2022年06月27日
第11訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第11訓を垣間見てみます。
序文
西洋は、文明国か?野蛮国か?
という議論内容だが、
私は、日本の文明の概念と今後の外交の
指針となるものではないかと感じると共に
別の視点でみることが重要性で見る眼力が必要性を感じさせます。
原文
文明とは道の普く行はるるを、賛称せる言にして、
宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。
世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やらちとも分からぬぞ。
予、甞或人と議論せしこと有り、
西洋は野蛮ぢゃと云ひしかば、
否な文明ぞと争ふ。
否な否な野蛮ぢゃと畳みかけしに、
何とて夫れ程に申すにやと推せしゆえ、実に文明ならば、
未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、
左は無くして未開蒙昧の国に対する程、むごく残忍の事を致し、
己れを利するは野蛮ぢゃと申せしかば、
其の人口を莟めて、言無かりきとて笑はれける。
仮名入り
ぶんめい みち あまね おこな さんしょう げん
文明とは道の普く行はるるを、賛称せる言にして、
きゅうしつ そうごん いふく びれい がいかん ふかい い あら
宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。
せじん とな ところ なに ぶんめい なに やばん ち わ
世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些とも分からぬぞ。
よ かつ あるひと ぎろん あ
予、甞て或人と議論せしこと有り、
せいよう やばん い
西洋は野蛮ぢゃと云ひしかば、
い ぶんめい あらそ
否な文明ぞと争ふ。
い い やばん たたみ
否な否な野蛮ぢゃと畳みかけしに、
なん そ ほど もう お
何とて夫れ程に申すにやと推せしゆえ、
じつ ぶんめい みかい くに たい
実に文明ならば、未開の国に対しなば、
じあい もと こんこんせつゆ かいけい みちび べ
慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、
さ な みかいもうまい くに たい ほど
左は無くして未開蒙昧の国に対する程、
ざんにん こと いた
むごく残忍の事を致し、
おの り やばん もう
己れを利するは野蛮ぢゃと申せしかば、
そ ひとくち つぼ ことばな わら
其の人口を莟めて、言無かりきとて笑はれける。
私流訳
文明というのは道義、道徳に基づいた考え方や行動が
広く行われることを称える言葉であって、
宮殿が大きく立派であったり、身にまとう衣服が綺麗あったり、
見かけが華やかさや壮大であるいうことではない。
世の中の人の言うところを聞いていると、
何が文明なのか、何が野蛮なのか少しも。
自分はかってある人と議論した事がある。
自分が西洋は野蛮だと言ったところ、
その人は、西洋は文明だと言い争う。
いや、いや、野蛮だとたたみかけて言ったところ、
なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと強く言うので、
もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、
慈しみと愛情をもって接するはずだ。する心を基として、よくよく説明説得して、
文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、
開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして、
自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮であると言ったところ、
その人もさすがに口をつぼめて返答出来なかったと笑って話された。
私流解釈
西郷が政府から引退するのが、明治6年(1873)で、あります。
この時には、まだ、日本は本土以外に併合地など
海外に領土をまだ、もっていなかったが、
列強は次々とアジアの国々を植民地にし、
自国の営利のために搾取し、奴隷にした。
しかし、日本は日清戦争から大東亜戦争終結まで、
現地の国々に植林をし、学校・病院を建て、
水利事業や農業発展を行った。
西洋諸国が、植民地でその人ために何をしたのかという点ではまったく違うのである。
日本は古来から、戦争は軍人同士の戦いで軍人の恩賞や給与は殿様や領主から支払われた。
そして、獲得した領地の人を奴隷にしたとか、重労働させることはない。
日本はアジア諸国に進撃をしたが、そこでは西洋の軍人と戦って、
現地の一般市民と戦っていないし搾取もしないという別次元の軍隊である。
だが、西洋や中国の軍人は、ほとんどの軍人の給与は、その土地を侵略した搾取したものである。
それは、人も含まれる。
古代から、日本はそうである。
縄文時代は、武器がなく、戦闘で亡くなった人骨もない。
住む住居は、ほぼ同じ大きさであり、集団で働く集合作業所があるのが
縄文遺跡の共通するものである。
つまり、戦争がなく、平和で、みんなで働いた跡の遺跡なのである。
西洋や中国では、戦争ばかりで、大きな王の宮殿の跡、人を縛り付ける法律の文字がある。
調べれば調べるほど日本がどれだけ誇れるものかがわかる。
人をしあわせることが文明と言いたいものである。
現代に顧みて
この遺訓は、西洋の見た目の素晴らしさ、その最先端の技術よりも
日本において、何のためか?必要性はあるのか?
日本に当てはまるのか?ということを問いただしているように感じます。
とかく、日本人は、外国のほうが上だと思ったり、
世間や世界で主流なものが正しいという論調があります。
何が正しいかが非常に曖昧になった時代になりました。
しかも、国際会議・国連・G7などで決まったことがあたかも正しいように見えます。
そこには、各国の利権があり、お金の流れがあり、騙す国と騙される国があります。
環境を立てに、結局は電力事業やインフラを攻勢している共産党や中国企業。
民族・人権を立てに、他国に侵略をしているロシア。
大義の正義のもとに、商品や利権を利用し、他国を侵略する。
その被害者は、いつも力のない国の国民であります。
強国においしい話をされ、縮小したウクライナはひどい目にあっています。
慈愛に満ちた国などありません。
慈愛を見せかけにして、いかに自国の有利なことをやるかであります。
先の大東亜戦争は、そんな慈愛を満ちた国の愚かな戦争でした。
目的は達成したが、目標を達成できずでした。
目的は大東亜戦争の名のとおりアジア諸国の国々の民族自決と独立です。
目標は、米国・英国・中国の連合国に勝つことでしたがこれは駄目でした。
だが、そういった慈愛やお題目を掲げた戦争を行ったことで、
白人がアジアの占有者の地位を貶めることができました。
戦争に負けましたが、日本が大事にしたものは失っていません。
日本に日本人がいる限り、いくらカネで親中の政治家や大学の教授で真っ当なことを言っても、
もう、見え見えであります。
日本は道義や道徳が古来から受け継いで国で、
憲法や法律よりも一般的日本人は道徳的な考え方が判断の上位をする民族であります。
そういった日本が道義・道徳の文明が違う傘下でつくられた憲法が合うわけがない。
学びは、人格者から学ぶという教育というものは、単なる制度になり、
日本の良さや先人が命を通して受け継いだものは学校教育からなくなった。
これを変えるにはやはり政治です。
来月は参議院選挙であります。
参議院の半分の改選で、国政がそんなに変わるとは思えませんが、
インパクトを与えるには丁度よい選挙だと思います。
左派系の政党はどうでもいいですが、
自民党に目を冷ましてほしいものです。
いつになったら憲法を改正するのですか、
せめて、憲法改正の国民投票ができる状態を来年までしないと
中国やロシアの脅威に負けてしまいます。
もう軍事的なものではなく、経済・教育・電力・水道までに侵略されています。
法的には問題はないという政治家や官僚は言いますが
元々の憲法や法律が問題なのです。
反日こそ泥学生や反日教授を排除する必要がありますし、
最も最悪なのは反日政治家と親中議員です。
しかも、国会だけでなく市町村の地方議員までいる。
スパイ防止法を待つことなしにこういった議員は投票を避けるべきです。
最も最短で日本の政治家を目覚めさせるには、既成政党ではなく、
真っ当なことを言い、真実を堂々と言っている新生の政党に投票することが
もっともインパクトがあります。
もう、自民党や維新の政治家に目覚めてもらいたいものです。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
押して頂くと励みになります。

人気ブログランキング
稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本
経営者の視点では素晴らしい本です。
森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11464803
この記事へのトラックバック