2018年02月04日
拓馬篇−2章3 ☆
3
本日は授業が午前中で終わる土曜補習。平日より早く放課になる。その開放感により、生徒らは活気づくのが常だった。しかし拓馬がいつも通りに登校すると、室内に異質な空気がただよっていた。話す生徒同士の顔には不安の色が出ている。楽しげな雰囲気はまるでない。
(テストでもやるのか?)
成績にかかわる授業がこれから始まるのであれば、彼らの心がざわつく状況はもっともらしい。しかし拓馬はそんな事前情報を聞いていなかった。そこで拓馬は会話中のヤマダと千智に、変事の有無を尋ねた。
「今日はなんかあったっけ?」
一番に反応したのは千智だ。彼女はにらむように拓馬を直視する。
「あったのは昨日! 昨日の夜に襲われた生徒がいるんだって」
凶悪な事件とは無縁な地域らしからぬ出来事だ。拓馬は半信半疑で問う。
「襲われたぁ? 誰が?」
「うちのクラスのスケコマシよ。転校してきたばっかりなのに運が悪いわね」
「襲われて、どうなったんだ? 学校には来れるのか」
被害にも程度がある。軽傷ですむ場合から心に深いトラウマを植えつけられる場合まで。成石の被害状況がいかほどか、拓馬は被害者に思い入れは無いながらも心配になった。
噂をすれば問題の本人が入室してきた。成石は教室にいる生徒の視線を一身に集める。その注目が快感なのか、成石は得意気に笑んだ。
(なんだ、元気そうだな)
拓馬はあきれ、数秒前に感じた情をかなぐり捨てた。お騒がせなやつだと、かるい怒りすら芽生える。拓馬は彼の不興を買えるであろう無視を決めこんだ。
拓馬の反抗とは反対に、ヤマダがどの生徒よりも先に動く。
「ナルくん、ケガはないの? 昨晩に一悶着あったらしいけど」
「なあに平気さ。いままで僕のことを心配していたのかい?」
ヤマダは素っ気なく「ううん」と言う。
「それよか、どんな相手に襲われたのかが気になる」
「そこは余計なことを言わずに『心配してた』と言ってくれてもいいじゃないか」
成石は大げさに落胆してみせた。しかしヤマダは成石をまったく案じなかったわけではないと、長年の交流のある拓馬にはわかっていた。あまり情けを見せては気があると勘違いされる、と考えたすえの応対だろう。
本摩が定刻より早く教室に入ってきた。担任の教師が成石の姿を認める。
「お? 成石が来ているな。遅刻すると聞いたんだが、その様子じゃ大丈夫そうか」
「僕は体を鍛えていますから、なんてことありませんよ」
「トレーニングもほどほどにな。危険な目に遭ってまで体力作りをするもんじゃない」
本摩は成石の身をいたわったあと、教室全体を見渡し、神妙な顔を見せる。
「あー……実は昨晩、ランニング中の成石が何者かに気絶させられてな。今後、同じ被害が続くかもしれん。みんな、夜の一人歩きは控えるよーに」
言い終えると本摩は須坂を見た。須坂は顔をそらす。教師の視線はたしかに女子生徒へむかったはずだが、その隣席にいる三郎が大きなリアクションをとった。
「先生! この襲撃事件は今回が初めてでしょうか?」
挙手しながらの質問だった。本摩は首をひねる。
「わからん。前例があれば警察が知ってるだろうが、そんなことを聞いてどうする?」
「もちろん、不届き者を成敗して──」
「まえに不良連中とモメたのを忘れたか?」
拓馬たちは以前、デパートの一画を占領する不良たちを立ちのかせるため、彼らと争った。この件はどこから漏れたのか校長に知られ、拓馬たちは反省文を書かされていた。本摩はそのことを言っている。
「問題を起こすと校長が黙っていないぞ」
三郎はがたっと椅子をずらし、立ち上がる。
「では、悪人の好き放題にさせておけと?」
「そうは言わんよ。お前たちが危ない思いをする必要はないだけだ」
「我らの力を合わせれば不審者など!」
三郎は「なあジモン、拓馬!」と前回の戦友に呼びかけた。ジモンというあだ名の大柄な男子は「おう!」と握りこぶしをつくる。対照的に拓馬は「俺も?」と他人事のように答えた。中年の教師は三者三様の生徒を見回す。
「正義感が強くて結構だ。でもな、来月に中間テストがあって、その後には体育祭が控えている。体力自慢のお前たちが万一ケガで欠場したんじゃ、クラスのみんなも面白くないだろう。犯人捜しはそのあとにするんだな」
本摩は生徒の犯人捜索を引きとめなかった。起きた事件が一過性の出来事だと信じてか、生徒を止めても無駄だと思ったか、いずれにせよ現状は無難な説得だった。
三郎はさきほどの勢いが削がれ、「わかりました」と言って、大人しく着席した。三郎の勝手な行動はクラス全体の迷惑になりうる、との可能性を聞いて、三郎は我を通しにくくなったのだろう。
「素直でよろしい。それじゃ、授業をやるぞ」
本摩は話題を切り替えた。事件のない日と変わらぬ要領で、英語の授業を執る。だが拓馬の意識はなお事件に留まった。その解決ができそうな助っ人に思いを馳せる。
(このこと、シズカさんに言ってみようか)
その予定を頭の片隅に置いておきながら、拓馬は授業に集中した。
本日は授業が午前中で終わる土曜補習。平日より早く放課になる。その開放感により、生徒らは活気づくのが常だった。しかし拓馬がいつも通りに登校すると、室内に異質な空気がただよっていた。話す生徒同士の顔には不安の色が出ている。楽しげな雰囲気はまるでない。
(テストでもやるのか?)
成績にかかわる授業がこれから始まるのであれば、彼らの心がざわつく状況はもっともらしい。しかし拓馬はそんな事前情報を聞いていなかった。そこで拓馬は会話中のヤマダと千智に、変事の有無を尋ねた。
「今日はなんかあったっけ?」
一番に反応したのは千智だ。彼女はにらむように拓馬を直視する。
「あったのは昨日! 昨日の夜に襲われた生徒がいるんだって」
凶悪な事件とは無縁な地域らしからぬ出来事だ。拓馬は半信半疑で問う。
「襲われたぁ? 誰が?」
「うちのクラスのスケコマシよ。転校してきたばっかりなのに運が悪いわね」
「襲われて、どうなったんだ? 学校には来れるのか」
被害にも程度がある。軽傷ですむ場合から心に深いトラウマを植えつけられる場合まで。成石の被害状況がいかほどか、拓馬は被害者に思い入れは無いながらも心配になった。
噂をすれば問題の本人が入室してきた。成石は教室にいる生徒の視線を一身に集める。その注目が快感なのか、成石は得意気に笑んだ。
(なんだ、元気そうだな)
拓馬はあきれ、数秒前に感じた情をかなぐり捨てた。お騒がせなやつだと、かるい怒りすら芽生える。拓馬は彼の不興を買えるであろう無視を決めこんだ。
拓馬の反抗とは反対に、ヤマダがどの生徒よりも先に動く。
「ナルくん、ケガはないの? 昨晩に一悶着あったらしいけど」
「なあに平気さ。いままで僕のことを心配していたのかい?」
ヤマダは素っ気なく「ううん」と言う。
「それよか、どんな相手に襲われたのかが気になる」
「そこは余計なことを言わずに『心配してた』と言ってくれてもいいじゃないか」
成石は大げさに落胆してみせた。しかしヤマダは成石をまったく案じなかったわけではないと、長年の交流のある拓馬にはわかっていた。あまり情けを見せては気があると勘違いされる、と考えたすえの応対だろう。
本摩が定刻より早く教室に入ってきた。担任の教師が成石の姿を認める。
「お? 成石が来ているな。遅刻すると聞いたんだが、その様子じゃ大丈夫そうか」
「僕は体を鍛えていますから、なんてことありませんよ」
「トレーニングもほどほどにな。危険な目に遭ってまで体力作りをするもんじゃない」
本摩は成石の身をいたわったあと、教室全体を見渡し、神妙な顔を見せる。
「あー……実は昨晩、ランニング中の成石が何者かに気絶させられてな。今後、同じ被害が続くかもしれん。みんな、夜の一人歩きは控えるよーに」
言い終えると本摩は須坂を見た。須坂は顔をそらす。教師の視線はたしかに女子生徒へむかったはずだが、その隣席にいる三郎が大きなリアクションをとった。
「先生! この襲撃事件は今回が初めてでしょうか?」
挙手しながらの質問だった。本摩は首をひねる。
「わからん。前例があれば警察が知ってるだろうが、そんなことを聞いてどうする?」
「もちろん、不届き者を成敗して──」
「まえに不良連中とモメたのを忘れたか?」
拓馬たちは以前、デパートの一画を占領する不良たちを立ちのかせるため、彼らと争った。この件はどこから漏れたのか校長に知られ、拓馬たちは反省文を書かされていた。本摩はそのことを言っている。
「問題を起こすと校長が黙っていないぞ」
三郎はがたっと椅子をずらし、立ち上がる。
「では、悪人の好き放題にさせておけと?」
「そうは言わんよ。お前たちが危ない思いをする必要はないだけだ」
「我らの力を合わせれば不審者など!」
三郎は「なあジモン、拓馬!」と前回の戦友に呼びかけた。ジモンというあだ名の大柄な男子は「おう!」と握りこぶしをつくる。対照的に拓馬は「俺も?」と他人事のように答えた。中年の教師は三者三様の生徒を見回す。
「正義感が強くて結構だ。でもな、来月に中間テストがあって、その後には体育祭が控えている。体力自慢のお前たちが万一ケガで欠場したんじゃ、クラスのみんなも面白くないだろう。犯人捜しはそのあとにするんだな」
本摩は生徒の犯人捜索を引きとめなかった。起きた事件が一過性の出来事だと信じてか、生徒を止めても無駄だと思ったか、いずれにせよ現状は無難な説得だった。
三郎はさきほどの勢いが削がれ、「わかりました」と言って、大人しく着席した。三郎の勝手な行動はクラス全体の迷惑になりうる、との可能性を聞いて、三郎は我を通しにくくなったのだろう。
「素直でよろしい。それじゃ、授業をやるぞ」
本摩は話題を切り替えた。事件のない日と変わらぬ要領で、英語の授業を執る。だが拓馬の意識はなお事件に留まった。その解決ができそうな助っ人に思いを馳せる。
(このこと、シズカさんに言ってみようか)
その予定を頭の片隅に置いておきながら、拓馬は授業に集中した。
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