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八幡浜Diving
ダイビングを初めて40余年になります。ダイビングに関することは何でも紹介します。人生において役に立つことも紹介したいと思います。
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高邁な理想論への嫌悪

 番狂わせは起きなかった。
ハリス氏の一番の弱点は、現職の副大統領だった事だろう。
不人気なバイデン大統領の政策に拘束されて、それを否定する事も擁護する事もできず、トランプ氏の攻撃に応える術がなかった。
ハリス氏の支持者からすれば、自分の賃金さえ上がれば人種差別も重大犯罪も民主主義も国際秩序も如何でもいい、と言う選択を米国はした事になる。
だが、そう言う正義感ぶった見方こそ、正に彼らが嫌われる理由なのである。
高邁な理想を論じる事ができるのは、日々の暮らしに不安のない裕福な連中だけだ。
トランプ氏が勝った理由は、ハリス氏が負けた理由の裏返しではない。
トランプ氏には、超富裕層の I T 起業家らの後押しがあり、白人至上主義を掲げ、キリスト教公認の国家再興を願う不穏な勢力の下支えがある。
これからの4年間に、こうした人々は米国をどの様に造り替えてゆくのだろうか。
リベラルな民主主義は彼らを許容するが、彼らがその逆を許容するとは限らない。
 東京女子大学長  森本 あんり  1956年神奈川県生まれ。 専門は神学、宗教学。 
 著書に「不寛容論」「キリスト教で辿るアメリカ史」「反知性主義」など。
                                      愛媛新聞 寄稿から
彼女が選んだのは「時めき」重視の大整理戦略らしい。

オンライン賭博 急拡大で警鐘

 英国の医学誌ランセットの姉妹誌「ランセット・パブリックヘルス」の委員会は、商業ギャンブルの国際的な広がりが健康や福祉に齎す悪影響に懸念を表明、規制強化を提言した。
委員会共同議長のヘザー・ウォードル英グラスゴー大教授は「ギャンブルと言うと殆どの人は伝統的なラスベガスのカジノや宝籤を思い浮かべるが、人々を誘い込む最新技術を活用した巨大テクノロジー企業と思いもしない。今や携帯電話を持っている人は誰でも1日24時間、ポケットの中のカジノにアクセスできる様になった」と危機感を述べた、
商業ギャンブルは多額の借金を負わせるだけでなく、心身の健康問題や人間関係の破綻、自殺や家庭内暴力の可能性、犯罪の増加や雇用の喪失にも繋がるとしている。
インドネシアの研究者は「国内の法執行機関ではこれらの国際サービスのアクセスを制限する事ができない」として、国際協調による規制強化の必要性を訴えた。
                                      愛媛新聞 暮らしから
ギャンブル依存症は恐ろしい。
賭けはしない方が良い。
人生自体が賭けの様な物だ。

罪を感じる心

 ダイエット中なのにケーキを食べてしまった後や、門限に遅れて家族に一寸した嘘を突いてしまった後、自分を責める様な感情が喚起される。
この様に社会の規則や自分の中のルールに背いた時に罪の意識を感じ、自分を責める感情の事を罪悪感と呼ぶ。
日々の生活の中で罪悪感が生じる場面は、三つに大別する事ができる。
一つ目は、友人を裏切ったり、他人の物を失くしたりして他人を傷付けた場合である。
二つ目は、他者への配慮が不足していた場合である。
例えば、困っている人を助けないで無視した場合に、罪悪感が生じる。
三つ目は、自分の欲求に負けてしまった場合である。
やるべき事を後回しにしていると自責の念が高まってくる。
罪悪感は特別な感情ではなく、日常的に経験している事が分かっている。
日常生活で最も罪悪感が生じる状況は、嘘を突いた場合である事が分かっている。
2番目は、仕事などが忙しく家族との十分な時間がなかった状況である。
この様に、現代の社会では、他人を裏切った場合や自分の利益を優先し過ぎて家族に対して配慮ある行動ができない場合に罪悪感が生じる。
何故私たちは罪悪感を感じるのだろうか。
罪悪感の社会的な機能に注目する事で、私たちが罪悪感を持っている理由が理解できる。
例えば罪悪感は、誤った行動をしてしまった場合に謝罪行動を促す事で、その後の人間関係を円滑にする役割がある。
又、罪悪感が生じない様に他者に対して親切な行動を取る様になり、思いやりのある社会になっていく。
詰まり、罪悪感と言う感情がある事によって、私たちは適切な人間関係を築き、お互いに支え合う社会を形成していると考えられる。
更に、罪悪感には社会のルールに背く行動を抑制する役割がある。
罪悪感の程度が低い個人は将来、問題行動を起こしてしまう事が分かってきている。
詰まり、罪悪感を適切に感じる事は問題行動の抑止・予防に繋がるのである。
但し、極端に罪悪感を感じる状況は望ましくない。
例えば、強く自分を責める感情を持ち続けたりしてしまうと、何も行動できなくなる。
そうならない為にも罪悪感を良く理解し、適切に感じる事が重要になってくる。
 野内 類  人間環境大学総合心理学部教授
                                      愛媛新聞 四季録から
罪悪感を適切に感じる事は問題行動の抑止に繋がるらしい。
裏金議員は罪悪感を感じていない様だから、止めさせた方が良い様だ。

2024年11月15日

「103万円の壁」の先

 国民民主党が、働き控え解消策として掲げた「103万円の壁」に注目が集まっている。
「103万円の壁」打開策の効果は大きい様に見えるが、そう単純ではない。
抑々「103万円の壁」とは、年収が103万円を超えると所得税を支払わなければならなくなる事を意味するが、所得税は103万円を超えた部分に掛かる為、実はそれ自体では手取りは左程減らない。
但し、扶養者の扶養控除がなくなる為、学生アルバイトなどの場合は家計単位で増税になり、この点で一定の対応は必要かも知れない。
だが、学生の本分は学業である事からすれば、苦学生の生活費には奨学金で対応するのが本筋であろう。
就業調整を行っている多数派は所謂主婦(夫)パートである。
然し、主婦(夫)パートの場合は配偶者特別控除により、収入増で手取りが減る事を避ける仕組みが導入されているのが実情だ。
こうして見れば、控除をストレートに178万円に引き上げた時の就労促進効果は左程大きくない。
働き控えで真に問題になるのは「103万円の壁」の先の「壁」である。
夫(妻)に扶養されている配偶者である「第3号被保険者」から外れて社会保険料を支払う義務が発生する「106万円の壁」と「130万円の壁」の事だ。
控除額を178万円に引き上げても、これらの「壁」は解消されない。
石破政権が議論すべきはその本格的な改革だ。
問題の本質は第3号被保険者制度にあり、その抜本改革に何処まで踏み込めるかが試金石である。
この制度は「男は仕事、女は家庭」と言う昭和的家族観を前提に、女性の社会での本格的な活躍を遅らせ、経済的自立も妨げている。
現実には、この制度を失くし、一律に保険料を求めるにしても、年金制度の移行で通常見られる十分な移行期間の設定や、本人負担の減免など移行期における支援策を工夫する事が求められる。
とは言え、労働力不足が深刻化し、3組に1組以上が離婚する我が国の現状を直視すれば、最早先送りは許されない。
 法政大教授  山田 久  1963年大阪府生まれ。 京都大卒。 
 日本総合研究所を経て2023年から現職。 専門はマクロ経済分析や経済政策。
                                       愛媛新聞 視標から
国民民主党も自民と同様、理論がええ加減。
騙されない様一生懸命考えよう。
先ず考えるのは「130万の壁」。
はや立憲民主が結論を出している。

傾聴放棄 助言者も不在

 政治的識見、政策を研究する姿勢などは、自民党で抜きんでている様に思う。
発言を整理しているだけでなく資料もきちんと揃えて持ってくる。
その石破氏を担いだ自民党が無残な敗北を喫する。
敢えて理由を探すならば、重要な視点として2点挙げたい。
第一に、この結果は安倍元首相及び岸田前首相が進めた政治の敗北なのに、「安倍・岸田・石破」政治への不信任となってしまった。
第二に、首相に就任する際は、国の方向性を明確にする為に各方面の意見や考え方を聞かなければいけないのに、石破氏はその時間を自ら放棄したと言う事だ。
石破氏は首相候補として名が知られていた。
然しブレーンや知恵袋の存在が見えない。
助言者を欠いているのではないか、と思える。
「安倍・岸田」政治は、裏金問題、安直なポピュリズム、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題を引き起こし、政治家の資質を可成り劣化させた。
真面目に政策を研究する石破氏には、耐えられない不満があったはずである。
石破氏は安倍政治や岸田政治の枠内に取り込まれた様な形になった。
3者が一体になった。
これが敗北の理由であろう。
そして第二の点である。
首相は相談相手やブレーン、更には専門家の意見を聞く構えを持たなければならない。
詰まり権力の恐ろしさを自覚すると言う事だ。
例えば大正期の首相、原敬の日記を読むと、有力政治家らは言うに及ばず、新聞記者、外交官など実に多くの人たちと会って、意見を聞いている。
こうした姿勢が評価されたと見られる。
私はこの姿勢が今も政治家、特に首相には求められていると思う。
 ノンフィクション作家  保阪 正康
                                      愛媛新聞 現論から
多くの人たちに会って意見を聞く。
そして国民目線で政策を考える事が大事らしい。
こんな資質試験が政治家にはいると思うけど?。
地方も国の政治家も73歳定年制、資質試験をしたいと思いませんか?。

2024年11月14日

うんともすんとも

 気付きと言えば、大きな物から、取るに足らず言うのも憚られる物までありますが、今日のお話は後者の方です。
或る日幾つか変な?言葉が頭に浮かびました。
先ず「うんともすんとも、わんさか、とどのつまり、とことん、よほど」-----続いて「すっからかん、あながち、さぞかし、ややもすれば」。
これらの言葉について「一文字一文字の集合体として初めて約束事の様に意味が分かるのではない」と感じました。
更に言えば「外来語の様な意味の持ち方ではない」と言う気付き。
詰まりこれらの言葉は、大脳で約束事を覚えるステップを全く素通りしても、感覚で十分意味が分かる訳です。
世界各国の文化に通用するグローバルスタンダードな単語の意味を引き出すには、文字の集合体として頭で約束事を覚えるに尽きます。
例えば英語の「 impossible 」。
「 im 」はさておき「 i 」にも「 m 」にも「 p 」にも単独での意味はありません。
一つ一つの文字は無意味だが、全体では「無理」と言う意味だと覚えます。
国や文化によって程度の差こそあれ、これがランゲージ'(言語)の大前提です。
所が先述の頭に浮かんできた言葉の数々、例えば「うんともすんとも」から、この大前提は微塵も伝わってきません。
「集合体の『うんともすんとも』になって初めて『全然返答がない』と言う意味を持つ」-----その様な事にはならないのです。
他説もありますが「うん」は出掛かりで、「すん」は進行の状態。
大脳レベルで訳すと「出て来ずとも進まずとも」の意味ですが、感覚で捉えているので「うんともすんとも」の意味を聞かれても「そのままでしょう」としか答え様がないのが自然です。
あれ? 「自然」も正しく「自ず」と「然り」ではありませんか。
約束事なんか要らないと又知らされた様で、あ〜、又気付きが増えました。
 為沙 道中  翻訳会社経営
                                     愛媛新聞 四季録から
毎日の生活は気付きの連続らしい。
うんともすんとも。