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2019年07月21日

明日死ぬとしたら…


別に死にたいわけじゃない

でも否応なしに最近「死」について考えるようになった

そう思うようになったのは

ひとつは そこそこ年齢を感じるようになったから
年取ったなという感覚もそうだし、
健康面でも昔ほどには元気ではないというか
中高生のときみたいに体力も満ち溢れているわけでもないというのを感じるようになってきた
昔ほどには体も言うこと聞かなくなってきた
だから、年は確実にとっていくわけだし、あまりいつまでも元気で生きていられると思ったら
あまりよくないよなって思うようになってきた


それともう一つの理由が大きいけど
何かの事件や事故に巻き込まれて死ぬことも普通にありえるな、と

最近ニュース見てると、理由がよくわからない、不可解な殺人事件とか多すぎる
通り魔とか、こないだの放火とか
頭おかしくなっちゃった人だから…というのもあるけど 多すぎる

あとご年配の方の交通事故とか
これは感覚や神経がおかしくなっちゃった人だけど

ともかく、 いくらこちらが振る舞いに気を付けていても
触らぬ神にたたりなしで、近づかないようにしていても
ある日突然向こうからそれがやってくる
何の理由も前兆もなく…

それと天災も多い
ほぼ毎年なんか一大事になるような災害が起きてる
これもまた何の前兆もなく…

こんな状況を物心ついたときからほぼ毎年ニュースをとおしてみている
そう考えると
なんか今まで生きてこれたこと自体がものすごく幸運だったんじゃないかなと思えてくる


今までは 
「2,3年後にはこれをやろう。こうしたい」
「来年にはこれをとりたい、これをマスターしたい」
みたいな感じで常に「次がある」「明日がある」「将来がある」みたいな感じで
ある程度先があるという感覚で「数年から5年くらいの計画を立てては微調整するような生き方」をしてきたと思っている

でも、どんなに将来への希望や意思を持って生き続けていても
一瞬で命がうばわれてしまうようなことがあるのなら
もっと短いスパンで、「ゆくゆくやりたい」と思っていたようなことをやっていったほうがいいのではないかと思える

「ある程度経験を積んだらやりたい」
「ある程度貯金を得て、自分の生活に余裕ができたらやりたい」とか
それに期待していないで、もうやりたいと思ったことをやるべきじゃないか
そう思えてきた


「寝屋を出るより、その日を死番と心得るべし。」
藤堂高虎のいうように
今日が死ぬ日だと思って
自分のやりたいことをやっていこうと


それで少し思った

人生のなかで達成したいこと、
言い換えれば
死ぬまでにやりたいこと、
死ぬときに「あれやりたかった」というように後悔しないように

自分の人生をとおしてやりとげたいことというのをこれから整理していこうと感じた

それにしても今日も昨日も毎日酒を飲まずにはいられませんな
もうそれもあまり自分を責めないことにした
考えれば考えるほど焦るだけだから

それにこの日記は【酔いどれ日記】なんだし
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