あらゆる人を公正に扱い、残酷さを少しでも減らす事。
それは理屈の上で正しく、他者について考える余裕さえあれば、誰も反対するものではない筈だ。
然し、その余裕もない程困窮していたら如何だろう。
自分の持ち分が既に危ういのに、それを見も知らぬ誰かに譲る事などできるだろうか。
況してや、余裕がある様に見える者が理念を唱える時、その言葉は往々にして既得権益を守るものとして働き、寧ろ反感を招くだろう。
バイデン政権の4年間、民主党は矢張りこの課題を克服できなかった。
後嗣て、理念を唱えるエリート政治家よりも、遠い国より自分たちの生活が大事と言い放つ人物は益しに見えるだろう。
第2次トランプ政権を考える時、ローティの予言は又異なる視座を提供する。
大統領の隣に、同じ位存在感を持つもう一人の「強い男」、世界一の大富豪にして身も蓋もない本音を語るイーロン・マスク氏がたっているからだ。
何れも巨大テック企業の経営者が既存メディアに攻撃・介入し、結果的にトランプ氏再選に貢献した。
日本でも兵庫県知事選でのソーシャルメディアの影響が記憶に新しい。
もう一つ注目すべきは米連邦取引委員会の委員長人事だ。
巨大テックの規制強化を打ち出してきたリナ・カーン氏から慎重派のアンドリュー・ファーガソン氏に代わる。
新政権は規制緩和に舵を切る可能性が高い。
懸念されるのは「言論の自由」を名目とした虚実混ざり、偏見や差別も含むインターネット言説の放置だ。
然し私たちは、私企業が国家を凌ぎ兼ねない存在になった時代に生きている。
民主主義の重要な要素である報道や言論の在り方、そして公的な物として私企業を縛る国家の在り方。
何れもこれまでの時代には不可欠だった物を、不可逆的な形で捨て去ろうとしているのだろうか。
今ローティの予言は更に不吉にも響く。
「強い男」が社会に燻る不満と不信を焚き付ける存在ならば、これから私たちを煽り、動員する扇動者は、最早公権力の及ばぬ、発言の虚実はおろかその実在も確かめられぬ無責任でバーチャルな主体かも知れないのだ。
朱 喜哲 哲学者 1985年大阪市生まれ。
大阪大社会技術共創研究センター招聘准教授を務める他、データビジネスに従事。
専門はプラグマティズム言語哲学など。
著書に「人類の会話の為の哲学」「<公正(フェアネス)>を乗りこなす」など。
愛媛新聞 論考2025から
如何なる事やら?。
物価高で、生活は苦しくなる事は避けねばならない。
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