2013年03月15日
学問のすすめ
学問のすすめ 初編
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの者を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。「実語教」に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。故に、医学、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。
とのこと。
人の上に人を造らず人の下に人を造らず、
といっても、貧しき人・富める人、貴人・下人など、
人と人には、雲泥の差がある。
賢人と愚人の差は、学ぶか学ばないかで違いが出来てくる。
だから勉強しよう、とのこと。
いまは、家柄でどうのこうの、ということはなくなった。
細かく言えば、実際は、塾にいく子、いける子といけない子で、成績もかわってくる。
子供の性格、能力、姿勢も親の生活に大きく影響を受けているが、
やる気及び能力が極端に高い人は、潰されることなく、成長できる世の中にはなった。
特に、福沢諭吉の時代は大きく世の中が動き、
勉強することが世の中に貢献出来る時代になってきた。
今も大きく世の中が動いていて、価値観が大きく変わって、
勉強することが世の中に貢献または自分の生き残りに繋がる。
しかし、今までと同じ勉強ではダメでしょう。
なにを勉強したらいいか?なにをしたらいいか?
(福沢諭吉の時代と違って、)それを見つけることが難しい。
ただただ感受性を高め、アンテナの感度を高め、勉強することか、と思う今日この頃です。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの者を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。「実語教」に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。故に、医学、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。
とのこと。
人の上に人を造らず人の下に人を造らず、
といっても、貧しき人・富める人、貴人・下人など、
人と人には、雲泥の差がある。
賢人と愚人の差は、学ぶか学ばないかで違いが出来てくる。
だから勉強しよう、とのこと。
いまは、家柄でどうのこうの、ということはなくなった。
細かく言えば、実際は、塾にいく子、いける子といけない子で、成績もかわってくる。
子供の性格、能力、姿勢も親の生活に大きく影響を受けているが、
やる気及び能力が極端に高い人は、潰されることなく、成長できる世の中にはなった。
特に、福沢諭吉の時代は大きく世の中が動き、
勉強することが世の中に貢献出来る時代になってきた。
今も大きく世の中が動いていて、価値観が大きく変わって、
勉強することが世の中に貢献または自分の生き残りに繋がる。
しかし、今までと同じ勉強ではダメでしょう。
なにを勉強したらいいか?なにをしたらいいか?
(福沢諭吉の時代と違って、)それを見つけることが難しい。
ただただ感受性を高め、アンテナの感度を高め、勉強することか、と思う今日この頃です。
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