本題の前に少し気分転換で外出しました。
前回までの心労で疲れたので、自然のある所にでもいこうかなと、電車に乗って東京都まで移動。
とある菖蒲園まで来ました。
幼稚園生くらいの時は、菖蒲園に水を引き込んでるので、水路や水源の川でザリガニ釣りをやってました。タコ糸にスルメをくくりつけてやるあれ!
弟や、当時社宅に住んでたご近所の色々大きい姉妹なども一緒に。
実はこの近くには遊園地もあって、子どもなら本来そっちに行きたがると思うけど、みんな拒否して泥まみれになりながらここで一日中遊んでました。
私は渋谷周辺に生まれたとはいえ、両親が地方出身なので完全に野生に目覚めてましたね(笑)
そんな話も交えつつ、今回は思い出話会。
では本題へ
単なる奢りかもしれないけど、私自身は自分で歳を感じたことは今までありません。
見た目もそんなに変わらないし、体に関しては力仕事みたいなことを始めたせいか、今が全盛期と言わんばかりに筋骨隆々になってきている。
同じ学校出身の友人や同僚含めて見た目が若いので全く経年を感じない。
家庭を持った訳でもないからステータスも変わらないので自由にさせてもらってますし。
ではどんな時に経年を感じるのか…
それは知り合いに経年による異変が起きた時。
具体的に言うと今回は私ら兄弟が小学生から高校に入るまでの間お世話になった町道場の道場主が、認知症徘徊でそのまま行方不明になってまだ見つかってないということ。肩書をわかりやすく言えばスポーツ少年団の監督という感じでしょうか?
弟が先日帰省した時にそんな話をしてました。公務の資料でそのリストを見つけてショックを受けたらしい。
それはそれは怖い先生で、稽古中に何度鉛入りの竹刀を振り下ろされて、泣いてチビったことか(笑)よく袴を汚して母にも怒られてたっけ?小学生くらいまでですけどね…弟も怖い先生だったのをよく覚えていたみたい…そんな人が認知症になって徘徊なんて信じられない。
親父より年齢は10くらい上なので、私らが歳をとるわけだと納得してしまいました。
その先生も最初は優しかったんですけどね。小学生低学年くらいまでの間は…
本人から聞いた訳では無いので真相は不明ですが、高学年に上がる頃に起きた道場の異変から先生は厳しくなった気がする。
私らの代の門下生は結構自由奔放で、全く関係ない習い事を始めて道場辞める人もいました。その中で我々兄弟はずっと続けていたので、個人戦の出場メンバーとして地区大会にエントリーされました。
弟は当時からメキメキと才能を開花させ始めてたので、少し奢りもあった。
一方私は小学生高学年近くもなれば自分に才能が無いことくらいわかってくる。ただ、それをわかってはいてもまだ認められなくて、負けん気だけ強くなってた時期でした。
結果、真夏の大会では暑い会場内であり、1回戦から相手は警察署剣心会みたいなところ出身の同年代の子供と当たることになり、練度及び才能の差が歴然なのに、無意味に食らいついて延長につぐ延長で40分にわたる死闘の末というよりもはやグダグダだったけど、私が勝ちました。5分もしない制限時間を、トーナメントで引き分けもない中で延々と戦ってましたね。
大人の最高峰の全日本大会でも1試合1時間は珍しいから、小学生でその時間まで行くのは恐らく前代未聞だったことでしょう。他にもコートがあったとはいえ大会の進行に大きな影響を与えてしまいました。
試合が終わった私はバックヤードでぶっ倒れて、2回戦目まで回復に専念しましたが、立つことは愚か剣を握る力もほぼ残されてはいなかったので、偶然にも次は相手が同じ道場の先輩だったので、わざと瞬殺されました。時間にして3秒(笑)事前棄権のシステムが無かったのでね。
その日を境に道場主から私への稽古の厳しさが増した気がします。門下生がやめてく中で存続の危機もあったでしょうし、残ってる私のような人間が無茶ばかりしていずれ自滅しそうな輩だったので(笑)
中学生に上がった時には自分自身に成長期が来ないことを悟り、王道から外れてでも自分の剣技を身につけなければと私は焦ってました。体が小さいので相手の視界に入らないうちに仕留めるために、もともとの影の薄さを利用し、相手の呼吸を読み切るために自分の呼吸を止める無呼吸連打をスピードに乗せた形で編み出しました。
それを道場主は快く思っておらず、いずれ来るであろう成長期が来たら通用しなくなるのと、肺をダメにする選手生命を短くするような行為だったのでしょうね?王道の剣筋に戻すよう何度も注意されました。
ただ既にメインは同じ競技の中学校の部活でしたし、結局反発もしたので先生との溝は埋まらないまま私は高校生になり、私立だったので1年生の頃から部活もあり、大学受験意識させられてたので時間が無くなり道場に自然に足を運ばなくなりそのままフェードアウトしました。
長年お世話になっておきながら後味が悪い別れ方をしてるので、良い思い出とは言えませんが、行方不明になったその後が気にはなります。まず無事であること。そして息災であることを願うばかりですね。
後付けになりますが、高校2年生になってやっと成長期が来て、スピード重視の剣技が出来なくなり、代わりに高校のコーチから二刀流を会得させられることになり、結果王道から外れたままになりましたが、体の成長に合わせた無理のない競技生活を送れて大学生活も終わるまではずっと続けられました。
振り返って、あの時の道場主の指導は間違っていなかったことは認識してます。
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