2020年12月08日
IWGP第一回リーグ戦
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IWGPは現在では防衛戦のスタイルを取っていますが、1983年の第一回から87年の第五回までは毎年決定リーグ戦が行われていました。画像は第一回ポスターです。
北米、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、中南米の各エリアから2名ずつ選出し、総当たりリーグ戦を行ないました。当時、全試合を見るために会社を退職したサラリーマンがいた事を週刊プロレスで読んで驚いたもんです。
チケット代、交通費諸々でいくら使ったんだろうか。
前田明(前田日明)はヨーロッパから凱旋帰国したため欧州代表でした。北米代表のディノ・ブラボーが家族の不幸により開催前から棄権し、代わりにラッシャー木村がリーグ戦に参加しています。
決勝戦は蔵前国技館で猪木vsホーガンが当たり、有名な「猪木舌出し失神事件」が起きます。知らされていなかったホーガンも猪木が舌を出して失神している様を見てオロオロしている場面が映っています。
アングルでは猪木の勝ちだったようですが、アントン・ハイセルの事業難航により翌日猪木はブラジルに出発するためにこのような終わらせ方にしました。事実を知った坂口征二は「人間不信」と書き置きして数日間失踪しています。
インターネットが無かった時代なので、猪木が渡航したことも当時はバレることもありませんでしたし、プロレス雑誌にも「猪木失神」の見出しだけでした。
同時期にタイガーマスク原作者の梶原一騎が監禁事件を起こしタイガーマスク使用権について新日本と揉めており、マスクやコスチュームのデザインを変えて出場していましたが、タイガーマスク使用権放棄のために新日本は改名を発表します。IWGPの次のシリーズ「サマーファイトシリーズ」終了後の8月、初代タイガーマスクが引退、新日本を脱退します。新キャラクターは世に出ることはありませんでした。
一説によると、「フライングタイガー」になる予定だったとか。
佐山氏は当時、結婚を会社に報告したものの『超極秘婚』を指示されたようです。他にも選手達のギャラを猪木の事業に流用疑惑、自分自身の格闘技路線願望もあり、引退を決意したと語っています。
IWGPは翌年以降も迷走していき、世界各エリア2名選出の定義も徐々に崩れていきます。
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