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2020年12月20日
歴代タイガーマスクの関連性
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80年代初めから一世風靡したタイガーマスクですが、タイガーマスクは歴代で5人存在しています。
初代タイガーマスクはご存知の通り佐山サトルが正体です。2年4ヶ月でマスクを脱いでいます。その後はザ・タイガー→スーパータイガー→タイガーキング→ザ・マスク・オブ・タイガー→初代タイガーマスクと名前を経ています。
2代目は全日本プロレスの三沢光晴が正体です。正体はどうやらメキシコ人らしい、というギミックを使いデビュー。デビュー前の写真が週刊ゴングに載りましたが、佐山選手のマスクをそのまま被ったためサイズが合わず、鼻も眉毛もほぼ出ており三沢だとバレバレのまま田園コロシアムでデビュー戦を迎えました。
越中詩郎にもマスクを被らせタイガーマスク・ブラザーズとしてデビューさせるプランもあったそうです。試合中に突然マスクを脱いでタイガーマスクを終わらせています。
その後は頸の神経損傷によりリング上で事故死されています。
3代目は金本浩二が正体。こちらは最初から正体を明かしてデビューしたケース。マスクがトロピカルカラーでかなり独創的でした。途中からヒール的な立ち位置でラフファイトを使い、レガースを着けたスタイルになってました。以後の金本の原型がここで出来上がっています。
4代目が現在新日本所属のY崎Y宏選手。デビューはみちのくプロレスで、その後に新日に移籍しています。
彼は元々修斗の門下生で、佐山先生に『プロレスやる?』と聞かれて「やりたいです」と返答したところ、『タイガーマスクでやるからね〜』でデビューが決まったとか。
5代目はミノワマンこと美濃輪育久。初代タイガーマスクと組んで一度試合をしています。一回きりのタイガーマスクだったと記憶しておりますが、タイガーのマスクを被るに至った経緯はよく分かりません。
歴代にカウントされない番外編はタイガーマスクW。正体は飯伏幸太。
アニメの放送開始と共に出てきましたが、サラッとフェードアウトしました。
こう見てくると、歴代の正体は全て名字と名前が同じイニシャルです。
初代=S.S 2代目=M.M. 3代目=K.K 4代目=Y.Y
美濃輪も「ミノワ・マン」とするならばM.Mなのかも????
2020年12月18日
神田伯山のプロレス番組 2月にスタート
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テレ朝チャンネル2ってことは、地上波ではなくCSだということが残念でならない。
2021年1.4のテレ朝チャンネル中継でプロレス実況席デビューを果たす講談師・六代目 神田伯山が、プロレスマスターの実況アナウンサー清野茂樹とともに「プロレスを学び、再発見する」番組が、2021年2月にスタートする。
伝説の新作講談「グレーゾーン」等により、演芸ファン、プロレスファンの間でも、プロレスへの造詣が深いことで知られる神田伯山。旧知の清野アナとタッグを組み、独自の視点でプロレスを深堀する。
伯山さんがプロレスに造詣が深いとは知らなんだ。八嶋智人がプロレスに造詣が深いのは知ってます。夕方のラジオ番組で坂口征二の入場テーマ曲「燃えよ荒鷲」を流した時は『この人スゲエ』と思いました!
選曲のセンスが素晴らしすぎる。
というワケで、坂口征二の『燃えよ荒鷲』を貼っておきます。
https://m.youtube.com/watch?v=1FIeAbnGukY
伯山さんのプロレス談義を地上波で聴きたいものです。
■放送概要 ※放送日時は変更になる場合あり
タイトル:神田伯山の”真”日本プロレス
放送日時:2021年2月スタート / 第3土曜 23:00-24:00 (予定)
出演:神田伯山、清野茂樹
チャンネル:テレ朝チャンネル 2
公式サイト:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/wrestling/
タグ:神田伯山
2020年12月16日
プロレス大賞2020
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内藤、良かったじゃないか。オカダが失速してくれたのも受賞の後押しだと思います。
G1制覇した飯伏も選考候補にならなかったのかな????
2020年度プロレス大賞(東京スポーツ新聞制定、デイリースポーツなど選定)の選考委員会が14日、オンラインで開かれ、最優秀選手賞(MVP)は内藤哲也(38)=新日本=が3年ぶり3度目の受賞となった。1月5日のオカダ・カズチカ戦で年間最高試合も初受賞。史上初のIWGPヘビー級・インターコンチネンタル2冠王座獲得し、陥落したものの、新日本が21年ぶりに開催した神宮球場大会で返り咲いたことなどが評価された。また、本年度は新人賞は設けず、来年度に「デビュー4年以内の該当選手」として選考する。
2冠達成でダブル受賞だ。MVPは17票中13票の圧倒的支持で、年間最高試合は3月29日のノア・潮崎豪−藤田和之戦との決選投票の末に受賞した内藤。オンラインでの会見で「1月4日、1月5日の東京ドーム2連戦を終えた時点で今年のプロレス大賞はもらったな」と胸を張った。
「10年間待ち続けていた」という盟友・高橋ヒロムとの一騎打ちをはじめ多くの試合が中止となった。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた1年を、「オレが思い描いていたものとは全く違った」と話しながらも、「内藤哲也らしい1年」と納得。年間最高試合に関しては「プロレス人生を思い出したときに、絶対思い出す試合なのは間違いない」と感慨深げだった。
だが、そこになぜかファミレスのテークアウトの品々が大量に届けられると、会見そっちのけで舌鼓。司会者の再三の要求に応じて、「コロナの影響でレスラーもお客さまも我慢の日々が続きますが、我慢の先に明るい未来があると信じ、一緒に乗り越えていきましょう」と来年の抱負を語って、会見を切り上げた。
これぞ東スポ。ファミレスメニューと内藤は切り離せません。
2020年12月13日
オールナイトニッポン
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80年代初めに起きたプロレスブームでは、ラジオ番組でも取り上げられていました。
主にニッポン放送だったのですが、山口良一氏がオールナイトニッポンのパーソナリティを担当しており、’82年4月に火曜2部で放送開始、同年10月の改編には金曜1部に昇格しております。
コーナー名は当初「プロレスアワー 」でしたが、猪木がゲスト出演したのをきっかけに『闘魂スペシャル』と改名されます。
深夜2時前後にコーナーが始まり、ほぼ毎週新日本の誰かがスタジオあるいは電話で生出演しておりました。金曜8時のワールドプロレスリングは当時生中継が多く、時々放送終了に終わらなかった試合については、2時まで結果を聴くために起きていたものです。たまに寝落ちしてしまって、気付いたら午前4時頃でした、ということも何度もあります。
初代タイガーマスクも出演したことがあります。
アントニオ猪木は同時期に、ニッポン放送で月〜金曜の夜8:45〜55頃の枠で「闘魂・ザ・ワールド」という番組を持っておりました。これはプロ野球中継がない秋〜春の期間限定で、野球中継が始まると土曜21:30〜22:00に変更されていました。
今のようにインターネットが無い時代に雑誌やラジオが情報源で、たまにフジテレビのオールナイトフジやテレビ朝日のトゥナイトでプロレス特集が組まれておりました。幻想と期待が入り混じった時代でしたね。
プロレスブームの終息と共に山口良一のオールナイトニッポンも‘85年4月に終了しました。
今思えば、全日vs新日の引き抜き合戦と大量離脱がブーム終息の始まりだったと思います。
YouTubeに上げられているオールナイトニッポンの一つを貼ります。是非お聴きください。
https://m.youtube.com/watch?v=MtWC4p0webQ
2020年12月10日
武藤敬司GHCタイトル挑戦
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「老いぼれだけど夢見てもいいだろ」
武藤敬司が57歳にしてノアのGHCに挑戦するそうです。
この春、自身が創設したWRESTLE-1が活動停止となった武藤は、フリーとして主戦場をノアに定めると早くから「ベルトを狙う」と公言していた。無観客試合にも出場し、丸藤正道らイニシャルMの選手を集めたユニット「M's alliance」を結成。松井珠理奈の加入も話題を呼んだ。
そうして勢力を拡大し、自身もシングルマッチで清宮海斗、谷口周平に勝つという結果を残した。11.22横浜大会での谷口戦後「TPOが揃ってきた」と語っていた武藤。ヒザに人工関節を入れる手術から復帰し、ノアマットでも着実に手応えを掴んできた。
そして12月6日の代々木第二体育館大会で「TPO」が揃った。この日のオープニングで、ノア11年ぶりの日本武道館大会が発表に(2021年2月12日)。メインイベントでは潮崎豪が杉浦貴との“死闘”を制し、6度目の防衛を果たした。最高の舞台に最高のチャンピオン。ここで動くのが武藤の嗅覚だ。
この大会、8人タッグ戦に出場した武藤はチームとしては敗戦。しかし清宮たちと真っ向からの攻防を展開、攻撃を受ける場面を含めて自身の調子を試しているかのようにも見えた。その上で自分にゴーサインを出したということだろう。
武藤はIWGPヘビー級、三冠ヘビー級のベルトを巻いた。いわゆる“メジャー3団体”頂点のベルトで巻いていないのはGHCヘビー級だけ。それは同時代、他団体のライバル的存在、三沢光晴が作った団体のベルトでもある。そのベルトを“ノアの聖地”武道館で巻けば、これほどドラマチックなことはない。
そろそろ清宮を王座から引きずり下ろしても良いと思います。
武藤敬司の入場テーマ『HOLD OUT』のリンクを貼ります。お聴きください。
↓ ↓ ↓
https://m.youtube.com/watch?v=6EYvI6wFPys
2020年12月08日
IWGP第一回リーグ戦
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IWGPは現在では防衛戦のスタイルを取っていますが、1983年の第一回から87年の第五回までは毎年決定リーグ戦が行われていました。画像は第一回ポスターです。
北米、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、中南米の各エリアから2名ずつ選出し、総当たりリーグ戦を行ないました。当時、全試合を見るために会社を退職したサラリーマンがいた事を週刊プロレスで読んで驚いたもんです。
チケット代、交通費諸々でいくら使ったんだろうか。
前田明(前田日明)はヨーロッパから凱旋帰国したため欧州代表でした。北米代表のディノ・ブラボーが家族の不幸により開催前から棄権し、代わりにラッシャー木村がリーグ戦に参加しています。
決勝戦は蔵前国技館で猪木vsホーガンが当たり、有名な「猪木舌出し失神事件」が起きます。知らされていなかったホーガンも猪木が舌を出して失神している様を見てオロオロしている場面が映っています。
アングルでは猪木の勝ちだったようですが、アントン・ハイセルの事業難航により翌日猪木はブラジルに出発するためにこのような終わらせ方にしました。事実を知った坂口征二は「人間不信」と書き置きして数日間失踪しています。
インターネットが無かった時代なので、猪木が渡航したことも当時はバレることもありませんでしたし、プロレス雑誌にも「猪木失神」の見出しだけでした。
同時期にタイガーマスク原作者の梶原一騎が監禁事件を起こしタイガーマスク使用権について新日本と揉めており、マスクやコスチュームのデザインを変えて出場していましたが、タイガーマスク使用権放棄のために新日本は改名を発表します。IWGPの次のシリーズ「サマーファイトシリーズ」終了後の8月、初代タイガーマスクが引退、新日本を脱退します。新キャラクターは世に出ることはありませんでした。
一説によると、「フライングタイガー」になる予定だったとか。
佐山氏は当時、結婚を会社に報告したものの『超極秘婚』を指示されたようです。他にも選手達のギャラを猪木の事業に流用疑惑、自分自身の格闘技路線願望もあり、引退を決意したと語っています。
IWGPは翌年以降も迷走していき、世界各エリア2名選出の定義も徐々に崩れていきます。
2020年12月07日
桜庭vs拳王のアングル
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最近は桜庭と拳王の対立をクローズアップさせたいのか、拳王から桜庭への一方的な攻撃の記事が目立ちます。一方的にやられた上でのアングルなのでしょうが、グレイシー一族にも飄々として闘った桜庭からすればこの記事のようにあしらうのは普通かと思いますが。
拳王の印象を「怖い。試合を楽しみながらやりたいので、あまり怒らないで下さい」と淡々と語る桜庭に対し、突然マイクを取り「何が怖いだよ。なめてるのか」と一喝。さらに「その棒読みみたいなセリフ。ちゃんと感情入れてしゃべれよ」と浴びせた。横からにらむ拳王に対し「俺の感情はこんな感情なんですよね」と桜庭は目を合わせず、前だけを見ていた。次の瞬間、拳王が、桜庭に襲いかかり、持っていたベルトで押し倒した。さらにテーブルの上から、倒れ込む桜庭の上に飛び乗り、KO。“敗れた”桜庭は腹を押さえ、スタッフに抱えられながら退場した。
2人は今月1日の後楽園大会でもやり合っていた。タッグマッチで対戦し、桜庭、NOSAWA論外組に敗れた拳王は怒りが収まらず、リング上でマイクを握って叫んだ。これには普段冷静な桜庭も激怒し、マイクを取ったがスイッチが入っておらず、場内は笑いに包まれた。
この行動に対しても拳王は「わざとやって、おちゃらけたまねをしやがって」と注文を付けたが、桜庭は「マイクはわざと切ってない。試合も楽しんでやっているだけ。そこに突っ込み入れられても困る」と柔らかに反論。暴言を浴びせてもかわされ、煮え切らない態度に、拳王がついにしびれを切らした。
「全盛期の桜庭和志。お前にないのは緊張感と殺気。それを出した上で倒す」と怒りが収まらない拳王に対し、「頑張るのは当たり前だけど、頭を働かせながらやりたい」とマイペースの桜庭。“前哨戦”は拳王の勝利となったが、どちらが強いかは、6日代々木のリングで決着をつける。
『NOAHだけはガチ』で突き進んで下さい。
※後書き///////6日の大会は桜庭は終始関節技を使い追い込んでいたようです。最後は拳王が桜庭を丸め込んでフォール勝ちしました。桜庭が敗けを飲む条件がこの形だったのだろうと思います。
2020年11月28日
ボビー・リー(マスクドハリケーン)逝去
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81年頃の新日本で、初代タイガーとマスカラ・コントラ・マスカラ(覆面剥ぎマッチ)を行なった選手がいます。
マスクド・ハリケーンことボビー・リー選手が逝去しました。
引退後は整体師に転職していたそうですが、当時の青少年のバイブルだったプロレススーパースター列伝では敗戦してマスクを脱ぐのを抵抗するハリケーンに「君も男だろう!」と言ってタイガーがマスクを剥ぐシーンがありましたが、実際には淡々とマスクを脱いでましたし、マスクにもオモクソ「LEE」と書いてあるマスクでタイガーと闘ってました。脱ぐこと前提のブッキングだったと思います。
エル・ソリタリオやエル・カネックなどよりもメジャーではなく、その後の来日は無かったと記憶していますが、覆面剥ぎマッチでインパクトは残しました。
初代タイガーマスクと対戦した覆面レスラー、マスクド・ハリケーン(本名ボビー・リー)さんが死去した。26日(日本時間27日)、母国のメキシコのメディアが報じた。70歳だった。死因は不明だという。
50年にメキシコ・レオンで生まれたハリケーンさんは23歳だった73年にプロレスラーとしてデビュー。81年に新日本プロレスで初来日し、同年10月の新日本蔵前国技館大会で、タイガーマスクとのマスクはぎマッチで対戦。完敗してマスクを脱ぎ、ボビー・リーの素顔を明かしていた。メキシコ帰国後、日本で学んだという技術を生かし、現役引退後は整体師に転身していた。
ご冥福をお祈りします。
2020年11月27日
東スポとカーンの良好な関係
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東スポが内藤をインタビューする度にファミレスでの食事を奢らされるのはお約束のネタではありますが、グレート-O-カーンが次のネタになりつつあります。勝てば賞賛記事、負ければボロクソな記事。東スポならば何の不思議もありません。時期尚早な感はありますが、カーンがどういう具合にTOP戦線に食い込んでいくか見ものではあります。
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新日本プロレス「ワールドタッグリーグ」24日の福島大会で、「ジ・エンパイア」のグレート―O―カーン、ジェフ・コブ(38)組がタイチ(40)、ザック・セイバーJr.(33)組に無様極まる2敗目を喫した。
現IWGPタッグ王者との公式戦に臨んだオーカーンは、開始のゴングを待たずしてタイチにモンゴリアンチョップで奇襲を仕掛けた。いかにも格下がやるような戦法で、情けないの一語に尽きる。リング上ではダメージを与えたタイチに「靴を舐めろ」などと暴君ぶるが逆効果。反撃のアックスボンバーで大の字となる醜態をさらした。試合に集中していない証拠だ。
ならばとザックの三角絞めを強引に持ち上げエリミネーターを狙うが、ここでタイチが救出に訪れる。ここでもオーカーンはエリミネーターでタイチを排除しようとするが、そんなワンパターンな攻撃は通用しない。のど輪で反撃される間にザックが回復したことに気づかぬ愚かさを露呈し、あっという間に1対2の数的不利に。「愚民」とは一体誰のことなんだか…。最後は王者組必殺のザックメフィストに沈められ、試合後のリング上では逆にタイチから「靴を舐めろ!」と迫られるという笑えないレベルの惨めさだった。
目も当てられない惨敗にもかかわらずオーカーンは「卑怯な手を使わなかったことは、ほめてやるよ。だがな、余とコブのコンビネーションがもっとよくなれば、次がないのは、貴様がよく味わっただろ…。此度は(勝利を)譲ってやるよ」と、この期に及んで見苦しい負け惜しみに終始。こんな調子で新日本プロレスの支配を目論むなど笑止千万だ。
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実際に、試合はカーン組に押されていた場面もあるようですが、結果として負ければこういう記事になります。
東スポとカーンの親密度合いが分かります。これが東スポクオリティです。
後日、カーンにインタビューして東スポ記者がカーンにドヤされる、という展開が楽しみであります。
2020年11月26日
至高のチャンピオンベルト
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80年代、アメリカの3大プロレス団体といえばNWA、AWA、WWF(WWE)でした。全日本がNWA、新日本がWWFと提携しており、新日本もNWAと提携していたものの馬場がNWAの幹部に名を連ねていたため、NWAのタイトルマッチは全日本が優先されました。そんな中でも初代タイガーマスクのNWA世界ジュニア王者は異例でした。
同時期に大仁田がNWAインター王者だったのですが、タイガーに対戦を要求していたのは今では懐かしい話です。
その後、20年以上の時を経て両者は対峙します。有刺鉄線バットや実況席のテーブルを使うという、見たくもない形で。タイガーのパートナーは貴闘力でした。貴闘力の息子の納谷幸男は昭和の大横綱・大鵬の孫だけありガタイは良いのですが、いかんせん師匠の佐山氏が甘やかしてしまったため残念なプロレス経歴となっております。
さて、80年代当時のベルト価値としては、NWAが最も権威があったと思います。ドリー&テリーのザ・ファンクス、ジャック・ブリスコ、ダスティ・ローデスやリック・フレアーが巻き、特に長期的王者だったのがハーリー・レイスです。下の画像はテリーとジャック・ブリスコです。テリーのベルトは地球の部分がボコボコに凹んでいます。
私はNWAのベルトが一番カッコいいと思っていました。レプリカとして現在も販売されておりますが、本物と較べるとやはり見劣りします。左が本物、右がレプリカです。
本物の方がプレートが鮮やかな金色で、地球の中のNWAの文字も微妙に違います。周りに巻いてある革紐も本物は太く重厚感があります。横に付いている国旗の位置も違いますが、コレは王者によってチョコチョコ変わります。
下の画像はドリーが巻いていた頃のベルトのデザインです。日本プロレス時代の猪木がドリーに挑戦し、60分フルタイムで引き分け王座奪取ならず、という結果だったと記憶しています。
80年代後半にはアメリカの地方下部団体がNWAからの離脱が相次ぎNWA自体衰退、ベルトの価値も落ちてしまいます。蝶野や橋本、小川直也も一時期ベルトを取りましたが、黄金期には程遠い価値です。
WWEはご存知の通り勢いは凄いものです。もっとも、『劇場型』のお芝居ですが。
現在ではNWAよりもIWGPの方が価値は高いとされております。しかし、NEVERとかインターコンチとか必要ですかね?