2018年02月23日
拓馬篇−3章2 ☆
休みが明け、拓馬は中間テストの真っ只中にいた。最後の科目は拓馬の苦手とする古典だ。この時限の試験監督は銀髪の英語教師。彼は教卓の椅子に座っていた。その教師がやおら席を立つ。彼は教室の後方へすすみ、拓馬の視界から外れた。
「はい、どうぞ」
男子生徒の謝辞が聞こえた。落とした筆記用具をシドが拾ったようだ。試験中は生徒が勝手に席を離れてはいけない規則があり、そのために監督者が適宜対処する。雑用を終えた教師はすぐ教卓にもどる、はずだった。
教室中に鈍い音が響く。拓馬が教師の所在をさがすと、いつも高い位置にある銀髪が、生徒の机と同じくらいの高さにあった。
「失礼! つまづいてしまいました」
弱るのは髪の色素だけで充分、と軽口を述べながら彼は立ちあがった。教師が鎮座すると試験は再開する。無事終わると答案が最後列の席から前へと渡った。それらの紙束をシドが回収する。
「皆さん、お疲れさまです。結果は後日、授業で」
監督者は教室を出た。拓馬はさっさと帰り支度をする。その最中にヤマダが来たので話しかける。
「これでテストが終わったな。最終日も半日で帰れるのはいい」
「タッちゃん、いまから暇ある?」
「答えの確認でもするのか?」
「シド先生、あのまんまだと本当に倒れそう。一緒に帰るように誘ってみるから、タッちゃんも付き添ってくれる?」
ヤマダは教師の転倒を一時の不注意として見過ごす気がない。拓馬は先日、シドが疲労ぎみであったのを思い出した。だが、それとさきほどのつまづきに強い関連性があるだろうか。
「こけたくらいで大げさな」
「タッちゃんは先生の顔を見てないからだよ」
「そんなにつらそうだったか?」
ヤマダが二度うなずいた。彼女は本気である。
「帰る道中に先生が倒れたら二人で運ぼう。とにかく、話をつけてくる!」
ヤマダとそのお守りの白い狐が教室を走り出た。拓馬が廊下に行ってみると、答案の束を持つシドが他の女子生徒に捕まっていた。女子らに解放された後、ヤマダが声をかける。会話は拓馬に聞こえない。
「あれ、帰らないの?」
千智が拓馬に話しかけてきた。彼女は自身の鞄を持っている。
「ヤマダがシド先生を早く帰らせようとしてるんだ。それが終わるのを待ってる」
千智はヤマダと教師のやり取りに目を向ける。
「先生がさっき転んだから?」
「ああ、放っておいたら先生が倒れるって……」
「まあ、ヘンといったらヘンよね。三郎の攻撃を全部かわせる人が、なにもない床でつまづくなんて」
三郎が徒手でシドに挑む様子を拓馬も遠巻きに見たおぼえがある。終始じっくり観戦したわけではないが、避ける動作中に足がふらつくところは見せなかった。今日は本当に、調子をくずしているのかもしれない。
「あ! 危ない!」
千智は鞄をその場に放りすてた。なにか異変が起きたのだ。
(まさか先生がたおれて……)
拓馬は千智の背を追いかけるように走る。進行方向にいる大柄な教師は、女子生徒にもたれかかっていた。小柄な生徒は教師の体を支えきれない。両者が体勢を崩す。大きな音が廊下に響く。拓馬たちが駆け寄った時にはすでに二人が倒れ、教師は生徒に覆い被さっていた。
「先生、どうしたの! ヤマちゃんが潰れちゃう!」
千智が彼らの耳元でさけんだ。教師の意識はなく、下敷きになった生徒も反応がない。さいわい生徒の後頭部は教師の右手で守られてあった。次なる懸念はヤマダの安静だ。
拓馬は「先生をどかすぞ」と宣言した。ヤマダの上半身だけでも負荷を取り除かなくては。そう判断して教師の肩を押そうとした時、教師が目を開ける。倒れた時の衝撃でサングラスはずり落ちており、青色の目が露わになる。
「シド先生、気がついた?」
千智が意識確認の言葉を投げかける。返答するより先にシドは上半身を起こした。答案用紙の束をもつ左手で体を支え、ヤマダの体の上から離れる。左手でヤマダの頭を持ち上げると、彼女の頭を庇護した右手が自由になる。
「……無様なところをお見せしました」
シドは座位に体勢を変えながらつぶやいた。いたって冷静に、落ちかかったサングラスをかけなおす。彼は立膝をつき、ヤマダの肩と腿の裏に腕を通す。
「オヤマダさんを保健室へ運びます。ネギシさんは答案を職員室へ届けてくれますか?」
いましがた昏倒した男が、気絶中の女子を運ぼうとしている。その無謀な行為を拓馬は受け入れられない。
「俺がヤマダを運ぶよ。先生は早く帰ったほうがいい」
「私は平気です。もうなんともありません」
シドがヤマダの上体を起こす。するとヤマダが目覚め、拓馬と目が合う。
「……あれ? 学校?」
次にヤマダは自身の体を支える者の顔を見ると硬直した。反対にシドは笑みを浮かべる。
「痛いところはありませんか?」
ヤマダは視線をそらして「えっと……」と口ごもった。状況がまだ飲みこめないらしく、返答に窮している。そこへ慌ただしく廊下を駆ける音が近づいてきた。
「おい! 先生が倒れたって……」
拓馬らの担任の教師が騒ぎを聞きつけたようだ。本摩はシドと生徒たちを見て、ぽかんとする。
「小山田が倒れた、のか?」
本摩は自分の知る情報と目の前の光景との相違に困惑していた。シドはヤマダから手を放し、立ち上がる。
「私がオヤマダさんを巻きこんで倒れました。お騒がせして申し訳ありません」
「どうして倒れたんだ?」
「ただの疲労です。ご心配には及びません」
「そうか。それなら今日は早退しなさい」
「そこまでは……」
「明日も休んでおきなさい。意識を失うなんて只事じゃないぞ。そんな調子で学校にいて、また生徒に心配をかけさせたいのか?」
本摩にはめずらしい、高圧的な物言いだった。新人の教師は反論ができない。
「俺がほかの先生たちに話をつけておく。いいね?」
若い教師は「はい」と承諾した。本摩は落ちた答案用紙の束を拾い、生徒に話しかける。
「根岸、小山田の面倒を頼むぞ」
「わかってます」
「野依、今日のことをあまり言いふらすんじゃないぞ」
「あたしに言うことがそれですか?」
口の軽い者扱いを受けた千智は口をとがらせた。本摩はにっこり笑って「なぁに、ただの冗談だ」とはぐらかす。同じ表情のまま、本摩がシドに顔をむける。
「シド先生が頑張り屋なのはみんなわかっているよ。あとのことは俺に任せてほしい」
ついさっきシドにぶつけた態度と一転して、柔和な言い方だ。優しく言うだけでは真面目すぎるシドが納得しないと判断したのだろう。拓馬は本摩の話術に感心した。
教師二人が職員室へもどる。その後姿を見た拓馬たちも帰宅することにした。ヤマダはシドへの心配が抜けない様子だったが、本人がもう平気だと言ったことを拓馬がさとし、二人はそのまま一緒に帰った。
「はい、どうぞ」
男子生徒の謝辞が聞こえた。落とした筆記用具をシドが拾ったようだ。試験中は生徒が勝手に席を離れてはいけない規則があり、そのために監督者が適宜対処する。雑用を終えた教師はすぐ教卓にもどる、はずだった。
教室中に鈍い音が響く。拓馬が教師の所在をさがすと、いつも高い位置にある銀髪が、生徒の机と同じくらいの高さにあった。
「失礼! つまづいてしまいました」
弱るのは髪の色素だけで充分、と軽口を述べながら彼は立ちあがった。教師が鎮座すると試験は再開する。無事終わると答案が最後列の席から前へと渡った。それらの紙束をシドが回収する。
「皆さん、お疲れさまです。結果は後日、授業で」
監督者は教室を出た。拓馬はさっさと帰り支度をする。その最中にヤマダが来たので話しかける。
「これでテストが終わったな。最終日も半日で帰れるのはいい」
「タッちゃん、いまから暇ある?」
「答えの確認でもするのか?」
「シド先生、あのまんまだと本当に倒れそう。一緒に帰るように誘ってみるから、タッちゃんも付き添ってくれる?」
ヤマダは教師の転倒を一時の不注意として見過ごす気がない。拓馬は先日、シドが疲労ぎみであったのを思い出した。だが、それとさきほどのつまづきに強い関連性があるだろうか。
「こけたくらいで大げさな」
「タッちゃんは先生の顔を見てないからだよ」
「そんなにつらそうだったか?」
ヤマダが二度うなずいた。彼女は本気である。
「帰る道中に先生が倒れたら二人で運ぼう。とにかく、話をつけてくる!」
ヤマダとそのお守りの白い狐が教室を走り出た。拓馬が廊下に行ってみると、答案の束を持つシドが他の女子生徒に捕まっていた。女子らに解放された後、ヤマダが声をかける。会話は拓馬に聞こえない。
「あれ、帰らないの?」
千智が拓馬に話しかけてきた。彼女は自身の鞄を持っている。
「ヤマダがシド先生を早く帰らせようとしてるんだ。それが終わるのを待ってる」
千智はヤマダと教師のやり取りに目を向ける。
「先生がさっき転んだから?」
「ああ、放っておいたら先生が倒れるって……」
「まあ、ヘンといったらヘンよね。三郎の攻撃を全部かわせる人が、なにもない床でつまづくなんて」
三郎が徒手でシドに挑む様子を拓馬も遠巻きに見たおぼえがある。終始じっくり観戦したわけではないが、避ける動作中に足がふらつくところは見せなかった。今日は本当に、調子をくずしているのかもしれない。
「あ! 危ない!」
千智は鞄をその場に放りすてた。なにか異変が起きたのだ。
(まさか先生がたおれて……)
拓馬は千智の背を追いかけるように走る。進行方向にいる大柄な教師は、女子生徒にもたれかかっていた。小柄な生徒は教師の体を支えきれない。両者が体勢を崩す。大きな音が廊下に響く。拓馬たちが駆け寄った時にはすでに二人が倒れ、教師は生徒に覆い被さっていた。
「先生、どうしたの! ヤマちゃんが潰れちゃう!」
千智が彼らの耳元でさけんだ。教師の意識はなく、下敷きになった生徒も反応がない。さいわい生徒の後頭部は教師の右手で守られてあった。次なる懸念はヤマダの安静だ。
拓馬は「先生をどかすぞ」と宣言した。ヤマダの上半身だけでも負荷を取り除かなくては。そう判断して教師の肩を押そうとした時、教師が目を開ける。倒れた時の衝撃でサングラスはずり落ちており、青色の目が露わになる。
「シド先生、気がついた?」
千智が意識確認の言葉を投げかける。返答するより先にシドは上半身を起こした。答案用紙の束をもつ左手で体を支え、ヤマダの体の上から離れる。左手でヤマダの頭を持ち上げると、彼女の頭を庇護した右手が自由になる。
「……無様なところをお見せしました」
シドは座位に体勢を変えながらつぶやいた。いたって冷静に、落ちかかったサングラスをかけなおす。彼は立膝をつき、ヤマダの肩と腿の裏に腕を通す。
「オヤマダさんを保健室へ運びます。ネギシさんは答案を職員室へ届けてくれますか?」
いましがた昏倒した男が、気絶中の女子を運ぼうとしている。その無謀な行為を拓馬は受け入れられない。
「俺がヤマダを運ぶよ。先生は早く帰ったほうがいい」
「私は平気です。もうなんともありません」
シドがヤマダの上体を起こす。するとヤマダが目覚め、拓馬と目が合う。
「……あれ? 学校?」
次にヤマダは自身の体を支える者の顔を見ると硬直した。反対にシドは笑みを浮かべる。
「痛いところはありませんか?」
ヤマダは視線をそらして「えっと……」と口ごもった。状況がまだ飲みこめないらしく、返答に窮している。そこへ慌ただしく廊下を駆ける音が近づいてきた。
「おい! 先生が倒れたって……」
拓馬らの担任の教師が騒ぎを聞きつけたようだ。本摩はシドと生徒たちを見て、ぽかんとする。
「小山田が倒れた、のか?」
本摩は自分の知る情報と目の前の光景との相違に困惑していた。シドはヤマダから手を放し、立ち上がる。
「私がオヤマダさんを巻きこんで倒れました。お騒がせして申し訳ありません」
「どうして倒れたんだ?」
「ただの疲労です。ご心配には及びません」
「そうか。それなら今日は早退しなさい」
「そこまでは……」
「明日も休んでおきなさい。意識を失うなんて只事じゃないぞ。そんな調子で学校にいて、また生徒に心配をかけさせたいのか?」
本摩にはめずらしい、高圧的な物言いだった。新人の教師は反論ができない。
「俺がほかの先生たちに話をつけておく。いいね?」
若い教師は「はい」と承諾した。本摩は落ちた答案用紙の束を拾い、生徒に話しかける。
「根岸、小山田の面倒を頼むぞ」
「わかってます」
「野依、今日のことをあまり言いふらすんじゃないぞ」
「あたしに言うことがそれですか?」
口の軽い者扱いを受けた千智は口をとがらせた。本摩はにっこり笑って「なぁに、ただの冗談だ」とはぐらかす。同じ表情のまま、本摩がシドに顔をむける。
「シド先生が頑張り屋なのはみんなわかっているよ。あとのことは俺に任せてほしい」
ついさっきシドにぶつけた態度と一転して、柔和な言い方だ。優しく言うだけでは真面目すぎるシドが納得しないと判断したのだろう。拓馬は本摩の話術に感心した。
教師二人が職員室へもどる。その後姿を見た拓馬たちも帰宅することにした。ヤマダはシドへの心配が抜けない様子だったが、本人がもう平気だと言ったことを拓馬がさとし、二人はそのまま一緒に帰った。
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