2008年08月25日
松井秀、ミスターに並んだ!444本塁打
![](/gianst/file/27/UE4yMDA4MDgyNDAxMDAwMzM0Li0uLS5DSTAwMDP5DQ.jpg)
夜空に快音が響き、敵地のヤ軍ファンから大歓声が上がった。1点リードの七回、先頭の松井秀が右中間へ9号ソロ。2つの大きな節目を本塁打で飾ってみせた。
「ほぼ完ぺきですね。監督(長嶋氏)に並んだ? 現役時代をまったく知らないので並んだといわれてもピンとこない。もちろん光栄なことなんでしょうけど…」
記念のアーチは、最高の当たりだった。左ひざ痛から復帰後5試合で2本目となる一発で、日米通算444本塁打と大リーグ通算500打点を同時に達成。恩師である長嶋氏の通算本塁打数に追いつき、打点では2年先にメジャー入りしたマリナーズ・イチロー外野手(34)=通算464打点=より先に大台到達を果たした。
長嶋氏との出会いを抜きにゴジラは語れない。92年ドラフトで交渉権確定のクジを引いてくれた。球場に限らず東京・田園調布の自宅や、遠征先のホテルでマンツーマン指導も受け、日本を代表するスラッガーに育ててもらった。
よく食事をごちそうになった妻・亜希子さん(享年64)が亡くなった昨年は帰国翌日に墓参。長嶋氏も、松井秀が左ひざ痛を再発させた6月下旬に国際電話をかけ、ひざの状態を詳細に尋ねた。2人の師弟関係は今も続いている。
「きっと監督には『なんだ遅かったな』、『思っていたより時間がかかったな』といわれますよ」と松井秀が漏らしたのは、34歳の誕生日を7号逆転満塁弾で飾った翌日(6月13日)だった。この時点で442本としながら、直後に左ひざ痛で49試合も欠場。恩師の期待に十分応えられていないもどかしさは強く感じている。日米通算444本塁打も大リーグ500打点も通過点。左ひざを完治させ、記録を伸ばすことが恩師への最高の恩返しになる。
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