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ギタリストでたどるジュニア・パーカー

 今回は、大好きなブルース・マン、Little Junior Parkerについて、自分の頭を整理するため、録音データをチェックしてみました。

 
Floyd Murphy
 Feelin' Good / Memphis 53年
 

 ジュニア・パーカーは、モダン・レコードへ数曲の習作の録音を経て、サン・レコードへ移籍します。
 そこで、吹き込まれたのが、マジック・サムほか、多くのカバーが生まれた、Feelin' Goodでした。

 この曲は、多分ジョン・リー・フッカーの成功に触発されて、製作されたものだと思われます。
 この時のギターは、フロイド・マーフィーと言う人でした。
 マット・マーフィーの縁者ということで正解でしょうか?

 ジュニア・パーカーのサウンドは、モダンなスタイルに、サニー・ボーイやジョン・リーの影響を受けたダウン・ホ−ムなハープが絡んでくる、無類のスタイリッシュなカッコよさが、私を魅了してやみません。

Pat Hare  
 Love My Baby / Memphis 53年
 Mystery Train /Memphis 53年
 I Wanna Ramble /Houston 54年


 そして、ロカビリー・クラシックとなった、Love My BabyMystery Trainが、パット・ヘアのギターによって、サン・レコードで吹き込まれます。

 とくにMystery Trainは、2年後の55年に、レーベル・メイトのエルヴィスに取り上げられ、不朽の名作となりました。
 
 その後、ジュニア・パーカーは、ヒューストンのデューク・レコードへと移籍しますが、伴奏チームのBlue Flamesの核である、パット・ヘアが同行し、数々の名作を吹き込むことになります。

Roy Gaines
 Driving Me Mad /Houston 55年
 (Pretty Baby /Houston 55年)


Pat Hare
 (Pretty Baby /Houston 56年)
 Mother-In-Law Blues /Houston 56年
 Next Time You See Me /Houston 56年
 That's All Right /Houston 57-58年
 
 
 Pretty Babyのギターについては、98年に出された米MCAのCD、Backtracking Duke Recordings Vol.Two では、パット・ヘアとなっていましたが、06年発売の仏クラシックス盤では、ロイ・ゲインズとクレジットされています。

 一応併記しましたが、原盤を所有している本家MCAが正しいとみるのか、近年の復刻CDの記述が、リサーチが進んだ最新の研究成果と考えるのか悩むところです。

 ただ、ロイ・ゲインズは、結局その後あまり起用されず、やはり、気ごころの知れたパット・ヘアが、エースとして綺羅星のような名作を残すことになります。  

Cralence Holliman
 You're On My Mind /Chicago 60年


 しかし、60年代に入ると、シカゴやナッシュビルでの録音が始まり、パット・ヘアは姿を消します。
 パット・ヘアは、確か殺人を犯して服役することになり、音楽シーンを去ったのだと記憶しています。
 それが、この時期だったのかも知れません。
 以降は、クラレンス・ハラマンと、ウェイン・ベネットが、エースの後釜となったのだと思われます。

 ちなみに、ハラマンの綴りですが、06年の仏クラシックス盤では、Hollimanと表記されていることを確認しました。 

Wayne Bennett
 Annie Get Your Yo-Yo /Nashville 61年


・ギタリスト不明
 Sweet Home Chicago /Chicago 58年
 Sometimes / Chicago 58年
 Driving Wheel /不明 60-61年
 In The Dark /不明 61年?
 Yonder's Wall /不明 62-63年?
 The Things I Used To Do /不明 63年


 ジュニア・パーカーについては、50年代半ばから60年代の録音データのリサーチが遅れているようで、録音場所、伴奏メンバーが不明の例が、ままあるようです。

 このあたりは、既に明らかになっている可能性もありますが、近年編集盤が出ていない事もあって、新たな資料が、私たちの眼にとまる機会がありません。

 これらの曲では、ハラマンないしはベネットが弾いたと推察されますが、せめて上記の代表曲くらいは、ぜひとも私たちが容易に知るこ機会を提供してほしいものです。

 その後、デュークを離れてからは、他のギタリストと組んだりもしますが、要所々々では、ウェイン・ベネットがメインのギタリストとして存在感を発揮する仕事をしています。

 ダグ・サームは、彼のことを「My Man」と呼び、アイドル視していましたが、68年には、ついに念願がかなってプロデュースをし、4曲を録音します。
 この内、3曲がBlue Rockから、Honny Drippin' BluesというLPに収録され、シングルも発売されています。(LPの3曲の内、2曲はダグ・サームの作品です。)

 ジュニア・パーカーが亡くなったのは、71年、40歳の時のことでした。



 その後、未発表だった1曲は、98年になって、ようやくI'm So Satisfied Complete Mercury & Blue Rock Recordingsという再発編集盤に収録され、初めて世に出ます。

 ダグ・サームが天に召されたのは、翌年99年のとでした。

 このダグ・サーム製作の4曲は、05年に、Doug Sahm And The Sir Douglas Quintet The Complete Mercury Recordingsという5枚組セットのDisc4に、まとめて収録されました。

 デューク時代の全貌を明らかにする、徹底したこだわりの編集盤のリリースを渇望します。



こちらは、代表曲のひとつ、「ママ母ブルース」です。



 こちらは、パット・ヘアのその後の人生を暗示する「俺はあの娘を殺っちまう」です。




 関連記事はこちら  リトル・ジュニアが大好き

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