2016年05月12日
私のネガ思考の取り扱い説明書
ネガ思考。
私の人生の半分以上は、この思考に振り回されているのかもしれない。
しかし、物心ついたときはそこまでネガ思考ではなかったと思うが、
私の多動な面で、周囲からひんしゅくを買うなどのトラブルを重ねるうちに、
「ネガ思考によって、多動な行動を事前に抑える」という仕組みになったようなものだ。
そういう意味では、ネガ思考で助けられた部分は少なくない。
しかし、、どうやら私の多動っぽい性質は、30半ば過ぎたあたりから、引っ込みだした。
というのも、加齢による気力の低下かなあ。。
暴走気味だった頭の回転はゆるやかになってきて、
多動を生み出すことも減ってきた。
けれど、ネガ思考はしっかりと残っている。
こうなると、ネガ思考だけが空回りをして、
そこで私が気力を消耗したり、
空回りしながら大量に生まれたネガ思考に、自分で勝手にパニくったりなど、、
そこから失態を生み出して、さらに落ち込み、さらにネガ思考を強化する、、、
などの繰り返しが目立ってきた。
ネガ思考が生まれないように必死に抑えようとしたこともある。
自分からネガな部分だけ切り離し、その部分がどんどん小さくなって消滅するイメージや
ネガな部分がゆったりと笑顔になるイメージなど、作ってみたけれど、
一時的には落ち着いたようでも、結局は消えるわけがない。
インナーチャイルドなどの退行催眠もやったことあるけど、
私の中のネガ思考はずるがしこくて、
そのときだけ、それっぽい子供の私の姿で現れて、
先生の誘導のままに「満たされたフリ」をする。
すると誘導した先生も「これで少しずつ癒されていくよ」なんて言うけど、
いやいや、ネガ思考は癒されたフリをしていただけ。
ネガ思考を消したくないという私の部分があるようだ。
でも、きっと退行催眠などでそれが消される可能性が出てきたので、
消される前に「癒されたイメージ」という嘘のイメージを作って、
私と先生は「おお、効果があったみたいー」と話している陰にネガ思考は隠れていた、
という感じ。
ここ数年は、育児で忙しいこともあり、
ネガ思考を消すとか否定するとかよりも、流すコツを身に着けた。
何か出来事があったときに
「こうなったらどうしよう」
「相手は笑顔だけど、本当は違うかも」などなど一気にネガ思考が流れ出したら、
それはそれで脳内の端っこで流しつつ、
私のメインの意識は、淡々と目の前の客観的な情報に基づいて
憶測なしで行動するよう心掛ける・・・・
これができるようになったら、だいぶ楽になった。
でも、これができるようになるまで、どれだけ多くのしんどさを味わったことか。
以前は「ネガ思考を掘り下げなければ」と執拗に掘り下げまくった時期もあったのだが、
これが私には必要な過程だったように思える。
掘っても掘っても出てくるネガ思考。終わりがないように思えたけれど、
ウン十年掘り続けていたら、ようやく底が見えてきたのかも。
今は掘り下げなくなった。掘り下げる必要性を感じなくなり、
ただ淡々と脳内の端っこで、ネガ思考に流れたいだけ流れてもらう。
そこにピントを合わせる合わせないは自分しだい。
といっても、いつでもそこまで自分をコントロールできるかは別問題で。。
長くなったので次の記事に続く
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
私の人生の半分以上は、この思考に振り回されているのかもしれない。
しかし、物心ついたときはそこまでネガ思考ではなかったと思うが、
私の多動な面で、周囲からひんしゅくを買うなどのトラブルを重ねるうちに、
「ネガ思考によって、多動な行動を事前に抑える」という仕組みになったようなものだ。
そういう意味では、ネガ思考で助けられた部分は少なくない。
しかし、、どうやら私の多動っぽい性質は、30半ば過ぎたあたりから、引っ込みだした。
というのも、加齢による気力の低下かなあ。。
暴走気味だった頭の回転はゆるやかになってきて、
多動を生み出すことも減ってきた。
けれど、ネガ思考はしっかりと残っている。
こうなると、ネガ思考だけが空回りをして、
そこで私が気力を消耗したり、
空回りしながら大量に生まれたネガ思考に、自分で勝手にパニくったりなど、、
そこから失態を生み出して、さらに落ち込み、さらにネガ思考を強化する、、、
などの繰り返しが目立ってきた。
ネガ思考が生まれないように必死に抑えようとしたこともある。
自分からネガな部分だけ切り離し、その部分がどんどん小さくなって消滅するイメージや
ネガな部分がゆったりと笑顔になるイメージなど、作ってみたけれど、
一時的には落ち着いたようでも、結局は消えるわけがない。
インナーチャイルドなどの退行催眠もやったことあるけど、
私の中のネガ思考はずるがしこくて、
そのときだけ、それっぽい子供の私の姿で現れて、
先生の誘導のままに「満たされたフリ」をする。
すると誘導した先生も「これで少しずつ癒されていくよ」なんて言うけど、
いやいや、ネガ思考は癒されたフリをしていただけ。
ネガ思考を消したくないという私の部分があるようだ。
でも、きっと退行催眠などでそれが消される可能性が出てきたので、
消される前に「癒されたイメージ」という嘘のイメージを作って、
私と先生は「おお、効果があったみたいー」と話している陰にネガ思考は隠れていた、
という感じ。
ここ数年は、育児で忙しいこともあり、
ネガ思考を消すとか否定するとかよりも、流すコツを身に着けた。
何か出来事があったときに
「こうなったらどうしよう」
「相手は笑顔だけど、本当は違うかも」などなど一気にネガ思考が流れ出したら、
それはそれで脳内の端っこで流しつつ、
私のメインの意識は、淡々と目の前の客観的な情報に基づいて
憶測なしで行動するよう心掛ける・・・・
これができるようになったら、だいぶ楽になった。
でも、これができるようになるまで、どれだけ多くのしんどさを味わったことか。
以前は「ネガ思考を掘り下げなければ」と執拗に掘り下げまくった時期もあったのだが、
これが私には必要な過程だったように思える。
掘っても掘っても出てくるネガ思考。終わりがないように思えたけれど、
ウン十年掘り続けていたら、ようやく底が見えてきたのかも。
今は掘り下げなくなった。掘り下げる必要性を感じなくなり、
ただ淡々と脳内の端っこで、ネガ思考に流れたいだけ流れてもらう。
そこにピントを合わせる合わせないは自分しだい。
といっても、いつでもそこまで自分をコントロールできるかは別問題で。。
長くなったので次の記事に続く
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5057071
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック