2018年05月13日
拓馬篇−5章3 ★
学校には早朝の部活をしにくる生徒がまばらにいた。けれども拓馬のクラスにはだれもいなかった。普段の拓馬の登校時間帯は、生徒の半数前後があつまるころ。無人の教室を目にするのは、帰宅が遅くなったときくらいだ。見慣れた教室でありながら、現在の雰囲気は異質だと感じた。
(ヤマダはきてないか……)
彼女の弁当と朝食も、おもに親が用意する。拓馬の場合は父が気を利かせてくれたおかげで早く出発できたが、小山田家ではうまく事が運んでいないのかもしれない。
拓馬は自席に着く。時間つぶしがてら教科書類をながめた。数分が経つと廊下から足音が響く。せわしない音だ。音と音の間隔がみじかいため、走っているようである。その音が拓馬のいる教室のまえで止まった。リュックサックを背負うヤマダが入室する。彼女は息を切らして、拓馬の付近にある椅子へ座る。
「タッちゃんといっしょに学校へ行こうかと思ったんだけど、もう行っちゃったって親御さんに言われてさ、いそいできたよ」
「まだ俺に言うことが残ってたのか?」
「うん、けっこう大事なこと! まえにケンカやった金髪の子、おぼえてる?」
拓馬は大男の話が展開されると身構えていた。想定外からの質問を受け、混乱する。
「え……金髪?」
「雒英《らくえい》の制服を着てた子だよ」
拓馬は通算二回会った。一回めは道ばたで通りすがり、二回めはヤマダたちと同じ場で。
「髪が長くって、ちょっと女っぽい子ね。今日の夜中、その子も見かけたんだよ。だれかに電話してる最中で……わたしたちに仕返しする計画を立ててるみたいだった」
あの金髪が復讐をくわだてている──シドが恐れていたことだ。それゆえ、かの教師は蛮行としか思えぬ体罰を金髪にふるった。金髪の復讐心を削ぐために、恐怖心を植えつける作戦だったとか。それが功を成さなかった。
(だいぶ執念深い相手なんだな……)
金髪とシドとの力量の差は歴然だ。そんな強大な相手が拓馬らの後ろにいると知ってなお、あの少年は対抗心を燃やしているとは。
「先生が負ける心配はないんだけど……だれかが人質にとられでもしたら、先生が大変でしょ? しばらくはひとりで外をうろつかないほうがいいのかな」
「みんなが危ないな……声かけとくか」
ヤマダは「ただね」と心配そうに言う。
「サブちゃんにこのことを言ったら、またなんかやりだしそうじゃない?」
「興奮はするだろうが、やれることはないんじゃないか? いまはあの不良連中がどこにいるのか、わかってないだろ」
「その居場所を探す──とか?」
ありえそうではあった。そして三郎ならば見つけた不良らに「そんなに負けたことがくやしいならもう一度手合せしよう」という具合に、彼らの思惑とは明後日の方向へ突き進んでしまいかねない。彼らはおそらく、正攻法で三郎たちに勝つ気などないのだ。憂さを晴らせれば手段はなんでもよいはず。
「また藪蛇をつつくのも、どうかと思って」
「……三郎にはだまっとこう」
「シド先生はどうしよう?」
これもややこしい質問だ。この件に深く関わったシドにも注意をうながすべきではある。しかし彼の職務外の負担が大きい。拓馬らが直接教師に救援を求めたなら、彼は万全の対策を講じる必要性が出てくる。真面目なシドがほどよく手を抜くことは考えにくい。
「あー、うーん……俺らからは知らせないほうがいいんじゃないか?」
「うん。あの先生だと背負いこんじゃいそうだしね」
「それに、あの地獄耳な校長がどっかで聞きつけてくるだろ。校長が『まずい』と思えば先生のほうにも話がいくって」
「じゃあわたしたちだけで注意しようか」
「教えておくやつは、ジモンと、千智?」
この二人に注意をよびかけたとして、その後どうなるか。拓馬はすこし考えてみて、たったいま決めたことのひとつをムダにする気がした。
「その二人に言ったら、サブちゃんにも伝わっちゃいそうだね」
「隠し事はできねえもんな、あいつら」
どちらも三郎の友人。会話のついででぽろっと言う様子は拓馬も想像がついた。
「先生以外にはぜんぶ言っちゃう?」
「そうしとこう。お前に任せていいか?」
「うん、今日中に伝わるようにする。あとね、これはあつかましいかもしれないけど」
ヤマダはうつむく。この態度は拓馬に対する遠慮ではなさそうだ。
「シズカさんに言ったら、その金髪くんをおさえられるかな?」
その依頼はおそらく大男を捕縛するよりも難度は低い。だが、そうであるからこそ頼みにくい。拓馬は首を横にふる。
「それまでシズカさん頼りじゃ、気が引ける。あの人は無限に働けるわけじゃないんだ」
「あのキツネを呼ぶのも、疲れるんだっけ」
「本業でもそいつらを頼るときがあるんだってさ。あまり力を無駄遣いさせたくない」
「わかった。金髪くんはこっちで対処する」
ヤマダは立ち上がった。彼女自身の席へと移るつもりだ。拓馬はこれで会話を切り上げてよいものか迷う。
(父さんが見たこと……ヤマダは知らないんだよな?)
父が今朝拓馬に告白した内容は、ヤマダが寝ている間に起きたことだという。自身の身に降りかかったことはなんであれ、知りたいと思って当然だ。その判断のもと、拓馬はヤマダに父の目撃証言を伝えた。知られざる出来事を知ったヤマダはやはりおどろいた。だがおどろきのポイントが拓馬の予想とちがった。彼女の開口一番に発した感想は「よくバレなかったね」だ。拓馬の父が大男の様子観察を果たしたことを、意外そうに言う。
「あの大男さんって、人の気配に敏感だと思ったんだけど」
たしかにそうだと拓馬も思った。だが父と話す際は感じなかった疑問だ。その根底には父の有する異能力への信頼がある。
「父さんはいろいろ特殊だからな……」
「『気付かれないように』と願ったら、ほんとうに気付かれなくなったのかな?」
「たぶん、そんな感じだな。ケガを治すときも『早く治れ』って念じるらしいぞ」
「便利だね。その力でトーマの考えてることも、わかるかな」
トーマは根岸家の飼い犬の名だ。あのオス犬は情緒豊かなタチである。
「それは見てりゃだいたいわかるよ」
二人の会話がたわいない雑談に変じたころ、足音がかさなって聞こえはじめた。多くの生徒が学校に着く時間帯になったのだ。拓馬は自席にて、朝早く登校する生徒をながめた。
(ヤマダはきてないか……)
彼女の弁当と朝食も、おもに親が用意する。拓馬の場合は父が気を利かせてくれたおかげで早く出発できたが、小山田家ではうまく事が運んでいないのかもしれない。
拓馬は自席に着く。時間つぶしがてら教科書類をながめた。数分が経つと廊下から足音が響く。せわしない音だ。音と音の間隔がみじかいため、走っているようである。その音が拓馬のいる教室のまえで止まった。リュックサックを背負うヤマダが入室する。彼女は息を切らして、拓馬の付近にある椅子へ座る。
「タッちゃんといっしょに学校へ行こうかと思ったんだけど、もう行っちゃったって親御さんに言われてさ、いそいできたよ」
「まだ俺に言うことが残ってたのか?」
「うん、けっこう大事なこと! まえにケンカやった金髪の子、おぼえてる?」
拓馬は大男の話が展開されると身構えていた。想定外からの質問を受け、混乱する。
「え……金髪?」
「雒英《らくえい》の制服を着てた子だよ」
拓馬は通算二回会った。一回めは道ばたで通りすがり、二回めはヤマダたちと同じ場で。
「髪が長くって、ちょっと女っぽい子ね。今日の夜中、その子も見かけたんだよ。だれかに電話してる最中で……わたしたちに仕返しする計画を立ててるみたいだった」
あの金髪が復讐をくわだてている──シドが恐れていたことだ。それゆえ、かの教師は蛮行としか思えぬ体罰を金髪にふるった。金髪の復讐心を削ぐために、恐怖心を植えつける作戦だったとか。それが功を成さなかった。
(だいぶ執念深い相手なんだな……)
金髪とシドとの力量の差は歴然だ。そんな強大な相手が拓馬らの後ろにいると知ってなお、あの少年は対抗心を燃やしているとは。
「先生が負ける心配はないんだけど……だれかが人質にとられでもしたら、先生が大変でしょ? しばらくはひとりで外をうろつかないほうがいいのかな」
「みんなが危ないな……声かけとくか」
ヤマダは「ただね」と心配そうに言う。
「サブちゃんにこのことを言ったら、またなんかやりだしそうじゃない?」
「興奮はするだろうが、やれることはないんじゃないか? いまはあの不良連中がどこにいるのか、わかってないだろ」
「その居場所を探す──とか?」
ありえそうではあった。そして三郎ならば見つけた不良らに「そんなに負けたことがくやしいならもう一度手合せしよう」という具合に、彼らの思惑とは明後日の方向へ突き進んでしまいかねない。彼らはおそらく、正攻法で三郎たちに勝つ気などないのだ。憂さを晴らせれば手段はなんでもよいはず。
「また藪蛇をつつくのも、どうかと思って」
「……三郎にはだまっとこう」
「シド先生はどうしよう?」
これもややこしい質問だ。この件に深く関わったシドにも注意をうながすべきではある。しかし彼の職務外の負担が大きい。拓馬らが直接教師に救援を求めたなら、彼は万全の対策を講じる必要性が出てくる。真面目なシドがほどよく手を抜くことは考えにくい。
「あー、うーん……俺らからは知らせないほうがいいんじゃないか?」
「うん。あの先生だと背負いこんじゃいそうだしね」
「それに、あの地獄耳な校長がどっかで聞きつけてくるだろ。校長が『まずい』と思えば先生のほうにも話がいくって」
「じゃあわたしたちだけで注意しようか」
「教えておくやつは、ジモンと、千智?」
この二人に注意をよびかけたとして、その後どうなるか。拓馬はすこし考えてみて、たったいま決めたことのひとつをムダにする気がした。
「その二人に言ったら、サブちゃんにも伝わっちゃいそうだね」
「隠し事はできねえもんな、あいつら」
どちらも三郎の友人。会話のついででぽろっと言う様子は拓馬も想像がついた。
「先生以外にはぜんぶ言っちゃう?」
「そうしとこう。お前に任せていいか?」
「うん、今日中に伝わるようにする。あとね、これはあつかましいかもしれないけど」
ヤマダはうつむく。この態度は拓馬に対する遠慮ではなさそうだ。
「シズカさんに言ったら、その金髪くんをおさえられるかな?」
その依頼はおそらく大男を捕縛するよりも難度は低い。だが、そうであるからこそ頼みにくい。拓馬は首を横にふる。
「それまでシズカさん頼りじゃ、気が引ける。あの人は無限に働けるわけじゃないんだ」
「あのキツネを呼ぶのも、疲れるんだっけ」
「本業でもそいつらを頼るときがあるんだってさ。あまり力を無駄遣いさせたくない」
「わかった。金髪くんはこっちで対処する」
ヤマダは立ち上がった。彼女自身の席へと移るつもりだ。拓馬はこれで会話を切り上げてよいものか迷う。
(父さんが見たこと……ヤマダは知らないんだよな?)
父が今朝拓馬に告白した内容は、ヤマダが寝ている間に起きたことだという。自身の身に降りかかったことはなんであれ、知りたいと思って当然だ。その判断のもと、拓馬はヤマダに父の目撃証言を伝えた。知られざる出来事を知ったヤマダはやはりおどろいた。だがおどろきのポイントが拓馬の予想とちがった。彼女の開口一番に発した感想は「よくバレなかったね」だ。拓馬の父が大男の様子観察を果たしたことを、意外そうに言う。
「あの大男さんって、人の気配に敏感だと思ったんだけど」
たしかにそうだと拓馬も思った。だが父と話す際は感じなかった疑問だ。その根底には父の有する異能力への信頼がある。
「父さんはいろいろ特殊だからな……」
「『気付かれないように』と願ったら、ほんとうに気付かれなくなったのかな?」
「たぶん、そんな感じだな。ケガを治すときも『早く治れ』って念じるらしいぞ」
「便利だね。その力でトーマの考えてることも、わかるかな」
トーマは根岸家の飼い犬の名だ。あのオス犬は情緒豊かなタチである。
「それは見てりゃだいたいわかるよ」
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