2013年03月03日
やる気とマズローの欲求5段階説
マズロ−の欲求5段階説というものがある。
第1段階は生理的欲求: 生きていくための基本的・本能的な欲求
第2段階は安心欲求: 安全・安心な暮らしがしたい
第3段階は社会的欲求: 集団に属したり、仲間が欲しくなったり、
第4段階は尊厳欲求: 他者からみとめられたい、尊敬されたい、
第5段階は自己実現欲求: 自分の能力を引き出し創造的な活動がしたい。
これらとやる気を組み合わせると面白い。
私の独断で割り振ると、
第1段階のやる気は、
赤ん坊、こどものやる気といったもので、
なんでも興味をもち、その興味に突き進んでいくやる気。
もともと人間本来備わっている興味・探求心。
第2段階のやる気は、
体罰の様に、勉強をしないと殴られる、とか
勉強をしないと、路頭に迷う、といったもので、脅迫観念から活動するやる気。
第3段階のやる気は、
褒められて育つといったもので、
褒められることで活動するやる気。
第4段階のやる気は
成績が上がり、他の人と比べて、成績が上位にくることにより、
周りの人から一目置かれることによるやる気。
第5段階のやる気は、
自分自身の将来に対してしっかりとした目標があり、その達成のために活動するやる気。
やる気も人それぞれで、その状況、環境で変わる、と思いますが、
個人的な偏見では、
学校は第2段階のやる気を中心に、勉を強いている様に感じる。
個性のある大勢の人を一括で管理するには、基本は第2段階のやる気でやらせ、
人によって、それぞれオプションを加える、といった様に感じる。
いろいろなしがらみがあって、その条件の元で、やる気を引き出している。
一方、塾は第3段階、第4段階のやる気を引出し、
それを強調してPRし、それを商売としている様にみえる。
塾としては、褒めて褒めて、勉強がわかる、と実感させて、
生徒には気持ちよい空間を与え、
親へは納得させる様に、ある程度のパフォーマンスを加えている。
学校では統率が必要であるため、
中学の先生は一段上の存在って感じの様である。
一方、塾は嫌であればやめればよくて、強い統率はいらないため、
塾の先生とは友達感覚で、
あだ名で呼び合い、和気あいあいとやっている。
塾への支払は順調に伸びているが、
仕方ないか、と思ってしまう今日この頃です。
第1段階は生理的欲求: 生きていくための基本的・本能的な欲求
第2段階は安心欲求: 安全・安心な暮らしがしたい
第3段階は社会的欲求: 集団に属したり、仲間が欲しくなったり、
第4段階は尊厳欲求: 他者からみとめられたい、尊敬されたい、
第5段階は自己実現欲求: 自分の能力を引き出し創造的な活動がしたい。
これらとやる気を組み合わせると面白い。
私の独断で割り振ると、
第1段階のやる気は、
赤ん坊、こどものやる気といったもので、
なんでも興味をもち、その興味に突き進んでいくやる気。
もともと人間本来備わっている興味・探求心。
第2段階のやる気は、
体罰の様に、勉強をしないと殴られる、とか
勉強をしないと、路頭に迷う、といったもので、脅迫観念から活動するやる気。
第3段階のやる気は、
褒められて育つといったもので、
褒められることで活動するやる気。
第4段階のやる気は
成績が上がり、他の人と比べて、成績が上位にくることにより、
周りの人から一目置かれることによるやる気。
第5段階のやる気は、
自分自身の将来に対してしっかりとした目標があり、その達成のために活動するやる気。
やる気も人それぞれで、その状況、環境で変わる、と思いますが、
個人的な偏見では、
学校は第2段階のやる気を中心に、勉を強いている様に感じる。
個性のある大勢の人を一括で管理するには、基本は第2段階のやる気でやらせ、
人によって、それぞれオプションを加える、といった様に感じる。
いろいろなしがらみがあって、その条件の元で、やる気を引き出している。
一方、塾は第3段階、第4段階のやる気を引出し、
それを強調してPRし、それを商売としている様にみえる。
塾としては、褒めて褒めて、勉強がわかる、と実感させて、
生徒には気持ちよい空間を与え、
親へは納得させる様に、ある程度のパフォーマンスを加えている。
学校では統率が必要であるため、
中学の先生は一段上の存在って感じの様である。
一方、塾は嫌であればやめればよくて、強い統率はいらないため、
塾の先生とは友達感覚で、
あだ名で呼び合い、和気あいあいとやっている。
塾への支払は順調に伸びているが、
仕方ないか、と思ってしまう今日この頃です。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image