2022年06月19日
第10訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第10訓を垣間見てみます。
序文
国のため家のため、至って至極、当たり前のことであるが、
現在は、国とか家のための目的はなくなり、カネのためになってしまった。
そうなると国家は破綻してしまう、
そうならないために西郷隆盛は、警笛を鳴らしている。

原文
人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。
国に尽し家に勤むるの道明かならば、百般の事業は、従がって進歩す可し。
或は耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、蒸気仕掛の器械を造立し、
人の耳目を聳動すれども、何故電信鉄道の無くては叶はぬぞ、
欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず、猥に外国の盛大を羨み、
利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物に至る迄、一々外国がを仰ぎ、
奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、
結局日本身代限りの外有る間敷也。
仮名入り
じんち かいはつ あいこくちゅうこう こころ ひら
人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。
くに つく いえ つと みちあきら
国に尽し家に勤むるの道明かならば、
ひゃっぱん じぎょう したがって しんぽ べ
百般の事業は、従がって進歩す可し。
あるい じんもく かいはつ でんしん か てつどう し
或は耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、
じょうきしか きかい ぞうりつ ひと じもく しょうどう
蒸気仕掛けの器械を造立し、人の耳目を聳動すれども、
なにゆえでんしんてつどう な かな
何故電信鉄道の無くては叶はぬぞ、
か い ところ め そそ
欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず、
みだり がいこく せいだい うらや りがいそんしつ ろん
猥に外国の盛大を羨み、利害得失を論ぜず、
かおく こうぞう がんろうぶつ いた まで いちいちがいこく あお
家屋の構造より玩弄物に至る迄、一々外国がを仰ぎ、
しゃし ふう ちょう ざいよう ろうひ こくりょくひへい じんしんふはく なが
奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、
けっきょくにほんしんだいかぎり ほかある まじきなり
結局日本身代限りの外有る間敷也。
私流訳
人の物事の道理を理解し、是非・善悪を判断する能力を知恵や能力などを導きだし、
活用させるには、国の根本の目的を愛国の心と忠孝の大切さに気づくことである。
国家のことを考え努め、家族のためにと考え勤めることの人として行うべき正しい道が明確ならば、
あらゆることはすべからずうまくいく。
見た目で判断して、新しい技術や製品を実用化しようとして、
電信を架け、鉄道を敷き、蒸気仕掛の機械を造って、
人の目や耳を驚かすような事をするけれども、
どういう訳で電信、鉄道が無くてはならないか、
欠くことの出来ない物で有るかということに目を注がないで、
みだりに外国の盛大なことをうらやみ、利害、損得を議論しないで、
家の造り構えから、子供のオモチャまで一々外国の真似をし、
身分不相応に贅沢をして財産を無駄使いするならば、
国の力は衰退し、人の心は軽々しく流され、結局日本は破綻するより他ないではないか。
私流解釈
明治時代では、西洋のもの何でも面白く、便利であり、何でも優れていると見えたでしょう。
例え先端技術のものでも、所詮そういったものは人が動かし、人が使うものであります。
その人が、どんな志で、どんな目的で行うかによって、その用途はことなります。
そこのことを大事と言っていると感じる次第であります。
私は現代の道徳や思想は、江戸時代に熟成されたと思っています。
江戸時代の260年の間に他国と関わりを断ち、
その前に入ったもの、自国で育ったものが熟成時期というものが江戸時代であると感じます。
どういったものかというと
朱子学、仏教、武士道であります。
この3つが熟成には260年間かかったのです。
これが、熟成されたからこそ、道徳に創始者というものがなく、
体系化した人ものなく、書物にもならなかった。
ただ、実践者のみです。それがすべての日本人であり、
しかも、それは親から子、師匠から弟子、藩士から武士、
長老から青年、親方から職人という継承されながら、また、改善された。
江戸時代こそ、日本道徳の熟成期間であったと信じる次第です。
だからこそ、明治維新を牽引した人達は、単に西洋のことを取り入れても、
我国のために、広く多くの国民のためのことを考えたから、
急速な飛躍をしました。
現代に顧みて
現代、世界の主流な考えである。
温暖化対策やグローバリズムがありますが、
それが本当に日本に合うものなのか?
その考え方じたい正しいのか?
それが本当に地球に自然に環境にいいのか?
私は、世界の温暖化対策は利権の塊であり、まったく自然を壊しています。
グローバリズムや国連や米国・中国が言っていることやっていることは、
大義はあるけど、結局は自国が防衛であり、自国の金儲けであります。
このままでは、西郷がいう「結局日本は破綻」になってしまいます。
私たちは、そういった報道・思想・物・最先端のものにどっぷり使っています。
そして、何が正しいか指針もわからなくなってしまった。
その中で西郷南洲翁遺訓が書き残したものがその正道になればと下手ながらブログにしております。
このブログを読んで頂いた人の人智が開発されることを切に願う次第であります。
最後まで読んで頂きまして、有難うございました。
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稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本
経営者の視点では素晴らしい本です。

森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。





そして第三次世界大戦が仕組まれた
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第10訓を垣間見てみます。
序文
国のため家のため、至って至極、当たり前のことであるが、
現在は、国とか家のための目的はなくなり、カネのためになってしまった。
そうなると国家は破綻してしまう、
そうならないために西郷隆盛は、警笛を鳴らしている。
原文
人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。
国に尽し家に勤むるの道明かならば、百般の事業は、従がって進歩す可し。
或は耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、蒸気仕掛の器械を造立し、
人の耳目を聳動すれども、何故電信鉄道の無くては叶はぬぞ、
欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず、猥に外国の盛大を羨み、
利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物に至る迄、一々外国がを仰ぎ、
奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、
結局日本身代限りの外有る間敷也。
仮名入り
じんち かいはつ あいこくちゅうこう こころ ひら
人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。
くに つく いえ つと みちあきら
国に尽し家に勤むるの道明かならば、
ひゃっぱん じぎょう したがって しんぽ べ
百般の事業は、従がって進歩す可し。
あるい じんもく かいはつ でんしん か てつどう し
或は耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、
じょうきしか きかい ぞうりつ ひと じもく しょうどう
蒸気仕掛けの器械を造立し、人の耳目を聳動すれども、
なにゆえでんしんてつどう な かな
何故電信鉄道の無くては叶はぬぞ、
か い ところ め そそ
欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず、
みだり がいこく せいだい うらや りがいそんしつ ろん
猥に外国の盛大を羨み、利害得失を論ぜず、
かおく こうぞう がんろうぶつ いた まで いちいちがいこく あお
家屋の構造より玩弄物に至る迄、一々外国がを仰ぎ、
しゃし ふう ちょう ざいよう ろうひ こくりょくひへい じんしんふはく なが
奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、
けっきょくにほんしんだいかぎり ほかある まじきなり
結局日本身代限りの外有る間敷也。
私流訳
人の物事の道理を理解し、是非・善悪を判断する能力を知恵や能力などを導きだし、
活用させるには、国の根本の目的を愛国の心と忠孝の大切さに気づくことである。
国家のことを考え努め、家族のためにと考え勤めることの人として行うべき正しい道が明確ならば、
あらゆることはすべからずうまくいく。
見た目で判断して、新しい技術や製品を実用化しようとして、
電信を架け、鉄道を敷き、蒸気仕掛の機械を造って、
人の目や耳を驚かすような事をするけれども、
どういう訳で電信、鉄道が無くてはならないか、
欠くことの出来ない物で有るかということに目を注がないで、
みだりに外国の盛大なことをうらやみ、利害、損得を議論しないで、
家の造り構えから、子供のオモチャまで一々外国の真似をし、
身分不相応に贅沢をして財産を無駄使いするならば、
国の力は衰退し、人の心は軽々しく流され、結局日本は破綻するより他ないではないか。
私流解釈
明治時代では、西洋のもの何でも面白く、便利であり、何でも優れていると見えたでしょう。
例え先端技術のものでも、所詮そういったものは人が動かし、人が使うものであります。
その人が、どんな志で、どんな目的で行うかによって、その用途はことなります。
そこのことを大事と言っていると感じる次第であります。
私は現代の道徳や思想は、江戸時代に熟成されたと思っています。
江戸時代の260年の間に他国と関わりを断ち、
その前に入ったもの、自国で育ったものが熟成時期というものが江戸時代であると感じます。
どういったものかというと
朱子学、仏教、武士道であります。
この3つが熟成には260年間かかったのです。
これが、熟成されたからこそ、道徳に創始者というものがなく、
体系化した人ものなく、書物にもならなかった。
ただ、実践者のみです。それがすべての日本人であり、
しかも、それは親から子、師匠から弟子、藩士から武士、
長老から青年、親方から職人という継承されながら、また、改善された。
江戸時代こそ、日本道徳の熟成期間であったと信じる次第です。
だからこそ、明治維新を牽引した人達は、単に西洋のことを取り入れても、
我国のために、広く多くの国民のためのことを考えたから、
急速な飛躍をしました。
現代に顧みて
現代、世界の主流な考えである。
温暖化対策やグローバリズムがありますが、
それが本当に日本に合うものなのか?
その考え方じたい正しいのか?
それが本当に地球に自然に環境にいいのか?
私は、世界の温暖化対策は利権の塊であり、まったく自然を壊しています。
グローバリズムや国連や米国・中国が言っていることやっていることは、
大義はあるけど、結局は自国が防衛であり、自国の金儲けであります。
このままでは、西郷がいう「結局日本は破綻」になってしまいます。
私たちは、そういった報道・思想・物・最先端のものにどっぷり使っています。
そして、何が正しいか指針もわからなくなってしまった。
その中で西郷南洲翁遺訓が書き残したものがその正道になればと下手ながらブログにしております。
このブログを読んで頂いた人の人智が開発されることを切に願う次第であります。
最後まで読んで頂きまして、有難うございました。
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経営者の視点では素晴らしい本です。
森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。

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