そこにルールや規則性があることによって
その状況から意味を理解しているところがあります。
「哲学探究」の話の中で、石工と大工の言語ゲームの例え話があります。
(こちらは橋爪大三郎さん著の心はあるのか、から抜粋します)
(引用開始)
石工が何かを叫ぶ。建物を建てているところですが
使用する石に違いがあるらしく
例えば、大理石とレンガみたいな区別があって
石工が「レンガ」と言ったとき助手は
あやまたずにその「レンガ」を持ってくる。
それを観察している私は、何をやっているのか最初は分からないのですが
しばらく見ていると、レンガとはこういうもので
大理石とはこういうものだとわかってくる。
そして、石工が命令すると助手がそのようにするのだな、
というようなことを状況の中で理解していくものです。
(引用終了)
こうした言語ゲームと言われる話の中にもあるように
言葉に意味があるのではなく
人と人の関係性となる状況の中に
その意味が浮かび上がってくる、という点で
”言葉”の持つ意味について、深く考えさせられるものがありますね。
私達の言葉に対する誤解となるのも
ある一部分を切り取って
そこに意味の解釈を生み出していることもあります。
お互いの理解を深めていくのも
言葉に絶対的な意味があるのではなく
状況から浮かび上がらせていくものであること。
コミュニケーションの誤解にあるものとして
前提となるところの認識のずれが
お互いのやりとりをチグハグにさせていることもあります。
相互尊重のためも
相手の言葉で理解することが
大切になるところに行き着くものがありますね!
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