な友はのんきだ。およそ子どもたちの遊びに大人も加わるような認識でいる。そんな状況ではないと察した拓馬はおそるおそる、教師に質問する。
「先生が……石を投げたのか?」
一喝されるだろうか、拓馬は緊張した。しかしシドは「そうです」といつもの調子で答えた。彼はズボンのポケットから紺色のハンカチを出す。
「これで血をぬぐってください」
そのハンカチは拓馬へ差し出される。拓馬は予想外の温情をかけられて、呆然とした。
「あとで病院に行きましょう」
シドは気遣いを受け取ろうとしない拓馬の手に、ハンカチを持たせた。次に彼はヤマダのそばにしゃがむ。ヤマダは千智に膝枕された状態で、地面に横たわっていた。
「ノイさん、オヤマダさんのケガの状態はどうですか」
「ヤマちゃんは頭を打って、気絶して……」
ヤマダは「もうだいじょーぶ」とヘナヘナした声でしゃべった。シドが立ち上がる。
「ではオヤマダさんも病院へ行きましょう。脳の損傷の有無を検査しなくては」
彼は拓馬にくだしたのと同じ善後策を講じた。そして二人に怪我を負わせた張本人を見る。金髪はナイフを手元にもどし、あらたに登場した敵に刃を向けた。彼の闘志はがぜん燃えたぎるようだが、その手はすこし震えていた。
シドは他校の少年から敵意をそそがれている。にも関わらず、彼は堂々と金髪との距離を詰めた。金髪はシドの常識はずれな行動に動揺する。
「お前が……こいつらの教師か?」
金髪が刃物の切っ先をシドに突きつけたまま問う。
「オレをさぐってたヤツか。目的はなんだ」
金髪は嗅ぎ回られたことに気付いていた。拓馬も、シドがそんな活動をしたことは知っていた。
「オレをどうにかしようって腹か?」
シドは再び「そうです」と返答をする。
「ですが、貴方が素行を正せば私はなにもしません」
語勢はやさしいが、内なる強い意志がこもっていた。シドは手のひらを金髪へのばす。
「刃物をこちらに渡してください」
金髪は和平をこばみ、相手へ飛びこむようにナイフを突く。直線的な攻撃を、シドは半身をずらすことでかわした。俊敏な回避だ。しかしその動作に彼のネクタイはついてこれず、大剣部分が半分切れる。シドはネクタイの被害を一瞬見た。次に、なお立ち向かってくる金髪をにらむ。
「人を殺せる道具をまだ使いますか」
このときになってはじめて、温和な教師の怒気が声にあらわれる。
「それ相応の覚悟をしてもらいますよ」
金髪は警告を無視し、武器を突きだす。すると刃物は上空へ舞った。シドの蹴りが、ナイフを持つ金髪の腕に命中したのだ。金髪は腕に二度目の打撃を食らった。その負傷のために痛がる──かと思った瞬間、シドの片手が彼の首を捕まえた。
(先生、なにを……)
拓馬は胸がざわついた。そのいやな予感は的中する。シドは金髪の首をつかんだ状態で、金髪の頭部を持ち上げた。金髪は地面に足がつかない。金髪はシドの手を両手でつかみ、浮いた足をばたつかせている。教師の暴挙に一同は愕然とした。
「先生、やりすぎだ!」
拓馬は制止を呼びかけた。教師は腕を下ろさない。次第に金髪が抵抗する力を失くす。
(体当たりをかますか?)
拓馬は教師の暴走を止めようとした。そのとき、シドのかたく閉じていた口がうごく。
「貴方がいま感じている恐怖は、貴方が刃物を突きつけた相手も感じた恐怖です」
捕縛者が無感情な声で話しはじめた。金髪の体がすこしずつつ下がる。
「その感覚をよく覚えておきなさい」
金髪の足が地面についた。シドの手が彼の首元から離れる。金髪は力なく崩れ落ちた。
拓馬はすぐに金髪の生存確認をする。意識のない少年の鼻と口に手をかざすと、ひかえめな呼吸を感じる。
(よかった、無事だな……)
大事には至らなかった。そうと知れた拓馬は次に、殺人一歩手前まで踏みこんだ大人をキっと見上げる。
「先生、人殺しになるところだったぞ」
「手加減は心得ています。ご心配なく」
シドは拓馬の非難を受け流した。過激なことをしでかしたという反省は見られない。
(先生って、こんなに冷たい人だったか?)
平素の温厚で謙虚な人柄からは信じがたい反応だ。まるで似た容姿の人物が複数いるよう──相手は自身の窮地を救った恩人にも関わらず、拓馬は不信感がつのった。
冷酷な一面をあらわにした男が、地面に刺さったナイフを見た。刃物の柄は空に向かっている。それを彼は踏みつけた。刀身がぱっきり折れる。使い物にならなくなった刃物が地面にころがった。
武器破壊を行なった男は不良少年たちに顔を向ける。うつ伏せに倒れる刈り上げ以外、少年らは体をびくっと震わせる。彼らは完全に戦意を喪失している。
「貴方たちも同じ目に遭いたくなければ、身を正して生きなさい」
もはや畏怖は不要だと思ってか、その声色はやさしげだ。
「貴方たちはいくらでも自分を変えられます」
不良たちは小刻みにうなずく。彼らは金髪のもとに寄り、退散の姿勢をとった。
この場が安全地帯になった、と判断したシドは、ようやく教え子に関心を向ける。
「ケガをした二人は、私と一緒に病院に行きましょう」
青い目はやさしげだ。彼の態度はいつもの温和な教師にもどっている。
「ほかの皆さんは帰宅してください」
教師は生徒らを叱らずに帰すつもりだ。今回の騒動を見なかったことにするのか、と思いきや──
「この件の処分は後々決定します」
彼はきっちり校長に報告するつもりだ。叱責は上司任せ、という判断らしい。
「それまで新たな問題を起こさないよう、お願いします」
シドはおもむろにヤマダに近寄る。千智がヤマダの両肩をつかみ、シドを警戒した。
「オヤマダさんを運びます。私に預からせてください」
千智は彼の笑みにほだされ、はにかみながら手を放した。
シドはヤマダを横抱きにした。彼女はあわてる。それは教師を恐れてではなく、その体勢のはずかしさゆえ。
「こんなことしなくたって、歩けるよ!」
「後遺症があってはご家族に申しわけが立ちません」
金髪への仕打ちとは打って変わっての過保護な主張だ。
「私を助けると思って、言うことを聞いてもらえますか」
ヤマダは口答えをあきらめた。恥をこらえて、お姫様抱っこを受け入れる。千智がぼそっと「いいな~」と羨ましがった。三郎が千智を小突き、「惚《ほう》けたことをぬかすな」と注意した。千智はむくれる。
「なによ、ほんとにそう思ったんだから──」
「無駄口はあとだ。オレたちは撤収するぞ」
三郎はシドの指示を忠実にこなそうとしている。彼の態度は仲間内に伝染し、ジモンが脱いだ服を着始めた。地べたに座っていた千智は服についた砂埃をはらう。三人の帰宅する姿勢を見たシドは温和にほほえみ、公園の外へと歩いた。彼は病院へ向かうつもりだ。それに拓馬は同行せねばならない。
(まずは治療を受けねえとな)
シドを弾劾するのは後回しだ。拓馬はシドの後ろを追う。歩き出してふと、自分の手に持つハンカチの存在に気がつく。清潔感のあるハンカチだ。洗い落としにくい血を付着させるにはしのびない。拓馬は持ち主へ返却を申し出る。両手がふさがるシドが「ポケットに入れてください」と言うのを、素直にしたがった。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く