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2015年09月10日
結果を待つコトのツラさって、いつだってパネェよね。
資格だったり、就職だったり、何らかの試験の合否、
コンペに出した提案が採用されるか、
身体の具合が思わしくなく医療機関での精密検査の結果、
好きな異性に告った時(同性の時もあるかもだけど)、
カードやローンなどの審査が通るかなど・・・
人生には色々な場面で「結果をただ待つ」って時がある。
その待ってる間ってのが、何度経験しても慣れない。
例えば試験の場合・・・
試験終了直後は達成感と安心感に包まれる。
「やりきった」「全力で挑めた」「やっと終わった」
でも、問題は翌日からだ。
興奮がさめ、冷静になった瞬間、ヤツらが来る。
不安と自己卑下。
私自身は全力でやったけど、そもそも私なんかが
全力を出したところで通用するのか?
私がライバル達より優れている部分なんてあるのか?
冷静になればなるほど吐きそうなほどの不安が襲ってくる。
そして、自分を客観的に評価すればするほど、
自分の無能さ、無力さばかりがクローズアップされる。
やれるコトは全てやった。
あと、自分にできるコトは神頼みだけだ。
だけど、神頼みがどれだけ結果に影響を与えられるというのか?
祈らないよりは祈った方がマシというレベルに過ぎない。
でも、祈らずにはいられない。
「神様、どうか良い結果が出ますように」
と。
早く結果を知りたい。
でも、知った瞬間、絶望のどん底に落ちるのは明らか。
やっぱり知りたくない。
いや、もしかしたら良い結果かも・・・
いや、そんなワケない!
【以下永久ループ】
・・・だけど、結局「結果」は受け入れなければならない。
行動には必ず結果が伴うのだ。
自分が行動したということは、それに対する結果が必ず出る。
もし、結果を受け入れるのがイヤなら、行動しなければいい。
(まあ、自分が行動したくないと思っても、行動せざるをえない
コトが人生には多すぎる気がするが)
人は、ひとたび行動を起こしたならば、
結果を受け入れるしかないのだ。
そして、結果を受け入れる為に必要なのは勇気じゃない。
必要なのは「覚悟」。
どんな結果であろうと受け入れるという覚悟だ。
覚悟さえできれば、勇気などなくても結果を受け入れられる。
結果を聞く(見る)のが怖い時、覚悟を決めよう。
【追伸】
・・・ナンダカンダ本文で書いたけど・・・
結局覚悟が決まらないまま結果が出てしまい、
凹むコトが多い(笑)
2015年09月08日
片側3車線以上の道路で信号待ちの先頭になった時の注意点
まあ、タイトルには「3車線」以上と書きましたが、
2車線でも十分起こりうるコトですので注意が必要です。
片側が3車線、4車線の道路って当然道幅が広いです。
道幅が広いということは、その道を横断する歩行者が、横断する
のに時間がかかるってコトなんです。
では、ちょっと想像してみてください。
アナタは3車線のうち、真ん中の車線(第2走行車線?)の
先頭で信号待ちをしています。
左右を見ると、両隣ともトラックが信号待ちをしています。
なので、右も左もほとんど見えず、横断歩道も、ほぼ、自分の
正面しか確認できません。
信号が青に変わりました。
右隣のトラックはまだ動き出しませんが、アナタは勢いよく
発進します。
なぜならアナタは早めに加速して、右隣のトラックの前に
車線変更したいと思っているからです。
しかも右隣のトラックがもたついてて「ラッキー!」
次の瞬間、何が起こると思いますか?
そうです、皆さんの想像通りです。
いきなり右隣のトラックの前から歩行者が走って飛び出して
くるんです。
「え?!」っと思いますが、別に不思議なコトじゃありません。
歩行者はいつだって急いでます。
とくに、6車線も8車線もある道路を渡ろうとする時・・・
歩行者信号が点滅していたらどうしますか?
次に歩行者信号が青になるまで待ちますか?
そんな広い道路ですから、何分待たされるか分かったもんじゃ
ありません。
電車に乗り遅れそう、約束の時間に遅れそう・・・
ってなったら、きっとこう思います。
走れば渡りきれる!
それ以外でも、例えば歩行速度がゆっくりな高齢者など、
ゆっくり渡っている途中で信号が変わってしまうことは
よくあるコトです。
そう、右隣のトラックは、もたついていた訳ではなく、
残存歩行者がいたため、待っていたんです。
・・・そんなこと言ったって、トラックで見えなきゃ
防ぎようがないじゃん!
って思うかもしれませんが、諦めるのは早いです(笑)
今回のケースで最善の事故防止策は、
「両隣のトラックが動き出してから自分も発進する」
ことです。
そうすれば、かなりリスクを減らせます。
信号待ちの先頭は、色々な危険が潜んでいるので
注意が必要です。
【追伸】
それにしても、この交通事故防止カテゴリは
久々の更新になりましたね。
クルマを運転する時は、いかに想像するか。
これが大事なんじゃないかと思います。
2015年09月05日
やっぱり、頑張ってる人が報われてほしい。
頑張っている人って言っても、周囲から見て他人の2倍、3倍
努力しているって人だけではなく、自分なりに頑張っている
多くの人全て。
事情があって普通の人並みの努力ができない人、
(どんな基準をもって普通とするのかは定義が難しいとこだけど)
例えば他人の半分しか努力できないとか、
私のように他人の一割ほどしか努力できないとか、
色々あると思う。
だけど、じゃあ他人の半分しか努力できない人が他人の半分しか
努力してないかって言ったら、そうじゃない。
その人の中では、むしろ他人の2倍くらい努力していたりする。
それでも結果が出なかったりだとか、成果が上がらなかったり
だとかして、それこそ「普通の」人の10倍くらい苦しんでたり
することだってある。
だから、ぶっちゃけ他人との比較なんて意味がなくて、
それぞれの人が、それぞれの事情の中ですっごく頑張ってる訳さ。
結果的にそれが、周囲の人間に見える形で出るのか、
「コイツ全然やる気ねーし、努力もしねー」って映ってしまうのか
で、本人の精神的重圧が1000倍くらい違ってくる。
周囲から見て、他人の半分しか努力できない人が、他人より
結果が出にくい人で、実は他人より努力しているのに、周囲からは
「なにやってんだ、もっと頑張らなきゃだめじゃないか」って
言われてるのかもしんない。
そんな状況だったらココロが潰れてしまうよね。
だからホント、何が言いたいかっていうと、
結果が出ないからといって、
イコールあなたが頑張ってない訳じゃない
ってコト。
それだけは、忘れないでほしい。
願わくは、頑張ってる人全てが報われてほしい。
(あんまガンバってないけど、できれば私も、ね(笑))
【追伸】
なんか、夜のシゴト明けで、もうちょっと寝ていたいんだけど
どうも目が覚めてしまったし、最近あまりブログの更新も
できてなかったから、今、特に強く思ってるコトを、ダラダラ
書いてみたりしてみました。
いつものコトだけど、何言ってるかわからないコトに関しては
そっとスルーしてやってください(笑)
生きてるうちに、書けるうちに書きたかったんです(笑)
人間、明日も絶対生きてるなんて保証はどこにも無いですから。
2015年09月02日
あれから3年・・・目前。
こんにちは。
気付けば今年も9月に入りましたね。
このクソブログも今月の25日で3周年を迎えることとなります。
思えば、いろんなコトを書いてきました。
どの記事も、つい昨日の事のようであり、
遠い昔の事にも感じます。
私なりに全力で生き、全力で投稿した3年間です。
世界は、何事も無かったように9月25日を迎えることでしょう。
私は・・・どうでしょうか。
ナンダカンダ言いつつまだ生きているかもしれませんし、
一握りの勇気を振り絞り、安息を手にしているかもしれません。
五分と五分・・・といったトコロでしょうか。
以前から書いているように、私が自殺しない(できない)
大きな理由は
「死に対する恐怖」。
これを凌駕できる勇気さえあれば...... あれば...orz
私が購入した2015エヴァカレンダーも、なんとか9月・10月の
ページまでめくることができました。
・・・カヲルくんが優しい瞳で微笑んでいます
「僕にとって、生きることと死ぬことは同価値なんだよ」と。
・・・碇ゲンドウが厳しい眼差し(ゴーグルで見えないが)で
私を見つめる。
「人は自分の力で己の願望を叶えるものだ」と。
私にとっての本当の願望とは何なのか?
死んで永遠の安息を得るコトか?
生きて薔薇(いばら)の道を歩み、幸せを求めるコトか?
「ワカラナイ」が正解でしょうか...
いや、
絶望の先に必ずある
一筋の希望の光
を求めたいってのが本心かもしれないですね。
【追伸】
いつかくる(ハズの)優しい未来を胸に描き、信じながら・・・
もう少しだけ歩いてみようかな。