2016年01月05日
自己開示法
たまたまネットで見かけたコラム
なぜか愛される人のヒミツ!義理両親、ママ友、夫を自然と味方につける「自己開示法」って?
「ん?自己開示法?なんだろう?」とタイトルで気になって読んでみました。
そのコラムでは、
ああ、なるほど。その話かあ。
そうだよね、「自分がこう思われたい!」と私なりに振る舞っても、墓穴を掘る。
ちょいと振り返ってみた。
一時期の私は、
・友達いないけど、いないと思われないように振る舞う
・人見知りだけど、人見知りじゃないように振る舞う
・逆に人見知りアピールをしすぎる
・世話するの苦手なのに、面倒見の良い寛大な人を装う
・いい加減なのに、いい加減じゃない不利をする
・気にしすぎるキャラなのに、気にしないキャラを振る舞う
んん、こうしてみると、偽った自分の形を「こう思われたい」と無理していたなあ。
最近は、、加齢により、ここまで無理する気力が減ってきたが。。
まあ、こう振り返って見ても、あまりよろしくない傾向だな。
さて、コラムでおすすめしている「自己開示法」
これは、他のママさんたちを観察して、
「自分の悩みを相談する」という会話は一つの方法としてアリだなあ、、
と前から思っていた。
なので、私もその方法を取り入れようとは意識していたが、
なんとも、
悩みの観点が人と違う。
これは子供のころから感じていたことで、
学生のころ、女子グループ内で
「聞いて〜、こんなことがあったの〜どうすればいい?」
と誰かが言って、
「ええ〜?それは大変、」と周囲も親身になって話に乗る。
そんな時に私は
「それはみんなに聞いてもらって、相談する内容」というのがピンと来なくて、
以前ブログにも書いたけど、
「相談」というものが、私の中で敷居が高かった。
・相談されたら、正しい答えを言わなければならない→相談されることに過度にプレッシャー
・相談をしてアドバイスを受けたら、できるだけアドバイス通り受け取って、その結果を報告しなければならない。
・相談をしてアドバイスをされても、それが自分には受け付けられないものなら、その場でそれを伝えなければならない。
といった、誤学習で、ある時期まで「相談とはこういうもの」と本気で思っていた。
私の中で「相談」はとても重い物で、重すぎて自分にも扱いきれず、
その重さを味わうなら、相談せずに自分一人で抱えていたほうが楽。
と思っていた。
また、一時期占いにはまってたんだけど、
占いって、「お金を払って視てもらう」というバランスが、自分には気楽で、
周囲に相談する重さより、多少高くても占いで視てもらうほうが楽だった。
あ、あと、相談しようかな、と思っても、
まずはどう説明すればよいのかが言語化できなくて
いろいろ考えているうちに、時期が過ぎたり、自分で答えを見つけたりもある。
占いだと、相手は悩みを聞き出すプロがそこそこ多いので、
会話はしやすかった。
あと、コラムにも書いてあったけど、
コミュニケーションの手段として「相談」技を使うなら
重い話題は逆効果。
とはいえ、私の日常のちょいとした悩みが、
周囲から見ると重かったり、ネガティブすぎたり、共感得られなかったりするので、
このブログで吐き出すのみになっているが。。
最近は、これまでの対ママデータベースで培われた
「こういう相談は話題の一つとして使えるらしい」テーブルから、
検索して、細々と使えるようにはなってきた。
ママ関係苦手だけど、それでも自分なりになんとかしたい、と
観察はしてたので、それは長い目で見て、タメにはなっているようだ。
園バス停データベースが特に強化されたので、
「この前の園プリントでこう書いてあったけど、どういう意味だろう?」
「この日、雨だけど、皆はどうする?」
とか、
雑談の一つとして「相談」「質問」を気楽に。
とはいえ、これ以外の場だと、まだまだデータベースが弱いので、
話に困ることは、今でも多々ある。
もっとこの「自己開示法」をうまく使えるようになりたいものだ。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
なぜか愛される人のヒミツ!義理両親、ママ友、夫を自然と味方につける「自己開示法」って?
「ん?自己開示法?なんだろう?」とタイトルで気になって読んでみました。
そのコラムでは、
相手に「こんな印象を与えたい」「こういう風に思わせたい」という意図で振る舞うことを、心理学用語で“自己呈示”といいます。一方、自分の弱みや問題、素直な気持ちをそのまま相手に伝えることを、心理学用語で“自己開示”といいます。
ああ、なるほど。その話かあ。
そうだよね、「自分がこう思われたい!」と私なりに振る舞っても、墓穴を掘る。
ちょいと振り返ってみた。
一時期の私は、
・友達いないけど、いないと思われないように振る舞う
・人見知りだけど、人見知りじゃないように振る舞う
・逆に人見知りアピールをしすぎる
・世話するの苦手なのに、面倒見の良い寛大な人を装う
・いい加減なのに、いい加減じゃない不利をする
・気にしすぎるキャラなのに、気にしないキャラを振る舞う
んん、こうしてみると、偽った自分の形を「こう思われたい」と無理していたなあ。
最近は、、加齢により、ここまで無理する気力が減ってきたが。。
まあ、こう振り返って見ても、あまりよろしくない傾向だな。
さて、コラムでおすすめしている「自己開示法」
これは、他のママさんたちを観察して、
「自分の悩みを相談する」という会話は一つの方法としてアリだなあ、、
と前から思っていた。
なので、私もその方法を取り入れようとは意識していたが、
なんとも、
悩みの観点が人と違う。
これは子供のころから感じていたことで、
学生のころ、女子グループ内で
「聞いて〜、こんなことがあったの〜どうすればいい?」
と誰かが言って、
「ええ〜?それは大変、」と周囲も親身になって話に乗る。
そんな時に私は
「それはみんなに聞いてもらって、相談する内容」というのがピンと来なくて、
以前ブログにも書いたけど、
「相談」というものが、私の中で敷居が高かった。
・相談されたら、正しい答えを言わなければならない→相談されることに過度にプレッシャー
・相談をしてアドバイスを受けたら、できるだけアドバイス通り受け取って、その結果を報告しなければならない。
・相談をしてアドバイスをされても、それが自分には受け付けられないものなら、その場でそれを伝えなければならない。
といった、誤学習で、ある時期まで「相談とはこういうもの」と本気で思っていた。
私の中で「相談」はとても重い物で、重すぎて自分にも扱いきれず、
その重さを味わうなら、相談せずに自分一人で抱えていたほうが楽。
と思っていた。
また、一時期占いにはまってたんだけど、
占いって、「お金を払って視てもらう」というバランスが、自分には気楽で、
周囲に相談する重さより、多少高くても占いで視てもらうほうが楽だった。
あ、あと、相談しようかな、と思っても、
まずはどう説明すればよいのかが言語化できなくて
いろいろ考えているうちに、時期が過ぎたり、自分で答えを見つけたりもある。
占いだと、相手は悩みを聞き出すプロがそこそこ多いので、
会話はしやすかった。
あと、コラムにも書いてあったけど、
コミュニケーションの手段として「相談」技を使うなら
重い話題は逆効果。
とはいえ、私の日常のちょいとした悩みが、
周囲から見ると重かったり、ネガティブすぎたり、共感得られなかったりするので、
このブログで吐き出すのみになっているが。。
最近は、これまでの対ママデータベースで培われた
「こういう相談は話題の一つとして使えるらしい」テーブルから、
検索して、細々と使えるようにはなってきた。
ママ関係苦手だけど、それでも自分なりになんとかしたい、と
観察はしてたので、それは長い目で見て、タメにはなっているようだ。
園バス停データベースが特に強化されたので、
「この前の園プリントでこう書いてあったけど、どういう意味だろう?」
「この日、雨だけど、皆はどうする?」
とか、
雑談の一つとして「相談」「質問」を気楽に。
とはいえ、これ以外の場だと、まだまだデータベースが弱いので、
話に困ることは、今でも多々ある。
もっとこの「自己開示法」をうまく使えるようになりたいものだ。
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