2018年06月20日
拓馬篇−6章6 ☆
休み明けの放課後、拓馬は数人のクラスメイトとともに空き教室へ移動した。集合目的はヤマダの大男捕獲作戦を聴講すること。同席者にはヤマダが協力を打診した須坂もいる。意外にも、須坂はあっさり承諾したという。彼女は大男が自分を守る理由を気にしていたので、その思いをヤマダが汲みとれたようだ。
そのほかの聴講者は二人いる。こういった計画には確実に関わる三郎と、その日は参加できるか未確定なジモンも面白がってついてきた。性格的に参加しそうだった千智は今回欠席する。彼女は親に夜の外出を禁止されているという。そのせいで計画に加われないそうだ。
もうひとり、拓馬らとは別の目的でついてくる者がいた。拓馬とヤマダの古馴染みの、痩身長躯な男子。椙守は空き教室を目前にして立ち止まる。彼は教室側の廊下の壁に寄りかかり、参考書を開いた。
椙守はヤマダに「だれもこないように見張ってて」と言われていた。彼は勉強がてら依頼を遂行するつもりだ。だが廊下は生徒たちの話し声や生活音のせいで、勉学に没頭しづらい環境だ。この状況に身を置くことは彼にとって不利益である。こんなしょうもない頼みごとは断ってもよいだろうに、妙に付き合いのいいやつだ。
(ほれた弱み、か?)
と、表現するのが適切かどうか、拓馬にはわからない。椙守がヤマダに変わった感情を抱いている、とだけ拓馬は感じていた。純粋にヤマダを友人として見ている三郎やジモンとはどこかちがうのだ。
だがそれも時間の問題だ。椙守には彼の知性を好く女子生徒がいる。いまは彼がその女子の思いを知らずにいるものの、いずれそちらになびく時がいる──その拓馬の考えはヤマダも同調している。ヤマダはそうなるのがよいとも言っている。椙守は昔と変わらない、親しい友人。いまの関係がちょうどよいのだ。
椙守を廊下にのこし、拓馬たちは無人の教室に入る。ヤマダは教卓の上に作戦資料の入った紙袋を置いた。ほかの生徒はめいめいに自由席につく。
ヤマダは一枚の大きい紙を広げた。その紙は片面に絵や文字が印刷されている。もとはカレンダーのようだ。
ヤマダは裏紙を再利用した資料を黒板に当てた。紙の四隅を磁石で留める。紙には簡略化された地図が描かれている。地図上の四角い図形の中には、駅と公園とアパートの文字が書かれてあった。
「金曜日の夜に大男さんを捕まえる計画を発表します。順を追って説明するねー」
参謀が紙の上に磁石を追加していく。あらたに使う磁石には、表に字を書いた紙が貼ってあった。ヤマダは「父」と書いた磁石をつまみながらしゃべる。
「この日はうちのオヤジが駅前の飲み屋で酒を飲みます。いっしょに飲む人は昔の仕事仲間のジュンさんです。ジュンさんにお願いして、オヤジは酔っぱらった状態にさせます。そして公園のトイレ近くのベンチにオヤジを放置してもらう予定です」
父磁石が駅から公園へ移動する。次にアパートの上にある「美」と書かれた磁石も公園にうごく。
「美弥ちゃんにはお姉さんを迎えにいくふりをしつつ、公園のトイレにむかってもらいます。この時に身に着けてほしいのがこのバンダナ!」
ヤマダはちいさくたたんだ水色の布を美弥に手渡す。美弥は両手で布をためつすがめつ眺める。
「これを、どうするの?」
「頭巾にするよ、こうやって」
ヤマダは美弥に渡したものと同じ布をあらたに出した。布を大きく三角に折り、頭に覆う。布のはじをうなじのあたりでむすぶと、頭巾になった。
「オヤジにはまえもって『わたしが水色のバンダナを被っていく』と教えておきます。美弥ちゃんがこのバンダナを着けたら、酔ってるオヤジは美弥ちゃんをわたしだと勘違いします」
「ノブさんが須坂に絡んできたら、大男が助けにくるっていう寸法か?」
ヤマダは拓馬の予想にうなずく。
「それが一番いい『甲』の作戦ね。わたしたちは公園で待機してて、大男さんが現れたらファイト!」
次に武田信玄の絵が印刷された磁石が紙上にあらわれた。磁石のセンスが謎だ。
「信玄の磁石はどういう意味か、聞いていいか?」
「大男さんのぶんの磁石です。絵柄はわたしの趣味!」
「わかった、スルーする。んで、『一番いい作戦』ってことは、ほかにも案があるのか?」
ヤマダは頭巾をぬぎながら「案ってほどでもないんだけど」と答える。
「予定通りにうごいてくれないのがオヤジの困ったところでね。作戦実行中に、オヤジは公園で寝るかもしれない」
ノブが美弥と接触してこなければ計画は成り立たない。イレギュラーが発生した場合の対処法を、ヤマダが説明していく。
「そのときは美弥ちゃんが酔っぱらいを心配する通行人になりきって、オヤジを叩き起こしてください。起きたらきっと美弥ちゃんを自分の娘だと勘違いするから。これが『乙』の作戦」
「ノブさんが起きなかったり、公園で待っていなかったりしたらどーするんだよ?」
「そしたら美弥ちゃんはいっぺん駅にむかいます。その途中でわたしが美弥ちゃんに電話をかけます。会話内容は、お姉さんの都合が悪くなって今日は来れない、という感じです。適当にしゃべったら、アパートに帰りましょう。これが『丙』の作戦」
「作戦というか、失敗したときの事後処理だな」
「そうだね。ほかの失敗原因は……オヤジ以外の人が美弥ちゃんに絡むこと」
その事態がもっとも危険だ。ノブが美弥を自分の娘と見誤ることにさしたる不安要素はないが、計画にくみしない他人ではどううごくか、予測不能だ。
「それも厄介なタイミングは美弥ちゃんが公園に向かう道中か、『丙』作戦実行中。このときに大男が出ても出なくても、美弥ちゃんはわたしに連絡してください。知らせがきたらみんなで助けに行くので、それまで耐えてください」
「私にどう耐えろと言うの?」
「基本的に公園にむかうように逃げてね。だれかひとりは公園にいるようにするから」
ヤマダは教卓の上に数枚置いてあるメモの中から一枚を取る
「美弥ちゃんの任務をまとめておいたよ」
須坂はそのメモを受け取り、じっくり見た。ヤマダの講釈は続く。
「順調にオヤジが美弥ちゃんに絡んできても、大男さんが現れない可能性もある。これも作戦失敗。そうなったらあきらめて解散しましょう。説明は以上!」
ヤマダが話し終えた。口をつぐんでいた三郎が挙手する。
「その計画において、お前の父君が例の男に倒される危険がある。それでもいいのか?」
ヤマダは片手をぷらぷらふって「へーきへーき」と安請け合いする。
「うちのオヤジは殺したって死なないよ」
「あの男は他人を傷つける意思がないようだから、各自の負傷は心配していない。オレが言いたいのは、気絶した父君がちゃんと帰宅できるかどうかだ」
三郎の憂慮は作戦の成否に関わらずつきまとってくる事柄だ。ノブが大男に襲われなかったとしても、公園で熟睡するおそれがある。酒が入った状態では朝まで野宿もありうる。
「聞くところによると、お前の父はジモンと体つきが似ているそうじゃないか。意識のない大柄な男性を運ぶとなると、オレの手に余るおそれがある」
ジモンが「ノブさんはわしより重いかもなあ」と補足した。ヤマダはひらひら手をふる。
「いーのいーの。最悪、オヤジを野宿させていいんです。そのうち目がさめたら帰るよ」
ヤマダは身内をぞんざいに扱う前提でいる。三郎はヤマダの揺るがない不孝心を知り、あきらめたようにうなずく。
「お前がいいと言うのなら、オレから言うことはない。……その作戦に乗ろう!」
質問をおえた三郎が聴講人のジモンに顔を向ける。
「して、ジモンは当日、家の手伝いがあるんじゃないのか?」
「店にノブさんがおらんし、わしは出れんかもな」
「となると、オレと拓馬の二人で捕縛を試みるのか」
ヤマダが「いや四人だよ」と異をはさんだ。三郎は首をかしげる。
「四人? ひとりはお前だとして……ほかはだれだ?」
この疑問には拓馬が補足する。
「もうひとり協力してくれる人がいるんだ。ノブさんの友だちで、ジュンさんっていう」
「ヤマダの説明に出てきた、父君の飲み友達か?」
「ああ、その人だ。ジュンさんはかなり強いぞ。拳法とか暗器の使い手で──」
三郎の目が光る。
「なに? そんな知人がいたのか」
「あ、あぁ……いつも仕事で会えないんだけど、ときたまヤマダんちに遊びにくるんだ」
「ほう! 機会があれば手合せねがいたいな」
「この件が片付いたらな。それで、ジュンさんはどううごく予定なんだ?」
拓馬は省略された解説をヤマダに問う。ヤマダがメモを片手に「うーんとね」と言う。
「ジュンさんがオヤジを公園においてったあと、しばらく駅のほうに行くふりをして、その道中で待機。大男さんが出たらわたしがジュンさんに連絡して、公園にきてもらう」
「ジュンさんは公園にいない予定なんだな」
「うん。そのほうが大男さんの裏を突けるかなーと思って」
まるで公園で張り込む人員が大男に筒抜けであるかのような口ぶりだ。拓馬はヤマダの憂慮を確認する。
「それは、やつに俺らのうごきがモロバレしてる前提なのか?」
「うん……どこからどう監視してるのか、わかんないからね」
心もとない発言だ。事実、大男の能力は未知数。当然の警戒ではある。
「オヤジが役に立たなかったときは、ジュンさんが美弥ちゃんに絡む役をする、とも考えたんだけど……しょっぱなジュンさんが大男さんにノックアウトされたら、きびしいかな」
「こう言いたかないが、ジュンさんがいても勝てる確証はないぞ」
「たしかに……出たとこ勝負だね」
気弱な拓馬とヤマダは逆に、ジモンが妙案を得たかのように膝に手を打つ。
「そんなに相手が強いんならシド先生を呼ばんとな」
皆が呆気にとられる。言われてみると、身近なところに強者はいた。だが安易にその人物を頼るわけにはいかない。
「先生に言ったら計画がパーになるだろ?」
拓馬がそうさとすとジモンは「そういうもんかの」と納得しかねた。拓馬はなるべく平易に説明する。
「先生は俺らにこんなあぶないまねをしてほしくないんだ。それは、わかるか?」
「そこんとこはわかる。シド先生はわしらのお守り役なんじゃろ?」
「そうだ。だからこんな計画を立ててるとバレたら、止めにかかるだろ」
「手伝ってもらえんのか?」
「きっとな。それが先生ってもんだ」
「犯人をとっつかまえりゃ、わしらがムチャをしなくなるとは思われんのか」
その見方は建設的だ。このまま大男を野放しにしておくよりも、生徒の奇行に加担したほうが事態は収束にむかいやすくなる。だがシドは一度校長の叱責を受けている。ふたたび咎を食らっても平気でいられるだろうか。校長の顔を立てねばならぬ身分の彼に、そんな反骨精神は強要できない。
「そう思ったとしても、先生はやれないんだよ。立場ってもんがある」
「立場……?」
「そう。生徒がバカやれても、先生は同じことができない。校長とか保護者とかの目があるからな。そういう人たちにバレたら、苦情が先生にいくだろ?」
「ようわかった。話をこじらせてしもうて、すまん」
ジモンの疑問が解消された。作戦会議は終了──するまえに、須坂が「ねえ」とヤマダに話しかける。
「昨日あなたから聞いた話だと、もうひとり協力してくれる大人がいるんでしょ。警察官だっていう人。その人はなにをするの?」
「えっと、その人は現場にこないんだけど、仲間を送ってくれることになってる」
「仲間? どんな?」
「たぶん、犬とか……」
須坂は眉をひそめて「なんのために?」とたずねた。ヤマダがあたふたする。
「ちょっと、説明しにくいんだけど……わたしたちに危険がないように、守ってくれる」
ヤマダはあえて本旨と外れる理由をのべた。この世の者でない生き物の事情を知らぬ人相手だと、シズカの仲間のことを正直に言っても理解してもらえない。大男の本性についても同様だ。それゆえ、まだ話の通じやすい副効果を挙げた。それでもなお現実離れした理由にはちがいなく、須坂の追究はやまない。
「警察犬が警察官ぬきで、ちゃんと人を守れるの?」
須坂は現実的な解釈をしてくれた。事実とは異なるが、それにヤマダが乗っかる。
「うん、わたしもまえに守ってもらったことあるし……ねえ?」
ヤマダは拓馬に同意を求めた。シズカの友が拓馬たちを守ったことは多々あるため、拓馬は首を縦にふる。
「そのへんは安心していい。でもその警察犬……シズカさんの仲間は、大男を倒すことには手を出さないらしい」
「中途半端な協力の仕方ね……」
「これでも譲歩してくれたほうなんだ。シズカさんは、俺らにはおとなしくしてほしかったみたいだし……」
拓馬たちが我を通した成果なのだと知ると、須坂は「そっちも複雑なのね」と同情めいた笑みを見せた。
質疑応答がとだえた。ヤマダは「決行時刻は当日に知らせるね」と言い、片付けをはじめる。これで会議は完了したと拓馬は察し、空き教室をはなれた。
拓馬が廊下に出るや、呆然と立つ椙守が目についた。彼の手には紙袋がある。見張り番をする際には所持していなかったものだ。だれかからもらったらしい。
「椙守? その紙袋は──」
椙守がびくっと体をふるわせた。彼が振り返る。その顔はなぜか申し訳なさそうだ。
「ああ、これはシド先生からヤマダに返してほしいと言われたんだ」
「え、先生がきてたのか?」
拓馬は自分が質問したこととは別の情報に食いついた。この作戦会議が教師に関知されると、実施が不可能になりかねない。だが椙守はこころなしかあかるい表情をつくる。
「きたよ。でも安心していい。先生はきみたちがやることを見逃すつもりらしい」
「そうか……だまってくれるんなら、いいか」
二人のもとにヤマダがやってきた。彼女は資料物がはみ出た紙袋を持っている。
「あ、ミッキーのそれ……シド先生がきたの?」
「ああ、これを返しに先生がきてたんだ」
「うっかりわすれてたなぁ……」
ヤマダが自身のしくじりに気付き、不安を募らせる。それを椙守が「心配はいらない」となぐさめる。
「計画のことはすこしバレてしまったけど、不問にしてくれるって」
「よかった、話のわかる人で」
「じゃ、あとはきみらでがんばってくれよ」
椙守は紙袋をヤマダに返却する。役目をおえた彼は先に教室へもどった。その後ろ姿をヤマダが見つめる。
「先生がきちゃったときのミッキー、きっとヒヤヒヤしたんだろうね……」
「あいつが先生をうまいこと説得してくれたのかもな」
「それはわるいことしちゃったな。なんかお礼を考えとこう」
椙守への報い方はヤマダに一任し、拓馬も自分のクラスへむかった。あとは決行日までに自身の体調を万全にととのえることに専念する。ヤマダの話を聞いていくうちに勝算がどんどん低く感じてきてしまったが、失敗したとしてもシズカの援護がある。その安全策をあてにして、気負いせずに日常をすごすことにした。
そのほかの聴講者は二人いる。こういった計画には確実に関わる三郎と、その日は参加できるか未確定なジモンも面白がってついてきた。性格的に参加しそうだった千智は今回欠席する。彼女は親に夜の外出を禁止されているという。そのせいで計画に加われないそうだ。
もうひとり、拓馬らとは別の目的でついてくる者がいた。拓馬とヤマダの古馴染みの、痩身長躯な男子。椙守は空き教室を目前にして立ち止まる。彼は教室側の廊下の壁に寄りかかり、参考書を開いた。
椙守はヤマダに「だれもこないように見張ってて」と言われていた。彼は勉強がてら依頼を遂行するつもりだ。だが廊下は生徒たちの話し声や生活音のせいで、勉学に没頭しづらい環境だ。この状況に身を置くことは彼にとって不利益である。こんなしょうもない頼みごとは断ってもよいだろうに、妙に付き合いのいいやつだ。
(ほれた弱み、か?)
と、表現するのが適切かどうか、拓馬にはわからない。椙守がヤマダに変わった感情を抱いている、とだけ拓馬は感じていた。純粋にヤマダを友人として見ている三郎やジモンとはどこかちがうのだ。
だがそれも時間の問題だ。椙守には彼の知性を好く女子生徒がいる。いまは彼がその女子の思いを知らずにいるものの、いずれそちらになびく時がいる──その拓馬の考えはヤマダも同調している。ヤマダはそうなるのがよいとも言っている。椙守は昔と変わらない、親しい友人。いまの関係がちょうどよいのだ。
椙守を廊下にのこし、拓馬たちは無人の教室に入る。ヤマダは教卓の上に作戦資料の入った紙袋を置いた。ほかの生徒はめいめいに自由席につく。
ヤマダは一枚の大きい紙を広げた。その紙は片面に絵や文字が印刷されている。もとはカレンダーのようだ。
ヤマダは裏紙を再利用した資料を黒板に当てた。紙の四隅を磁石で留める。紙には簡略化された地図が描かれている。地図上の四角い図形の中には、駅と公園とアパートの文字が書かれてあった。
「金曜日の夜に大男さんを捕まえる計画を発表します。順を追って説明するねー」
参謀が紙の上に磁石を追加していく。あらたに使う磁石には、表に字を書いた紙が貼ってあった。ヤマダは「父」と書いた磁石をつまみながらしゃべる。
「この日はうちのオヤジが駅前の飲み屋で酒を飲みます。いっしょに飲む人は昔の仕事仲間のジュンさんです。ジュンさんにお願いして、オヤジは酔っぱらった状態にさせます。そして公園のトイレ近くのベンチにオヤジを放置してもらう予定です」
父磁石が駅から公園へ移動する。次にアパートの上にある「美」と書かれた磁石も公園にうごく。
「美弥ちゃんにはお姉さんを迎えにいくふりをしつつ、公園のトイレにむかってもらいます。この時に身に着けてほしいのがこのバンダナ!」
ヤマダはちいさくたたんだ水色の布を美弥に手渡す。美弥は両手で布をためつすがめつ眺める。
「これを、どうするの?」
「頭巾にするよ、こうやって」
ヤマダは美弥に渡したものと同じ布をあらたに出した。布を大きく三角に折り、頭に覆う。布のはじをうなじのあたりでむすぶと、頭巾になった。
「オヤジにはまえもって『わたしが水色のバンダナを被っていく』と教えておきます。美弥ちゃんがこのバンダナを着けたら、酔ってるオヤジは美弥ちゃんをわたしだと勘違いします」
「ノブさんが須坂に絡んできたら、大男が助けにくるっていう寸法か?」
ヤマダは拓馬の予想にうなずく。
「それが一番いい『甲』の作戦ね。わたしたちは公園で待機してて、大男さんが現れたらファイト!」
次に武田信玄の絵が印刷された磁石が紙上にあらわれた。磁石のセンスが謎だ。
「信玄の磁石はどういう意味か、聞いていいか?」
「大男さんのぶんの磁石です。絵柄はわたしの趣味!」
「わかった、スルーする。んで、『一番いい作戦』ってことは、ほかにも案があるのか?」
ヤマダは頭巾をぬぎながら「案ってほどでもないんだけど」と答える。
「予定通りにうごいてくれないのがオヤジの困ったところでね。作戦実行中に、オヤジは公園で寝るかもしれない」
ノブが美弥と接触してこなければ計画は成り立たない。イレギュラーが発生した場合の対処法を、ヤマダが説明していく。
「そのときは美弥ちゃんが酔っぱらいを心配する通行人になりきって、オヤジを叩き起こしてください。起きたらきっと美弥ちゃんを自分の娘だと勘違いするから。これが『乙』の作戦」
「ノブさんが起きなかったり、公園で待っていなかったりしたらどーするんだよ?」
「そしたら美弥ちゃんはいっぺん駅にむかいます。その途中でわたしが美弥ちゃんに電話をかけます。会話内容は、お姉さんの都合が悪くなって今日は来れない、という感じです。適当にしゃべったら、アパートに帰りましょう。これが『丙』の作戦」
「作戦というか、失敗したときの事後処理だな」
「そうだね。ほかの失敗原因は……オヤジ以外の人が美弥ちゃんに絡むこと」
その事態がもっとも危険だ。ノブが美弥を自分の娘と見誤ることにさしたる不安要素はないが、計画にくみしない他人ではどううごくか、予測不能だ。
「それも厄介なタイミングは美弥ちゃんが公園に向かう道中か、『丙』作戦実行中。このときに大男が出ても出なくても、美弥ちゃんはわたしに連絡してください。知らせがきたらみんなで助けに行くので、それまで耐えてください」
「私にどう耐えろと言うの?」
「基本的に公園にむかうように逃げてね。だれかひとりは公園にいるようにするから」
ヤマダは教卓の上に数枚置いてあるメモの中から一枚を取る
「美弥ちゃんの任務をまとめておいたよ」
須坂はそのメモを受け取り、じっくり見た。ヤマダの講釈は続く。
「順調にオヤジが美弥ちゃんに絡んできても、大男さんが現れない可能性もある。これも作戦失敗。そうなったらあきらめて解散しましょう。説明は以上!」
ヤマダが話し終えた。口をつぐんでいた三郎が挙手する。
「その計画において、お前の父君が例の男に倒される危険がある。それでもいいのか?」
ヤマダは片手をぷらぷらふって「へーきへーき」と安請け合いする。
「うちのオヤジは殺したって死なないよ」
「あの男は他人を傷つける意思がないようだから、各自の負傷は心配していない。オレが言いたいのは、気絶した父君がちゃんと帰宅できるかどうかだ」
三郎の憂慮は作戦の成否に関わらずつきまとってくる事柄だ。ノブが大男に襲われなかったとしても、公園で熟睡するおそれがある。酒が入った状態では朝まで野宿もありうる。
「聞くところによると、お前の父はジモンと体つきが似ているそうじゃないか。意識のない大柄な男性を運ぶとなると、オレの手に余るおそれがある」
ジモンが「ノブさんはわしより重いかもなあ」と補足した。ヤマダはひらひら手をふる。
「いーのいーの。最悪、オヤジを野宿させていいんです。そのうち目がさめたら帰るよ」
ヤマダは身内をぞんざいに扱う前提でいる。三郎はヤマダの揺るがない不孝心を知り、あきらめたようにうなずく。
「お前がいいと言うのなら、オレから言うことはない。……その作戦に乗ろう!」
質問をおえた三郎が聴講人のジモンに顔を向ける。
「して、ジモンは当日、家の手伝いがあるんじゃないのか?」
「店にノブさんがおらんし、わしは出れんかもな」
「となると、オレと拓馬の二人で捕縛を試みるのか」
ヤマダが「いや四人だよ」と異をはさんだ。三郎は首をかしげる。
「四人? ひとりはお前だとして……ほかはだれだ?」
この疑問には拓馬が補足する。
「もうひとり協力してくれる人がいるんだ。ノブさんの友だちで、ジュンさんっていう」
「ヤマダの説明に出てきた、父君の飲み友達か?」
「ああ、その人だ。ジュンさんはかなり強いぞ。拳法とか暗器の使い手で──」
三郎の目が光る。
「なに? そんな知人がいたのか」
「あ、あぁ……いつも仕事で会えないんだけど、ときたまヤマダんちに遊びにくるんだ」
「ほう! 機会があれば手合せねがいたいな」
「この件が片付いたらな。それで、ジュンさんはどううごく予定なんだ?」
拓馬は省略された解説をヤマダに問う。ヤマダがメモを片手に「うーんとね」と言う。
「ジュンさんがオヤジを公園においてったあと、しばらく駅のほうに行くふりをして、その道中で待機。大男さんが出たらわたしがジュンさんに連絡して、公園にきてもらう」
「ジュンさんは公園にいない予定なんだな」
「うん。そのほうが大男さんの裏を突けるかなーと思って」
まるで公園で張り込む人員が大男に筒抜けであるかのような口ぶりだ。拓馬はヤマダの憂慮を確認する。
「それは、やつに俺らのうごきがモロバレしてる前提なのか?」
「うん……どこからどう監視してるのか、わかんないからね」
心もとない発言だ。事実、大男の能力は未知数。当然の警戒ではある。
「オヤジが役に立たなかったときは、ジュンさんが美弥ちゃんに絡む役をする、とも考えたんだけど……しょっぱなジュンさんが大男さんにノックアウトされたら、きびしいかな」
「こう言いたかないが、ジュンさんがいても勝てる確証はないぞ」
「たしかに……出たとこ勝負だね」
気弱な拓馬とヤマダは逆に、ジモンが妙案を得たかのように膝に手を打つ。
「そんなに相手が強いんならシド先生を呼ばんとな」
皆が呆気にとられる。言われてみると、身近なところに強者はいた。だが安易にその人物を頼るわけにはいかない。
「先生に言ったら計画がパーになるだろ?」
拓馬がそうさとすとジモンは「そういうもんかの」と納得しかねた。拓馬はなるべく平易に説明する。
「先生は俺らにこんなあぶないまねをしてほしくないんだ。それは、わかるか?」
「そこんとこはわかる。シド先生はわしらのお守り役なんじゃろ?」
「そうだ。だからこんな計画を立ててるとバレたら、止めにかかるだろ」
「手伝ってもらえんのか?」
「きっとな。それが先生ってもんだ」
「犯人をとっつかまえりゃ、わしらがムチャをしなくなるとは思われんのか」
その見方は建設的だ。このまま大男を野放しにしておくよりも、生徒の奇行に加担したほうが事態は収束にむかいやすくなる。だがシドは一度校長の叱責を受けている。ふたたび咎を食らっても平気でいられるだろうか。校長の顔を立てねばならぬ身分の彼に、そんな反骨精神は強要できない。
「そう思ったとしても、先生はやれないんだよ。立場ってもんがある」
「立場……?」
「そう。生徒がバカやれても、先生は同じことができない。校長とか保護者とかの目があるからな。そういう人たちにバレたら、苦情が先生にいくだろ?」
「ようわかった。話をこじらせてしもうて、すまん」
ジモンの疑問が解消された。作戦会議は終了──するまえに、須坂が「ねえ」とヤマダに話しかける。
「昨日あなたから聞いた話だと、もうひとり協力してくれる大人がいるんでしょ。警察官だっていう人。その人はなにをするの?」
「えっと、その人は現場にこないんだけど、仲間を送ってくれることになってる」
「仲間? どんな?」
「たぶん、犬とか……」
須坂は眉をひそめて「なんのために?」とたずねた。ヤマダがあたふたする。
「ちょっと、説明しにくいんだけど……わたしたちに危険がないように、守ってくれる」
ヤマダはあえて本旨と外れる理由をのべた。この世の者でない生き物の事情を知らぬ人相手だと、シズカの仲間のことを正直に言っても理解してもらえない。大男の本性についても同様だ。それゆえ、まだ話の通じやすい副効果を挙げた。それでもなお現実離れした理由にはちがいなく、須坂の追究はやまない。
「警察犬が警察官ぬきで、ちゃんと人を守れるの?」
須坂は現実的な解釈をしてくれた。事実とは異なるが、それにヤマダが乗っかる。
「うん、わたしもまえに守ってもらったことあるし……ねえ?」
ヤマダは拓馬に同意を求めた。シズカの友が拓馬たちを守ったことは多々あるため、拓馬は首を縦にふる。
「そのへんは安心していい。でもその警察犬……シズカさんの仲間は、大男を倒すことには手を出さないらしい」
「中途半端な協力の仕方ね……」
「これでも譲歩してくれたほうなんだ。シズカさんは、俺らにはおとなしくしてほしかったみたいだし……」
拓馬たちが我を通した成果なのだと知ると、須坂は「そっちも複雑なのね」と同情めいた笑みを見せた。
質疑応答がとだえた。ヤマダは「決行時刻は当日に知らせるね」と言い、片付けをはじめる。これで会議は完了したと拓馬は察し、空き教室をはなれた。
拓馬が廊下に出るや、呆然と立つ椙守が目についた。彼の手には紙袋がある。見張り番をする際には所持していなかったものだ。だれかからもらったらしい。
「椙守? その紙袋は──」
椙守がびくっと体をふるわせた。彼が振り返る。その顔はなぜか申し訳なさそうだ。
「ああ、これはシド先生からヤマダに返してほしいと言われたんだ」
「え、先生がきてたのか?」
拓馬は自分が質問したこととは別の情報に食いついた。この作戦会議が教師に関知されると、実施が不可能になりかねない。だが椙守はこころなしかあかるい表情をつくる。
「きたよ。でも安心していい。先生はきみたちがやることを見逃すつもりらしい」
「そうか……だまってくれるんなら、いいか」
二人のもとにヤマダがやってきた。彼女は資料物がはみ出た紙袋を持っている。
「あ、ミッキーのそれ……シド先生がきたの?」
「ああ、これを返しに先生がきてたんだ」
「うっかりわすれてたなぁ……」
ヤマダが自身のしくじりに気付き、不安を募らせる。それを椙守が「心配はいらない」となぐさめる。
「計画のことはすこしバレてしまったけど、不問にしてくれるって」
「よかった、話のわかる人で」
「じゃ、あとはきみらでがんばってくれよ」
椙守は紙袋をヤマダに返却する。役目をおえた彼は先に教室へもどった。その後ろ姿をヤマダが見つめる。
「先生がきちゃったときのミッキー、きっとヒヤヒヤしたんだろうね……」
「あいつが先生をうまいこと説得してくれたのかもな」
「それはわるいことしちゃったな。なんかお礼を考えとこう」
椙守への報い方はヤマダに一任し、拓馬も自分のクラスへむかった。あとは決行日までに自身の体調を万全にととのえることに専念する。ヤマダの話を聞いていくうちに勝算がどんどん低く感じてきてしまったが、失敗したとしてもシズカの援護がある。その安全策をあてにして、気負いせずに日常をすごすことにした。
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